北海道の歴史って、日本海側に点在する「ニシン漁場・場所」の建築物などが
建築としては、かろうじて残っているものでしょう。
まぁ、高々200年程度さかのぼれるくらいのものです。
そうしたなかで、ニシン漁というものがどれほどのものだったか、
いろいろ実感させられる資料もありますね。
写真は、そういう漁場主の持っていた富の収納庫、蔵の入り口。
漆喰で塗り固められた外壁なのですが、
入り口は、これでもかという重厚さがみられます。
まず一番内側には、通風を確保させるための網入りの引き戸。
次に外壁と同様に防火性を考えたであろう漆喰で仕上げられた引き戸があります。
その上に、観音開き状の重厚な木製建具が大きな蝶番によって据え付けられています。
この木製建具、自重がどれくらいあるのか、
相当な重量感があります。
もちろん、大人の男性数人でなければかないそうもない感じ。
そして、その建具の密閉性を高めるために、
建物の側に枠が造作されていますが、
5重の段差が付けられています。
それも漆喰で丹念に形作られています。
開口部の下部分には、軟石が据えられています。
万が一の水の進入に対しての配慮で、石は敷居の高さが高い。
一方、建具の側の造作も、枠にぴったり合うように
丹念に造作されています。
締めるときには、こうした段差がぴったりと組み合わさって、
気密性が高く内部を保護するようになっていたものと思います。
鍵も、何重にも厳重に架けられるようになっていました。
現代のような既製品がない時代、
このような開口部とそれを閉める建具は、
ひとつひとつ、手作りで、用途を考えながら、
最善の手段を尽くして、内部の富を守るように作られた様子が手に取るようです。
まぁ、この工事ぶりを見学するだけでも価値がありますね。
この部分だけの工事費用、かかる日数を考えただけでも
再現することは困難でしょうね。
ここまでの大工事を尽くしてまで、
守りたかった富の集積が、ここには存在したということ。
この家は、明治期を迎えて地元に銀行まで創ったということですから、
推して知るべしと言うことでしょう。
ただし、北海道でニシンなどの収奪型産業を経営していたひとたちは
その好景気が去った後には、そこで蓄積した資本を
ほとんどが横浜などの貿易関係に移転させていったケースが多いのだそうです。
明治初期の国を挙げての北海道開拓が急速に熱が冷め、
その後、財閥系に土地そのものがほとんどタダ同然で払い下げられていった。
今日でも北海道の森林はそういう所有が多いと言われています。
そもそも、この漁家のような「場所請負」的な漁場所有形式そのものも
権力との結びつきによる権利獲得プロセスだったのだと思います。
まぁ、いろいろな事柄を残影のように教えてくれる建築だと思います。
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