三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

iPodって、はまるね。

2005年10月21日 05時51分57秒 | Weblog


出張先ではどうしても移動時間が多くなるので、最近iPodゲットしました。
iTunes Music Storeが日本でもオープンしたので、とても使いやすくなったこともありますね。 まぁ中年男って、すこし世間の流れとは遅れたタイミングで行動するものなんで、こんな時期に入手することになったのですが。

ずっと人生の時間、仕事と家族中心になって、自分自身の音楽生活なんて、ほとんど顧みる時間がなかった、っていうのが多くの同年代なんじゃないでしょうか。 わたしは完璧でして、iPodプラスiTunes Music Storeに出会って、久しぶりに「音楽を楽しむ」暮らしが戻ってきました。それもチョー快適・便利になって。
iTunes Music Storeって、左の写真が開いた状態ですが、音楽のブラウジングに使いやすさを考えた設計で、しかもワンクリックで楽曲を購入できる。って、忙しくて音楽ショップなんかにぜったい行けない中年男には福音。
音楽をデジタル化するっていうのは技術の問題だけれど、「音楽を楽しむ暮らし」をデジタル化しちゃったというマーケティング計画に拍手。やっぱAppleって、「世界を変えた」集団だと率直に思います。
だって、使いやすくコンパクトなデバイス(IPod)と、ベースになるコンピュータ、そしてソフトウェア(iTunes とiTunes Music Store)、さらに音楽業界全体をまとめられただけの企業信頼性、全部が一体となって提供されているわけなんだよね。かなわない「仕事」ぶりだなぁと。

ということはさておき、ほぼハマっておりまして、毎日1曲150円から200円というワンクリックを繰り返しております。
最新のヒットおねえさんの曲から、自分たち年代の懐かしいサウンド、クラシック・ジャズと幅広く楽しんでいます。移動というとすぐにイヤホンなので、声が大きくなったりしてまして、迷惑掛けないように注意しなきゃなりません。
うれしいなぁ、なんか時間を取り戻しつつあるっていう、不思議な感じを味わっている毎日です。
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学生の匠リフォーム、工事完了

2005年10月20日 09時09分58秒 | Weblog
さてこのブログでずっと紹介していた、学生の匠によるリフォームの工事も完了しました。
きのう、施工に当たった沢井建築工房・沢井さんと現地見学。
思わず、目を見張るほどにすばらしい住まいに一新していました。まずは、大変お疲れさまでした。
わたしたちのような、現場をよく見ているものが、足を踏み入れれば、だいたいの標準的な建築コストが体感的に感覚出来るのですが、ズバリ感じた工事費用は、最低2,500万円。(って、実際には約半額の予算になっているんですが)

まず、現在の基準レベルからいえば、耐震性・構造耐力・断熱・気密という基本的住宅性能の点で、既存の建物はまったくの不適格物件。とくに、鉄骨造の土台がなんと塗装だけで、外部にさらされていた、という恐ろしさ。これでは、明確に外気温を室内にヒートブリッジしてきます。
さらに、そこから立ち上がる鉄骨の柱や梁は、ボルトナットによる締め付けだけで持たせていた、というもの。だから「揺れる」んです・・・。本来であれば、外壁材もすべてはずすべきところ、構造耐力維持の点で、外壁材にもかなり依存していることが確実に推定され、外壁材をはずせば、崩壊の危険が高かった。そこで、
・・・というようなことをそのまま書き続けると、問題も出るかも知れないのでこの辺で。
解体してみてから明確に特定できた、こうした既存建物の現状に合わせて、行うべき建築的処置を不足なく行っています。 そういう性能面のケアがまずは基本。とくに床面が異常に寒かった、というオーナーの基本的な要望については、その原因の完全な特定と、この建物の条件に合致した適切な処理ができました。

