三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【環境建築論と京都山崎・聴竹居】

2017年01月11日 06時40分06秒 | Weblog


今週から本格的に仕事再起動であります。
で、昨年12月に東京工業大学・川島範久さんをお迎えして実現した
北と南の環境住宅論議でしたが、ことしのひとつのテーマとして
昨日、多くの参加者のみなさんにもこの論議のテキスト資料もお渡しして、
今後、よりいっそう論議を深めていきたいと考えております。

日本の住宅建築論については、やはり首都がある東京、
そして長い文化伝統の積層がある本州以南地域が中心的に存在し、
その民族的生活領域の先端的拡大地域としての開拓140年を超えた
寒冷地・北海道はそれとはまた違った「高断熱高気密」という
建築思想を体験してきている。その大きなふたつの流れの間で、
日本民族としての経験知に踏まえた論議が求められていると感じています。
この間、ちょうど一定の年末年始の休暇があったので、
わたしとしては、最近「環境住宅」という意味合いから
大きく注目されてきている京都・大山崎の地、建築家・藤井厚二自邸
「聴竹居」を訪れる機会を得ました。建築は昭和3年。ほぼ90年前。
事前に趣旨を説明し、場合によっては取材となる可能性もお話して、
今回、撮影許可もいただいて見学して参りました。
今上天皇皇后両陛下も最近、この住宅建築を訪れられたそうです。

2枚目の写真の「縁側」の位置からは、
日本有数の「要衝地」であるこの山崎・天王山から
淀川などの日本の大動脈となった地域が一望の下に見下ろせる。
いまも、名神高速が走り、新幹線の大動脈が走っている。
まさに日本という社会の成熟発展が凝縮されたような土地です。
かつて、戦国の時代には信長を討った明智光秀と、
その弔い合戦としてのちの大飛躍を勝ち取った秀吉が会戦した
日本史のなかの「るつぼ」のような立地条件だといえます。
いまはのどかな地方駅を下り、線路を山側に渡って上っていく高台に位置。
「天王山」という史跡碑も置かれていました。
そしてさらに、この建築家・藤井厚二さんは、
江戸期まで広島県福山市近郊の要衝地「鞆の浦」で商家を営まれていた
その次男坊であったという経歴も聞き及びました。
私事ですがわたしの家系伝承でもこの鞆の浦とは因縁もあり、
江戸期、国内経済の大動脈であった瀬戸内海交易のまさに中間地点として
尾道と共に、この鞆の浦は活況を呈していた事跡には知見もあります。
数年前には鞆の浦に建つ福禅寺、その主用途・朝鮮通信使迎賓施設も
体感してきております。対潮楼と名付けられた楼閣からの眺望は
かの通信使をして「日東第一」(日東とは日本)の景勝と謳われてもいます。
という事跡から、この鞆の浦がいかに交易の中心要衝地であったかが、
明瞭に見えてきます。そういった背景を持った人物として、
家系の資産を傾けても「その国を代表するものは住宅建築である」という
考え方を体現し、試行錯誤しつつなんと5軒までこの地に私邸を建て続けた。
現在残っているこの「聴竹居」は第5住宅とされています。

・・・どうも住宅自体のことに筆が至る前ですでに長文になった(笑)。
この伝統とモダニズムが調和したような温暖地域「環境住宅」なども
大きな題材にしつつ、実りある論議にしたいと考えている次第です。
また折に触れて、ご紹介したいと思います。
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【日本の窓、樹脂サッシシェア10%突破】

2017年01月10日 06時47分10秒 | Weblog
先日、ある建材商社さんトップから伺った。
昨年の窓サッシの出荷統計で、ようやくにして樹脂サッシが
シェア10%を超えたというニュースでした。
「・・・」というのが率直な感想。
そういうことがいまだに「ニュース」バリューを持っているのだという気分。

