ヘヘヘイど~もこんばんは! そうだいでございます。今日も暑い中、みなさまお疲れ様でございました!
いや~、ひどい! なにがひどいって、今回は例によって、いつもの「荒俣宏の『帝都物語』関連作品を読む」企画の更新なのですが、なんだよこれ~!?
今回扱う本はですね、現在最も手に入りやすい形は角川文庫のバージョンになるのですが、角川文庫で270ページくらいの本なんですよ。つまり、一般的な感覚でいうと「うすい文庫本」の部類に入ると思うんですよ。
それが、なに!? そんなうすめの本の登場人物と専門用語の解説だけで、記事の文量が1万字を超えてるって!!
もうむちゃくちゃだよ……恐るべし、荒俣ワールド!! 1冊読んだだけで、この情報量! 知識カロリー高すぎでしょ!! まぁ、普段の生活で役に立ちそうな知識はかなり少ないですが……ていうか、魔除けの知識が役に立っちゃうような局面にはおちいりたくない。
『陰陽師鬼談 安倍晴明物語』(2000年10月)
『陰陽師奇談 安倍晴明物語』(おんみょうじきだん あべのせいめいものがたり)は、荒俣宏の時代伝奇小説。当初は『夢々 陰陽師鬼談』という題名で角川書店から単行本が出版されたが、2003年8月に角川文庫で文庫化された際に改題された。
のちに出版された『帝都物語』シリーズの解析書『帝都物語異録』(2001年12月 原書房)での荒俣の解説によると、本作は荒俣が『帝都物語』の執筆を開始した1979年ごろに並行して執筆していた伝奇ロマン連作小説『平安鬼道絵巻 ヒーローファンタジー・九つの鬼絵草紙』(1986年2月 東京三世社)がベースになっている。また荒俣は、本作で安倍晴明をヒーローとして描いたため、その反対に陰陽師を悪役にした小説を書こうと思い立ち『帝都物語』の魔人・加藤保憲が誕生したと語っている。
あらすじ
そこに立った子どもは、不思議な面立ちをしていた。その顔は、最近都で流行り出した舞楽の面のようだった。風が吹くと、赤毛がふわりとふくらむ。異国の香りを漂わせるその風貌には、高貴なたたずまいと、恐ろしく異質なあやかしの気配とが同居していた。
今をさかのぼる千年前、平安の世で活躍した陰陽師・安倍晴明の秘められた物語。
おもな登場人物
聖徳太子厩戸皇子(しょうとくたいしうまやどのみこ 574~622年)
飛鳥時代の第三十一代用明天皇(?~587年)の第二皇子。叔母の第三十三代推古天皇(554~628年)の摂政として、大臣・蘇我馬子(551~626年)と共に政治を行い、遣隋使を派遣して中国大陸の隋帝国(581~618年)から進んだ文化や制度をとりいれて「冠位十二階」や「十七条憲法」を定めるなど、天皇を中心とした中央集権国家体制を確立した。また、中国伝来の仏教を厚く信仰して興隆に努め、没後には聖徳太子自身も日本の仏教で尊崇され、「太子信仰」となっていった。
伝説によると、六歳の時(579年)に空を飛ぶ黒馬に乗って朝鮮半島に渡り陰陽学を学び、法華経を日本に持ち帰ったとされる。
橘大郎女(たちばなのおおいらつめ ?~?年)
聖徳太子の妃。第三十代敏達天皇(538~85年)の皇子・尾張皇子(?~?年)の娘で推古天皇の孫にあたる。聖徳太子との間に1男1女をもうけた。聖徳太子の妃たちの中で最も気丈な性格で、大臣・蘇我馬子の権力増大を容認し、異国の仏教や陰陽学に過度に傾倒して夜叉を使役する夫の行動に疑念を抱く。
吉備 真備(きびのまきび 695~775年)
奈良時代の学者・公卿。養老元(717)年に遣唐使留学生として阿倍仲麻呂らと共に唐帝国に入り、陰陽学・天文学・兵法・陣法・暦数などを学びながら皇帝皇子の家庭教師を務めた。天平七(735)年に数多くの漢籍を携えて帰国し朝廷で重用され大納言まで昇進し、天平勝宝四(752)年に藤原清河の率いる第12次遣唐使に参加して再び唐に渡り、かつての盟友・阿倍仲麻呂と共に帰国しようと図る。唐にて「奇門遁甲の術」や「夢買いの術」を習得する。
阿倍 仲麻呂(あべのなかまろ 698~770年)
奈良時代の学者・貴族。養老元(717)年に遣唐使留学生として阿倍仲麻呂らと共に唐帝国に入り、陰陽学・宿曜経などを学びながら皇帝皇子の家庭教師を務め、そのまま帝国の首都・長安で高官として勤め上げた。天平勝宝四(752)年に藤原清河の率いる第12次遣唐使が来唐した際に、唐皇帝玄宗に日本への帰国を申し出るが許可されず、清河やかつての盟友・吉備真備と共謀して翌年に無断帰国を図る。陰陽学の師である唐の伯道仙人の愛弟子だった、龍宮の龍王の娘・龍女との間に嫡男・満月丸をもうけている。
鑑真(がんじん 688~763年)
唐帝国の高僧。日本に僧侶の授戒制度を伝えるべく渡海を目指すが5回失敗して失明してしまう。藤原清河や吉備真備らの遣唐使の帰国船に内密に乗船し、天平勝宝六(754)年についに悲願の来日を果たした。日本の南都六宗のひとつ「律宗」の開祖となった。
藤原 秀郷(ふじわらのひでさと 885?~991?年)
平安時代中期の豪族、武将。下野国大掾・藤原村雄の子。承平年間(931~38年)に近江国の瀬田大橋で、全長20丈(60m)の白い大蛇と琵琶湖の龍神に遭遇する。
平 将門(たいらのまさかど 903~40年)
平安時代中期の関東地方の豪族。第五十代桓武天皇の皇胤。下総・常陸国で発生した平氏一族の抗争を関東地方全体を巻き込む戦乱へと拡大させ、京の朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を宣言したが、朝廷の派兵した武将・藤原秀郷らによって討伐された。その死後に日本を代表する大怨霊のひとりとなったが、同時に守護神・鎮守神としても民衆から大事に尊崇・信仰された。
秀郷に討ち取られた将門の首は京へ運ばれたが、首の無くなった身体は自分の首と秀郷を追って下総国から武蔵国までやって来た。秀郷は将門の身体を埋めて封印し、そこを「骸(からだ)明神」として祀った。これが現在の「神田明神」の始まりであるとされる。
安倍 晴明(あべのせいめい 921~1005年)
平安時代の大陰陽師、天文博士にして、日本最大の白魔術師。当時の呪術コンサルタントとして皇族や貴族・民衆の間で絶大な信望を集めた。
本作の設定では、遣唐使として唐帝国に渡り陰陽学を修めた貴族・阿倍仲麻呂と龍宮の龍王の娘・龍女との間に生まれた子・満月丸の曽孫にあたり、幼少期は童子丸と名付けられ摂津国阿倍野で「狐の子」と呼ばれ貧しい生活を送っていた。しかし10歳の時(930年)に仲麻呂と龍女の陰陽学の師である伯道仙人や龍女の父・龍王と出逢い、龍王の末娘の息長姫(おきながひめ)と婚姻する。その後、龍王から授かった秘宝を駆使して応和元(961)年に内裏の怪事件を解決し、朝廷に仕えるようになる。のっぺりとした狐のような顔をして、明るい赤毛の男。
※本作では晴明は阿倍仲麻呂の直系の子孫とされているが、阿倍家は飛鳥時代の7世紀初期に「布勢系」と「引田系」に分かれており、晴明は布勢系で仲麻呂は引田系であるため、これは架空の設定である。また、晴明が「阿倍」姓を「安倍」姓に改めたというのも架空の設定で、実際に安倍姓になったのは平安時代初期の8世紀末~9世紀前半のこと(晴明誕生の約100年前)とされている。
息長姫(おきながひめ)
龍宮の龍王の末娘で、安倍晴明の6歳年上の正妻。亀に化けて摂津国住吉の浦に現れた時に子どもに捕まり、いじめられていたところを童子丸(のちの晴明)に助けられ、一目惚れして婚姻した。晴明に嫁ぐ際に「鯛ノ女(たいのめ)」と「海松ノ巫女(みるのみこ)」という侍女を龍宮から連れてきている。
賀茂 保憲(かものやすのり 917~77年)
平安時代中期の貴族・陰陽師。同じく陰陽師の丹波権介・賀茂忠行の嫡男。安倍晴明の陰陽道の兄弟子にあたる。父・忠行と同じく『白衣観音経』を修めた陰陽道の達人で、当時の陰陽道の模範とされるほどの評価を得ており、また暦道も究め、日本の暦法の発展は彼がいなければあり得なかったといえる。
天慶四(941)年に造暦の宣旨を受けて以降、暦博士・天文博士・陰陽博士・陰陽頭・穀倉院別当・主計頭を歴任し、天延二(974)年には造暦の功により従四位上に叙せられる。これは当時の陰陽師の中では異例に昇進が早く、従五位下だった父・忠行よりも位階が上になっていた。
陰陽道のうち、暦道を子・光栄に、天文道を安倍晴明に継がせて、陰陽道宗家を二分した。
※本作では忠行・保憲父子の出た賀茂家は吉備真備の子孫とされているが、これは後世の創作である。
芦屋 道満(あしや どうまん 958?~1009年以降)
平安時代中期の法師陰陽師(民間の陰陽師)。播磨国岸村(現・兵庫県加古川市)の出身とも伝えられているが、実像については不明な点が多い。
本作では、朝鮮半島からの渡来人の血を引き、播磨国天下原(あまがはら)の古墳で先祖の霊や怨霊を鎮めていたが、応和元(961)年に内裏の怪事件を解決するために、新内裏造営の責任者である右大弁・橘元方に招聘されて京に上り、安倍晴明・賀茂保憲と対決する。3体の式神を使役していたが、意図して封印し京には連れて来なかった。乱れた長髪で手作りの紙製の冠をかぶり、くっきりした二重まぶたで唇の厚い青年。法師陰陽師ではあるが、朝廷にとり立てられて陰陽寮の博士になることを密かに望んでいる。星の仏である虚空蔵菩薩の法力を借りる「求聞持法(ぐもんじほう)」を得意とする。