デザインの面でも、学生の匠によるコンセプトを随所に活かした空間構成になっています。
とくに、写真右側の2階のインナーテラスは、さまざまな使い方を想起させてくれるユニークな空間。未来的で、北国の暮らしに大変おもしろい提案になっていると思います。
階段も、蹴込みをはずしてデザイン的に軽快感を表現して、玄関からはいってすぐ、この建物のデザインコンセプトを明確にしています。
以前のこまごまとした間取り計画は一新され、落ち着きのあるモダンデザインに。ひろびろとした伸びやかな夫婦ふたり暮らしの、ちょっと素敵な空間装置ができあがりました。

この週末、23日・24日の日月、一般公開を予定しています。
ぜひ多くのみなさん、住宅リフォームの可能性を、体験してみてください。
申し込みは、リプランの窓口、電話011-641-7855まで。
工事の様子や、入居後の様子など、またここでふれてみる予定です。きょうは取り急ぎ報告まで。
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ラーメン大好き

2005年10月19日 05時11分42秒 | Weblog


そろそろ寒くなってきました、さっぽろ。19日には北海道各地零下の気温が予想されています。
朝夕は一定時間、暖房も入れるようになってきています。お~寒!
ということで、きのうは自宅で子供のリクエストに応えて特製ラーメンをつくりました。

わたしは実家がもやし製造業でして、小さいときは毎日、札幌ラーメンの草分けといえる「味の三平」の大宮守人さんがウチに、メイン食材のもやしを買いに来ていたのを対応したりしていたんです。
自動車免許を取得した学生の頃は、よくラーメン屋さんへのもやしの配達に行っておりました。
そんなことで、けっこう縁もあり、大好きです。
でも最近のさっぽろの有名店とかは、パス。 なんていうか、商売の仕方も含めて、なんもかも「濃いすぎ」。
脂ギトギトのスープ見ると、いーかげんにせーよって、思います。
確かに大宮さんは、それまでの常識的駅前ラーメンとは違って、ラードを使って栄養分のバランスを高めて、それだけで1食分になるラーメンにしたのですが、いまどきのこれでもか、というものはあきらかにおかしい。
三平さんのラーメンは、しっかりとした野菜の甘みをスープに引き出した上でのコクなので、基本的に「あっさり」していてあきがこないのがポイントだった。(しばらくご主人他界後の店には行っていませんが)

で、札幌では、自分でつくるのが一番なんです。こどもたちがうれしがってくれるのが楽しい。
ベースに使う挽肉のやわらかい風合いが、さっぽろの基本だと思うんですけどね。って、まぁいいや。好みもあるし。
いまでも行っていいなと思う店は、ほぼこの挽肉を使った店。
最近は、仙台などのほそい麺で、ごくあっさりしたシンプルな味が、好きになっています。 でもあれだと、すこしパワーが弱いのが・・・、もうすこし・・・。

先日、岩手県久慈市の近郊の大野町に昼どき移動途中、ちょっとよさげな雰囲気だった「ふるさと物産館」に立ち寄り。
そこで食べた写真の「赤鶏ラーメン」がおいしかった。600円。
三平の味の基本に近くて、大宮さんも「できれば基本で使いたかった」キャベツ・もやし・薄切り大根といった野菜がほどよく甘みを引き出し、挽肉の代わりに使っている地元の赤鶏の肉が、いいダシと食感でハーモニーしています。味付けは、すこし薄目の赤みそ仕立て。 田舎風も感じられて、センスもわるくない。
麺も最近のわたし好みの、ちょい細め。 スープの柔らかさと、いい相性で絡んでいました。
具、麺、スープと口に運ぶのに、なーんにも考えない。
一気にどんぶりが空になっちゃいました。
ごちそうさまでした。
おなかが減っていたので、つい「キビ入りおにぎり」も先に頼んでいましたが、この1杯で十分以上満足。おにぎりはラップしてあったので、そのままテイクアウトできて、無駄にもならず。そこまで考えてラップしてあったのなら、ホントすばらしいんですが、どうなのかは不明。
田舎の主婦パートさんとおぼしき店員さんたち、サービスの身ごなし、受け答えの印象のやわらかさも、合格点。

というラーメン談義でした。  きょうは住宅テーマ、すいません、おやすみ!

