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日記に…なるかしらん

あ、これ完全に読書メモですんで……気にしないでネ 下

2016年04月23日 23時53分54秒 | 日本史みたいな
吉川弘文館 人物叢書・第285巻 『最上義光』 伊藤 清郎 2016年3月刊


《つづき》
永禄十(1567)年
?月
 前奥州探題・大崎義直(?歳)、家督を嫡男・義隆(20歳)に譲り隠居するが、奥州探題職は義隆に相続されず。
八月
 伊達輝宗(24歳)の嫡男・梵天丸(のちの伊達政宗)、誕生(最上義守の孫にあたる)。

○大崎義隆の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力43、統率力41、知略22

○伊達政宗の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力85、統率力86、知略84

永禄十二(1569)年
?月
 出羽国庄内地方の大名・大宝寺義氏(19歳)、真室川地方の大名・鮭延貞綱(?歳)と大蔵村の清水城主・清水義氏(23歳)を配下に置く。

○大宝寺義氏の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力32、統率力64、知略14

○鮭延貞綱の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力37、統率力35、知略54

○清水義氏の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力44、統率力52、知略32

元亀元(1570)年
正月
 最上義光(24歳)、立石寺へ本懐成就の願文を出す。
四月
 伊達輝宗(27歳)の重臣・中野宗時(?歳)、牧野久仲(?歳)父子、輝宗に謀反の疑いをかけられ陸奥国大名・相馬盛胤(42歳)を頼り亡命する。
五月
 最上義守(50歳)・義光父子に対立が生じるが、宿老・氏家定直(67歳)の仲介により和解する。
 最上義守、家督を義光に譲って出家し「栄林」と号する。
?月
 最上家重臣・氏家定直、死去。家督は嫡男・氏家守棟(37歳)が継承する。

○中野宗時の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力79、統率力21、知略69

○牧野久仲の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力77、統率力5、知略68

○相馬盛胤の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力61、統率力82、知略62

○氏家定直の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力64、統率力54、知略75

○氏家守棟の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力54、統率力59、知略75

天正二(1574)年
正月
 最上栄林(54歳)、最上義光(28歳)との対立を再び激化させ、婿の伊達輝宗(31歳)に援軍を要請する(天正最上の乱)。
 伊達輝宗、家臣の出羽国高畠城主・小梁川盛宗(小梁川親朝の孫 52歳)に出撃を命じ義光派の上山城主・上山満兼(?歳)を降伏させる。
 義光派の大名・寒河江兼広(46歳)、天童頼貞(?歳)・白鳥長久(?歳)ら栄林派の諸大名に寒河江城を攻撃され降伏する。

○小梁川盛宗の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力61、統率力55、知略59

○天童頼貞の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力44、統率力59、知略41

二月
 最上義光、伊達領の出羽国北条(現在の南陽市)に侵攻する。
三月
 最上義光、伊達輝宗と和睦し伊達軍を最上領から撤退させるが北条への侵攻は継続させる。
四月
 伊達輝宗、荒砥・畑谷・刈田・長井の兵を動員し最上義光と再び対陣する。
五月
 最上義光、若木城や江俣で栄林軍と戦い、伊達輝宗も上山に出陣し義光と戦う。
六月
 伊達輝宗、義弟の芦名盛興(28歳)の急死を受けて一時撤退する。
七月
 伊達輝宗、栄林に降伏した寒河江兼広が再び挙兵したとの報を受け再び高畠に出陣する。
八月
 伊達輝宗、上山まで進軍し最上義光と対峙する。
九月
 最上義光、伊達輝宗と和睦し伊達軍を撤退させるが、父・栄林との対立は依然として続く。
?月
 最上義光、京に政権を樹立した織田信長(41歳)との親交を深め出羽守に就任する。