源 高明(みなもとのたかあきら 914~83年)
平安時代中期の公卿。第六十代醍醐天皇の第十皇子。左大臣。皇族出身という高貴な身分に加えて学問に優れ朝儀にも通じており、また当時の政界実力者だった右大臣・藤原師輔やその娘の中宮・安子の後援も得て朝廷で重んじられた。しかし師輔・安子父娘の死後には藤原家に忌まれ、安和二(969)年の政変「安和の変」で失脚し、政界から退いた。京の内裏の北東に位置する右京四条に壮麗な豪邸を構えていた。
渡辺 源次 綱(わたなべのげんじ つな 953~1025年)
平安時代中期の武将。第五十二代嵯峨天皇を祖に持つ嵯峨源氏の子孫で、渡辺家の始祖。武将・源頼光の4人の重臣「頼光四天王」の筆頭として知られる。京の一条堀川戻橋で美女に化けた大鬼・茨木童子と対決する。左源太と右源太という郎党がいる。主君の頼光から、源氏重代の名刀「髭切(ひげきり)」を拝借している。
源 頼光(みなもとのよりみつ 948~1021年)
平安時代中期の武将で渡辺綱の主君。鎮守府将軍・源満仲の嫡男で清和源氏第三代。名前はしばしば「らいこう」とも読まれる。父・満仲が史上初めて武士団を形成した摂津国多田(現・兵庫県川西市)を相続し、その子孫は「摂津源氏」と呼ばれる。
のちに実の兄弟である丑御前の抹殺を父・満仲に命じられる。
※本作における丑御前の反乱は天暦十(956)年に起きた事件に設定されているため、頼光の年齢と合っていない。
源 丑御前(みなもとのうしごぜん 941年~)
源満仲の息子で、頼光の弟。身長8丈(約2.4m)で2本の長い牙と四方に伸びた黒髪の間に2本の角を持つ異形の姿で、瞳は炎のように赤く輝いている。大きな杉の木を引き抜く怪力と韋駄天のように素早く走る脚力を持ち、その恐ろしい声には大和国の山中の熊もおびえる。
清和源氏の家に生まれながらも、自分を強引に日本に連れてきた吉備真備の末裔である陰陽師を深く恨む牛頭天王の神意を胎内に宿したという母親の夢告と、3年3ヶ月にわたる異常に長い妊娠を大いに畏れた父・満仲が生まれた丑御前を殺すように命じ、それを不憫に感じた母が、乳母の須崎の方に密かに丑御前を連れて大和国の山中に逃れるようにはかった。天慶四年辛丑の年の三月二十五日丑の日の丑の刻に生まれたため「丑御前」という幼名を名付けられた。
乳母・須崎の方とその夫・勝馬、2人の息子のひのくま宗虎の3人を家臣に従え、自分を殺そうとした父・満仲への復讐心に燃えて関東地方にくだり、かつて平将門が拠点とした下総国の相馬御所で将門の霊意を得て挙兵する。
※本作では丑御前は源頼光の弟と設定されているが、天慶四年生まれの丑御前は、天慶の次の年号の天暦年間生まれの頼光よりも明らかに年上である。
源 満仲(みなもとのみつなか 912~97年)
平安時代中期の武将。武蔵権守。六孫王経基の嫡男で清和源氏第二代。多田源氏の始祖。
牛頭天王の祟りを受け3年3ヶ月の異常な妊娠期間を経て生まれた異形の息子・丑御前を恐れて殺そうとするが失敗し、大和国の山中に逃れて16歳となった丑御前の抹殺を、同じ息子の頼光に命じる。
芦屋 宗源(あしや そうげん)
安倍晴明の若い弟子の陰陽師。晴明に従いながらも、源満仲・頼光父子の策謀に加わり宇治の橋姫と契ろうとする晴明の企てを、晴明の正妻の息長姫に密告する。黒いひげをたくわえ眼光の鋭い行者風の青年。式神を駆使することができる。芦屋道満との関係は不明。
坂田 金時(さかたのきんとき 956~1011年)
平安時代中期の武将。武将・源頼光の4人の重臣「頼光四天王」の一人。幼名・金太郎。駿河国の足柄山(現・静岡県小山町)で育ち、天延四(976)年に足柄峠を訪れた源頼光にその力量を認められて家来となった。武者としての誠を重んじる実直な性格で、実の息子または兄弟である丑御前を策謀に陥れて殺そうとする満仲・頼光父子に真っ向から異を唱える。
※本作における丑御前の反乱は天暦十(956)年に起きた事件に設定されているため、金時の年齢と合っていない。
おもな専門用語
亀卜(きぼく / かめうら)
古代中国大陸の殷王国の時代(紀元前16世紀~紀元前1046年)から広く行われていた、亀の甲羅に火を当てて生じる亀裂の形や方向を見て神意を読み取る占術。中国大陸に伝わる、洛水の神亀の甲羅に大地を治める秘法が記してあったという古代神話に由来する。のちに新しい占術「易」が開発されてからも亀卜の権威は保たれ、易で意見がまとまらない場合や国家の一大事の最終決断には亀卜が用いられた。
古代日本でも亀卜は占術の最高権威とされ対馬国の卜部家が伝承していたが、手順が難解煩雑であるために滅多に行われなくなり、次第に衰退した。
易(えき)
古代中国大陸の周王国の時代(紀元前1046~紀元前256年)に開発された占術で、50本の細い棒「筮竹(ぜいちく)」を無作為に分けて神意を読み取る。殷王朝の亀卜よりも簡単・確実に占うことができる。
陰陽(いんよう / おんみょう)
中国大陸で古代から伝えられてきた思想で、世界を動かしている昼の天に輝く太陽の力「陽」と、夜の暗い空に浮かぶ太陰(月)の力「陰」のこと。この世にあるすべての事物、森羅万象の成り立ちは、この陰と陽の力のバランスの変化によって生まれる。
五行(ごぎょう)
天に輝く5つの惑星「青の木星」、「赤の火星」、「黄の土星」、「白の金星」、「黒の水星」のこと。この世界のすべての事物はこの5種類に分類できるとされ、方角に関しては中国大陸から見て青い海のある東が「木」、暑く赤い大地のある南が「火」、白い雪の降り積もる崑崙山脈や天山山脈のある西が「金」、暗い夜空のある北が「水」、黄砂の大地の広がる中央が「土」となる。また、季節については春が「木」、夏が「火」、秋が「金」、冬が「水」、それらの4季節の変わり目となる終わりの2週間が「土」となる(土用の丑の日の語源)。
相性(あいしょう)
五行同士にある力関係のことで、相性が良いもの同士は力を出し合い、相性が悪いもの同士は力をそぎ合う。「木と火」、「火と土」、「土と金」、「金と水」は相性が良く、「木と土」、「火と金」、「土と水」、「金と木」、「水と火」は相性が悪い。
陰陽学(いんようがく)
古代中国大陸に伝わる「陰陽」と「五行」の思想に基づき、亀卜や易の吉凶の判定を体系化したり、実際の天文の運行に合うように研究・改良を進めてきたりした学門のこと。漢帝国の時代(紀元前206~紀元後220年)までは陰陽の関係が重視されてきたが、唐帝国の時代(618~907年)になると五行の分類が注目されるようになり、この時の五行研究が遣唐使を通じて日本に伝来することとなった。同時に、西洋占星術と起源を同じくするインド発祥の占術「宿曜経(すくようぎょう)」を広めていた仏教の僧侶たちも陰陽学を吸収し修めるようになった。日本に陰陽学を伝えたのは朝鮮半島の僧侶たちだったとされている。
日本では天武天皇(?~686年)が在位五(676)年に、陰陽学を学び実践する役所「陰陽寮」を開設し、そこから日本独自に陰陽学を修める宮廷官僚を「陰陽師(おんみょうじ)」、陰陽師たちの学問と技術を「陰陽道(おんみょうどう)」と呼ぶようになった。
法師陰陽師
古代朝廷は日本の陰陽道を独占するために陰陽寮の官人のみに陰陽師を限定し、もともと日本に陰陽学を伝えていた僧侶が陰陽師になることを禁止したが、それ以前に中国大陸から渡来していた仏教系の陰陽学はすでに民間に広く伝わっており、朝廷の傘下に入ることを嫌った呪術師たちが国家非公認の法師陰陽師となり、陰陽寮の陰陽師と対立する存在となっていった。
夜叉(やしゃ)
もとは人を喰う邪悪な存在であったが、仏法を守護する四天王のひとり毘沙門天に敗れ配下にくだり、仏法を学んで悟りを開き仏法の守護者となった鬼神や精霊たちのこと。陰陽学を修めた僧侶「方士(ほうし)」に奉仕し、方士に使役されて四方位から襲ってくる外敵や悪霊を撃退したり、墓に眠る先祖の霊を守護したりする役目を担った。人々に不老長寿をもたらし、金銭を儲けさせる神通力を持っている。人間の大人と同じくらいの背丈で身体は青黒く、腕が4本あり、頭髪は炎のように燃え上がっている。非常に気前の良い性格。
蘇民将来(そみんしょうらい)
8世紀中期に中国大陸から日本に伝来した、祇園社の牛頭天王に祈願する際に護符と八角形の柱に記す名前で、牛頭天王は疫病や天変地異をもたらし人々を呪う強力な祟り神であるが、この護符を持つ民に対しては災厄や疫病を祓い福を招く神になるとして信仰されている。陰陽道では「天徳神」と同一視され、民衆は蘇民将来の子孫であることを示すために茅の輪を身に着けていたという。
簠簋内伝金烏玉兎集(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)
龍宮の龍王が所有していた、陰陽学と天文知識を伝える秘伝書。星の動きを知り、未来を予知し、大地の祟りを鎮めることができる禁断の秘術が記されている。
摩睺羅伽(まごらが)
仏教を守護する護法善神「天龍八部衆」の一尊。サンスクリット語で「偉大なる蛇」を意味するマホーラガが名前の語源。もとは古代インドの音楽の神で、ニシキヘビのような大蛇を神格化したものである。本作では、日本に持ち出された『簠簋内伝金烏玉兎集』を取り返そうとする龍王の命により、百本の脚を持つ巨大なムカデの姿となり近江国の三上山に出現した。