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茶髪のわかい大工さん

2005年10月18日 07時13分58秒 | Weblog

いま、わたしが住んでいるわが家は、以前は事務所兼用。
新築が1991年でしたが、仕事やスタッフが増えていくので、5年ほどで増築に踏み切りました。そのまえの外観や内部空間など、すごく好きだったのですが、仕事と家庭生活、ギリギリのなかでの選択としてやむを得ませんでした。 工事としては、地下を作ったり、そのうえに2階建ての変形スペースを増築したり、吹き抜けをつぶして床を広げたりと、とにかく仕事のスペースを確保させるのが目的。

その工事、土工事や構造工事が一段落して、木工事の仕上げ工事になって、やってきたんです。一発でそれとわかる大きな音のする車に乗った茶髪の青年が、工事現場のわが家に。 リフォームなもんですから、仕事や生活しながらの工事で近隣のみなさんへの配慮も必要。 こっちとしても、「おい、大丈夫なのか」と、気がかりだったですが、まぁ、人間、なりだけでは判断は出来ない。 って、見ていると、工事にはいるとけっこう身ごなしもよく、カンの良さそうな仕事ぶり。
施工の工務店の責任者の方に聞いたら、「わかくて、格好はどもこもならんけど、筋はいい仕事できるんですよ」という評価なんだとか。 わが家はちょっと変わった家ですから、仕事としては難しく、大工職人としての現場対応力やセンスのようなものが必要とされる工事。 どうも話しぶりから、ハラハラしながらもこの茶髪の青年の成長を期待しているんだな、って感じました。事実、ここはこうしようみたいな判断力や、仕上げの修まりが瞬間的に目にみえている様子で、作業に無駄が感じられず、仕事中は私語も少ない。
やっぱ、見かけだけじゃわかりません。

さて、工事も順調に進んで佳境になってきた、ある晴れて天気のいい朝、かれがこない。 電話連絡もない、仕事に完璧に穴が空いた。チーム制でやっている大工さんたちからすると、その日の工程の組み替えや段取りが大狂い。四苦八苦の様子でした。
で、翌朝、なにごともなさそうに明るく登場したかれ。
「すいません、きのう彼女と海、行っちゃって・・・」
「バカやろー」と、いうのも、なんか気が抜けてしまうような明るいあっけらかんぶり。 ま、しょがない、ついにやったか。みたいなヘンなあきらめも感じられて、見ているこっちも楽しく感じるやりとり。
きのうの分を取り返すからな、ということで、注意処分。

ということも折り混ざりながら、突貫工事のリフォーム工事も完成。
大工さんたちも、もう現場に来ることもありません。ようやく静かな環境が訪れたな、と思っていたある夜。
あのけたたましい音の車が家の前に停まりました。
「おう、どした?」って、ちょっとなつかしくて扉を開いたら、
「すいません、彼女に、俺のやった仕事、見させてもらっていいっすか?」
というお願いだったのです。
茶髪の青年からこんなまじめな、自分の仕事への誇りが感じられるセリフが聞けるとは、びっくり。

いっしょに海に行ってた彼女をエスコートして、おもに自分が担当した右側写真の3階を説明しながら案内してました。
「ありがとうございました」って、あの屈託のない笑顔で帰りにいわれたとき、
いいやつなんだな、って納得。
「おう、彼女とうまくやれよ」。
いまごろ、どうしているんだろうか。
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アル中の電気配線工おぢさん

2005年10月17日 07時20分54秒 | Weblog
ってタイトルを書いちゃうと決めつけですね。
事実は、このおぢさんの会社のかたから、そういうように、たぶん冗談交じりとは思うのですが、紹介されたからなんです。
まぁブログなんでそのあたりの真偽の解明まではご容赦いただき、おもしろそうかなぁというノリでご理解ください。

