三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

素地表しの空間

2008年01月21日 06時03分22秒 | 住宅性能・設備


内装を仕上げるときにいちばん一般的なのは、
断熱材の充填された壁を隠すように張る耐火プラスターボードの上から、
白っぽいビニールクロスで仕上げるというもの。
なぜ、白っぽいのかというと、外部からの光が
室内に均一に満ちて、明るい空間ができるということが大きい。
多少、クロスの柄くらいを工夫する、のがせいぜい。
でもまぁ、そういう空間って見慣れてくると単調でつまらなくなってくる。
そんなことと、木造で作る場合、外張り断熱を採用すると
ごらんの写真のような「合板仕上げ」の空間ができる。
合板はそのまま見せるようなきれいな仕上げ材ではないけれど、
このうえからわざわざコストをかけてボードを張って
クロス仕上げをする必要はない、と考えれば
このまんま、ハイ仕上げです。という作戦も出てくる。
それと、構造材も正直にそのまま露出させているので、
メンテナンス的にも、明快になっているので、不具合が出たときにも対応しやすい。

メリットを上げると色々出てくるのだけれど、
やっぱり、「え、これでお終いなの?」という感じ方も根強い。
いまの社会の中での反応で言えば、2割くらいが容認派で、
8割くらいが「オイ、ちゃんと仕上げろよ」という否定派、でしょうか。
かくいうわたしも事務所ではこういう素地表しの意匠を採用しています。
事務所では、このほかに「簡単に壁面に大量の本棚を安く造作できる」という
メリットが大きくて採用したわけですが、
機能的なシンプルさと、これでいいや、と思い切っている清々しさが感じられるようです。
合板には当然ですが、木の節がそのままでています。
無節の合板って言うのはありません。
なので、仕上げ材に節のあるものを使うのは変だ、という考えもありますね。
こういう考えって、たぶん、普請・建築というものが
お金持ち階級だけの特権的なことであった時代のなごりのような考えだと思います。
戦前までの社会では、一般庶民は賃貸住宅に住むのが、都市では当然。
なので、庶民向けの建て方とは別に、お旦那様向けの本格的建て方、
というものが存在し、そこでは仕上げ材に節のある材料などは許されなかったのでしょう。
また、壁は塗り壁で仕上げるのがふつうであり、
場合によってはしっくいなどの本格的な仕上げも行われていた。
そういう意味では、「平滑さ」というのが基準的な考え方だったかも知れないですね。
そういうことに価値観を見いだしていた。
そういう生活文化の状態から、一気に住宅金融公庫借入による
一般庶民の「持ち家」という生活文化に移行した。
そのために、高嶺の花的にそうした考え方が広がっていった、と言えるのではないでしょうか。
ただし、大量生産社会なので簡便で、表面的に同等の効果のある、ように見える
ビニールクロス仕上げというのが、標準の位置を獲得した。
たぶん、後世の人たちから見ると、20世紀後半から
日本の住宅が大きく変化したというように語ることになると思われます。

こういう状況の中で、建材も変化してきている。
合板などというものも、建材の大量生産化の過程で生み出されてきたもの。
そういう意味で、この写真のようなスタイルも
ごく最近の社会経済的な変化を敏感に反映させた空間性だと言えるのですね。
まぁ、こういう変化の中で生み出された中から、
今日的なインテリアスタイル、というものが定まっていくものなのだと感じます。
さてどのように変わっていくのでしょうか?
興味は尽きない部分ですね。

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石油大高騰

2008年01月20日 14時23分59秒 | 状況・政治への発言

きのうの除雪作業で、やはり疲れがどっと来たようで、
本日はなかなか、本調子ではありません(笑)。
情けないですが、やはり大雪には勝てませんね。

で、きのう駐車場の除雪中に灯油販売のトラックと遭遇。
契約しているので灯油タンクで配送中なのですね。
まぁ、買う側も今シーズンは一生懸命石油の節約を進めていて、
販売している彼には申し訳ない部分もあるのですが、
「いやぁ、あんまり使わない方が良いですよ。メチャクチャですからね」
というふうに語ってくれていました。
誰が悪いという問題ではないのですが、
かれのような立場の人間は、なんとも心苦しい部分があるのだろうな、
と察せられます。