ご存知だと思いますが、北海道では
こと戸建て住宅の世界では、アルミサッシというものはほぼ流通していない。
あえて流通業者さんから仕入れようとすると、
樹脂サッシよりも割高になる、という話すら聞いたことがある。
熱損失が樹脂とアルミでは格段に違うので、
寒冷地住宅でアルミサッシを使うという根拠はありえないのが常識。
写真はことし築26年目のわが家の窓ですが、
そんな情報を聞いていて、窓はスウェーデンから直輸入して
木製3重ガラス入りを採用していました。
ずいぶん割高だったけれど、人生の選択としては信念を持てた。
人間が居住する環境を構成する素材の中で
外界との豊かな接点を創り出す窓には、
やはり美観とか、育っていく子どもたちにも情操的要素もあるのではと、
あるこだわりをもって選択していました。
当時としては樹脂窓ではガラスを3枚入れるものはなかったのです。
最近大手のYKKが樹脂の3枚ガラス入りも発売させてきて、
それに最大手のLIXILさんも最後発として参入してきたそうです。
こうした点についてははるかに終わった話題の地域なので
こうしたニュースに、まさに大きな距離感を抱かされる。

まぁ北海道的現実は、ほかの日本地域に於いては
特段大きな動きになるわけでもないのは、わかってはいますが、
それにしてもいまだに9割程度がアルミサッシというのもすごい。
たぶん、アルミサッシの工場生産ラインの設備投資の減価償却が、
ようやくにしてメドが立ってきて、
大手各社さんが徐々に樹脂窓生産ラインを拡充させてきた結果が、
こういったニュースになってきたのだろうと思います。
いろいろなもののシェアに於いて10%というのは有為な分水嶺だそうで、
そこから半数程度までは、一気に変化する可能性がある。
ただし、集合住宅では依然として樹脂よりもアルミという構造が
継続しているとされているので、予断は許されないかも知れません。
いずれにせよ、人間の「住む」環境を外界から区画する
窓サッシは、住宅性能意識においてかなり重要なベンチマーク指標。
ユーザー心理や,住宅世論における変化を興味を持って
見届けていきたいと思っています。
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【エアコン暖房には要・加湿器を忘却(泣)】

2017年01月09日 07時58分57秒 | Weblog
先日、エアコン暖房でノドをやられての風邪とお伝えしました。
寝ても一向に喉の痛みが改善しないと書き、
その後、出張時には就寝時、エアコン暖房を停止して
劇的に症状改善とお知らせいたしました。
で、帰ってきてからふと自室を見回して驚いた。
なんとわたしの居室には「加湿器」が設置してあったのです。
毎年冬には、エアコンでの暖房と同時に加湿器をセットして
過乾燥からノドを守ろうとセーフガードしていたのであります。
かくあろうことは、しっかり自分でも自覚して,対応していた。
それなのに風邪まで引いても、このことに気付かなかった。
いや加齢によるうっかりが、こんなことにまで及んでいることに驚く。
なぜか、この加湿器のことはきれいさっぱりと忘れていたのです。
いかに半年間は使用しないとはいえ、北海道にいて暖房について
自分の身の回りの環境について、うっかりがあろうとは驚く。
なんとも、自分自身への脱力感を抱かされている次第。
まことになんともはや、お恥ずかしい次第であります。休みボケかなぁ(笑)。
で、さっそく加湿器を使って室温湿度のコントロールを開始して、
いま現在の状況は、気温25度前後、湿度は32-33%前後を示しております。
もう少し加湿すべきでしょうが、それでもかなり過ごしやすい。
きっとこれまでは、20%も切っていたのではと思われます。
「喉元過ぎれば・・・忘れる」とはいいますが、
どうもこういう基本的な自己の健康管理機能がややおろそかになっていると、
大いに自戒させていただきました。

やはりこうした快適環境は仕事の効率上もきわめて有益で、
明日からの本格始動を前に、溜まり込んでいる
各種資料データの整理整頓、案件の構想立案など、はかどってきております。
とくに1月はいろいろな予定が立て込んでいますので、
なるべく整理整頓して、ムダのない行動計画が不可欠。
身の回りでのこの「見落とし」をしっかりとアタマに叩き込んで
キビキビとした仕事態度に活かしていきたいと思います。
う〜〜む、しかしなんとも困ったものであります(笑)。
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【年末2度大雪で「雪庇」発生、雪落とし対応】