宿曜経(すくようぎょう)
陰陽学とは全く異なる、西洋占星術と起源を同じくする古代インド発祥の星の知識を駆使する占術の経典で、仏教の秘儀と共に高僧・三蔵法師玄奘(602~64年)が中国大陸に伝えた。大乗仏教の一尊である、叡智の仏・文殊菩薩の教えとされる。中東アジアの古代メソポタミア文明を発祥とする、天を12に区分してそれぞれに聖獣を配置した「黄道十二宮」などの天文学も導入されており、陰陽学と共に日本の陰陽道の重要知識のひとつとなった。
緊那羅(きんなら)
もとは古代インド神話に登場する、夜叉と共に創造神ブラフマー(梵天)のつま先から生まれた音楽の神だったが、護法善神「天龍八部衆」の一尊となった。歌と踊りに秀でて特に歌が美しいといわれる。男性のキンナラは半人半馬だが、女性のキンナリーは美しい天女で、ときおり地上に舞い降り水浴びなどして遊ぶという。
日本では、神でも人間でも動物でも鳥でもない半身半獣の生物とされるため「人非人」とも呼ばれ、半人半鳥の音楽神・乾闥婆(ガンダルヴァ)と同様に帝釈天(インド神話のインドラ)の眷属となっている。
本作では、京の内裏の北東にある左大臣・源高明の邸宅に巣食う、仏教の力で人間になることを夢みる零落した小鬼として登場する。
乾闥婆(けんだつば)
もとは古代インド神話に登場する、英雄神インドラ(帝釈天)に仕える半人半鳥の音楽の神ガンダルヴァで、女好きで性欲が強いが処女の守護神でもあるとされる。女性のガンダルヴァも存在する。酒や肉を喰らわず香りを栄養とし、自身の身体からも冷たく濃厚な香気を発する。サンスクリット語でガンダルヴァとは「変化が目まぐるしい」という意味であり、蜃気楼のことをガンダルヴァの居城にたとえて「乾闥婆城( gandharva-nagara)」とも呼ぶ。古代ギリシア神話の牧神パンと同源であると推定されている。仏教では護法善神「天龍八部衆」の一尊となっている。
本作では、他の娘の家に泊まり込むようになった夫を強く恨んだ妻が化身した、白髪で全身が青い鬼女として登場する。
三十番神(さんじゅうばんじん)
日本の仏教と陰陽道の中でできた守護神の概念。天台宗の宗祖である伝教大師最澄(762~822年)が、日本の国土と法華経の布教を守るために、月に1日の持ち回りで守護する30の仏神を定めたもの(例:毎月の一日は熱田大明神、二日は諏訪大明神、三日は広田大明神など)。特にその中でも、日本の王都である平安京を守護する役割が分担されており、将軍塚に鎮座して朱雀以東を守る青龍八神、石清水八幡宮に鎮座して九条以南を守る朱雀八神、鳴滝川に鎮座して西洞院以西を守る白虎八神、一条以北を守る玄武八神がいる。
式神(しきがみ)
単に「式」ともいう。吉凶を占い、魔を祓う陰陽師に使役される目に見えぬ鬼といわれ、陰陽師が創った人造人間ともいわれる。人を呪う時に式神が放たれ、式神は呪う相手にとり憑き、生命をおびやかす。呪われた人は一瞬でも早く、より強力な陰陽師に頼んで相手に式神を打ち返さない限り、助からない。
十二神将(じゅうにしんしょう)
式神の中でも、特に安倍晴明が使役していた式神たちのこと。もともと晴明の邸宅の南門の梁に棲みついていたが、晴明の正妻・息長姫が彼らを忌み嫌ったため、晴明が自身の邸宅に近い京・一条堀川戻橋の下に置いて必要時に召喚していた。
茨木童子(いばらきどうじ)
平安時代中期に、大江山(丹波国にあったとされるが、現在の京都市と亀岡市の境にある大枝山という説もある)を本拠に、貴族の子女を誘拐するなど乱暴狼藉をはたらき京の都を荒らし回ったとされる鬼のひとりで、鬼の棟梁・酒呑童子(しゅてんどうじ)の最も重要な家来。舞の上手な美女に化けて、武将・源頼光の4人の重臣「頼光四天王」の一人である渡辺綱と一条堀川戻橋で闘った故事が、後世の説話集や能、謡曲、歌舞伎などで語り継がれている。
本作では、もと晴明の式神十二神将のひとりだったという設定で、宇治の橋姫と同一人物となっている。
橋姫(はしひめ)
日本各地に古くからある大きな橋にまつわる多くの伝承に現れる鬼女・女神。外敵の侵入を防ぐ橋の守護神として祀られていることもあり、古代の水神信仰が起源といわれている。橋姫は嫉妬深い神ともいわれ、橋姫の祀られた橋の上で他の橋を褒めたり、または女の嫉妬を語ると必ず恐ろしい目に遭うという。これは「愛らしい」を意味する古語の「愛(は)し」が「橋」に通じ、愛人のことを「愛し姫(はしひめ)」といったことに由来するなどの説がある。橋姫伝説の中でも、京都府宇治川の宇治橋、大阪市淀川の長柄橋、滋賀県瀬田川の瀬田大橋などが特に有名である。
本作では、渡辺綱の実母という設定で登場し、綱を生んだ後に他の女性を愛した夫が橋姫を捨てたために深く恨み、貴船明神に丑の刻参りを行って鬼女に化身した。そののちに宇治橋に移ったとされているが、もと晴明の十二神将のひとりだったという設定も加わり、茨木童子と同一人物となっている。
牛嶋神社(うしじまじんじゃ)
現在の東京都墨田区向島の隅田公園内にある、東京本所総鎮守の神社。社格は武蔵国郷社。
平安時代中期の貞観年間(859~79年)に慈覚大師円仁(794~864年)が当地を訪れた際に、須佐之男命(スサノオ / 牛頭天王)の化身の老翁から託宣を受けて創建したとされる。明治時代以前は「牛御前社」と呼ばれていた。例祭は毎年9月15日。
この神社には弘化二(1845)年に奉納された絵師・葛飾北斎の大絵馬『須佐之男命厄神退治之図』があったが、大正十二(1923)年の関東大震災で現物は焼失し、現在は原寸大の白黒写真が本殿内に掲げられている。なお、同作は2016年に色彩の推定復元が行われ、すみだ北斎美術館にて展示されている。
境内には「撫牛(なでうし)」と呼ばれる牛の石像があり、自分の身体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられている。また本殿前の鳥居は「三ツ鳥居」と呼ばれる珍しい形態の鳥居である。
アクセスは、都営地下鉄浅草線の本所吾妻橋駅から徒歩で約10分。
本作では浅草川(現・隅田川)で討たれた丑御前を祀るためにこの「丑御前神社」が創建されたという設定になっているが、本作における丑御前の反乱は天暦十(956)年に起きた事件に設定されているため、社伝とは合っていない。
……いや~もうめちゃくちゃ。すっごく面白いんですが、読むのにそうとう時間がかかっちゃった。1ページ1ページに盛り込まれた情報量が濃密すぎ!!
もうすでにここまでの時点で1万字を超えちゃってるので、いつもの我が『長岡京エイリアン』の他記事だったら前後編に分割しちゃうのですが、なんてったって、そんなにボリュームのない文庫本の感想なので、ささっと1回にまとめておしまいにしちゃいましょう。って言って、いつも「ささっと」まとめらんないのよねぇ~。
なんと言いましても、荒俣宏先生が、あの大陰陽師・安倍晴明を真正面から描くんですよ!? これはもう、おろそかにはできませんやね。
ところが……実際にこの本を読んでいきますと、ど~にもこ~にも不思議な「違和感」のようなものが残っていくのです。あれ? こんな感じ? みたいな。いや、十二分に面白いんですけど。
本作を読んで感じる不思議な違和感。それは、「筆のノリが異様にライト」で、「安倍晴明のキャラがふわっふわしている」ということなのです。
え? これ、『帝都物語』の中で、直接登場こそしてはいないものの、あの魔人・加藤保憲の「果たしえない最大の天敵」として陰ながらそうとうな影響力を与え続けてきた晴明さんですよね? こんな、亀を助けて龍宮城に行ったり、そこで結婚した龍女・息長姫に思いッきり尻に敷かれてへーコラしてたり、一条戻り橋に放し飼いにしてた十二神将のひとりがグレて鬼化したと聞いて内心「やべー……」と焦ったりしてる、野比のび太みたいなキャラでいいのか!?
そうなんです。この作品って、『帝都物語』シリーズとタッチが違いすぎるんですよね。双方ともに面白いというところはさすが荒俣先生なのですが、夢枕獏の『陰陽師』シリーズの大ヒットに端を発する「晴明さまブーム」華やかなりし2000年代に出版された作品としては、あまりにも軽くて、まるで子ども向け学習入門マンガのようなライトっぷり。しかも、よくよく読んでみると、安倍晴明が活躍するパートがかなり少ない! 晴明がお話の主人公になるのは本作の中盤だけで、前半はそもそも晴明が生まれる前の物語なので出てこないし、後半は後半で渡辺綱と茨木童子が主人公になるので、晴明は脇役ポジションにまわってしまうのです。少なくとも『安倍晴明物語』と銘打たれるべき出番の量じゃないんですよね。
なぜ? 異常に沸騰しきっていた晴明ブームのさなか、あの荒俣宏が満を持して安倍晴明を描いた本を出すというのに、この晴明に対する先生の「塩対応」っぷりは、なぜなのでしょうか。
その答えは、上の基本情報にも書いてある通り、本作が2000年代の晴明ブームなど予想できるはずもない、はるか昔の1980年代前後に執筆された作品だったからなのでした。なんだよこれ、ガワと題名だけ新しく貼り替えた旧作かよ!!
