三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

兵庫県福崎・古民家復元工事

2014年01月06日 09時56分30秒 | Weblog


本当は、ベネッセが運営している直島の安藤忠雄さん設計の美術館を、
と思っていたのですが、その前の日程が長引いて
それでも大丈夫なはずと踏んでいたのが、
あまりにも渋滞その他で時間がかかりすぎてしまって
向かう途中、岡山から美術館に電話したら
「たぶん、そこからでは本日中には到着できない」といわれてしまった。
むむむ、ちょっと時間予定を甘く見てしまった。
やはり遠隔地からの旅程組みは、ちょっとした渋滞などで簡単に吹っ飛ぶ。
その前の訪問地・故地の寺院での長時間の歴史調査が
想像以上に大きな収穫を得られたので、その反動と思い、
諦めざるを得ない事態でした。
まぁやむを得ませんね。またの機会にしようと思います。

その分、最後の目的地・神戸までの時間に余裕が出来たので
表題の故地にも足を伸ばしてみました。
福崎には山陽自動車道から、ちょっと寄り道するような感じで行けます。
ここも、わたしの祖先伝承に関わりがあるとされている。
とは言っても、戦国期の黒田官兵衛さんの時代までさかのぼるのですが(笑)。
そこで黒田さんが世に出る最初の合戦になったという
「英賀城攻防戦」という織田・毛利の戦端があって
その敗北側にどうもわが家は縁があるようなのです。
まぁそういう経緯なので、あんまり自慢にはならないとは思いますが(笑)
別に今更、恥じることでもないでしょう。
で、その合戦から播州での秀吉による出世合戦が始まり
例の「三木城合戦」に引き継がれ、
さらに英賀城も、ほぼ同時期に秀吉によって陥落させられた。
その後、離散した一族の一統がこちらではないかとされている。
伝えられてきた住居は、その建築としての資料的価値と、
町の観光振興の作戦としての活用を期待されて
復元工事が公共事業として行われているのです。
隣接地には町が運営する「もちむぎの里」という
地元食材のPR施設も建てられています。
さらに、こちらの旧家の書庫には大量の「民俗」的資料があったとされ、
それが日本の「民俗学」の開祖とされる柳田国男さんを育てた。
毎日のように柳田さんは、こちらの家に来て勉強していたそうです。
生家の茅葺き屋根住宅もすぐ近くに復元保存されている。
わたしとしても、個人的家系のことばかりではなく、住宅の仕事との
大きな接点として、こちらの工事の進展が気になっている次第。
出来上がったら、取材もしたいと思っていますが、
そういった情報の手掛かりも得られました。
いまの様子では平成30年頃とされるのですが、
気長に完成を待っていたいと思います。
コメント
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