2017年01月08日 07時42分31秒 | Weblog


年末からの大雪が、ここにきてわが家を再度、襲っていました。
写真でおわかりのように、屋根に「雪庇」ができておりました。
年末旅行前25日頃に若干は確認はしていたのですが、
留守中6日間でその出っ張りが、視認的には約1m程度になっていた。
この屋根部分は20年ほど前の増築部分でして、
この奥に手前側に向かっての落雪屋根があり、
そこからずり落ちてきた積雪が、このフラットルーフ屋根上の雪を
「面的」に押してきて、こんな形状を見せてきていたようなのです。
増築してこの屋根面ができてから20年間ほど経過してきているけれど、
こういった「雪庇」生成はまったくなかった。
ことしの冬の最初の大量積雪が水分を多量に含んだ雪で
それが水平屋根面で氷結し、フラットに「層」を形成して
そのことから積層面として一体的な動きをするようになってしまい、
その次の雪は軽く大量に積層し、その間で時間差がそれほどなかったことと、
気温的には最初の大量降雪からずっと厳しい寒さが継続している
といったような特殊な気候条件が重なった結果なのだと思います。
気候変動は北海道の雪質にも変化を来していると言えるでしょうか。
この雪庇直下は駐車場であり、この時期は未使用の状態。
万が一、当家敷地への進入歩行者がいる場合のRISKが考えられたので、
念のために赤コーンを設置して注意喚起し、その上で雪処理を考えた次第。
とりあえずはこの状態を保っていて、見た目的には安定的でもあるようでした。
北海道の雪質は軽く、このように1m程度飛び出していても、
自重で落下するまでは相対的に重くはない。
1m飛び出しているけれど、屋根面には4m程度の連続した雪塊があって、
ヤジロベエのように安定した状態になっているということ。

たぶん、北海道以外のみなさんにはあまり見覚えがないでしょうね(笑)。
北海道では、とくに札幌などの住宅密集地で、
屋根からの落雪を堆積させておく空地が十分に確保できなくなってきて、
屋根に乗せたままにしておいて、融雪を樋を通して水として落とす、
というタイプのスノーダクト無落雪屋根が取り入れられました。
しかしそれは、断熱技術の欠損の結果、屋根に室温が逃げていって
その熱が雪を融かすということを前提としたような屋根でした。
その後、断熱技術が向上して屋根に熱が漏れることを除去し、
雪は乗せたままにして、その上での太陽熱での融雪水は、
若干の水勾配でダラダラと落とすというフラットルーフなどに変わった。
その後、三角屋根デザインはそのまま採用しても雪止め効果のある
スノーストッパールーフなども開発された。
わが家の場合は、こうした北海道の屋根の変遷を踏まえて
一部では堆雪場所や無落雪屋根に向かって落として堆雪させて、
大部分ではフラットルーフ無落雪屋根としていたのです。
今回はその落雪させる屋根からの雪が、無落雪側の屋根の積雪を
「面として押し込む」動きを見せてしまったということ。
逆に言うと、20年以上問題がなかった屋根形状が、
今年の冬のやや異常な降雪状況で問題を発生させたと言うこと。
やむなく、一部は下写真の「雪庇落とし」で落としたりしましたが、
やはり端部まではムリだったので、屋根屋さんのヘルプを受けて
屋根の雪下ろしを行った次第です。

気候変動は北海道の従来常識的な冬の気候、雪質をも変化させてくる。
今後、どのように対応すべきか、検討していかなければと思っています。
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【エアコンによる空気暖房と喉の痛み】

