飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

群青

2021年03月13日 07時09分20秒 | 東日本大震災
東日本大震災から10年目の節目を迎える。
10年たった今も多くの方々が悲しみの中にいて、どうにも整理できない気持ちを抱えながらも前向きに生きようとしている。
今を生きている私達にできることは何なのかを改めて考える。

震災に関する歌は数多くある。
「花はさく」などはその代表だろう。
学校にまつわるエピソードがある歌もある。
その中でも心に残る歌は群青である。

以下引用。

南相馬市立小高(おだか)中学校は、福島県浜通り南相馬市南部の小高区に位置した。
2011 年 3 月 で、津波により街が甚大な被害を受けた。
東日本大震災この日、3 年生の卒業式が行われ、午前中で学校は終わり、その数時間後の 14 時 46 分、地震が発生、津波によって小高の街は甚大な被害を受け、小高中の生徒 4 名が亡くなった。
東日本大震災によって、小高区が半径 20km 圏内の警戒区域に指定されたことから、小高 中学校も小高区外に避難することとなった。
津波で犠牲となった 2 名を除く 104 名の 1 年生も、大半の 97 名は小高中学校を離れ、北は北海道、南は長崎県
まで、全国に散り散りとなった。
4 月 22 日に新学期を迎え、進級した生徒はわずか 6・7 名にとどまった。
友だちが全国に散り散りとなり、原発事故で小高に戻れ ないことなど、様々な不安が生徒たちにのしかかり、わずか 6・7 名の 2 年生も、心を痛め、音楽の授 業では歌が歌えなくなっていた。
音楽の授業を受け持っていた音楽教諭の小田美樹も歌うことができ なかった。
皆が歌うことの難しさを感じていた。
ある日、歌が歌えなくなった生徒たちの授業を受け持っていた小田が、小高中を離れた生徒がどこ にいるのか把握するため、大きな日本地図に生徒の顔写真を貼り付けていたら、生徒たちが口々に 「遠いね」「どうやったら行けるの」「〇〇さんはどうしているだろう」「〇〇市はどんなところな んだろう」「でも、この地図の上の空はつながってるね」等の気持ちをあらわにした。
そこから、歌 うことができなくなった 2 年生の生徒たちと小田による詩づくりが始まった。
そして、2 年生の生徒たちが 3 年生に進級する。
津波で亡くなった 2 名の同級生の事や、遠い疎開先から今もなお戻ってこな い同級生などを思う 3 年生の気持ちを綴った日記や作文、他愛もないおしゃべりから、彼らの思いを 小田は書き留めていき、それをつなぎあわせて、「群青」の大筋の歌詞が出来上がった。 この詩に小田が作曲して「群青 - 平成 24 年度 小高中学校卒業生に捧ぐ」が完成した。
なところな んだろう」「でも、この地図の上の空はつながってるね」等の気持ちをあらわにした。そこから、歌 うことができなくなった 2 年生の生徒たちと小田による詩づくりが始まった。そして、2 年生の生徒た ちが 3 年生に進級する。 津波で亡くなった 2 名の同級生の事や、遠い疎開先から今もなお戻ってこな い同級生などを思う 3 年生の気持ちを綴った日記や作文、他愛もないおしゃべりから、彼らの思いを 小田は書き留めていき、それをつなぎあわせて、「群青」の大筋の歌詞が出来上がった。 この詩に小田が作曲して「群青 - 平成 24 年度 小高中学校卒業生に捧ぐ」が完成した。

以上、引用終わり。

生徒たちや先生の気持ちを考えると心打たれる。
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