やられたぜ……さすがは、商魂たくましい角川書店さん! 私が持ってる文庫版なんか見てください、カバー画が思いッきり「美青年晴明サマ♡」な皇なつき先生の手になる、どこぞの草むらに座ってくつろぐ、白い狩衣姿の晴明のイラスト。「わたしが主人公ですが、なにか?」みたいな顔してますよこいつ。
詐欺とは言いませんけどね……売れるもんならなんでも売ってやろうというパトスがほとばしってますね。だったらだったで、いつ執筆されたかの経緯くらい、あとがきをちょちょっと書いて説明してくれよぉ~!
いちおう末尾に「2000年に刊行された『夢々 陰陽師鬼談』を改題・文庫化しました。」という説明があるのですが、これがさらに1979年に執筆されて1986年に刊行された作品のさらなる再販だとは夢にも思いませんでした……古古古米どころか「古代米」じゃねぇかァア!! ごちそうさまです。
『帝都物語』の執筆開始時期とほぼ同じ1979年に並行して執筆され、1986年に『平安鬼道絵巻 ヒーローファンタジー・九つの鬼絵草紙』として刊行。2000年に『夢々 陰陽師鬼談』となって再版され、最終的に『陰陽師鬼談 安倍晴明物語』として文庫化された、本作。作品に歴史ありですねぇ~!
ただ、単にタイトルだけを見てみても、この小説を売り込む大看板に「安倍晴明」をフィーチャーしてきたのがつい最近の2003年になってからで、「陰陽師」というワードを押し出してきたのも2000年になってからだった、という事実は実に興味深いです。つまり、『帝都物語』の作品世界ではもはや基本知識となっていた晴明や陰陽師という言葉も、1980年代の世間一般では全く通用しない「知る人ぞ知る」呪文のような存在だったということなのでしょう。2025年の今からすると、ちょっと想像がつかない浸透度ですよね。
ちなみに、1986年に東京三世社(なつかし~!! いろんなエロマンガの単行本買ってました)から出ていた『平安鬼道絵巻』のカバー画は、『初代・日ペンの美子ちゃん』で有名なマンガ家の中山星香先生による、額から角の生えた平安美女のバストショットということで、晴明なんかあっちいけの勢いで茨木童子が全面的にフィーチャーされたものとなっています。いや、ふつうにこの小説読んだらそうなりますって。
とまぁこんな感じで、本作は飛鳥時代の聖徳太子から平安時代後期の頼光四天王まで、400年にわたる日本のオカルト史を通観する「アラマタ流陰陽道入門」といった作品になっておりまして、安倍晴明はあくまでも、その中の主要キャラのひとりに過ぎません。そして、ここで描かれた「やや能天気で他力本願な陽キャヒーロー・晴明」を起点として、その180° 正反対な重さと野望、あふれんばかりの怨念と執念を持つアンチヒーローとして、あの魔人・加藤保憲が生まれたということからも、この後に『帝都物語』の中で描かれる晴明とはちょっと異質な軽さを持っていることは当然の理なのでありました。
先のことになりますが、本作が文庫化された翌年に書き下ろしの形で出版された『帝都物語異録』の中で描かれる晴明なんか、本作の晴明とはまるで別人ですよね……あの晴明も、生前はこんなひょろひょろフニャフニャした平安無責任男だったのかと! ま、パラレルワールドの関係なんでしょうけど。
あと、先ほど申しました通り、本作は確かに日本に渡来、独自に発展した陰陽道の400年の歴史を語るものにはなっているのですが、当たり前ながらもフィクション作品ですので、ここで語られる内容をそのまんま「正史」だと認識することは避けなければいけません。念のため。
上の情報でも触れているように、本作で語られる安倍晴明が阿倍仲麻呂の子孫であるという関係は江戸時代の説話や講談で広まった虚説でありまして、晴明のライバルとされる芦屋道満(でも本作ではあんまり活躍しない)に関する情報のほとんども、江戸時代以降の浄瑠璃『芦屋道満大内鑑』や、本作にも出た日本陰陽道の聖典『簠簋内伝金烏玉兎集』の、これまた江戸時代に成立したとされる注釈書『簠簋抄』から語られるようになったエピソードがほとんどです。「道満」という名前の法師陰陽師が平安時代中期にいたことは事実らしいのですが、具体的に何をしたのかの史料はきわめて少ないんですね。ここが、国家公務員だった晴明と民間業者だった道満との違いでしょうか。でも、どっちも1000年経っても信者ががっつりいるんだからものすごい!
他にも、聖徳太子が馬に乗って空を飛んで海外留学していたとか、源頼光の兄弟にあたる丑御前という人物がグレまくって関東地方で平将門もかくやという反乱を決起したとかいう、歴史的に見るとツッコミどころ満載な展開はあるわけなのですが、本作における荒俣先生のスタンスは明らかに、「真偽はどうでもいいから、現在に残っている説話のおもしろいやつはぜんぶ採用!」という、歴史の教科書なんかそっちのけの勢いで新たなる「オカルト日本史」を1980年代の日本に打ち立てんとする、まんま『帝都物語』と同じ姿勢だったのです。せんせ~!! そのまるでブレの無い志の鋼鉄っぷりに惚れちゃう♡
ここで間違ってならないのは、荒俣先生が面白い話を思いついて自由に書いているのではないということです。本作における一読荒唐無稽なでたらめに見えるエピソードの全てに、「なんかわかんないけどそういう話が残っている」という、日本各地に残る実在の説話のパワーがこもっているのです。江戸時代から初めて記述がみられるようになる説話といっても、その話が江戸時代に創作されたということにはならないのです。もしかしたら、それは晴明や道満が生きていた時代に実際にあったことが、たまたま「口述」だけで伝わっていたのかも知れず……
本作とほぼ同じノリで執筆されたと思われる、日本陰陽道のはじまりを語る伝奇小説に、あの『陰陽師』シリーズの夢枕獏先生による『平成講釈 安倍晴明伝』(1998年)があるのですが、これも「晴明くんと博雅くん」な本チャンシリーズとは直接の関連の無い自由奔放なファンタジー作となっておりましたね。夢枕先生と岡野玲子先生の、東京の紀伊国屋書店での合同サイン会に行ったなぁ~。
荒唐無稽とは言いますが、渡辺綱が茨木童子を斬ったという名太刀「髭切」や東京の牛嶋神社など、オカルトファンタジーそのものな本作の中に登場するアイテムや土地がちゃんと現存しているというところも面白いですよね!
特に「髭切」は、まぁ、これが髭切だと伝わる太刀は何振りかあるらしいのですが、いちばん有名なのは現在、京都の北野天満宮に所蔵されている「鬼切安綱(おにきりやすつな)」(重要文化財、東京都立博物館所蔵の「童子切安綱」とは別物)で、実はこれ、頼光→源氏嫡流→源将軍三代→執権北条家→新田義貞→斯波高経と代々継承されていき、高経の弟の斯波家兼の奥州管領としての東北地方下向から始まる「最上家」累代の家宝として守られてきたのです。
うわ~お! ということは、綱が茨木童子を斬ったという日本有数の魔剣を戦国時代に所有していたのは、我らが山形の最上義光さまだったってわけなのか! やまがだのほごりだずねぇ~。これ、東北最大の怨霊アテルイ対策!? 絶対そうだよね!?
先ほど言ったように、本物の髭切(鬼切安綱)は残念ながら山形には無いのですが、山形市のその名も「最上義光歴史館」(入館無料)という場所に行くと、安綱の実物大の写真は展示されています。長さ84cm! 写真ですら、かなりでっかくて迫力あります。
とまれ、本作『陰陽師鬼談』は、『帝都物語』の派生作品というよりは、もっと年上の「お姉さん」のような立ち位置のオカルトファンタジーなので、私のように『帝都物語』ありきで読むと、あまりもの雰囲気の違いにちょっと面食らうところもあるかも知れません。
でも、まず面白さはバッチリ保障ですし、特に後半の渡辺綱と茨木童子(=橋姫)の複雑な因縁・愛憎関係は、確かに『帝都物語』に通じる「濃ゆさ」を予兆させるものとなっています。このカップリングを成立させるためにも、本作の晴明は部下管理能力ゼロの無責任ダメ上司でなけりゃいけないのよね!
あと、これは後の話になってしまいますが、本作で晴明をぐぐいっと押しのけて日本史上屈指のゴブリンスレイヤー(悪鬼滅殺!!)となった主人公・渡辺綱は『妖怪大戦争 ガーディアンズ』(2021年)で再び荒俣ワールドの舞台に躍り出ることとなります。やったね!
こんな感じで、本作はあくまでも『帝都物語』を楽しむ上での「必読書」ではないのですが、ライトノベルもいける荒俣先生の筆力の幅や、日本陰陽道の虚実ないまぜとなった歴史の魅力もあらかた味わえる、恰好なる入門書となっております。文量も少なめ(でも内容は激濃……)なので、おヒマならば是非!
この勢いで、本作にもちらっと名前だけ出てきた大江山酒呑童子が主人公になった、荒俣先生の筆による『帝都物語 王都篇』も読んでみたかったですね~。あ、あと九尾の狐がブイブイ言わせる『妖姫篇』も! いやいや、それをやるんだったらいとしの鵼サマが暗雲ひきいてやって来る『凶雲篇』も!!
