三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

大名庭園の意味

2009年11月20日 07時52分12秒 | Weblog



きのう、札幌に帰還して原稿を早々にアップ。
年末進行真っ盛りで、取材・制作と進行が押してきております。

というところですが、
かねてから疑問に思っていた「大名庭園」の意味であります。
写真は水戸藩が造営した後楽園の点景。
東京には、こうした江戸期からの庭園が多く点在しています。
逆に言うと、江戸期以前からの名所って言うのは
せいぜい、浅草寺くらいのもの。
それにしたって、江戸の興隆とともに栄えていった庶民信仰というもので、
地方にあれば、目立たない一地方社寺に過ぎないと思われます。
で、そうした地域に全国の武力権威の象徴としての幕府が開かれることになった。
関東での武力権威所在地としては、鎌倉が
歴史的な意味合いでは大きい存在で、
それなりに宗教的施設などが揃っていて、
ひとが集まってくるのに引きつける磁場が存在した。
それに対して、江戸では一面に葦の原が揺れているような状態だったのでしょう。
そういった地域に政治的な中心としての磁場を構築しなければならない。
京都は歴史的な遺産が山ほどあって、
文化の中心としてまことに申し分ないけれど、
それに対抗できるまではないけれど、なんとか、権威の象徴みたいな
そういう存在を作らなければならない。
為政者の側からすると、大名庭園造営の主要な動機というのは
どうもそんなあたりだった気がします。
京都の巨大な蓄積文化とは違う、そういうものを作りたかった。
なので、一種の公共事業として、都市作りの大きな要素として
こういう大名庭園をこしらえていった。
そういう意味では、日光の造営というのもそういう一環だったのかも知れません。
広大な江戸城街区というのも数えられるかも知れない。
権力というのは、そういった装飾性を持ちたがるものなのではないでしょうか。
一時は江戸市街地の相当部分がこういった大名庭園で占められていた、
ということですから、いわば庭園都市、とでもいうような
そういった情緒性を江戸新開発都市に与えたかったのかも知れません。

京都に対する一種の文化的コンプレックスを
そういった形で克服したかった。
そのように思えてくるようになったのですが、さてどうなんでしょうか?






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最新駅弁情報

2009年11月19日 06時17分49秒 | Weblog




って、申し訳ありません、羊頭狗肉です(笑)。
付けたタイトルのような、そういう中身はこのブログ、とてもありません。
まぁ、ちょっと面白い駅弁発見、みたいなことですね、笑って許して。

いきなり前振りから弁解しまくっていてどうする、というところですが、
きのうは東京都内での打合せから栃木県小山市での住宅取材往復、
札幌への帰還と、めまぐるしい日程。
ちょうど、時間的に新幹線での小山への移動が昼にかかったもので、
同行者とともに車中での駅弁としゃれ込んだ次第。
新橋周辺で打ち合わせて、銀座でひとと面談、大急ぎでタクシー飛ばして
東京駅から新幹線。なんですが、緑の窓口係の対応が遅くて
発車ギリギリ時間になったので、ホームにあった駅弁販売所で購入。
新幹線に乗るのも久しぶり。
車内では、トランヴェールという東北新幹線車内誌を見ながら、
楽しく駅弁をパクついたというわけであります。

