三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

建築が土に還っていく美しさ

2008年01月12日 07時29分17秒 | 古民家シリーズ

どうもこういう建物に道端などで出会うと
ついシャッターを押してしまいます。
住宅の取材が仕事の大きな部分なので、
年間で200件とか見に行くことになるのですが、
大概が立派な新築住宅か、きれいにリフォームされた家。
で、見ているとだんだん、還元してみるような心理が起きてきます。

そんな気持ちが、こころのどこかにあって、
こういう古い建物が無性にいとおしくなってくる部分がある。
この建物も、宮城県の山の中で発見した農作業のための小屋、でしょう。
人間が暮らしていた、というよりは
山仕事の拠点として活用していたような実用性を感じます。
しかし、それにしては窓がしっかり造作されていたりして、
2階が造作されてもいるのは、少し不思議。
ひょっとすると、少人数の家族が暮らしていたのかも知れない。
であると、どういう稼業で暮らしていたものか?
生活痕跡は見つけることができないだろうか、
などというように、思念が広がっていきます。
建築としては、素材の朽ち方から見て
50年以上の時間は感じられますね。
2階の塗り壁などは一部が崩壊もしているので
それくらいの時間は見ていいと思います。
たぶん、規格寸法通り、そのまんま造作していったというプロポーション。
屋根の傾斜もごく一般的なもの。
雨を避ける下屋のような屋根が1階に差し掛けられて
シンプルな切妻に変化が加わっている。

まぁ、こんなようなことがらが一瞬のうちに駆けめぐって、
なにか、メッセージを伝えようとしてくると感じるのでしょうか?
特段、どういう目的があるわけでもなく、
なんとなく導かれるように、写真に納めてしまうのですね。
ただ、なんとなく「古びてゆく」ということに
そのこと自体に、心惹かれるような部分があるのではないかと。
で、こんなふうに堂々と清く正しく(笑)、
正直にわたしは古びてきましたよ、と語っている建物に
「よくぞ、まっとうに古びてきたな(笑)」みたいな感情を持つのかも知れませんね。
ちょっと、変な偏りかなぁ、と
密かに自分自身を心配する部分もあります(笑)。
コメント
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