加藤重兵衛、どんだけ暗躍したらいいの……明治維新を迎えるまでに過労死するわ!!
いや~、ひどい! なにがひどいって、今回は例によって、いつもの「荒俣宏の『帝都物語』関連作品を読む」企画の更新なのですが、なんだよこれ~!?
今回扱う本はですね、現在最も手に入りやすい形は角川文庫のバージョンになるのですが、角川文庫で270ページくらいの本なんですよ。つまり、一般的な感覚でいうと「うすい文庫本」の部類に入ると思うんですよ。
それが、なに!? そんなうすめの本の登場人物と専門用語の解説だけで、記事の文量が1万字を超えてるって!!
もうむちゃくちゃだよ……恐るべし、荒俣ワールド!! 1冊読んだだけで、この情報量! 知識カロリー高すぎでしょ!! まぁ、普段の生活で役に立ちそうな知識はかなり少ないですが……ていうか、魔除けの知識が役に立っちゃうような局面にはおちいりたくない。
『陰陽師鬼談 安倍晴明物語』(2000年10月)
『陰陽師奇談 安倍晴明物語』(おんみょうじきだん あべのせいめいものがたり)は、荒俣宏の時代伝奇小説。当初は『夢々 陰陽師鬼談』という題名で角川書店から単行本が出版されたが、2003年8月に角川文庫で文庫化された際に改題された。
のちに出版された『帝都物語』シリーズの解析書『帝都物語異録』(2001年12月 原書房)での荒俣の解説によると、本作は荒俣が『帝都物語』の執筆を開始した1979年ごろに並行して執筆していた伝奇ロマン連作小説『平安鬼道絵巻 ヒーローファンタジー・九つの鬼絵草紙』(1986年2月 東京三世社)がベースになっている。また荒俣は、本作で安倍晴明をヒーローとして描いたため、その反対に陰陽師を悪役にした小説を書こうと思い立ち『帝都物語』の魔人・加藤保憲が誕生したと語っている。
あらすじ
そこに立った子どもは、不思議な面立ちをしていた。その顔は、最近都で流行り出した舞楽の面のようだった。風が吹くと、赤毛がふわりとふくらむ。異国の香りを漂わせるその風貌には、高貴なたたずまいと、恐ろしく異質なあやかしの気配とが同居していた。
今をさかのぼる千年前、平安の世で活躍した陰陽師・安倍晴明の秘められた物語。
おもな登場人物
聖徳太子厩戸皇子(しょうとくたいしうまやどのみこ 574~622年)
飛鳥時代の第三十一代用明天皇(?~587年)の第二皇子。叔母の第三十三代推古天皇(554~628年)の摂政として、大臣・蘇我馬子(551~626年)と共に政治を行い、遣隋使を派遣して中国大陸の隋帝国(581~618年)から進んだ文化や制度をとりいれて「冠位十二階」や「十七条憲法」を定めるなど、天皇を中心とした中央集権国家体制を確立した。また、中国伝来の仏教を厚く信仰して興隆に努め、没後には聖徳太子自身も日本の仏教で尊崇され、「太子信仰」となっていった。
伝説によると、六歳の時(579年)に空を飛ぶ黒馬に乗って朝鮮半島に渡り陰陽学を学び、法華経を日本に持ち帰ったとされる。
橘大郎女(たちばなのおおいらつめ ?~?年)
聖徳太子の妃。第三十代敏達天皇(538~85年)の皇子・尾張皇子(?~?年)の娘で推古天皇の孫にあたる。聖徳太子との間に1男1女をもうけた。聖徳太子の妃たちの中で最も気丈な性格で、大臣・蘇我馬子の権力増大を容認し、異国の仏教や陰陽学に過度に傾倒して夜叉を使役する夫の行動に疑念を抱く。
吉備 真備(きびのまきび 695~775年)
奈良時代の学者・公卿。養老元(717)年に遣唐使留学生として阿倍仲麻呂らと共に唐帝国に入り、陰陽学・天文学・兵法・陣法・暦数などを学びながら皇帝皇子の家庭教師を務めた。天平七(735)年に数多くの漢籍を携えて帰国し朝廷で重用され大納言まで昇進し、天平勝宝四(752)年に藤原清河の率いる第12次遣唐使に参加して再び唐に渡り、かつての盟友・阿倍仲麻呂と共に帰国しようと図る。唐にて「奇門遁甲の術」や「夢買いの術」を習得する。
阿倍 仲麻呂(あべのなかまろ 698~770年)
奈良時代の学者・貴族。養老元(717)年に遣唐使留学生として阿倍仲麻呂らと共に唐帝国に入り、陰陽学・宿曜経などを学びながら皇帝皇子の家庭教師を務め、そのまま帝国の首都・長安で高官として勤め上げた。天平勝宝四(752)年に藤原清河の率いる第12次遣唐使が来唐した際に、唐皇帝玄宗に日本への帰国を申し出るが許可されず、清河やかつての盟友・吉備真備と共謀して翌年に無断帰国を図る。陰陽学の師である唐の伯道仙人の愛弟子だった、龍宮の龍王の娘・龍女との間に嫡男・満月丸をもうけている。
鑑真(がんじん 688~763年)
唐帝国の高僧。日本に僧侶の授戒制度を伝えるべく渡海を目指すが5回失敗して失明してしまう。藤原清河や吉備真備らの遣唐使の帰国船に内密に乗船し、天平勝宝六(754)年についに悲願の来日を果たした。日本の南都六宗のひとつ「律宗」の開祖となった。
藤原 秀郷(ふじわらのひでさと 885?~991?年)
平安時代中期の豪族、武将。下野国大掾・藤原村雄の子。承平年間(931~38年)に近江国の瀬田大橋で、全長20丈(60m)の白い大蛇と琵琶湖の龍神に遭遇する。
平 将門(たいらのまさかど 903~40年)
平安時代中期の関東地方の豪族。第五十代桓武天皇の皇胤。下総・常陸国で発生した平氏一族の抗争を関東地方全体を巻き込む戦乱へと拡大させ、京の朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を宣言したが、朝廷の派兵した武将・藤原秀郷らによって討伐された。その死後に日本を代表する大怨霊のひとりとなったが、同時に守護神・鎮守神としても民衆から大事に尊崇・信仰された。
秀郷に討ち取られた将門の首は京へ運ばれたが、首の無くなった身体は自分の首と秀郷を追って下総国から武蔵国までやって来た。秀郷は将門の身体を埋めて封印し、そこを「骸(からだ)明神」として祀った。これが現在の「神田明神」の始まりであるとされる。
安倍 晴明(あべのせいめい 921~1005年)
平安時代の大陰陽師、天文博士にして、日本最大の白魔術師。当時の呪術コンサルタントとして皇族や貴族・民衆の間で絶大な信望を集めた。
本作の設定では、遣唐使として唐帝国に渡り陰陽学を修めた貴族・阿倍仲麻呂と龍宮の龍王の娘・龍女との間に生まれた子・満月丸の曽孫にあたり、幼少期は童子丸と名付けられ摂津国阿倍野で「狐の子」と呼ばれ貧しい生活を送っていた。しかし10歳の時(930年)に仲麻呂と龍女の陰陽学の師である伯道仙人や龍女の父・龍王と出逢い、龍王の末娘の息長姫(おきながひめ)と婚姻する。その後、龍王から授かった秘宝を駆使して応和元(961)年に内裏の怪事件を解決し、朝廷に仕えるようになる。のっぺりとした狐のような顔をして、明るい赤毛の男。
※本作では晴明は阿倍仲麻呂の直系の子孫とされているが、阿倍家は飛鳥時代の7世紀初期に「布勢系」と「引田系」に分かれており、晴明は布勢系で仲麻呂は引田系であるため、これは架空の設定である。また、晴明が「阿倍」姓を「安倍」姓に改めたというのも架空の設定で、実際に安倍姓になったのは平安時代初期の8世紀末~9世紀前半のこと(晴明誕生の約100年前)とされている。
息長姫(おきながひめ)
龍宮の龍王の末娘で、安倍晴明の6歳年上の正妻。亀に化けて摂津国住吉の浦に現れた時に子どもに捕まり、いじめられていたところを童子丸(のちの晴明)に助けられ、一目惚れして婚姻した。晴明に嫁ぐ際に「鯛ノ女(たいのめ)」と「海松ノ巫女(みるのみこ)」という侍女を龍宮から連れてきている。
賀茂 保憲(かものやすのり 917~77年)
平安時代中期の貴族・陰陽師。同じく陰陽師の丹波権介・賀茂忠行の嫡男。安倍晴明の陰陽道の兄弟子にあたる。父・忠行と同じく『白衣観音経』を修めた陰陽道の達人で、当時の陰陽道の模範とされるほどの評価を得ており、また暦道も究め、日本の暦法の発展は彼がいなければあり得なかったといえる。
天慶四(941)年に造暦の宣旨を受けて以降、暦博士・天文博士・陰陽博士・陰陽頭・穀倉院別当・主計頭を歴任し、天延二(974)年には造暦の功により従四位上に叙せられる。これは当時の陰陽師の中では異例に昇進が早く、従五位下だった父・忠行よりも位階が上になっていた。
陰陽道のうち、暦道を子・光栄に、天文道を安倍晴明に継がせて、陰陽道宗家を二分した。
※本作では忠行・保憲父子の出た賀茂家は吉備真備の子孫とされているが、これは後世の創作である。
芦屋 道満(あしや どうまん 958?~1009年以降)
平安時代中期の法師陰陽師(民間の陰陽師)。播磨国岸村(現・兵庫県加古川市)の出身とも伝えられているが、実像については不明な点が多い。
本作では、朝鮮半島からの渡来人の血を引き、播磨国天下原(あまがはら)の古墳で先祖の霊や怨霊を鎮めていたが、応和元(961)年に内裏の怪事件を解決するために、新内裏造営の責任者である右大弁・橘元方に招聘されて京に上り、安倍晴明・賀茂保憲と対決する。3体の式神を使役していたが、意図して封印し京には連れて来なかった。乱れた長髪で手作りの紙製の冠をかぶり、くっきりした二重まぶたで唇の厚い青年。法師陰陽師ではあるが、朝廷にとり立てられて陰陽寮の博士になることを密かに望んでいる。星の仏である虚空蔵菩薩の法力を借りる「求聞持法(ぐもんじほう)」を得意とする。