ご存知のように、駅弁って食の流行を如実に物語る。
同行者ふたりはそれぞれお好みで選んでいたのですが、
わたしは、せっかくの機会なので、
そういう選択眼で選んでおりました。
そうしたらありましたね、おあつらえ向き、そのまんま駅弁であります(笑)。
題して「30品目バランス弁当」。
写真は、左上が弁当外観でして、写真処理して嵌め込んでみました。
日本人の「健康」強迫観念症状って、いまや病理のレベルではないかと思われるのですが
そういうなかでは、さまざまな「健康情報」が流行している。
いまは、多数の品目を食べるのがいい、という考え方も有力。
ということから、駅弁研究の結果、こういう商品になったのでしょう。
まことに医食同源そのまま、バラエティ弁当です。
食べてみると、やはりこういう幕の内、食材たくさん系は楽しく食べられる。
そうなんですね、やっぱり王道は「幕の内」なんですね。
弁当にしては、野菜中心のメニューになっていてうれしい。
ごはんは比較的に少なめなんですが、
けっこうな満足感が得られましたね。
値段は850円。
さぁ、駅弁としてはいい値段なのかどうか、
最近は、節約志向を反映してか、やや値段はお手頃感がありますね。
通販でも売っていました。
http://www.nre.co.jp/bento-yoyaku/html/page04-1-1.asp?buncd=6&shocd=G-015
別に販売手数料や宣伝料を取っているわけではありません、念のため(笑)。





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巨大な垣根

2009年11月18日 06時29分22秒 | Weblog




写真は、京浜東北線・上中里駅でのもの。
池袋を目指して上野から乗車して、うっかり京浜東北線に乗車してしまい、
あれ、ここはどこ、わたしは誰?状態になったのですね。
危ない危ない。
こういううっかりって、交通関係ではまず少ない方なんですが、
つい出てしまった。
こういうときって、わが身の寄る年波を実感させられる瞬間であります(泣)。
で、気付いてホームに下りて引き返す電車を待っている間に
対面する公園「滝野川公園」というのだそうですが、
そちらとの境界に、まことにみごとな遮蔽緑地垣根がそびえ立っていた。

東京では、こういうような仕掛けをよく見ます。
緑が少ない、っていうように東京は言われているようですが、
わたしのようにときどき来る人間からすると、
どっこい、なかなか緑地の造作を意識的によくやっているなぁと感心します。
反対に自然が大きく残されている北海道の諸都市、
札幌もそうですが、計画的な緑地の存在ってあんまり考えられてはいない。
また、住宅のまわりや庭などの緑の造作も東京では
みなさん、相当積極的に考えていると感じます。
こういう垣根もすばらしいと思いますね。
関東の住宅、古くて平野部に建てられている住宅では
このような垣根が大きく育てられている光景を良く目にします。
季節風に対する知恵が積層している、それらがゾーンとして機能している。
そんなふうに思える地域が多い。
人口の集積によって、緑を意識していかないと増やせない現実から、
多くのみなさんの共通理解が進んでいる部分があると思います。
こういうのは、京都の街などにも感じる部分。
生活文化の蓄積が、いわば私の領域の蓄積が
公共的な資産につながってきている、というように思えるのですね。
この写真では、このような緑地垣根、一体どっち側が費用負担しているのか、
また、どっち側から申し出があったものか。
ちょっと興味をそそられましたが、
効果としては、多くの電車利用者側からすると、一服の清涼剤を
この光景から大いに得られていると思います。
まぁ、公園側にしても、見苦しい鉄路の剥き出しの光景が
公園緑地の背景になっていれば具合が良くないでしょう。

まぁ、気候的に緑は年中通して計画できる地域なので、
大いに緑化の仕掛けをさまざまに考えていくことが望ましいと思います。
結局、温暖化防止をもっとも効率的に行おうと考えれば、
緑を使った日射遮蔽というのが、もっとも基本的な手段だと思います。
コンクリートと鉄とガラスで構成してきた文明を延命させるのは、
結局、緑の大いなる繁茂しかないのではないでしょうかね。







