飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

独坐大雄峰

2010年05月05日 16時02分10秒 | 教育論
神の手を持つと言われている医師、佐野公俊先生の言葉です。

私が思うに、「知識」とは今まで誰かが成し遂げたことを、自分も勉強して覚えて得たもののこと。
「見識」とは、それを実際に使ってみるとどういう結果になるという自らの経験を伴ったもの。
その中でたとえ修羅場になったとしても、そこでぐっと肝っ玉を据えて、それをどう乗り越えていけばいいかを考えている。
そういう侍魂のようなものがすなわち「胆識」というものじゃないでしょうか。

教育にも様々な問題が山積みです。
その中では、自己を見失わないためにも胆識が必要だと感じます。

saitani
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