源 高明(みなもとのたかあきら 914~83年)
平安時代中期の公卿。第六十代醍醐天皇の第十皇子。左大臣。皇族出身という高貴な身分に加えて学問に優れ朝儀にも通じており、また当時の政界実力者だった右大臣・藤原師輔やその娘の中宮・安子の後援も得て朝廷で重んじられた。しかし師輔・安子父娘の死後には藤原家に忌まれ、安和二(969)年の政変「安和の変」で失脚し、政界から退いた。京の内裏の北東に位置する右京四条に壮麗な豪邸を構えていた。
渡辺 源次 綱(わたなべのげんじ つな 953~1025年)
平安時代中期の武将。第五十二代嵯峨天皇を祖に持つ嵯峨源氏の子孫で、渡辺家の始祖。武将・源頼光の4人の重臣「頼光四天王」の筆頭として知られる。京の一条堀川戻橋で美女に化けた大鬼・茨木童子と対決する。左源太と右源太という郎党がいる。主君の頼光から、源氏重代の名刀「髭切(ひげきり)」を拝借している。
源 頼光(みなもとのよりみつ 948~1021年)
平安時代中期の武将で渡辺綱の主君。鎮守府将軍・源満仲の嫡男で清和源氏第三代。名前はしばしば「らいこう」とも読まれる。父・満仲が史上初めて武士団を形成した摂津国多田(現・兵庫県川西市)を相続し、その子孫は「摂津源氏」と呼ばれる。
のちに実の兄弟である丑御前の抹殺を父・満仲に命じられる。
※本作における丑御前の反乱は天暦十(956)年に起きた事件に設定されているため、頼光の年齢と合っていない。
源 丑御前(みなもとのうしごぜん 941年~)
源満仲の息子で、頼光の弟。身長8丈(約2.4m)で2本の長い牙と四方に伸びた黒髪の間に2本の角を持つ異形の姿で、瞳は炎のように赤く輝いている。大きな杉の木を引き抜く怪力と韋駄天のように素早く走る脚力を持ち、その恐ろしい声には大和国の山中の熊もおびえる。
清和源氏の家に生まれながらも、自分を強引に日本に連れてきた吉備真備の末裔である陰陽師を深く恨む牛頭天王の神意を胎内に宿したという母親の夢告と、3年3ヶ月にわたる異常に長い妊娠を大いに畏れた父・満仲が生まれた丑御前を殺すように命じ、それを不憫に感じた母が、乳母の須崎の方に密かに丑御前を連れて大和国の山中に逃れるようにはかった。天慶四年辛丑の年の三月二十五日丑の日の丑の刻に生まれたため「丑御前」という幼名を名付けられた。
乳母・須崎の方とその夫・勝馬、2人の息子のひのくま宗虎の3人を家臣に従え、自分を殺そうとした父・満仲への復讐心に燃えて関東地方にくだり、かつて平将門が拠点とした下総国の相馬御所で将門の霊意を得て挙兵する。
※本作では丑御前は源頼光の弟と設定されているが、天慶四年生まれの丑御前は、天慶の次の年号の天暦年間生まれの頼光よりも明らかに年上である。
源 満仲(みなもとのみつなか 912~97年)
平安時代中期の武将。武蔵権守。六孫王経基の嫡男で清和源氏第二代。多田源氏の始祖。
牛頭天王の祟りを受け3年3ヶ月の異常な妊娠期間を経て生まれた異形の息子・丑御前を恐れて殺そうとするが失敗し、大和国の山中に逃れて16歳となった丑御前の抹殺を、同じ息子の頼光に命じる。
芦屋 宗源(あしや そうげん)
安倍晴明の若い弟子の陰陽師。晴明に従いながらも、源満仲・頼光父子の策謀に加わり宇治の橋姫と契ろうとする晴明の企てを、晴明の正妻の息長姫に密告する。黒いひげをたくわえ眼光の鋭い行者風の青年。式神を駆使することができる。芦屋道満との関係は不明。
坂田 金時(さかたのきんとき 956~1011年)
平安時代中期の武将。武将・源頼光の4人の重臣「頼光四天王」の一人。幼名・金太郎。駿河国の足柄山(現・静岡県小山町)で育ち、天延四(976)年に足柄峠を訪れた源頼光にその力量を認められて家来となった。武者としての誠を重んじる実直な性格で、実の息子または兄弟である丑御前を策謀に陥れて殺そうとする満仲・頼光父子に真っ向から異を唱える。
※本作における丑御前の反乱は天暦十(956)年に起きた事件に設定されているため、金時の年齢と合っていない。
おもな専門用語
亀卜(きぼく / かめうら)
古代中国大陸の殷王国の時代(紀元前16世紀~紀元前1046年)から広く行われていた、亀の甲羅に火を当てて生じる亀裂の形や方向を見て神意を読み取る占術。中国大陸に伝わる、洛水の神亀の甲羅に大地を治める秘法が記してあったという古代神話に由来する。のちに新しい占術「易」が開発されてからも亀卜の権威は保たれ、易で意見がまとまらない場合や国家の一大事の最終決断には亀卜が用いられた。
古代日本でも亀卜は占術の最高権威とされ対馬国の卜部家が伝承していたが、手順が難解煩雑であるために滅多に行われなくなり、次第に衰退した。
易(えき)
古代中国大陸の周王国の時代(紀元前1046~紀元前256年)に開発された占術で、50本の細い棒「筮竹(ぜいちく)」を無作為に分けて神意を読み取る。殷王朝の亀卜よりも簡単・確実に占うことができる。
陰陽(いんよう / おんみょう)
中国大陸で古代から伝えられてきた思想で、世界を動かしている昼の天に輝く太陽の力「陽」と、夜の暗い空に浮かぶ太陰(月)の力「陰」のこと。この世にあるすべての事物、森羅万象の成り立ちは、この陰と陽の力のバランスの変化によって生まれる。
五行(ごぎょう)
天に輝く5つの惑星「青の木星」、「赤の火星」、「黄の土星」、「白の金星」、「黒の水星」のこと。この世界のすべての事物はこの5種類に分類できるとされ、方角に関しては中国大陸から見て青い海のある東が「木」、暑く赤い大地のある南が「火」、白い雪の降り積もる崑崙山脈や天山山脈のある西が「金」、暗い夜空のある北が「水」、黄砂の大地の広がる中央が「土」となる。また、季節については春が「木」、夏が「火」、秋が「金」、冬が「水」、それらの4季節の変わり目となる終わりの2週間が「土」となる(土用の丑の日の語源)。
相性(あいしょう)
五行同士にある力関係のことで、相性が良いもの同士は力を出し合い、相性が悪いもの同士は力をそぎ合う。「木と火」、「火と土」、「土と金」、「金と水」は相性が良く、「木と土」、「火と金」、「土と水」、「金と木」、「水と火」は相性が悪い。
陰陽学(いんようがく)
古代中国大陸に伝わる「陰陽」と「五行」の思想に基づき、亀卜や易の吉凶の判定を体系化したり、実際の天文の運行に合うように研究・改良を進めてきたりした学門のこと。漢帝国の時代(紀元前206~紀元後220年)までは陰陽の関係が重視されてきたが、唐帝国の時代(618~907年)になると五行の分類が注目されるようになり、この時の五行研究が遣唐使を通じて日本に伝来することとなった。同時に、西洋占星術と起源を同じくするインド発祥の占術「宿曜経(すくようぎょう)」を広めていた仏教の僧侶たちも陰陽学を吸収し修めるようになった。日本に陰陽学を伝えたのは朝鮮半島の僧侶たちだったとされている。
日本では天武天皇(?~686年)が在位五(676)年に、陰陽学を学び実践する役所「陰陽寮」を開設し、そこから日本独自に陰陽学を修める宮廷官僚を「陰陽師(おんみょうじ)」、陰陽師たちの学問と技術を「陰陽道(おんみょうどう)」と呼ぶようになった。
法師陰陽師
古代朝廷は日本の陰陽道を独占するために陰陽寮の官人のみに陰陽師を限定し、もともと日本に陰陽学を伝えていた僧侶が陰陽師になることを禁止したが、それ以前に中国大陸から渡来していた仏教系の陰陽学はすでに民間に広く伝わっており、朝廷の傘下に入ることを嫌った呪術師たちが国家非公認の法師陰陽師となり、陰陽寮の陰陽師と対立する存在となっていった。
夜叉(やしゃ)
もとは人を喰う邪悪な存在であったが、仏法を守護する四天王のひとり毘沙門天に敗れ配下にくだり、仏法を学んで悟りを開き仏法の守護者となった鬼神や精霊たちのこと。陰陽学を修めた僧侶「方士(ほうし)」に奉仕し、方士に使役されて四方位から襲ってくる外敵や悪霊を撃退したり、墓に眠る先祖の霊を守護したりする役目を担った。人々に不老長寿をもたらし、金銭を儲けさせる神通力を持っている。人間の大人と同じくらいの背丈で身体は青黒く、腕が4本あり、頭髪は炎のように燃え上がっている。非常に気前の良い性格。
蘇民将来(そみんしょうらい)
8世紀中期に中国大陸から日本に伝来した、祇園社の牛頭天王に祈願する際に護符と八角形の柱に記す名前で、牛頭天王は疫病や天変地異をもたらし人々を呪う強力な祟り神であるが、この護符を持つ民に対しては災厄や疫病を祓い福を招く神になるとして信仰されている。陰陽道では「天徳神」と同一視され、民衆は蘇民将来の子孫であることを示すために茅の輪を身に着けていたという。
簠簋内伝金烏玉兎集(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)
龍宮の龍王が所有していた、陰陽学と天文知識を伝える秘伝書。星の動きを知り、未来を予知し、大地の祟りを鎮めることができる禁断の秘術が記されている。
摩睺羅伽(まごらが)
仏教を守護する護法善神「天龍八部衆」の一尊。サンスクリット語で「偉大なる蛇」を意味するマホーラガが名前の語源。もとは古代インドの音楽の神で、ニシキヘビのような大蛇を神格化したものである。本作では、日本に持ち出された『簠簋内伝金烏玉兎集』を取り返そうとする龍王の命により、百本の脚を持つ巨大なムカデの姿となり近江国の三上山に出現した。
