飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

地域学習

2015年12月13日 09時17分21秒 | 授業論
最近はあまり注目されなくなった「総合的な学習の時間」。
来年度からの外国語活動の時数増加によりさらに圧迫される。

中学年くらいだとどの学校も地域を題材に調べ学習を行うことが多い。
では、地域学習をする意味はどんなところにあるのだろう。
もちろん、地域を知るという大きな目標はある。
しかし、その先にある目的とはなんだろう。

自分が若かった頃、社会科の先生からこんな話をきいた。

エドモンド=デ=アミーチス作「クオレ」より

この話の一部は、母をはずねて三千里というお話にもなっている。

以下、引用。

町を大事にするんだね。
ひとつの国民の教育がどんなものかは、なによりもまず、その人たちが町中にでたときの様子をみれば、すぐにわかるものさだ。
町中にいやばことのある国では、家のなかにだって、きっといやなことがあるだろう。

それにふだんから、町をよく見て調べておくことも大切なことだ。
自分の住んでいると都市のことを、よく調べておくんだ。
もし、あしたにも、おまえが、どこか遠くへいかなけばならないようなことになったらとしよう。
そのとき、その町のことをしっかりと覚えていて、頭のなかに、ありありと、すみずみのことまで、重い浮かべることができたら、それほど楽しいことはないのだからね。
おまえの町は、お前の国とおなじことだ。
いや、おまえにとっては、何年もの間、それは、世界とおなじようなもだったのだ。

お前が、おかあさんのそばで、よちよち歩きをはじめたのも、その町だし、お前が、初めて人間としての心をもち、はじめてものを覚えようとし、はじめて友達ができたのも、その町なのだ。
お前は、母親のようなものだったのだよ。
町は、おまえにものを教え、お前をかわいがり、そして、お前を守ってくれた。

お前は、その町の中で、その町に住む人々にまじって、その町をよくしらべ、町を大事にしてやらなくちゃ。
そして、だれかが、お前の町のことをよく知りもしないで、悪口を言うのをきいたら、お前がちゃんといいわけをしてやりなさい。

saitani
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