飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

川嶋みどり氏の言葉

2024年03月08日 13時48分38秒 | 人生論
日本赤十字看護大学名誉教授 川嶋みどり氏の言葉。

よく講演で、「六十、七十は少年少女」と伝えていますが、私は「一日一知」どころか「一分一知」と言うほど。
人一倍に好奇心が旺盛で、今もわからない字はすぐに辞書を引くし、一昨日かrh友人の勧めで合気道を始めました。


ですから、当初は看護師がどんな仕事をするのかさえ知らなかった。
だけど、学びたい一心で入った学校でしたから、全ての学びが新鮮でした。
ハードな授業もまるで乾いた砂が水を吸い上げるように知的欲求をみたす日々でした。
1週間ぶっとおしの夜勤実習もたいして苦ではなく、一人こまネズミのように走り回っていましたよ。
一方で患者さんの体を拭いたり、下の世話をすることが、専門職の仕事なのかと疑問を抱いていたことも事実です。
だから、「看護師は尊い仕事なんだ」って自分に言い聞かせながら「本当にそうなのかな?」と納得できずに煩悶していました。


「痛いよう」とか細い声で呻いているにも関わらず、痛みを和らげる方法が何一つ分からない。
それで、未熟な私でもお風呂に入れず垢まみれになっていた彼女の殻を綺麗にすることはできると思ったんです。
お湯とタオル、石鹸を使って、1週間かけて青しの先から丁寧に体を洗っていきました。
毎日、すこしずつ上半身へと向かってふいていくにつれ、本来のまっしろな肌が見えてくる。
七日後にはすっかり全身が綺麗になりました。
すると、彼女は満面の笑みを浮かべて「お腹すいた!」と元気に言ったんです。
その声を聞いた瞬間に「ああ、看護ってすごい」って、心の底から驚きと嬉しさが込み上げてきました。


それから亡くなるまでの3ヶ月あまり、彼女は少女らしく生きることができました。
この経験が私のとっての看護の原点です。
お湯とタオル、そして看護師の手と温もりがあれば、患者さんの苦痛を和らげることができる。
生きる力を引き出し、命だって救える。
看護師の全人格を投入し、人間の体が秘める自然治癒力を発揮できるように手助けするのが、本当の看護だと言うことを自分の信念にしたんですよ。


私淑するナイチンゲールは150年前にこう言っています。
「看護は自然が病人に働きかけるように最善の状態に病人を置くことであって、真の看護とは何であり、真の看護ではないものは何であるるかとはっきりさせること」と。



もちろん、上から圧力をかけらたことは数え切れません。
それでも正しいことは正しいと信じぬき。睨まれ叩かれよううとめげずに戦い尽くしてきたんですよ。



でもね、あの辛さを経験していなければ、本当に傲慢な人間になっていたと思うの。
我が子を失う悲しみを知っていたからこそ、阪神淡路大震災や東日本大震災で被災地に赴いた際、「あんたにわかる分けない!」と罵倒されても「そうよね、辛いよね」っていう一心で触れ合えた。


困難を与えられると言うことは、そこに必ず意味があります。
でも、その意味は自分で掴み取るしかない。
だから困難に直面した時、泣いて諦めたり、打ちひしがれるのではなく、まず、受け入れる。
そして一歩でもいいから足をかけ、バネにして乗り越えてほしい。
その全てが人生の糧になり、輝かしい明日に繋がっていきます。


Saitani



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