2017年01月07日 07時07分34秒 | Weblog
最近の北海道住宅では暖房選択になかなか悩むところです。
基本的には空気暖房ではなく、輻射熱暖房の方が健康にもいいとされてきた。
札幌オリンピック前年のプレ大会の時に、選手村で大容量のエアコン暖房が
敷設されていたけれど、北欧の選手たちから不評で、
「こんな健康によくない暖房なら大会参加を拒否する」とまでいわれて、
当時、このような問題が起こりうると考えていた暖房メーカーの
輻射熱パネルが急速に普及したことがありました。
この事実が北海道での暖房にとってかなり決定的な要因になって、
北海道では基本的に輻射暖房が主流になった経緯があります。
その後、オール電化住宅で蓄熱暖房が急速に普及したのも、
それが輻射熱源としての暖房形式だったことで、
体感的に「カラダを暖める」機能性に於いて優れていたことがありました。
しかし3.11以降、電気ナマ炊きという批判が巻き起こって、
徐々に世代交代が進んで、いまは、コスト的にもっとも安価な
エアコン暖房を選択するケースが増えてきたと思います。
わが家の場合もいろいろな暖房を体感するべく、組み合わせて使って、
わたしの自室、といっても12坪ほどの大きな空間ですが、
ここではエアコン暖房を選択して稼働させています。
ただ、コンクリートブロック外断熱の駆体なので、
その「蓄熱性」に期待して、夜、就寝前にはエアコン運転を停止して
寝ることを普段は習慣づけていました。
どうしても空気暖房方式では過乾燥になってしまって、
とくにノドをやられるケースがあるとわかってはいたのです(泣)。
しかし、年末年始時期家を空けることが多かったので、
留守中にも連続運転をして放置していて、それを忘れて寝ていた。
で、1月2日になって、急にノドの不調を来してしまった。
あまりにも急な喉の痛みと言うことで、インフルエンザも疑いましたが、
5日になって行ったかかりつけ医さんの見立てで
最近はやっているというノド直撃型の風邪ということ。
で、クスリなど処方していただいていたのですが、この暖房については
懲りずに見過ごしてしまって、連続運転のまま過ごしてしまっていた。
夜、いくら寝ていても喉の痛みがなくならない。
ということで、ようやくこの過乾燥問題に立ち戻って気付かされた次第。
本日出張中の仙台のホテルで過ごしたのですが、
就寝前にエアコンを停止して、寒さには毛布の重ねで対応して
9時間ほど就寝しましたが、無事、クスリの効果も出て、
喉の痛みの症状は現在は劇的に緩和されました。
まぁそろそろ快方に向かう時期でもあったのでしょうが、
このエアコン空気暖房について、もっとその問題点を考えなければと
いまさらながらに気付かされた次第です。
もし連続運転させる場合には、どのような対応をすべきか、
加湿器設置などが効果的なのかどうか、
撹拌される空気暖房なので、その設置位置など工夫も不可欠だと。

空気撹拌型の暖房方式は、輻射熱暖房に比較して
やはり湿度・健康管理の点で、大きく立ち後れているのではないか?
輻射型暖房はパネル設置などで高額費用にはなりますが、
健康を考えたときには、より高品質な暖房と言えるのではないか。
そんなことを考えはじめております。
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【本日今年初出張ですが、やや波乱含み(笑)】

2017年01月06日 10時03分16秒 | Weblog
さて本日は、ことしはじめての出張であります。
仙台にて要件があり、朝一番にてフライトの予定で札幌出発。
この時期、どんなことがあるかわからないので、やや体調もイマイチでしたが、
7:50発に対し6時前にカミさんと同行してクルマで出発。
夜明け前の時間ですが、結構なクルマの混みようでした。
ところが、ふとガソリンメーターを見てみるとほとんど残り少ない。
なんとか、祈るようにして高速を移動し千歳を下りて無事満タン給油。
で、カミさんと別れて空港到着。
さっそくANAカウンターに行ったら、手荷物預けが長蛇の行列。
なかなかチェックイン機械にたどり着けない。
ようやく人混みを掻き分けて機械で入力。
わたしは大体、バーコードを印刷した書類をかざして行うのですが、
なんどやってもエラー表示。
やむなく「予約番号」入力を試みた。
しかし、2−3度試みても毎回エラーになる。
時間は迫ってくる。やがて、アラートがちょっと違うことに気付く。
どうやら、この利用便にトラブルが発生して、予約の発券ができないという表示。
で、人混みの中にANAの人を探して、質問。
そうしたら、機体の整備に時間が掛かっている旨のお知らせ。
で、そこで諸連絡のためにiPhoneをいつもの胸ポケットに探す。
ない、ない。
忘れてきてしまっているのです。
で、やむなくMacを立ち上げて、メールで連絡を入れる。
一方、機体整備の方は2−3度の状況報告の時間が変更されたあと、
最終的にキャンセルが確定。
そこから長蛇の列に並んで、ようやく次便、11:20に予定変更。
iPhoneがないのは、かなり致命的な行動障害になる。
時間が出来たことで、カミさんのケータイと「公衆電話」で話せて
iPhoneを空港に持ってきてもらえることになった。
というような状況を過ごしつつ、現在新千歳空港におります。
さて、ことしの初出張、混乱状況でのスタート。どうなりますか、
乞うご期待であります(笑)。ふ〜〜、風邪っぽさもあってか、アタマが痛い。

