ずっとわだかまっていることなのだけれど、
ある時期に財務省なのか、厚労省なのか、
日本の高齢化について、たいへん悲観的な見方が振りまかれ始めた。
いわく、福祉に金がかかるから税を上げなければならないのに、
肝心の働く世代は減少して、働き終えた老人ばかりになって
国家財政は破綻に向かっていく、というシナリオ。
たぶん、消費税を積極的に導入するのに
その国民への周知徹底の目的でのプロパガンダだったのではないか。
それが失われた10年という時期にぶつかっていた記憶があって
相乗効果を生み出して、日本人に深くPTSDを植え付けたのではないか。
そんなふうに思っている。
こうした視点は国家運営側の、それも既存の価値体系だけで考える
いわば、既成概念だけのテクノラートの見方と言うことができる。
定年制は60歳であり、その後は平均寿命からいって、
そんなに多くの人間を国家社会としては養っていく発想を持っていなかった。
国家運営側としては支出の大きな部分を占めている
福祉の中でそのまた最大の部分である高齢者対応の部分が
注目に値するのは、ある意味自然ではあるのだけれど。
ただ、起こっている「高齢化」は
けっして「不幸」なことではないと思う。
たしかに現状の社会システム維持の観点から言えば不都合である
ということまでは理解出来るけれど、
人間が長生きできるようになって来たこと自体は
人類の偉大な進化を表しているのではないか、と思っています。
そしてそれは、いわゆる先進国に置いて初発的に起こり、
第2次世界大戦後の「平和」環境に置いて進展してきた。
そのなかでも日本は戦争によるいびつな人口構造と
世界に冠たる保険制度の確立と医療の技術発展から
「高齢化」において、世界を先導するようなかたちになってきた。
法体系などの社会システムは現状適合的に
常に改訂されていくべきだと思うけれど
どうも、社会システム維持が大前提になってしまって
むしろ現状適合的に社会システムを変更改訂することが
優先してこなかったのではないか。
どうもいまの状況を見ていると
経済運営の基本システムとして「株式会社」ばかりに目が行って
それ以外の人類の長い知恵が活かされていないように思えてならない。
まぁ資本主義を基本にしているから仕方ないとは思うけれど、
こうしたシステムにしても、高々500年しか経過していないのだそうです。
どうも「株式会社」的運営手法だけが「経済」ではないのではないか。
高齢化社会というものは、
人類の平均寿命が、劇的に更新されてきていることなのであり、
これは社会システムよりも、はるかに優先して
それを歓迎し、その変化にどのように対応するかを考えさせる契機に
しなければならないのだと思う次第です。
長くなりそうです。
これって、考えるのに大きすぎるテーマだなぁ・・・。