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二荒山神社

2009年11月17日 09時06分13秒 | Weblog

今回の関東取材で、なにかと縁があったのが宇都宮。
東北から南下してくると、関東の玄関口に相当する。
交通の要衝地と言えると思います。
ただ、北海道にいると、関東といっても東京の存在があまりにも大きく、
それ以外の関東地域について知識を得ることは少ない。
足利に以前行ったときにも、札幌出身のスタッフたちは
そこが足利幕府という、日本史の中でもきわめて枢要な家系の出身地である
というような認識は全くなかった。
まぁ、無理からぬところかなぁと思われましたが、
わたし自身も、宇都宮といっても餃子での街おこしくらいしか
思い浮かばなかった次第です。
でも、ちょっとした合間に見たのが写真の「二荒山神社」。
式内大社、という表示が堂々と記されているとおり、
古い時代、奈良や平安期を通して、関東地域の中心的な存在だったようですね。
近くの日光に同名の神社があって、紛らわしいということが
どうもこの神社の存在を大きくさせていない原因のような気がします。
ちょっと調べてみて、その由緒というか、歴史性にびっくりいたします。
以下Wikkipediaより抜粋。

古くは宇都宮大明神と呼ばれ尊ばれた。正式名称は二荒山神社であるが、日光の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)との区別のために鎮座地名を冠して呼ばれる。両社は祭神が異なり名称の由来も異とされるため、全く別の神社と謂われるが、日光社は下毛野氏の氏寺であり東大寺(大和国)や観世音寺(筑紫国)と並ぶ戒壇であった下野薬師寺の修行僧であった勝道上人を開祖とする傍ら、当社は宇都宮氏が座主となるまで、座主は下毛野氏の姻戚者であったと謂われており、両社とも古代関東地方の文化の中心地であった下野国の豪族であり国造である下毛野氏にゆかりの深い神社である。
崇神天皇の第一皇子で毛野国の開祖である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を主祭神とし、崇神天皇が都とした磯城瑞籬宮(現在の奈良県桜井市金屋)の北に鎮座する三輪山(大神神社)の御神体である大物主命とその子事代主命を相殿に祀る。主祭神については時代によって彦狭嶋王、御諸別王(彦狭嶋王の子)、事代主命、健御名方命、日光三所神など諸説ある。
当社の社家である宇都宮氏は、摂関家藤原北家道兼流藤原宗円が、この地の豪族で当時の当社の座主であった下毛野氏ないし中原氏と姻戚関係となり土着したのが始まりであり、当時の毛野川(当時の鬼怒川)流域一帯を支配し、平安時代末期から約500年間に亘り関東地方の治安維持に寄与した名家である。

っていうような次第。
律令国家体制が固まって、
国司となって下向するもっともいい国のひとつがこの地域だったのでしょう。
摂関家藤原北家が利権を確保する狙いを持ったあたり、
この国の重要性が自ずと知られますね。
ほとんど、知ることもなかった地域ですが、
餃子ばかりではない興味がわき起こっているところです(笑)。





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商家の店先雨樋

2009年11月16日 07時02分40秒 | Weblog



北海道では、住宅に雨樋はあまり使われません。
日本と北海道とは住宅について結構大きな変化があるのですが、
そのなかでもこの雨樋は劇的に違うポイントでしょう。
雪が降り積もる内に屋根からの落雪にともなって雨樋も
一緒になって落っこちてしまって
イタチごっこになる内に、北海道の住宅建設のプロセスから消えていった。

写真は先日訪れた川越の蔵の街の一角で見かけたもの。
いつのころなのか不明ですが、板金工事として雨樋の仕事が残されたものなのでしょう。
一軒一軒採寸して、ピッタリ合うように施工したのでしょうか。
微妙な木構造に沿って段差を付けながら落としております。
まぁ、日頃見かけることが少ないもので(笑)
つい、見とれておりました。
雨樋って、いろいろな用途があると思うのですが
軒先からの雨だれを防ぐと言うことで、
主要には外壁の損傷を最低限に食い止めるという機能が大きいのでしょう。
雨が屋根からそのまま落ちれば跳ね返りで
外壁下部に泥水がはね返って、大変見苦しくなる、それの緩和。
しかし、北海道では長ければ半年間近く雪が積もっているので
そのような跳ね返り期間は、半年。
そう考えると、外壁の損傷可能性は半分ということになる。
逆に言えば、損傷耐久性は、半分でもいいか、ということになる。
そんな経緯から、徐々に「ま、いっか」という方向になっていって、
北海道住宅から消えていったものなのでしょうか。
それと住宅で言えば、軒先自体も住宅から減少していったのが
北海道の事情でもあったので、
このような伝統が廃れていったものでしょうか。
近年では無落雪屋根も大いに普及し、こういう考え方が
本州地域にも広がっていっているのが現状でしょう。
茶室建築などでは、貴人を迎えるために
竹を切って、その日だけのために簡易な雨樋を造作するという文化もあると
聞いたことがありますが、
まことにそういう日本的な文化性を維持できなかったのが北海道なのですね。
こういう文化性の復権というのはあるのだろうかと
時折、気になることもある昨今であります。