きのう書いたわが事務所の「オール電化」のデザイン表現第2弾です。
で、ご登場いただいたおぢさんは、たいへんな職人技術のまぎれもない継承者。まぁ、写真が出ているから、わかりますよね。要するに、電気配線の専門工なんです。 
ただし、体得している技術が、残念ながら時代にそぐわなくなったのです。
いまは、電気配線というのは、めったなことでは「露出配線」ということは行いません。
インテリア的に邪魔者扱いで、ほとんど壁の中で、必要なところにコンセントボックスや、照明配線として、その一部が現れるくらい。 当然の流れといえましょう。ただ、おぢさんが元気な現役バリバリだったころは、まだ電気をはじめて建物の中に入れるという、初期の電気導入期と同様の「既存建物」への配電工事という需要が存在していたのですね。そういうときには、いかに美しく配線するのか、という「職人芸」が存在していたのですよ。その仕事領域のなかで、このおぢさんは他の追随を許さない方だったということです。

が、いま、そういう需要はついにほぼ消滅。
かれを雇っている会社のなかでも、惜しいけれど腕の振るわせ用がない、戦力になっていたのです。
冗談交じりに「アル中」といって紹介されたのは、そういう背景のなかから出た言葉だったのだと思います。

さて、わたしの事務所建築では、きのうのような「レトロな時代の電気」というデザイン表現を模索していました。でも、外部のデザインで資金も底をついた。まぁ、しょがない、内部での「レトロな時代の電気」表現は、あきらめっか~ となる寸前だったのです。 そんなときに、電気工事屋さんが、このおぢさんのことを話してくれました。

一気に、プランに灯りがともった!  そうか電気工事か。
そうです、電気の配線も露出にして、むかしの懐かしい配線を美しくみせよう、デザインにしてもらおう、となったのです。そのうえ、電気工事屋さんからは、お金は、その分のアップ分なんかはいりません、といってくれました。 「あのおぢさんに、もいっかい腕を振るわせたい」という会社の方の暖かい心くばりから出たことなんですね。 露出配線の場合は、碍子というセラミック製品が必要になります。 これもほぼ流通していない。それっ、と買い付けてもらいましたが、北海道には在庫がなくて、なんでも横浜の方から取り寄せたとか聞きました。

はじめての工事現場での打合せ。
設計事務所と、電気工事屋さん、わたしの3社打合せに来たおぢさん。
「アル中」などと聞いていたはなしとは、まったく豹変の元気の良さ。なんと工事現場の外部足場を、足取り軽やかに2階にスイスイ上ってきます。 しかも目がキラキラしている!
若い私たちの方が、あぶなっかしいくらい。
あとで聞いたら、現場が近づくにつれむかしの様子を取り戻したんだとか。

露出の配線工事って、時間がかかっても、ひとりで作業するんです。なぜかというと、スイッチとの連絡を計算しながら、仕上がりの美しさ(たわんだりせず、ピンと過不足なく整然と電線が張られる)のには、けっこう複雑な現場的計算が必要であるからなんですね。それと、はじめに決めた配線計画を途中で変更したりしないこと。こうした複雑なおぢさんの頭の中の作業マッピングが、すべて狂っちゃうんだそうです。 でもホントは、1カ所だけ、変更をお願いしました。 おぢさん、親切に「・・大丈夫です!」と言ってくれましたが、よくやってくれたものだと思っています。
時間がかかって、おぢさんに付き添っていてもなにも手出しできない電気工事屋さんのコンビを見ていて、なんともほほえましいなぁ、と思ったりしていました。

電線は、赤と白2種類を用意して、なんとなく電気が入ってくる回路と、出て行く回路、というイメージを表現しましたが、実際はそこまでの厳密性はありません。 しかし、作業が進行していくと、どんどんノリがよくなってきて、当初は壁の中での配線を予定していた場所も、「全部、露出でやってみますから」という申し出をいただいて、結局ほとんどが、美しい碍子による、露出配線となりました。

