飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

対話的な授業

2020年09月05日 17時36分03秒 | 授業論
対話的な授業とは、どんな授業をいうのだろうか。
ただ単に、子供たちが自分の立場で自分の根拠だけを手がかりに意見を言い合う授業形態は対話的とは言い難い。
しかし、現実的には子供たちの意見が噛み合わなくても「活発な意見が出た良い授業」と評価されることもままある。
社交辞令も含まれてはいると思うが。

子供が互いの言葉を受け止め合い、対話しながら集団や個人の考えている授業とはどんな授業なのか。

こんな観点で授業を見てみると判断評価できるのではないだろうか。
それは、子供たちが次のような言葉のやりとりを授業の具体的な場面でしているかどうか。

冒頭の接続詞を使って発言しているか。
だから〜だと思います。
なぜなら〜と思ったからです。
つまり、〜だからです。
それは、〜ということだと思います。

つなぎの言葉。
私の考えはAさんと似ていて、〜です。
Bくんの考えとはちょっと違うけど、〜だと思います。

要するに、子供同士の意見が絡み合っているか。
前言を受けて自分の論を展開して華道家である。

事実や情報をもとにして比較・関連づけたり総合したりしながら、社会的事象の特色や意味を考察する方向へ向かう、立場や根拠、理由づけを明確にしながら自分の考えを説明する方向へ、そんな対話的な学びを目指すべきだと思う。

Saitani
この記事についてブログを書く
« 仕事の効率化 | トップ | 主体的・対話的ではあるが深... »

授業論」カテゴリの最新記事