三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

播州・英賀神社に初もうで

2014年01月02日 06時04分14秒 | Weblog


きのう、もうすぐ大雪になるとされた札幌を離れ、
わたしは播州・神戸空港に降り立ち、
その後、レンタカーで広島めがけて西下しました。
広島で「新春神楽まつり」というのを見に行くのですが、
その道中で、わたしの祖先に関係するいくつものスポットがある
瀬戸内世界を行脚する計画なのであります。

北海道にいま住んでいる人間は
まぁだいたいは本州各地から「流れてきた」、といえばきれいだけれど、
実質は、零落の果てか、一発逆転を夢見てやってきた人々の後裔。
そういうことが、北海道人特有の「こだわりのなさ」に繋がっている感じはあります。
なんですが、やっぱりそれ以前の、本州で家系の先人が過ごした
時空間もまた、激しく心を揺さぶられるように知りたくなる。
わが家系も、浮き沈みを繰り返した末に現在がある次第。
いくつかのロマンを掻き立てる家系伝承があって、
その実質を確認すべく、何人かの親族が調査を行っていまして
わたしは、そういった調査結果を知らされております。
故・司馬遼太郎さんは、播州英賀でわたしの家系といっしょに秀吉・黒田官兵衛軍と
戦った籠城戦の家系伝承を共有しているようなのです。
ことしのNHK大河は黒田官兵衛だそうですが、
かれの青春期の飛躍になった播州・英賀城攻防戦も取り上げられる可能性があります。
その地には城郭内部にあった英賀神社があって、往時のよすがを伝えている。
わたしは、この英賀神社、訪問するのは3度目。
今回の瀬戸内世界探訪でも、まずはご先祖様に敬意を表して
空港からレンタカーを駆って、初詣させていただきました。
あ、元旦早朝には北海道神宮に初詣したので、初詣のハシゴですね。
で、この英賀神社、来る度に「なんか違うな」と感じています。
というのは、普通神社って、「本殿」の前にある「拝殿」は参拝客は上がれない。
その手前に賽銭箱が置かれていて、拝殿越しに本殿を遙拝するように
そのような建築形式が一般的なのです。
ところがこの英賀神社では、衆生がみんなドカドカと拝殿に土足で上がり込む。
で、本殿手前に置かれた賽銭箱の前の鈴をかき鳴らしている。
どうもこの「本殿」が2つに別れていて、畳敷きの「拝殿」があるようなのです。
そのさらに奥に神さまの鎮座する殿舎がある。
となると土足で上がり込む建物はいったいなんなんだろう、と不思議。
しかもこの「拝殿」には、普通神社建築では壁があるハズなんだけど、
屋根だけがあって、壁がない構造になっている。



まるで神楽の舞台のような感じなんですね。
とすると「神楽殿」が拝殿の前にあって、
それがいつしか衆生がドカドカと上がり込むように変化してしまったものなのか?
この城郭は信長の最終敵になった浄土真宗・本願寺の門徒たちの
播州における最大拠点だったそうなので、
こういうような「民主的・大衆的」な建築使用実態になったのだろうか、と思う。
イメージとしては、門徒の一揆衆が反織田の大衆集会を毎日開催して
戦国統一反対の憤激を高め合っていた、みたいな気分が立ち上る(笑)。
この神楽殿で反織田のアジテーターが、畿内情勢の報告をして
「あのクソ秀吉サルめが、極悪非道にも・・・・」などと怒号し、
それに対して「ナンセンス!」とか「異議ナシ!」とかの掛け声が
こだましていたのではないか。
そういう集会会場にどうも似つかわしいと妄想してしまう(笑)。
70年代学生運動と多少とも関わった身には、
どうもそうした空気感が感じられてならない。

初詣のひとびとの様子を見ていても、まことに衆生のなごやかさに満ちている。
庶民的大衆的な「ふつう」感がハンパないのであります。
そんなことで、どうも好きなんですね。
妄想が強すぎるかなぁ(笑)・・・。
あ、でもわが家はその後、門徒から真言宗に宗旨を変えております。
これにはまたどうも大きなナゾがある・・・。
・・・っていうふうに、新春の旅は続いて参ります(笑)。
コメント
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