天正三(1575)年
?月
 最上義光(31歳)の嫡男・小僧丸(のちの最上義康)、誕生。

○最上義康の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力31、統率力37、知略14

三月
 最上栄林(55歳)、山形北部の龍門寺に隠居する。

天正四(1576)年
三月
 出羽国の大名・寒河江兼広(48歳)、家督を娘婿の吉川高基(?歳)に譲り隠居する。
 ※これにより、嫡男の小僧丸を兼広の娘と結婚させて寒河江家を継がせる約定を交わしていた最上義光と寒河江家との関係が悪化する。

天正五(1577)年
三月
 最上義光(33歳)、天童頼貞(?歳)の天童城を攻めるが落とせず撤退し、頼貞の娘を側室に入れ和睦する。
七月
 出羽国村山地方の大名・白鳥長久(?歳)、上洛し織田信長(44歳)に謁見する。
八月
 最上義光、上洛して織田信長に謁見する。

天正六(1578)年
六月
 出羽国大名・寒河江家の前当主・寒河江兼広、死去(50歳)。

天正七(1579)年
?月
 出羽国大名・天童頼貞の死去(?歳)により、頼貞の嫡男・天童頼澄(12歳)が当主となる。

天正八(1580)年
?月
 最上義光(36歳)、天童ヶ原(現在の尾花沢市)で馬揃え式を挙行する。
 最上義光、北部・最上郡の小国城主・細川直元(?歳)を万騎ヶ原合戦で滅ぼし、家臣の蔵増光忠を小国城主とする。

天正九(1581)年
?月
 最上義光(37歳)、真室川地方の鮭延城主・鮭延秀綱(貞綱の嫡男 19歳)、鮭延家臣・庭月広綱、新庄城主・日野有祐を配下に置く。

○鮭延秀綱の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力34、統率力59、知略63

天正十(1582)年
六月
 最上義光(38歳)、砂越城主・砂越家を通じて庄内地方の大名・大宝寺義氏(32歳)の領内を策謀で混乱させる。
九月
 最上義光、天童頼澄(15歳)の天童城を攻めるが落とせず撤退する。

天正十一(1583)年
三月
 大宝寺義氏(33歳)の娘婿・前森義長(のちの東禅寺義長 40歳)、最上義光(39歳)に内通して挙兵し義氏を切腹させる。

○東禅寺義長の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力43、統率力48、知略58

天正十二(1584)年
三月
 最上義光(40歳)、家臣の山家(やんべ)城主・山家九郎二郎に天童・成生の土地を与える確約を交わし、出羽国の有力大名連合「最上八盾」(天童・成生・東根・六田・長瀞・飯田・尾花沢・延沢)と対立する。
五月
 天童頼澄(17歳)、最上義光の侵攻に備え、居城・天童城を改修する。
 最上義光、近隣大名の伊達輝宗(41歳)に、天童頼澄ら最上八盾からの加勢の要請を拒絶させる密約を交わす。
六月
 最上義光、村山地方の大名・白鳥長久(?歳)を山形城に招いて暗殺し、兵三千を率いて長久の居城・谷地城を攻め落城させる。
 寒河江高基(?歳)の弟・柴橋頼綱(27歳)、白鳥家の援軍に出陣するが最上軍に敗れ討死する。
 最上義光、谷地城の落城後に寒河江高基の寒河江城も攻めて落城させ、高基を自害させる(最上家による谷地・寒河江地方の制圧)。
八月
 伊達輝宗、京に政権を樹立した羽柴秀吉(49歳)に使者を送り親交を深める。
九月
 天童頼澄、最上義光の侵攻に備え、同盟する「最上八盾」の援軍も引き入れ兵三千で天童城に籠城する。
 最上義光、最上八盾の一人である延沢城主・延沢満延(41歳)の嫡男・又五郎に娘・松尾姫を嫁がせ、延沢満延を天童頼澄から離反させる。
 最上義光、最上八盾の一人である東根城主・東根頼景(天童頼澄の弟 ?歳)の重臣・里見源右衛門を離反させて挙兵し東根城を制圧、東根頼景を討つ。
 最上義光、最上八盾の一人である成生城主・成生伯耆守と内通し天童頼澄から離反させる。