<写真は道頓堀のシンボル的な店頭POP。ANAへの当て付けではありません>
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【北海道での「無断熱・寒い家」体験】

2017年01月05日 07時52分00秒 | Weblog
北海道では地域を挙げて「暖かい家」という生活文化に
開拓期以来、一生懸命になって挑戦し、邁進してきた歴史だったと思う。
今日「日本列島」とわたしたちが地図的に認識している空間世界で、
ひとり北海道島だけが、日本国家史からつい最近140数年前まで
取り残され続けてきたのは、ひとえにその寒冷という冬期条件が
日本民族生活文化を超えるものだったことによる。
まずはなによりも、この厳しい寒冷気候に対して生存を保障してくれる
住宅の進化が求められ、追究されてきた。
そのプロセスでは実に多くの試行錯誤が繰り返されてきたけれど、
そういったいわばフロンティア的な活動が、
地域として、止揚されて現在の住宅生産文化を生成させている。
その過程で、「寒い家」というものは多く解体廃棄されつづけ、
使用されながら、なお現在もあるという住宅は実はあまりない。
長く人間がその住宅を愛し続けるということがあって
はじめて「古民家」という存在は保ち得るけれど、
北海道ではそのような、いわば「愛着を持てる」古民家はきわめて例が少ない。
愛着は例えあったとしても、その厳しい寒冷が存続を許さなかった。
今日でも少数派として、断熱概念の少ない家は賃貸住宅などで存在するけれど、
断熱概念がない家はただ廃棄された。そういう家はほとんど残っていない。

どうしても先端的な住宅とか、性能技術を取材することが多いこともあり、
そんなふうに思っていたけれど、先日栗山町で小林酒造さんの
古民家住宅を訪れて、その認識を改めさせられた。
つい数年前、先代ご当主のかたが亡くなられるまで住まわれていた家が、
無断熱の数寄屋的高級住宅として、いまは喫茶コーナーなども設けられ
一般に見学可能なかたちで公開されている。
酒造家として成功され、本州地域で一般的な宏壮な邸宅を建てた。
数寄屋的な贅をこらして建てられていた様子がわかる。
数十室もある大邸宅だけれど、冬期の寒さは言語に絶する世界だったと、
この家で成長された娘さんである女性から聞いた。
冬の間、ほとんど足を踏み入れることのない部屋を紹介して歩く
そういう「オプションツアー」を挙行することがあるそうだけれど、
参加者は全員ダウンジャケットに、靴下を数枚穿き重ねるという
完全防寒体制でチャレンジするのだと言うこと。
そういう覚悟もなくふらっと立ち寄っただけだったので、遠慮しましたが、
こういう「北海道の寒い家」という体験は、
北海道人もほとんどがいまや、忘れ去っているし、
本州以南から来られる方も、断熱され暖房が行き届いた住宅体験しかない。
そういった意味では、貴重な住宅事例ではないかと思い至った。
ほんの少し写真のメイン居室を見せていただいたけれど、
内部インテリアは、日本人の成功者として贅を尽くした豪華さ。
しかしたった1〜2室見せていただいただけで
なによりの贅は「暖かさ」であるということに圧倒的に気付かされる。
まことに貴重なタイムスリップ感覚が味わえる存在だと思いました。
ことしも厳寒の2月時期には多くの住宅関係者が
北海道の先端的住宅事例を訪れられる機会が増えますが、
そんなときに、こういったオプションツアーもいいかも知れません。
東大の前真之先生などにもオススメしたいとイタズラっぽく考えた。
ブルーな熱画像の美しさもいいかも(笑)。
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【住宅リノベーション感性の1200年積層都市・京都】