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初冬のサーフィン

2009年11月15日 05時56分56秒 | Weblog




今週は建築家住宅のイベントで
きのうもマッチングに努めておりました。
まぁ、なかなか休みは取れませんが、
この景気動向の中では、頑張らねばならない、っていうところ。

なんですが、先日の日立の取材では、近隣でこんな光景が(笑)。
わたしは別にサーフィンとはなんのご縁もありません。
例の酒井法子さんの事件で夫がプロサーファーと
言い続けているのを聞いて、はじめてそういう存在があることを知った次第。
で、気をつけて聞いてみると、結構身の回りで愛好者が多い。
知っているだけで2人、このスポーツ(?)の愛好者がいるんです。
東北の八戸のさらに北側の海岸線にいいスポットがあるのか、
もうすぐ50に手の届くような方がやっている。
いかにも格好良くて、ただただ唖然として聞いているのですが、
ずいぶん多くの愛好者がいるのですね。
で、これは年中、波が良ければ、どこでもやりたいもののようで、
11月のこの時期にも、日立の海でちょっとした大会が開かれていたようなのです。
泳ぎの怪しいわたしなぞ、こんなことをやったら、一発で
土左衛門(古い)っていうところですね(笑)。
でも、若かったら、やってみたいと思わせる魅力はあるようです。
聞いてみると、ボードに横たわって波のところまで漕いでたどりつくのも
体力が結構いるのだそうです。
まぁ、温暖っていうことなのでしょうね。

太平洋側の気候の地域って、やはり、太陽光日射の恵みが大変大きい。
冬場の晴天率の高さは、ちょっと信じられない水準だと思います。
こういうのを活かせば、無暖房で省エネな暮らし方というのは、
断熱さえきちんとやれば、相当のレベルで達成できる。
きのうも関東で建築実績のある建築家と話しましたが、
本当に日本の省エネを考えるのなら、
関東地域でこそ、断熱を強化していけばいい。
なんといっても人口集積が大きいのだから、
この地域がこのテーマに絞って政策的に取り組んでいけば
省CO2の課題や、国際公約もぐっと近づくのではないでしょうか。
実現性の疑わしい方法論に目を向けさせるよりは、
いまある既存技術の中で、それを大きく普及させ、
実効性ある基軸的な解決策を最優先させるのが、あるべき姿なのではと思います。






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富士山フリーク

2009年11月14日 06時05分14秒 | Weblog




晴天率の高い時期に関東を歩くと
必然的に富士山の偉容に接することが多い。
関東は平野が広いので、よりいっそう富士山の美しさが強調されるのか。
まことに見ていて美しいなだらかな黄金比率的形状美。
それが、遠近感が強調されて目に飛び込んでくる。
独立火山なので、まわりに比較対照するものがないことも大きい。
まるで量感の違う存在なので、表情もまったく異質になる。
高さも高いから、たとえばまわりが夜の闇に包まれている時間でも
富士山だけはあけぼのの色合いを写して、グラデーションになっている。
そんな美しさを、「富岳百景」というような表現で描いた北斎の気持ちがよくわかる。
こういう光景に接すると、まったく次元の違う存在という
そういうものがこの世にある、ということを理解させてくれる。

っていうようなことでして、
まぁ、日本人なら当たり前ですが、
わたし、富士山フリークであります。
どんな場面でも、富士山が見えると「あ、富士山だ」
というわけで、目が少年のようになってしまうのですね(笑)。
織田信長が、生涯富士を見たことがなくて
武田氏を滅ぼしたあと、徳川氏領土を威力偵察した折りに
その願望を初めて実現できた、というようなくだりが
司馬遼太郎の著作の中にありましたが、
そんな気持ちがよくわかるような気がしていました。
実証主義的な人格らしく、「本当に富士は美しいのか?」と
多くのひとに確認した、という記述もありました。
残忍な側面もあったかれから問われて「いや、まことに美しゅうございます」
と、背筋に冷気を感じながらも、正直に感想を述べたひとびとが
多かったのだろうなと、推測が沸き起こります。
で、実際に富士を見て、そういうひとが処刑された記録はないので
たぶん、織田信長も、簡潔に「美しい」と感じたに違いありません(笑)。

この山と生き続けてきた日本人、
それと、基本的にこの山を見ることができない畿内地域文化と、
関東を中心とする、この山を日常的に見続けてきた文化圏と、
その違いが、あるいはその融合が、
日本の基軸的な感性を育んできた部分は大きいのだろうと思います。
いつ見ても楽しい富士山、大好きです。






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屋上緑化

2009年11月13日 07時39分29秒 | Weblog



温暖地を取材してみて、
やはり灼熱の夏をどう快適に過ごすのか、ということが
大きな問題になってくるといえる。
こういう問題を集中的に研究して、解決策を工務店レベルで考えようという
そういった運動体というようなものが存在しない。
いくつか、手法は明確になってきているので、
キーワードは、断熱と日射遮蔽しかありえない。
そのなかでも屋根面緑化という手法は相当に効果的。
しかし、なんといってもコストが高い。
こういう部分に補助金を付ける方が政策として遙かにいいけれど、
どうにもワケのわからないこねくりまわしたような「先導的提案」ばかりに
研究者である大学の先生たちというのは目を向けがち。
現実の「省エネルギー」とか「省CO2」というのは
もっと現実的な問題なのだと思います。
まぁ、国の政策的な方向付けの方の問題でもあるのですが、
現実の検証の済んでいない「先導的提案」というものが
官僚的な判断だけで優位に評価されるというのはいかがなものか。
もっと基礎的な手法の普及にこそ、
評価の基準を高めるべきだと思います。
数字的な評価で屋根緑化というのは評価が低いのかも知れませんが、
太陽光発電ばかりではなく、
こういった屋根面が近隣のみなさんに与える心理的な効果まで含めて考えれば、
きわめて効果は高いと思うのです。
屋上緑化が、普通の板金屋根と近いコストになれば、
普及はどんどん進む可能性があると思うのです。

太陽光発電などは、その寿命について
いろいろな説があるというのに対して、
芝屋根は、それこそ人類普遍の過去からの遺産的技術。
ほんのすこしの科学的技術の追加で、存続可能なシステムに高めることは容易だと思うのです。

って、きょうはすこし個人的な思いを強調したブログですね(笑)
一部、不適切な部分があるかもしれませんが、ご容赦を。





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ある建築家の死

2009年11月12日 06時22分23秒 | Weblog


きのう、北海道を代表する建築家・上遠野徹さんの葬儀がありました。
このように送ることが多くなってきたと感じています。

葬儀は札幌市東区の日本聖公会・札幌聖ミカエル教会で行われました。
上遠野徹さんが、大手建設会社に勤務していたときに、
施工者として取り組んだ建築だったそうです。
設計者は、アントニン・レーモンド。
不勉強で、一度もこの建物を見た経験はありませんでした。
で、このような葬儀出席という機会をいただいて、
はじめてこういう建築と出会い、その美しさに息をのむ思いがいたしました。
葬儀という機縁ですが、
そういう機縁をとらえて、多くのひとに建築の素晴らしさを伝える
そんな死してなお、という建築への思いを感じた次第です。

参加者数が多くて残念ながら、主会場には入ることができず、
しかも、駐車場には最後の5台目での入場になった関係で
ほかの参会者の車が出られなくなるので、早めに会場を出なければならず、
献花もできずに会場を離れなければなりませんでした。
本当に、立ち去りがたい思いが募りました。
主会場は、こじんまりとした礼拝場なのですが
構成する素材はとど松の丸太。レンガ、砂利など
北海道で普通に産出される素材ばかり。
それらによって、簡素だけれどひとの思いが伝わってくる空間が生まれていました。

最初の数分間だけ、
第2会場に案内されるまでの、ほんの数分間だけしかいられなかったのですが、
それでも、質朴で懐かしい叙情性をたたえた空間に強く引かれたのです。
今度一度、日曜日の礼拝に参加してみたい、
そんな思いを強く感じました。
まるで、上遠野先生がそのように教えてくれているような気がいたしました。
建築家の死って、
このような形で活かされて行くものなのだろうか、
そんな想念を抱きながら、第2会場の小さなテレビ画面に釘付けになっておりました。
キリスト教形式では、どうすればいいのか、ですが、
合掌。

<写真は、残念でしたが撮影を控えました。>



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川越・蔵の街

2009年11月11日 07時14分11秒 | Weblog



東京から江戸の時代の情緒というものが廃れて
一方で、それを維持し続けている街として、小江戸という呼ばれているのが
川越の街です。
街の成り立ちは、城下町ではあるけれど、
名前の由来通り、川の水運を利用した商業都市だったようです。
大消費地・江戸への物資の集散地として
ビジネス上の要衝地として栄えたと言うことだそうです。
商業資本も江戸の出先機関をそれぞれ置いて、
仕入・仕分けの機能を果たした都市だったのでしょう。
上方も含めた西方の各地から集められた物資が、
この街を経由して、江戸の流通システムに乗せられて
経済が回っていった、ということでしょう。

今日の街の機能としては、
そういった側面はまぁ、ほとんど廃れていって
残ったのは、商業資本の倉庫としての「蔵」の群れ。
江戸期から、戦前までのさまざまな建築のスタイルが
渾然一体となった、さながら生きたテーマパークの様相です。
わたしはディズニーランドは食わず嫌いなのですが、
たとえば京都の街や、各地に残る街路としての施設群って、
これ以上ないテーマパークだと思うのです。
そのうえ、歴史を知り、その時代時代のひとびとの息づかいの断片にも触れられる。
なにより、高額な入場料を支払う必要がない(笑)。
京都の街など、作り物のディズニーランドと比較のしようがない価値を持っています。

川越であります。
ついテーマをはずれてしまいそう(笑)。
江戸期から残る街並み、というテーマですが、
建築で言えば、漆喰と一部石造りと、
それに鉄板が被覆されるなど、江戸と戦前までの両方の意匠が見られます。
必然的に、太い輪郭線の感じがして、
ややゴツゴツとした質感が街全体を印象づけています。
京都の町家の木造の繊細さという感じとはだいぶ違いがある。
色合いも、京都の黒とは違う、より黒々としたたたずまい。
蔵の通りは、同時に主要道路になっているようで、
クルマの往来が大変に多い。
このあたり、江戸から戦前、そして現代と、
巧まずして、そのような歴史ワンダーランドになっているのかも知れない(笑)。
ヨーロッパであれば、すぐにでもこの通りは歩行者のみにするでしょうね。
でもそのように「保存」のみとして、
現代的な生活スタイルをできなくさせるというのも
いかにも生活感を喪失させるものと思うので、
賛否両論があるだろうと思われました。

以前から一度、行ってみたかった街ですが、
初めて行ってみて、予想以上に活気があって、楽しい街という印象を受けた次第です。
今度はもっとゆっくり、歩いてみたいなぁ、という気にさせられました。






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