飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

今の自分があるのは

2023年07月14日 06時06分02秒 | 教師論
教師になって6年目のときだった。
帰宅すると一通の封書がポストに届いていた。
それは明治図書からで、表に「原稿依頼」と朱書きされていた。
なぜ自分に原稿依頼がくるだろうと不思議だった。
当たり前だが、特別に名前の知れるような実践もしていないし、何かの研究会に招かれたこともない。
一つだけ思い当たるのは、その頃は休日になると、多くの自主研修会に参加するためにあちこちに出かけていた。
おそらく、その参加者名簿の中でよく目にする教師にランダムに原稿依頼されたものと考えられた。

原稿依頼がきたことは正直に言えば嬉しかった。
自分の論文が活字になるなんてことは考えたこともなかったし、生涯通じてありえないと思っていた。
そんな驚きとともに自分は迷った。
本に掲載するような実践はしていないし、そもそも何をかけばいいのか思いつかなかったからだ。
言い訳は次から次へと浮かんできた。
「断ろう、そうすれば楽になる」
そう考えた時に、尊敬する先生の言葉が頭に浮かんだ。
「やがてみなさんも出版社から原稿依頼の通知がくることがあるかもしれません。
 そのときに迷うと思います。
 できれば断りたい。
 そう考えてしまいます。
 でも、目をつぶって後先を考えずに「諾」にまるをつけるのです。
 そこから成長は始まります。
 一度でも、「否」にまるをつけたら、その人のところには二度と原稿依頼はきません。
 チャンスの女神には前髪しか無いのです。
 迷わず、無茶と言われても目の前にきたチャンスをつかむしかないのです。
 それが教師としての成長につながります。」
その言葉を信じて、勇気を出して「諾」にまるをつけて投函した。

数日後、専用の原稿用紙が郵送されてきた。
それからこれまで残してきた実践にあたり、参考文献にも何冊も目を通して、原稿を書いていった。
当然、原稿は遅々として進まなかった。
それでもサークルの仲間に相談し、原稿の推敲をお願いしながらなんとか仕上げた。
わずか見開き1ページの原稿だったが、莫大な時間と労力がかかった。
それはなんて効率の悪い、無駄の多い、稚拙な作業だと思った。
でも、教師としてのプライドと気高さだけはあった。

できあがった原稿を提出したのは締切ぎりぎりだったと思う。
1ヶ月がたち、その月刊誌が発行され、本屋さんが届けてくれた雑誌が職員室の机上に載っていた。
急いで、自分の実践論文を探した。
そして、活字になった自分の原稿をみたときに力を貸してくれたサークルの仲間に感謝するとともに、言葉では言えない達成感を感じた。

それから次の年にも原稿依頼がきた。
しかし、その年は夏には県の実践発表があり、市教委指定研究発表会の中心授業、秋には市の公開研究授業を控え、毎日の帰りは12時近った時期だった。
さすがに原稿を書く気力はなかった。
迷いながらも「否」にまるをつけて投函した。
尊敬する先生の言葉通り、それから私に原稿依頼がくることはなかった。

今振り返ってみて考える。
今の自分だったどうするか。
おそらくどんなに忙しくても「諾」にまるをつけたと思う。
そして、原稿依頼を受けたことを後悔しながら、必死になって論文を書いたと思う。
なぜなら、誰が決めたわけでもない、自分が選んだ道だから。

今も教育の中で生活している。
もちろん、実践の量や質おいては経験値とともに進歩はしてきたと思う。
でも、あの若かった時のような真剣さと気高さが今の自分にあるかと問えば、あの頃には遠く及ばない。

でも、今の自分があるのは、やっぱりあの未熟で稚拙な自分があったからだ。
誰にでもきっと、「あの時、あきらめないで進んできてよかった」と言える日が必ず来る。
誰にでもきっと来る。

saitani