○延沢満延の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力13、統率力77、知略34

十月
 最上義光、天童頼澄の天童城を落城させ出羽国の最上・村山地方を制圧するが、延沢満延との約定により頼澄は助命する。
 天童頼澄、母親の実家に当たる陸奥国大名・国分政重(伊達輝宗の弟 32歳)を頼り亡命する。
 最上義光、天童城を廃城とし城跡に愛宕神社を勧請する。

○国分政重(盛重)の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力29、統率力18、知略12

天正十三(1585)年
二月
 天童家旧臣の瀧口某・浅岡某が最上家に対して天童領の川原子で挙兵するが鎮圧される。
六月
 伊達政宗(19歳)と芦名家との抗争により、伊達家と対立する最上家ら周辺の諸大名が同盟し伊達家包囲網が形成される。
七月
 羽柴秀吉(50歳)、関白に就任し東北地方の諸大名に武威を示す書状を送る。

天正十四(1586)年
七月
 伊達政宗(20歳)と佐竹義重(40歳)・芦名家同盟、相馬義胤(39歳)の仲介により和平を結ぶ(奥口総和)。

○佐竹義重の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力84、統率力83、知略82

○相馬義胤の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力50、統率力71、知略46

十一月
 最上義光(42歳)と庄内地方の大名・大宝寺義興(33歳)、伊達政宗の仲介により和平を結ぶ。

○大宝寺義興の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力36、統率力37、知略41

十二月
 関白・豊臣秀吉(51歳)、関東・東北地方の諸大名に惣無事令を発する。

天正十五(1587)年
十月
 伊達家家臣・鮎貝宗信(?歳)、出羽国鮎貝城で謀反を起こし籠城するが伊達軍に鎮圧され最上家に亡命する。
 東禅寺義長(44歳)、大宝寺義興(34歳)に対して挙兵し、最上義光(43歳)も和議を破り大宝寺領に侵攻する。
十一月
 最上義光、大宝寺義興の居城・尾浦城を落城させ義興を山形城に連行し自害させる。

天正十六(1588)年
正月
 伊達政宗(22歳)、陸奥国大名・大崎義隆(41歳)の家中騒動に乗じて兵一万を動員して大崎領に侵攻し、義隆は中新田城に籠城する。
二月
 大崎義隆、伊達家重臣・黒川晴氏(66歳)の寝返りや義弟・最上義光(44歳)による兵五千の援軍を得て伊達軍を撃退する。

○黒川晴氏の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力39、統率力61、知略63

四月
 最上義光(44歳)、伊達領の陸奥国秋保(あきう)に侵攻するが兵百を討ち取られ撤退する。
五月
 最上義光、関白・豊臣秀吉(53歳)の大使・金山宗洗を山形城に招き、惣無事令に従い出羽国の統治を進める約定を交わす。
六月
 佐竹義重(42歳)・芦名義広(佐竹義重の次男 24歳)連合軍、伊達家の陸奥国郡山城を包囲し膠着状態となる。(郡山合戦)

○芦名義広の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力47、統率力46、知略23

七月
 大崎義隆・最上義光連合軍、伊達家との和睦を成立させ撤兵する。
 佐竹義重・芦名義広連合軍、伊達家との和睦を成立させ撤兵する。

天正十七(1589)年
?月
 最上義光の弟・長瀞義保(?歳)の嫡男・松根光広、誕生。
正月
 関白・豊臣秀吉(54歳)、伊達政宗(23歳)に書状で上洛を要求する。
十一月
 関白・豊臣秀吉、関東地方の大名・北条家の討伐を決定する。

天正十八(1590)年
五月
 最上栄林、死去(70歳)。

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