飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

討論の授業 百羽のつる2

2006年03月04日 02時25分23秒 | 国語科
百羽のつるの授業参観。
討論の授業が成立するには、様々の要因が考えられるが、その一つに発問の質の問題がある。
たとえば、教科書を読めば答えがすぐに分かるような発問では討論にならない。
創造や思いつきでしか理由を言えないような発問も不適である。
きちんとした根拠が文中から探せる必要がある。
また、最初は意見が5個以下になり、討論を進めていく中で、最終的に二つになるものでなければならない。
そこからが本物の論争が始まる。
に、その発問をすることにより、子どもたちが何時間も熱中して意見を発表し続けるようなものである必要がある。
その発問を教材研究の中から見つけるのである。

前文をすらすら読みで通読させたあと、次のような発問をした。
「九十九羽のつるは、子どものつるが病気であることに気づいていましたか?」
ここで立場を決めさせる。
まず、どちらかの立場に立つと言うことが当事者意識を持たせる上で必要不可欠である。
当事者になって初めて、脳が活性化し、本気で考えるのである。
価値観が表面に出てくる道徳などでは、例外的に認めることもあるが基本的にはまず、立場を確定する。
知っていたという子と知らなかったという子の割合は約2対1と言ったところであった。
次にそれぞれの根拠を発表させた。
ここで教えるべきことは根拠と理由の違いである。
根拠は具体性をもつ。
すなわち、教科書の何ページの何行目にこう書いてある。
これは根拠である。
だからこう考えられるというのが理由である。
国語的にはこのような区別はないが、討論をする上でのルールの徹底は必要である。
根拠を持たない主張は、討論の中では、意味をもたない。

SCENE163(saitani)

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