完成後、多くの北海道電力や東北電力社員のみなさんが来社されましたが、社歴の古いみなさんは一様に、感激の面持ち。 電力社員さんたちは、この露出配線工事が、仕事生活の原点のようなものだったのですね。「いやー、なつかしいなぁ」って、うっとりしたような表情で、見て行かれます。
多くの建築家のみなさんも、この電気配線にいたく感激したようで、「そうか、この手があったか」という言葉が聞かれました。最近はログハウスや、構造素地あらわしの建物も増えてきていますね。そういう建物では、ひとつのデザイン手法に取り入れられるな、ということから、くだんの電気工事屋さんに、「こんど、見積もり欲しいんだけど・・・」という注文もでたりしていました。 なんかこっちもうれしく、誇らしかったです。

いい職人仕事と出会えたら、なんか、気持ちがよくなるものです。
こんな記憶こそが、建物への愛着のよすがになるものなんだなぁって、思い至った次第。
おぢさん、ありがとう。 わが社の電気は元気いっぱい、配線のなかを走り回っていますよ。
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古電柱の再生利用

2005年10月16日 06時13分23秒 | Weblog

事務所は、オール電化で建てました。
設計者といっしょにそのことをどういうようにデザイン表現しようか、考えました。
内部でもいろいろなことを考えたのですが、事務所でしかもミニイベントなどの施設としても使いたいという希望もあったので、けっこうファサード表現も重要。
そこで考えついたのが、古い木製電柱の再利用。北海道電力さんに聞いたら「なんも、協力しまっせ」とありがたい言葉。
電気が果たしているやわらかく暖かな雰囲気を、古電柱を外部照明として再利用することで表現できないかと思ったわけなんです。
以前の三内丸山の話題のときにも書きましたが、日本の掘っ立て技術というのは世界有数なんだとか。実はそれ、この工事の時に、教えてもらったのです。
右側は工事途中のものですが、実物の古電柱を半分に切ってもらったものを6本立ててもらいました。いまは、コンクリートで基礎の枠を固めてから立てます。むかしは一生懸命、立てる場所の土を付き固めたんだそうですが。 
そこに立ててから、土で脇を固めて、しっかり付き固めるわけですね。いまは天圧機で作業できますが、むかしはひたすら人力での作業でしょうね。仕上げに砕石を敷いて完了。

むかし、というかいまでもどこかにはあると思いますが、街頭照明の、あのランプシェードを探してきて、ごらんのようにつけた次第。 って、これがけっこう大変だったみたいで、品番の確認からして大変だったと思います。 「え、あんなもの、何で今頃、注文すんのさぁ?」と、信じてもらえなかったのだろうと思います。
仕上げに、電線のたわみ具合にもこだわって、電気工事屋さんにお願いして、やわらかい曲線にしてもらいました。
電気が人間の社会に登場して、家に届けられるようになったレトロな時代のたたずまいを意識したデザイン。
ベースになった古電柱、表面炭化の具合もいい味わいを見せてくれています。
こんな、おかしな計画に大まじめに取り組んで、しかも笑いながらもそれぞれ真剣に、真摯に尽力していただいたみなさんに感謝しています。ちょっと大げさかなとは思うんですが、こういう職業的良心・誠実さが、地域に残していくべき「製造業」というものの一部分かと思う次第。

みなさん、どんなふうに感じられるでしょうか?
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えりちゃん家

2005年10月15日 06時19分49秒 | Weblog


リプランの創刊から18年。
実にたくさんの家を見続けてきたものです。
そんななかでも、こころに深く残っている家というものがあります。
写真の「えりちゃん家」というタイトルで発表された家は、なにか原点のような思い入れがあります。
建築家・倉本たつひこさんの作品。
札幌から車で2時間弱くらいの鵡川町の山中にある森の家。
癒しを求めて、自然のなかにそっと置かれたような印象。
床面積はとても小さくて、母屋で確か12坪程度、ゲスト用の離れは3坪くらいだった記憶があります。