宿曜経(すくようぎょう)
陰陽学とは全く異なる、西洋占星術と起源を同じくする古代インド発祥の星の知識を駆使する占術の経典で、仏教の秘儀と共に高僧・三蔵法師玄奘(602~64年)が中国大陸に伝えた。大乗仏教の一尊である、叡智の仏・文殊菩薩の教えとされる。中東アジアの古代メソポタミア文明を発祥とする、天を12に区分してそれぞれに聖獣を配置した「黄道十二宮」などの天文学も導入されており、陰陽学と共に日本の陰陽道の重要知識のひとつとなった。
緊那羅(きんなら)
もとは古代インド神話に登場する、夜叉と共に創造神ブラフマー(梵天)のつま先から生まれた音楽の神だったが、護法善神「天龍八部衆」の一尊となった。歌と踊りに秀でて特に歌が美しいといわれる。男性のキンナラは半人半馬だが、女性のキンナリーは美しい天女で、ときおり地上に舞い降り水浴びなどして遊ぶという。
日本では、神でも人間でも動物でも鳥でもない半身半獣の生物とされるため「人非人」とも呼ばれ、半人半鳥の音楽神・乾闥婆(ガンダルヴァ)と同様に帝釈天(インド神話のインドラ)の眷属となっている。
本作では、京の内裏の北東にある左大臣・源高明の邸宅に巣食う、仏教の力で人間になることを夢みる零落した小鬼として登場する。
乾闥婆(けんだつば)
もとは古代インド神話に登場する、英雄神インドラ(帝釈天)に仕える半人半鳥の音楽の神ガンダルヴァで、女好きで性欲が強いが処女の守護神でもあるとされる。女性のガンダルヴァも存在する。酒や肉を喰らわず香りを栄養とし、自身の身体からも冷たく濃厚な香気を発する。サンスクリット語でガンダルヴァとは「変化が目まぐるしい」という意味であり、蜃気楼のことをガンダルヴァの居城にたとえて「乾闥婆城( gandharva-nagara)」とも呼ぶ。古代ギリシア神話の牧神パンと同源であると推定されている。仏教では護法善神「天龍八部衆」の一尊となっている。
本作では、他の娘の家に泊まり込むようになった夫を強く恨んだ妻が化身した、白髪で全身が青い鬼女として登場する。
三十番神(さんじゅうばんじん)
日本の仏教と陰陽道の中でできた守護神の概念。天台宗の宗祖である伝教大師最澄(762~822年)が、日本の国土と法華経の布教を守るために、月に1日の持ち回りで守護する30の仏神を定めたもの(例:毎月の一日は熱田大明神、二日は諏訪大明神、三日は広田大明神など)。特にその中でも、日本の王都である平安京を守護する役割が分担されており、将軍塚に鎮座して朱雀以東を守る青龍八神、石清水八幡宮に鎮座して九条以南を守る朱雀八神、鳴滝川に鎮座して西洞院以西を守る白虎八神、一条以北を守る玄武八神がいる。
式神(しきがみ)
単に「式」ともいう。吉凶を占い、魔を祓う陰陽師に使役される目に見えぬ鬼といわれ、陰陽師が創った人造人間ともいわれる。人を呪う時に式神が放たれ、式神は呪う相手にとり憑き、生命をおびやかす。呪われた人は一瞬でも早く、より強力な陰陽師に頼んで相手に式神を打ち返さない限り、助からない。
十二神将(じゅうにしんしょう)
式神の中でも、特に安倍晴明が使役していた式神たちのこと。もともと晴明の邸宅の南門の梁に棲みついていたが、晴明の正妻・息長姫が彼らを忌み嫌ったため、晴明が自身の邸宅に近い京・一条堀川戻橋の下に置いて必要時に召喚していた。
茨木童子(いばらきどうじ)
平安時代中期に、大江山(丹波国にあったとされるが、現在の京都市と亀岡市の境にある大枝山という説もある)を本拠に、貴族の子女を誘拐するなど乱暴狼藉をはたらき京の都を荒らし回ったとされる鬼のひとりで、鬼の棟梁・酒呑童子(しゅてんどうじ)の最も重要な家来。舞の上手な美女に化けて、武将・源頼光の4人の重臣「頼光四天王」の一人である渡辺綱と一条堀川戻橋で闘った故事が、後世の説話集や能、謡曲、歌舞伎などで語り継がれている。
本作では、もと晴明の式神十二神将のひとりだったという設定で、宇治の橋姫と同一人物となっている。
橋姫(はしひめ)
日本各地に古くからある大きな橋にまつわる多くの伝承に現れる鬼女・女神。外敵の侵入を防ぐ橋の守護神として祀られていることもあり、古代の水神信仰が起源といわれている。橋姫は嫉妬深い神ともいわれ、橋姫の祀られた橋の上で他の橋を褒めたり、または女の嫉妬を語ると必ず恐ろしい目に遭うという。これは「愛らしい」を意味する古語の「愛(は)し」が「橋」に通じ、愛人のことを「愛し姫(はしひめ)」といったことに由来するなどの説がある。橋姫伝説の中でも、京都府宇治川の宇治橋、大阪市淀川の長柄橋、滋賀県瀬田川の瀬田大橋などが特に有名である。
本作では、渡辺綱の実母という設定で登場し、綱を生んだ後に他の女性を愛した夫が橋姫を捨てたために深く恨み、貴船明神に丑の刻参りを行って鬼女に化身した。そののちに宇治橋に移ったとされているが、もと晴明の十二神将のひとりだったという設定も加わり、茨木童子と同一人物となっている。
牛嶋神社(うしじまじんじゃ)
現在の東京都墨田区向島の隅田公園内にある、東京本所総鎮守の神社。社格は武蔵国郷社。
平安時代中期の貞観年間(859~79年)に慈覚大師円仁(794~864年)が当地を訪れた際に、須佐之男命(スサノオ / 牛頭天王)の化身の老翁から託宣を受けて創建したとされる。明治時代以前は「牛御前社」と呼ばれていた。例祭は毎年9月15日。
この神社には弘化二(1845)年に奉納された絵師・葛飾北斎の大絵馬『須佐之男命厄神退治之図』があったが、大正十二(1923)年の関東大震災で現物は焼失し、現在は原寸大の白黒写真が本殿内に掲げられている。なお、同作は2016年に色彩の推定復元が行われ、すみだ北斎美術館にて展示されている。
境内には「撫牛(なでうし)」と呼ばれる牛の石像があり、自分の身体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられている。また本殿前の鳥居は「三ツ鳥居」と呼ばれる珍しい形態の鳥居である。
アクセスは、都営地下鉄浅草線の本所吾妻橋駅から徒歩で約10分。
本作では浅草川(現・隅田川)で討たれた丑御前を祀るためにこの「丑御前神社」が創建されたという設定になっているが、本作における丑御前の反乱は天暦十(956)年に起きた事件に設定されているため、社伝とは合っていない。
……いや~もうめちゃくちゃ。すっごく面白いんですが、読むのにそうとう時間がかかっちゃった。1ページ1ページに盛り込まれた情報量が濃密すぎ!!
もうすでにここまでの時点で1万字を超えちゃってるので、いつもの我が『長岡京エイリアン』の他記事だったら前後編に分割しちゃうのですが、なんてったって、そんなにボリュームのない文庫本の感想なので、ささっと1回にまとめておしまいにしちゃいましょう。って言って、いつも「ささっと」まとめらんないのよねぇ~。
なんと言いましても、荒俣宏先生が、あの大陰陽師・安倍晴明を真正面から描くんですよ!? これはもう、おろそかにはできませんやね。
ところが……実際にこの本を読んでいきますと、ど~にもこ~にも不思議な「違和感」のようなものが残っていくのです。あれ? こんな感じ? みたいな。いや、十二分に面白いんですけど。
本作を読んで感じる不思議な違和感。それは、「筆のノリが異様にライト」で、「安倍晴明のキャラがふわっふわしている」ということなのです。
え? これ、『帝都物語』の中で、直接登場こそしてはいないものの、あの魔人・加藤保憲の「果たしえない最大の天敵」として陰ながらそうとうな影響力を与え続けてきた晴明さんですよね? こんな、亀を助けて龍宮城に行ったり、そこで結婚した龍女・息長姫に思いッきり尻に敷かれてへーコラしてたり、一条戻り橋に放し飼いにしてた十二神将のひとりがグレて鬼化したと聞いて内心「やべー……」と焦ったりしてる、野比のび太みたいなキャラでいいのか!?
そうなんです。この作品って、『帝都物語』シリーズとタッチが違いすぎるんですよね。双方ともに面白いというところはさすが荒俣先生なのですが、夢枕獏の『陰陽師』シリーズの大ヒットに端を発する「晴明さまブーム」華やかなりし2000年代に出版された作品としては、あまりにも軽くて、まるで子ども向け学習入門マンガのようなライトっぷり。しかも、よくよく読んでみると、安倍晴明が活躍するパートがかなり少ない! 晴明がお話の主人公になるのは本作の中盤だけで、前半はそもそも晴明が生まれる前の物語なので出てこないし、後半は後半で渡辺綱と茨木童子が主人公になるので、晴明は脇役ポジションにまわってしまうのです。少なくとも『安倍晴明物語』と銘打たれるべき出番の量じゃないんですよね。
なぜ? 異常に沸騰しきっていた晴明ブームのさなか、あの荒俣宏が満を持して安倍晴明を描いた本を出すというのに、この晴明に対する先生の「塩対応」っぷりは、なぜなのでしょうか。
その答えは、上の基本情報にも書いてある通り、本作が2000年代の晴明ブームなど予想できるはずもない、はるか昔の1980年代前後に執筆された作品だったからなのでした。なんだよこれ、ガワと題名だけ新しく貼り替えた旧作かよ!!