さて、この石油大高騰。大状況から言って、
諸悪の大根源はアメリカ・ブッシュ政権だろうと思います。
世界中がへきえきしているイラク戦争を始めた大失敗と
終わらせる戦略のなさ、という両方の意味で。
イラク戦争の開始以来、石油はずっと一本調子で高騰を続けてきている。
アメリカがイラクから撤退しなければ、石油問題の進展もなさそうです。
ここまで世界を混乱させて、ブッシュにはなんのメリットがあるのか、
どうにも理解できない、まぁ、かれなりにはあるのでしょうね。
どうも、資質として、世界の指導者たる人物としては、大きな疑問。
アメリカ一強体制の結果がもっともひどい惨禍をまきちらした、
と、そろそろ結論づけるべきではないかと思います。

いまでは、石油は株に代わって、投機商品になってきてしまっている。
エネルギー源が血みどろの世界戦略になるのは趨勢ではあるけれど、
経済の根幹を成す石油が、投機の対象になってしまえば、
ちょっと後退できない破局への道筋のような気もしてきます。
ブッシュが交代せざるを得ないこの秋の大統領選挙がどうなるのか、
結局、そこまで、石油問題は大きくこそなれ、小さくはならない。
そういうなかにわたしたちの今日の生活状況はあります。
そして、これが日本の政治も揺さぶりそうですね。
民主党は石油価格の中の税金部分にメスを入れてきた。
考えてみれば、石油消費立国としてやってきた日本の骨格に関わる議論。
日本は相対的な低石油価格の恩恵にもっとも依存した国家運営をやってきた。
たしかに官房長官が説明するように、
石油の税金を下げるというのは、たいへんなことだろうと思う。
しかし、これが契機となって国家自体の基本まで論議していくのに、
この石油問題が格好であることは明白。
石油高騰という、国難レベルの事態を災い転じて福と成す、
良い機会であるのかも知れません。
ぜひ、根源的に論議していっていただきたいものだと思います。
次世代のエネルギー戦略に発展もするだろうし、
国家としての基本的なスタンスの論議にもなっていく。
もちろん、直接は税金の構造、そしてそれの使い道ということにも繋がる。
政治がもっとも期待される領域の事柄なのだ、と思います。

<写真は寒波で、随所に結氷が見られる付近の発寒川。>
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忘れず来ます、大雪です。

2008年01月19日 06時39分21秒 | こちら発行人です

さて、石狩湾低気圧、どうやら札幌西部を直撃している配置。
昨晩から、連続的に降雪が続いていまして、
けさ、起きたらごらんのような雪雲状況(右写真)。
で、わが家前の状況は左側のような状況。
未明には、除雪車が出動してわが家前の道路を除雪していったのですが、
この雰囲気では積雪20センチ超、という感じでしょうか?
まだ、外に出ていません(笑)。こういうことには年に3~4回は遭遇します。
雪国の宿命ですが、地球の気候変動・温暖化がいわれているなかでは
やはり安心感ももたらしてはくれる。
でも、灯油の異常な高騰のなかでは厳しい、
なんともないまぜなところではありますが、
北国の人間としては、雪かきに立ち向かう戦闘的な心理が沸き起こりますね。
幸いにして、本日は土曜日なので仕事は休み。
心おきなく時間が掛かっても雪かきできると言うところ。
でもまぁ、スタッフは取材もあるので、そっちはどうなるか、の心配もあります。
雪かきって、堆積できる場所があれば、そこそこ楽しい作業なんですよね。
とくに北海道の雪は寒さのせいで雪質が軽く、
手元感覚の「すべり」もいいので、早めに作業すればけっこうスイスイ。
ただし、日中気温が上がるような状況の場合、
雪が若干融けて、そうなると雪質が重くなるので、やっかいになる。
気持ちを切り替えて、積極的に状況に立ち向かった方が
前向きに処理できる、というような雪質なんです。
そんなことが、北海道人の特質に繋がる部分があるのかも知れませんね。

さぁ、こういうことなので、本日はわが家前と、
会社経費の節約のために会社駐車場の2カ所、運動がてら、
盛大に雪かきに取り組みたいと思います。
がんばるぞ!っと、って、やれやれ・・・。
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冬の風物詩・つらら

2008年01月18日 06時27分41秒 | 住宅性能・設備

最近はすっかり目にしなくなったものですが、
わたしが子どもの頃には、どの家も、といっていいくらい下がっていたのが氷柱(つらら)。
断熱ということに無自覚に建築を建てていた時代なんですね。
家並みの軒先まで雪が堆積し、
その軒先からは、氷柱が「しばれ」とともに成長し続けている。
というのが、ごく当たり前の冬の札幌の街並み。
札幌は道路幅がゆったりとした街割りなのですが、
冬になると道路幅が、東北以南地域とそう大差がないほどに狭くなった。

きのう書いた「視覚記憶」ということでいえば、
この氷柱だけは、なかなかお目に掛かることがなくなっています(笑)。
これはやっぱり、良くなっていると言うことなのでしょう。
そんななか、時々通る道沿いにあるのがこの工場。
冬場になると、みごとな氷の芸術(笑)を見せてくれています。
氷柱は、建物内部から上昇気流に乗って暖気が屋根面を暖め、
屋根上の雪を融かし、それが屋根板金の隙間を通って軒先に滞留して
やがて、軒先から落ちるときに氷点下の空気で冷やされてできる。
ちょうどすがもりと同時に起きる現象。
断熱ができていなくて、雪と寒さが厳しい、という条件があれば、
ほぼ間違いなく発生する。
この時代の暖房は、豊富にあった石炭が主流。
より火力が強い「コークス」というのも流通していた。
そういう暖房方式も同時に氷柱生成に大いに寄与していた。
こういった氷柱が、たまにくる暖気のときに、
屋根雪崩と共に通行人を襲う、という悲惨な事件を引き起こしてもいた。
そんなことから、雪止めを設置したり、屋根の落雪方向を良く検討してください、
というようなキャンペーンがあったと思う。
現に、わたしたちの通学路でも、氷柱の近くを通らないように
というような先生たちからの生活指導があった記憶があります。
そんなことから、「無落雪屋根」という画期的な工法が開発された。
なぜか、毎年のように増改築工事をしていたわが家では
そういう情報をもたらしてくれる建築業者さんが来ていた記憶があります。
まぁ、しかし、家の中の寒さは、暖房が消えている朝方など、
想像を絶するレベルだったものです。
家風呂がある家庭では、たいてい、朝になると風呂の湯が結氷して
大きく盛り上がっている、というのが一般的だったもの。

ここのところ、1週間くらいでしょうか、
北海道全域、本格的な寒波の襲来で、
札幌でも最低気温がマイナス12度まで下がっています。
各地から、マイナス20度超という話題が飛び交ってきています(笑)。
おりからの灯油の大高騰。
住宅相談の投稿にも、灯油の節約はどうしたらいいか、
というような切実なものも増えてきています。
いろいろ、考えていかなければならない問題は続きますね。

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札幌の冬の雪雲

2008年01月17日 06時21分00秒 | 住宅取材&ウラ話

慣れ親しんだ季節感のある雲のかたち、って、ありますか?
わたし、小さいときから雲を見続けているので
<って、誰でも当たり前か(笑)>
そんな思いをするような雲のかたちに視覚記憶があります。
近年は、生活の場が2階になっても、やはり近隣に大型の建物が多くて、
なかなか、そのような感覚が薄れては来ていますね。

札幌の場合、石狩湾低気圧、というのがいろいろな天候に預かっているもの。
それが、ちょうど石狩川をさかのぼるように
雲を形成するというのが多いケースではないかと思います。
こどものころから、不思議と札幌の北側に向かっての眺望を
見続けてきた視覚記憶が大きいので、
こういった認識を持つに至ったのかも知れません。
嵐のときには石狩川の川の流れに沿って、
おどろおどろしい黒雲が、まるで龍のように暴れている、と認識できました。
こういう記憶認識って、やっぱり貴重なものだと思います。
そして、季節ごとにいろいろな空気感をもたらしてくれる。
写真はちょうど、札幌から石狩湾の方向に向かっての眺望。
こういう群雲が、ちょうど夕陽の時間に向かって太陽光を反射して、
ときには魅惑的なピンク色になったりする。
「あ、こういうの見たことある!」と、素朴に感動したりする。
そういう色彩が、小さいときからの視覚記憶を刺激するワケですね。
「豊かな生活感」というものの実質の中に、というか、
自然とひとのつながりの実質として、こういう視覚記憶の連続性がもたらす
安心感とも、いごこちの良さ、ともつかない部分があると思います。
年を取ってきても、幼い頃の記憶を鮮明に保ち続けられる環境の中にいる。
記憶感覚の連続性のなかで日々暮らせる、ある種のよろこび。

わたしの場合、わが家を新築したときに
「学校の近くで、玄関が北向き」という方位角度という、
生まれ育った家や、その後過ごした家の両方と、ほぼ同じ条件の住宅だったのです。
別段、そこまでの認識はなかったのですが、
暮らし始めてから、日々視界に飛び込んでくる眺望が、
幼い頃の視覚記憶と同じようなものを得られる環境になっていた次第なのです。
こういうポイントって、なかなか考え付かない部分だと思うのですが、
ひとが生き続けるという上では、気付いていると得するポイント。
なのではないかと(笑)、最近思い続けているのです。
まぁ、根拠はそれほどはありません(笑)。
でも、やっぱり毎日、窓の外を見続けることが楽しみである家、
っていうのは、住まう大きなよろこびの部分なんですよ。
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耐震偽装からの脱出

2008年01月16日 06時42分37秒 | 住宅取材&ウラ話

事務所の斜め向かいに高層マンションの工事現場があります。
例の耐震偽装問題が相次いだ時期に着工され、
その後、長い間放置されていました。
基礎の工事が大規模に行われ、3階分くらいの地下掘削も行われる大規模MSでした。
確か、20階を超えるマンションのようでした。
その工事現場が、最近ふたたび動きだし、
きのう、見ていたら、既存の造作部分、たぶん、4階分ほどの
立ち上がりが重機で解体されていました。
とはいっても大型の工事なので、
解体自体もけっこうな時間が掛かりそうで、
へたすると1週間では済まないかも知れません。
聞いた話では、やはり偽装を告白した建築士が構造設計に関与していたそうで、
デベロッパーとしては、解体しての建て替えを選択したようです。
この間で、近隣500mほどの距離地点に別の会社の高層マンションも建てられることが決まって
モデルルームも公開されている中での工事再開。
他人事ながら、かなり厳しい工事再開と察せられます。

しかし、相当の敷地、たぶん2000坪を超えるくらいの近隣敷地が
工事途中で放置されている、というのも考え物。
まぁ、応援するわけではありませんが、
なんとか工事再開になったのは、喜ぶべきことではあるかも知れません。
この耐震偽装問題を契機として、
建築基準法とその運用が大きく様変わりし、
昨年は拙速との批判がある新法の施行にともなう大混乱で
「建築基準法不況」というかたちで建築業界へのしわ寄せが露呈しました。
建築着工数が1~2割程度落ち込み、
中小零細の事業者は厳しい状況にも追い込まれているのが実態。
住宅業界でも、都市部での3階建ての確認申請が大きく滞り、
大手ハウスメーカーなどでも、売上を大きく下方修正せざるを得ない状況。
最近の経済指標にも、この問題による景気への影響も顕著に出ていました。
サブプライム問題での景気後退もありますが、
実態としての経済への影響もあって、株価の低迷などに繋がっている部分。
国土交通省も、当初の危機感のなさからは脱却し、
相当手厚い施策をやらざるを得なくなっている局面になっています。

解体され、瓦礫と化す構造物を見ていて、
なんともいろいろな思いが見えてくる解体現場の様子でした。

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通り土間の魅力

2008年01月15日 05時51分07秒 | 住宅取材&ウラ話

みなさん、とくに寒冷地のみなさん、玄関土間は広く計画しましょうね。
わが家では、当初は広く取れていて、
「家としての使い心地」がとってもよかったものでしたが、
やむなく床面積を増築したときに、玄関がぐっと狭くなってしまいました。
かえすがえすも、残念でなりません。
いまは家族が暮らしているだけなので、なんとかできてはいますが、
それでも玄関の狭さからくる「家全体の窮屈感」は言葉にできない部分。
なんといったらいいのか、
入り口の狭いトンネルだと入ってくるのに気を使う。
とか、高速道路で、出入りに気を使うパーキングなんて、
もしあったら、誰も停まらないのじゃないかという感じ。
どうもそんな印象に近い。
出入りがゆったりしているのと、そうでないのとでは、
長い人生の時間の中で、大きな心理的違いが表れるのではないか、と思います。
で、毎日「帰ってくる」建物である家には、
そういう意味での安心感が欠かせないと思うのです。

写真は弘前の古い街並みの中の住宅。
間口が狭く、奥行きが長い敷地を表すように
長いエントランス空間が実現しています。
ちょうど、長い敷地の中間くらいに玄関を持ってきているのですね。
ですから、長い半外部的な通路空間を通って玄関にたどりつく。
そんな空間を壁・天井とも板張りで仕上げていました。
こういう木の質感って、肌触りがあって、
ひとのこころに潤いを感じさせてくれる。
床はコンクリートの土間なので、気を使わず、
大きくて、どっしりとした「家に帰ってきた安心感」を増幅してくれる。
で、写真左の引き戸を通って、2階の生活空間に至る。
そういうシチュエーションを仕掛けてあるのですね。

こういう「公私の別」を心理的にハッキリ認識させる空間の用、って見えにくい。
少なくとも平面図的には、意味のない広い空間になってしまう。
公団住宅的な○LDK思想から、まっさきに排除された空間だと思うのです。
しかし、毎日の暮らしの中で、こういう「心配り」の部分こそ、
家というものの本質を表してもいると思います。
ぜひ、可能な限り、広い玄関土間計画を。

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面白新聞発見

2008年01月14日 08時08分33秒 | 歴史探訪
写真は先日、見学した勿来の関文学館で発見した展示。
こういう歴史展示館って、歴史的な考証はあんまりいい加減にはできないので、
そのときどきの歴史認識があらわれるもの。
そうした歴史認識をベースにして、入場者に対して
一種のユーモアを持って、展示物を考えていく作業というのも、
なかなかに面白そうな仕事だろうな、と思って見ることにしています。

ということなんですが、
やってくれておりますね。
ニュース的な手法で過去事実を紹介するというのは
まぁ、そこそこありますので、その点は置くとしても、
でも、当時の時代感覚は概ね伝わってきました。
京都の朝廷政権が最末期を迎えていて
そうでなくても地方からの徴税がうまくいかなくなってきていたときに、
飢饉がやってきて、完全に行き詰まっていた、という当時の
経済的な側面が大きかっただろうと思われるのです。
そうした事情を把握しなければ、生きた歴史は感覚できない。
この時代、平氏が主に貿易による利益で力を付けてきた背景には
律令体勢が完全に崩壊の縁にあって、
国家予算の執行もままならない、というような事情があったと思われるのです。
そういう背景の中から、地方の実質的な権力、
在地の開拓農場主である武家が大きく力を付け、
律令体勢を揺さぶっていたのでしょう。
関東の武士団は、独立的権力を得るために「大頭」として
律令国家とも政治的に渡り合える「政治家」として
頼朝を政治的な盟主としていただいた、というのが実質。

奥州の独立藤原政権、西国での立貿易権力としての平氏、
老醜の身ながら、かろうじて全国政権ではあった、京都の王朝国家、
さらに北国・越の国を根拠とした木曾義仲、
もっとも根底的に京都の王朝政権と対峙する存在であった
鎌倉の関東武家政権。
このような分断された政治的な状況が見えてきますね。
このようななかで「治天の君」であった後白河と、
政治的にもっとも互角に渡り合い、勝利者になったのが頼朝と関東武家政権。

確かにこういう状況を伝えるには、
ちょうど、現代の政治状況を伝えるような新聞形式が似つかわしい。
思わず、ニヤッとさせられた展示でした。
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気温差40度の帰省

2008年01月13日 08時59分42秒 | こちら発行人です

沖縄に行っている娘が成人式のために帰って参りました。
なので、わたしは風邪気味なのですが、朝方に点滴を打ってもらって
元気を取り戻すべく努力。
その甲斐があって、のどはがらがらですが、なんとかもたせて出迎え。
って、のどをやられたのは仙台でのホテルの暖房なんですよ。
エアコンで強制的に吹いてくるあの風で、どうしてものどをやられる。
乾燥が強烈なのと、やはり空気環境を汚染するのでしょうね。
細かいチリやホコリを舞い上げて、
夜間中も暖房を切ることのできない無断熱ぶりなので
どうやっても逃げるすべはない、という感じなんです。
日本の風邪にはこのエアコン暖房の弊害が相当にあると思います。
医学的にも、建物の性能向上は不可欠なのではないでしょうか?

という脇道脱線ですが、
なんとか無事、娘が到着いたしまして、
カミさんの母親も一緒に短い帰省を回転鮨で祝いました。
って、普段ならば「お待ち時間、1時間ですが・・・」と言われた時点で
速攻、別の店に移動のところですが、
娘といろいろな話で盛り上がっているので、待ち時間もニコニコと。
きのう出がけの沖縄・那覇の気温は27度とか。
ほえ~、ていうところであります。
きのうの迎えに行く道すがら、確認した札幌の気温はその時点で氷点下8度。
たぶん、今朝に架けては氷点下12~13度くらいまでは下がっている。
日本の南と、北の果てですから、
さもありなんではありますが、それにしてもすごい違い。
ふつうであれば、体が付いていかないんじゃないか、というところですが、
帰ってくるなり、友人と待ち合わせているとかで、元気に氷点下にお出かけ。
まぁ、やっぱり若いです(笑)。
15日にはまた沖縄に帰る、あわただしい帰省ですが、
ちょっとの間は、家族そろっての連休を楽しめそうです。

写真は、南国風の森、昨年関東で撮影したもの。
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建築が土に還っていく美しさ

2008年01月12日 07時29分17秒 | 古民家シリーズ

どうもこういう建物に道端などで出会うと
ついシャッターを押してしまいます。
住宅の取材が仕事の大きな部分なので、
年間で200件とか見に行くことになるのですが、
大概が立派な新築住宅か、きれいにリフォームされた家。
で、見ているとだんだん、還元してみるような心理が起きてきます。

そんな気持ちが、こころのどこかにあって、
こういう古い建物が無性にいとおしくなってくる部分がある。
この建物も、宮城県の山の中で発見した農作業のための小屋、でしょう。
人間が暮らしていた、というよりは
山仕事の拠点として活用していたような実用性を感じます。
しかし、それにしては窓がしっかり造作されていたりして、
2階が造作されてもいるのは、少し不思議。
ひょっとすると、少人数の家族が暮らしていたのかも知れない。
であると、どういう稼業で暮らしていたものか?
生活痕跡は見つけることができないだろうか、
などというように、思念が広がっていきます。
建築としては、素材の朽ち方から見て
50年以上の時間は感じられますね。
2階の塗り壁などは一部が崩壊もしているので
それくらいの時間は見ていいと思います。
たぶん、規格寸法通り、そのまんま造作していったというプロポーション。
屋根の傾斜もごく一般的なもの。
雨を避ける下屋のような屋根が1階に差し掛けられて
シンプルな切妻に変化が加わっている。

まぁ、こんなようなことがらが一瞬のうちに駆けめぐって、
なにか、メッセージを伝えようとしてくると感じるのでしょうか?
特段、どういう目的があるわけでもなく、
なんとなく導かれるように、写真に納めてしまうのですね。
ただ、なんとなく「古びてゆく」ということに
そのこと自体に、心惹かれるような部分があるのではないかと。
で、こんなふうに堂々と清く正しく(笑)、
正直にわたしは古びてきましたよ、と語っている建物に
「よくぞ、まっとうに古びてきたな(笑)」みたいな感情を持つのかも知れませんね。
ちょっと、変な偏りかなぁ、と
密かに自分自身を心配する部分もあります(笑)。
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