車で向かう道は、ずっと緑の回廊のようで、すこし緑がまばらになったな、という場所に建っていました。
なるべく周辺の樹木に手をつけず、必要最小限の伐採にとどめ、2棟をつなぐ円形のデッキもところどころ自然の樹木のために、すき間を空けてあったりします。
母屋内部に入った位置から、内部奥に向かって正面から撮影したのが、この1枚の写真。
数少ない住宅を構成する要件・生活装置、柱・梁というシンプルな要素だけが、展開しています。
ほんのすこし、横架材に丸く穴をうがってあるのが、めぼしいデザイン要素。
これだけで構成された空間ですが、なんとも言いようがない、奥行きを感じました。
北海道の建築家たちが、住宅の賞をじぶんたちで作ったのですが
この家が、第1回の受賞作になったのは、ごく自然だったといえると思います。

ふるい写真をさがすうち、もういちど目がとまってしまった住宅でした。
みなさんは、いかがですか?
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盛岡焼き肉・・めちゃうま体験

2005年10月14日 07時56分26秒 | Weblog
きのうは盛岡で講演を頼まれました。
わたしは、しゃべるのが本職でもないので、あんまり役に立つのかどうか、毎回不安なのですが、引き受けた以上は全力で、ということで、無事終了。東北電力さんの講演会ですが、集まったのはほとんど建築工務店さん。それも技術レベルの高いメンバーのみなさんでした。釈迦に説法みたいになっちゃたかな・・・。
講演が終わったあと、おおくのみなさんとすこしアルコールが入ってから、歓談することが出来まして、こちらも大変たのしく有意義に過ごすことが出来ました。北国岩手ですが、みなさん、ホント、心暖かくって感激しました、
ありがとうございます。

で、そのかんは全然食事できなかったのを気遣っていただいて、なんと本場の焼き肉と冷麺をごちそうになりました。
!!!  う~~~んんまかったぁぁぁ!
(どうも表現が、beyond discripshon!~って、スペルもあやしい。許して)
写真を撮るのを忘れちゃったので、読者のみなさんすいません、文章だけです。(頭↓)
特上の焼き肉を、たれと、ときたまごにつけて、サンチュに包んで食べるんですが、ベリースィートで、とろけるような味わいが口いっぱいに広がりました!  焼き肉って、こういう味なんだ、とはじめて「体感」したって感じ。
なんか、メニューの上の方に書いてあった肉ばっかりだったので、特上・格別だったのかなぁ~。
連れて行っていただいたみなさんに深~く感謝。
前の日、仕事立て込んでいて、あまり寝られなかったトリあたま状態のわたし。 またこんど、食べたいなぁって思ったのに、店の名前すら確認しておきませんでした。
けさ、これから散歩に出るので、店の前を通ってきます。
とりあえず、アップしてから、あとでお店の情報を載っけます。
ということで、二日酔いじゃないのに、トリあたまで申し訳ありません。


店、わかりました。
「元祖平壌冷麺食道園」
019-651-4590  岩手県盛岡市大通1丁目8-2
冷麺〈特辛、辛、普通、別辛〉 850円 その他焼き肉等のメニュー有り。
盛岡冷麺を語る上で欠かせないのがこのお店、その歴史は他サイトに譲るとして、冷麺の発祥となったことで知られています。
ひと昔前の焼肉店を想像して貰えばわかりますが、今どきのような凝りに凝ったデザインや若者向けの雰囲気をもったお店ではありません。ついでに言うと、今はやりの「炭火焼き」ではなく、旧態式の「ガス火穴あき鉄板焼き」です。ところが、それがどうした?そんなの関係ないぞと言わんばかりの質の良さで、一般の炭火焼肉店を一蹴する力強ささえ感じます。
 価格帯はややアッパークラスにもかかわらず、ひっきりなしにお客さんが出入りしています。常日頃から地元の方々で混雑しているところをみると盛岡の経済事情は悪くないのかなと感じずにはいられません(^^;

という評価がインターネットで出ているお店でした。チャンチャン!