2017年01月04日 08時10分46秒 | Weblog



わたしの高校同期の友人たち、リタイヤするひとも増えてきた。
で、そうすると結構な数の人間が京都への長期滞在型の旅に出掛けている。
どうしても北海道で暮らしていて、満たされなかったものを探すように
出掛けていく人が多いのです。
年賀状をもらったある友人は、昨年35日間も京都滞在していたと書いている。
出版不況が叫ばれているのに、中高年向けの旅行雑誌が創刊するとか、
どうもそういったニーズが沸き上がっているのかも知れません。
わたしたちの年代では、マスメディアの支配が強くそこでは、
戦後の支配的な空気は欧米的な文化への拝跪であって、
その文化体制にずっとアタマの先からつま先まで貫かれた人生だった。
そういった人生哲学に対して、なにか満たされないものがあって
京都になにかがあるのではないかと志向するのでしょうか?
それとも、北海道という人文の希薄な地域での暮らしで
常に人文文化性に対して欲求不満のような状態を持っているのでしょうか?
どうもよくわからないまま、でも行ってくるとなにか足りなかったピースが
見つかってくるような気分がするのだと思います。

まぁ、わたしも高校時代にヨーロッパの旅を経験して、
帰ってきてから無性に奈良・京都を旅したくなって、巡ったことがある。
無意識のうちに、日本的伝統とか感受性の系譜に憧憬を持つ。
この点では、アメリカの大量破壊が京都には及ばなかったことに
感謝しなければならない。
京都ではいまだに「前の戦争」というのは応仁の乱だと聞かされる。
794年に都が造営されてから、1200年以上の時間経過があり、
途中何度も内戦によって灰燼に帰したけれど、
そのたびに復興を成し遂げてきた歴史を持っている。
そういう「積層感」はどうしても北海道には希薄ということなのでしょう。
それぞれの時代の先端的な感受性が表現された建築が
繰り返された破壊・焼失を超えて現代にマッチして再建され遺っている。
日本人的感受性が連続したかたちで積層している。
いま、住宅に於いてもリノベーションということがテーマになりつつあるけれど、
京都の街は、まさにリノベーション感性の積層そのものだと思う次第です。
出江寛さんは、こういった感覚について「沈黙の美」といわれた。
これからの日本は、高度成長とか拡大発展という概念よりも、
いまあるものを大切に長く使っていく社会になって行くのだと思う。
1200年以上、古いモノと新しいモノが混淆しながら調和を見せてきた
そういった考え方で住宅建築も長期的存続を目指して行くべきなのでしょう。
そのための「多くの日本人が納得できる」デザインや発想のエッセンスは、
たぶん、京都の街で目を凝らせば、たくさん見えてくるのでしょうね。
<写真は、下鴨神社にて>
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【大阪住吉「大社と長屋」拝見&全国神札集】

2017年01月03日 09時21分54秒 | Weblog




まぁ、わたしのブログの読者のみなさんは、大阪でこの周辺を
話題にすることで、主な目的地はおわかりいただけるでしょうね。
年末、京都・聴竹居取材の方は管理される組織もあり公開もされているので、
見学の予約や写真撮影の許可、発表についての了解なども
許諾していただいてのことでしたが、
同日には、京都から大阪に移動することで、時間があれば、
立ち寄って、外側からだけでも見ておきたいと思った次第です。
・・・ということで無事、チェック出来た次第。
やはり関西圏、あちこちに安藤忠雄さんの建築を見ることができます。
きのうの本福寺・水御堂のような大物ではありませんが、
十分に雰囲気は味わわせていただきました。
1976年2月竣工ということで、相当の時間経過しているけれど、
コンクリート表面は艶のある光沢を放っていました。

