街の表情って、そこにある建物からの視覚体験は強烈で、
それがある日、失われた現実に遭遇すると
「あれ、ここは前、どうなっていたっけ?」と
その記憶の喪失感に圧倒されることがあると思います。
街という風景はまことに移ろいやすいものだと思いますね。
ところが、歴史に於いても、
地形とか、風景というのは容易に大変換するものだそうで、
たとえば、江戸という土地は、
家康が城を築いて、武家政権の首府としてから、
大々的に公共事業が進められていって、土地の埋め立てなどが盛んに行われ、
本来の地形が跡形もないまでに変えられた土地なのだと思います。
また、大阪も仁徳天皇陵の昔から、その景観が大変化していったという記録があります。
そのような歴史的な地形変化っていうのは、
なぜか、あんまり調査研究の対象になっていなくて、
専門の研究者というのは、勉強不足もありますが、聞いたことがありません。
考えてみればおかしなことで、現在ある地形からの思考範囲の呪縛について
無自覚な歴史研究というのは、かなりバイアスが懸かると思われます。
写真は、中世、平安期などの時代に蝦夷地といわれていた北海道ですが、
いまの苫小牧とか、千歳・恵庭の地域と石狩地方の交易が
盛んに行われていた痕跡がうかがえるのだそうです。
そういう地域に「点線」が刻印されているけれど、
いまの時代の常識からすると、「なにこれ」となってしまう。
当然,そのような時代ですから、船の交通がその手段であり、
いまは、平野部になっているこの地域、
いつも札幌と千歳空港の間を高速道路で走っているこのあたりは、
たぶん、広大な「水郷地帯」だったに違いないのです。
その水郷地帯に島のように高台があったりして、
そのような場所に交易の拠点集落などが、点在していたのだろうと推測されるのですね。
たぶん、日本の景観から失われていった最大のものはこうした水郷地帯に違いないと
いつも、思わされております。
こうしたことは、網野善彦先生の著述に詳しいのですが、
まことに、失われた景観への想像力というのは、
維持し,持続させていくことが難しいと思います。
古記録などから、出来る範囲からCG映像などで「残していく」努力が
必要なのではないかと、思う次第です。
かなりマニアックな意見かなぁ・・・(笑)。