やられたぜ……さすがは、商魂たくましい角川書店さん! 私が持ってる文庫版なんか見てください、カバー画が思いッきり「美青年晴明サマ♡」な皇なつき先生の手になる、どこぞの草むらに座ってくつろぐ、白い狩衣姿の晴明のイラスト。「わたしが主人公ですが、なにか?」みたいな顔してますよこいつ。
詐欺とは言いませんけどね……売れるもんならなんでも売ってやろうというパトスがほとばしってますね。だったらだったで、いつ執筆されたかの経緯くらい、あとがきをちょちょっと書いて説明してくれよぉ~!
いちおう末尾に「2000年に刊行された『夢々 陰陽師鬼談』を改題・文庫化しました。」という説明があるのですが、これがさらに1979年に執筆されて1986年に刊行された作品のさらなる再販だとは夢にも思いませんでした……古古古米どころか「古代米」じゃねぇかァア!! ごちそうさまです。
『帝都物語』の執筆開始時期とほぼ同じ1979年に並行して執筆され、1986年に『平安鬼道絵巻 ヒーローファンタジー・九つの鬼絵草紙』として刊行。2000年に『夢々 陰陽師鬼談』となって再版され、最終的に『陰陽師鬼談 安倍晴明物語』として文庫化された、本作。作品に歴史ありですねぇ~!
ただ、単にタイトルだけを見てみても、この小説を売り込む大看板に「安倍晴明」をフィーチャーしてきたのがつい最近の2003年になってからで、「陰陽師」というワードを押し出してきたのも2000年になってからだった、という事実は実に興味深いです。つまり、『帝都物語』の作品世界ではもはや基本知識となっていた晴明や陰陽師という言葉も、1980年代の世間一般では全く通用しない「知る人ぞ知る」呪文のような存在だったということなのでしょう。2025年の今からすると、ちょっと想像がつかない浸透度ですよね。
ちなみに、1986年に東京三世社(なつかし~!! いろんなエロマンガの単行本買ってました)から出ていた『平安鬼道絵巻』のカバー画は、『初代・日ペンの美子ちゃん』で有名なマンガ家の中山星香先生による、額から角の生えた平安美女のバストショットということで、晴明なんかあっちいけの勢いで茨木童子が全面的にフィーチャーされたものとなっています。いや、ふつうにこの小説読んだらそうなりますって。
とまぁこんな感じで、本作は飛鳥時代の聖徳太子から平安時代後期の頼光四天王まで、400年にわたる日本のオカルト史を通観する「アラマタ流陰陽道入門」といった作品になっておりまして、安倍晴明はあくまでも、その中の主要キャラのひとりに過ぎません。そして、ここで描かれた「やや能天気で他力本願な陽キャヒーロー・晴明」を起点として、その180° 正反対な重さと野望、あふれんばかりの怨念と執念を持つアンチヒーローとして、あの魔人・加藤保憲が生まれたということからも、この後に『帝都物語』の中で描かれる晴明とはちょっと異質な軽さを持っていることは当然の理なのでありました。
先のことになりますが、本作が文庫化された翌年に書き下ろしの形で出版された『帝都物語異録』の中で描かれる晴明なんか、本作の晴明とはまるで別人ですよね……あの晴明も、生前はこんなひょろひょろフニャフニャした平安無責任男だったのかと! ま、パラレルワールドの関係なんでしょうけど。
あと、先ほど申しました通り、本作は確かに日本に渡来、独自に発展した陰陽道の400年の歴史を語るものにはなっているのですが、当たり前ながらもフィクション作品ですので、ここで語られる内容をそのまんま「正史」だと認識することは避けなければいけません。念のため。
上の情報でも触れているように、本作で語られる安倍晴明が阿倍仲麻呂の子孫であるという関係は江戸時代の説話や講談で広まった虚説でありまして、晴明のライバルとされる芦屋道満(でも本作ではあんまり活躍しない)に関する情報のほとんども、江戸時代以降の浄瑠璃『芦屋道満大内鑑』や、本作にも出た日本陰陽道の聖典『簠簋内伝金烏玉兎集』の、これまた江戸時代に成立したとされる注釈書『簠簋抄』から語られるようになったエピソードがほとんどです。「道満」という名前の法師陰陽師が平安時代中期にいたことは事実らしいのですが、具体的に何をしたのかの史料はきわめて少ないんですね。ここが、国家公務員だった晴明と民間業者だった道満との違いでしょうか。でも、どっちも1000年経っても信者ががっつりいるんだからものすごい!
他にも、聖徳太子が馬に乗って空を飛んで海外留学していたとか、源頼光の兄弟にあたる丑御前という人物がグレまくって関東地方で平将門もかくやという反乱を決起したとかいう、歴史的に見るとツッコミどころ満載な展開はあるわけなのですが、本作における荒俣先生のスタンスは明らかに、「真偽はどうでもいいから、現在に残っている説話のおもしろいやつはぜんぶ採用!」という、歴史の教科書なんかそっちのけの勢いで新たなる「オカルト日本史」を1980年代の日本に打ち立てんとする、まんま『帝都物語』と同じ姿勢だったのです。せんせ~!! そのまるでブレの無い志の鋼鉄っぷりに惚れちゃう♡
ここで間違ってならないのは、荒俣先生が面白い話を思いついて自由に書いているのではないということです。本作における一読荒唐無稽なでたらめに見えるエピソードの全てに、「なんかわかんないけどそういう話が残っている」という、日本各地に残る実在の説話のパワーがこもっているのです。江戸時代から初めて記述がみられるようになる説話といっても、その話が江戸時代に創作されたということにはならないのです。もしかしたら、それは晴明や道満が生きていた時代に実際にあったことが、たまたま「口述」だけで伝わっていたのかも知れず……
本作とほぼ同じノリで執筆されたと思われる、日本陰陽道のはじまりを語る伝奇小説に、あの『陰陽師』シリーズの夢枕獏先生による『平成講釈 安倍晴明伝』(1998年)があるのですが、これも「晴明くんと博雅くん」な本チャンシリーズとは直接の関連の無い自由奔放なファンタジー作となっておりましたね。夢枕先生と岡野玲子先生の、東京の紀伊国屋書店での合同サイン会に行ったなぁ~。
荒唐無稽とは言いますが、渡辺綱が茨木童子を斬ったという名太刀「髭切」や東京の牛嶋神社など、オカルトファンタジーそのものな本作の中に登場するアイテムや土地がちゃんと現存しているというところも面白いですよね!
特に「髭切」は、まぁ、これが髭切だと伝わる太刀は何振りかあるらしいのですが、いちばん有名なのは現在、京都の北野天満宮に所蔵されている「鬼切安綱(おにきりやすつな)」(重要文化財、東京都立博物館所蔵の「童子切安綱」とは別物)で、実はこれ、頼光→源氏嫡流→源将軍三代→執権北条家→新田義貞→斯波高経と代々継承されていき、高経の弟の斯波家兼の奥州管領としての東北地方下向から始まる「最上家」累代の家宝として守られてきたのです。
うわ~お! ということは、綱が茨木童子を斬ったという日本有数の魔剣を戦国時代に所有していたのは、我らが山形の最上義光さまだったってわけなのか! やまがだのほごりだずねぇ~。これ、東北最大の怨霊アテルイ対策!? 絶対そうだよね!?
先ほど言ったように、本物の髭切(鬼切安綱)は残念ながら山形には無いのですが、山形市のその名も「最上義光歴史館」(入館無料)という場所に行くと、安綱の実物大の写真は展示されています。長さ84cm! 写真ですら、かなりでっかくて迫力あります。
とまれ、本作『陰陽師鬼談』は、『帝都物語』の派生作品というよりは、もっと年上の「お姉さん」のような立ち位置のオカルトファンタジーなので、私のように『帝都物語』ありきで読むと、あまりもの雰囲気の違いにちょっと面食らうところもあるかも知れません。
でも、まず面白さはバッチリ保障ですし、特に後半の渡辺綱と茨木童子(=橋姫)の複雑な因縁・愛憎関係は、確かに『帝都物語』に通じる「濃ゆさ」を予兆させるものとなっています。このカップリングを成立させるためにも、本作の晴明は部下管理能力ゼロの無責任ダメ上司でなけりゃいけないのよね!
あと、これは後の話になってしまいますが、本作で晴明をぐぐいっと押しのけて日本史上屈指のゴブリンスレイヤー(悪鬼滅殺!!)となった主人公・渡辺綱は『妖怪大戦争 ガーディアンズ』(2021年)で再び荒俣ワールドの舞台に躍り出ることとなります。やったね!
こんな感じで、本作はあくまでも『帝都物語』を楽しむ上での「必読書」ではないのですが、ライトノベルもいける荒俣先生の筆力の幅や、日本陰陽道の虚実ないまぜとなった歴史の魅力もあらかた味わえる、恰好なる入門書となっております。文量も少なめ(でも内容は激濃……)なので、おヒマならば是非!
この勢いで、本作にもちらっと名前だけ出てきた大江山酒呑童子が主人公になった、荒俣先生の筆による『帝都物語 王都篇』も読んでみたかったですね~。あ、あと九尾の狐がブイブイ言わせる『妖姫篇』も! いやいや、それをやるんだったらいとしの鵼サマが暗雲ひきいてやって来る『凶雲篇』も!!
加藤重兵衛、どんだけ暗躍したらいいの……明治維新を迎えるまでに過労死するわ!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます