飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

経験の意味

2021年03月13日 07時30分13秒 | 人生論
令和2年度もあと3週間ほどで終わる。
来週には、卒業式や修了式が行われる。
この1年は今まで経験をしたのことのないことの連続の年だった。
新型コロナウイルスの影響による休校から始まり、リモートの授業、感染予防対策による業務負担の増加、行事の生鮮や縮小、教育課程の見直し、判断が難しいことばかりだった。
まもなく1年を終える今、大変だったという感想が大方を占めるのではないだろうか。

子どもたちが落ち着かなかったり、授業がうまく進まなかったり、また、保護者対応や職場の人間関係など精神的にも周りが想像できないど苦しんだ先生もいらっしゃると思う。
しかし、物事は始まれば必ず終わる。
あと1週間ですべてはリセットされる。
渦中にいるときには、その状況が一生続くように思えたり、一刻も早くこの辛さから逃げ出したいと思う。
私もそういうこともあった。
しかし、その経験の意味は、あとになってわかることもある。

人生には無駄というものはないもの。
しかし、後にならないと、その意味がわからないということがたくさんあるのです。
つらいことでも苦しいことでも、「体験」したことは、間違いなくその人の強みになります。
日野原重明

「苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからのわたくしたちの使命です」
気仙沼市立階上中学校 卒業式答辞
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