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三内丸山遺跡

2005年10月13日 05時48分15秒 | Weblog
古民家、ではないよなぁ。
でも米づくりの吉野ヶ里と対比できるような、縄文の首都、といったロマンを掻き立ててくれるのが三内丸山遺跡です。
青森市の市街からやや離れた丘陵地になった地域ですが、昔はすぐそばに海が迫っていて、豊かな海の幸と、DNA的に同一であるとされる栗(ということは栽培)などの山の幸の豊かな土地だったとか。採集生活の時代としては、きわめて大きな集落が栄えていたと言うことです。土器の発明から、栗などの木の実を食することがきわめて容易になって、縄文の食生活は飛躍的に豊かになったのだそうだ。
海から上ってくる坂道には、その沿道両側に死者の墓が埋葬されていた。縄文の死生観からすると、ひとの交流の道に死者をあえて介在させるという意味は何だったのだろう。 そして、復元された物見の塔のような建築物。この建築物の柱の掘っ立て技術は、こんにちで考えてもたいへん高い技術レベルだと言うこと。

もう、いろいろな想像力がわき出てきて、とまらない。
農耕だけに依存しなかった縄文世界では東日本、北方日本がきわめて人間の生存に適地だったそうです。ものの腐敗進行が早く、しかも食料採取が難しいという夏を長くもつ南方はむしろ、人間生活に適していなかったのだそうなんです。食糧の冷蔵貯蔵が可能な冬をもっていた北方は、縄文世界で日本の主邑であったのは自然なことだったのだとか。

北海道に暮らすものにとって、こういう事実が近年、考古学の発展で明らかになってきているのは、なんとも愉快な気分にさせてくれます。
もちろん、われわれが米を生産し続けてきたDNAの末裔であることは、紛れもないとしても、この私たちの暮らす土地の寒冷条件が、違う意味合いで認識できるようになってきたことは、なんともわくわくさせてくれることだと思うのです。
機会があれば、ぜひ多くに人が体験してほしいものです、三内丸山。
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登別の湯はやっぱイチバン

2005年10月12日 06時19分08秒 | Weblog
きょうは、久しぶりに閑話休題。
3連休は、登別で親戚の集まりがありました。
今週も忙しくなりそうなので、骨休めとばかり、風呂→寝る、の繰り返し。
おかげでからだバラバラになって、しばらくしてすっきり。
硫黄のニオイはやっぱ登別が格別ですが、そのほかに鉄泉、食塩泉などの風呂を楽しめました。
まえに一度、バスガイドさんの教師という大ベテランの方に聞いたことがあるんですが、登別の湯は、やっぱ日本一といえるんだそうです。 写真左の地獄谷の露出する火山活動、それと年間の降雨量が多いという温泉の基本的な条件で、ほかとは比較にならないんだとか。

登別に伯父が住んでいて、ボランティアのガイドをやっています。
「世界中の温泉の成分は17種類だけなんだけど、登別はそのうち10種類の成分が確認されていて・・・」と温泉耳学問を聞かせてくれました。
老舗の「第一滝本」は、初代の滝本金蔵さんの時代に、高級旅館として宮様や大金持ちが来たときの施設を充実しろ、といわれても断わり、庶民の温泉というポリシーを貫いたんだそうです。泊まった「登別グランドホテル」というのは、そういう時期に高級旅館として建てられたものなんだとか。 いまは、「第一滝本」もどれも似たようなものですが。 ふーん・・・、初耳。 

あさ、地獄谷まで散歩。
雨で地獄谷の硫黄のニオイ、比較的よわくは感じられましたが、間近で見るとまさに自然の恵みそのもの。
カメラ構えていたら、手振りでシャッター押してくれ、というひと発見。で、押してあげたら台湾の方。
ちょっと悲しいんだけど、こういうとき、片言でしゃべりあうのは決まって英語。
アジア人同士、会話できる言葉って、ないんですよね。
やっぱ人口から言って中国語、覚える方が、国際ルールかなぁ。

北海道の温泉は激しい競争の結果、もっとも現代的なサービスシステム。だから料金と施設、そして自然環境という観光資源のバランスで、すごく魅力的なようですね。 施設が大型でゆったりしていて、アジアの人たちにも受け入れられやすく、インターナショナルスタイルってことかな。
ともあれアジアの人たちに大人気だっていうのは、なんかうれしい。
もっと来てね、と親愛の気持ちを込めてお話ししました。 
いいところですよ、北海道。
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