で、新年準備に大わらわの商売の神さま、住吉さんです。
っていうふうに思い込んでいましたが、縁起などをみると、
そういう強いいわれはないのですね。大阪を代表する神社と言うことで
無意識のうちに商売繁盛の神さまと刷り込まされているのかも。
本殿は住吉造で4棟が並び、いずれも国宝。
本殿が4つもあるという神社ってあまり聞いたことがない。
住吉造の社殿は、切妻造、妻入とし、屋根は反りがなく直線的で、
屋根上には千木と鰹木(かつおぎ)が乗り、
内部は手前と奥の2室に区切る点などが特色ということ。
本殿は4棟とも檜皮葺きで、柱などの軸部と垂木、破風板を朱塗り、
壁を白(胡粉)塗りとする。社殿周囲に縁を設けない点も特色。
現存の本殿は江戸時代末期の文化7年(1810年)の建立、
建築形式は千木の形式などを除き古式を踏襲している。

ちょうど初詣の準備作業まっただ中で、
盛大なお賽銭スペースが設けられていました。
200万人が参拝するということなので、いったいどれくらい賽銭は集まるのか、
×100円としても、2億円ということですが、むむむ、下世話すぎますね。
わたしは、いつもの「神札」コレクション購入させていただきました。
ちなみに一番上の写真は、わが家の神棚に飾っている神札集。
このほかにも、会社の方にも同数くらいはあるのですが、
どっかに行ってしまわれた神さまもいる(笑)。
そのひとつひとつに、鮮明に記憶が蘇って参ります。
少なくとも、そういう「御利益」がありますね。ありがたいと。
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【安藤忠雄・淡路島「本福寺」水御堂】

2017年01月02日 06時15分58秒 | Weblog


さて、徐々に年末関西圏建築歴訪の様子をアップしたいと思います。
本日は、よく雑誌で目にしていた表題の建築。
設計― 安藤忠雄/安藤忠雄建築研究所
竣工― 1991年
敷地面積― 2991m²
延床面積― 417m²
構造― RC造
規模― 地下1階
受賞― 第34回建設業協会賞
平安時代後期建立の真言宗御室派の寺院で淡路四国第59番霊場。
境内からは大阪湾が一望できる。
六月になると、約2000年前の地層から発見された大賀ハスが
大輪の花、夏には大きな蓮池一面に色とりどりのスイレンが開花。
蓮池の中心に下降階段があり、その先に本堂・・・という概要。
木造の寺院建築の裏手に花の小径のような回遊動線をつくり、
やがてそれがコンクリートの壁が造形する動線に変化していって
視線が一気に開放されるのが、コンクリート製の蓮池。
ここらあたりの動線設計は、体感的にもここちよさを感じさせられる。
そこから動線は折り返されて、蓮池を大胆に割って、
そのほぼ中心線に沿って地中に導かれていく。
胎蔵界に入っていくかのような、あるいは曼荼羅内部に没入するような
そんなイメージが沸き上がってくる行動心理の動線ですね。




たしか、雑誌で初めて見たとき、
この蓮池がこの建築のテーマだろうなと思った通りの体感でした。
建築の目的である本堂と仏像は撮影不可ということですが、
この上の写真の中間位置で、参拝者は劇的に遭遇させられる。
たぶん導入階段と、本尊との向きは同じだろうと推測されました。
その辺も計算と配置が建築的と強く感じさせられる。
まっすぐとか規則的曲面とか、非常に動作体感が「建築的」に意識される。
寸法・向きとか長さとか、そういうものの規則性がカラダに伝わってくる。
本堂ではわたしは真言宗が宗旨なので、家族とともにありがたく読経。
宗教空間体験としては、まことにシンプルで、
こう来るだろうな、という仕掛け方は非常に明瞭にその目的性を見せる。
そういう意味では、予定調和的なリズム感があって好ましい。

安藤忠雄さんは、こうした宗教建築が実に似合っていると思います。
ただあまりに似合いすぎているかもと、一抹の疑問も。
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