映画『空の大怪獣ラドン』(1956年12月26日公開 82分 東宝)
『空の大怪獣ラドン』は、東宝制作の怪獣映画。
キャッチコピーは「空飛ぶ戦艦か! 火口より生れ地球を蹂躙する紅蓮の怪鳥ラドン!」
初のカラー東宝怪獣映画である。正月向け興行の特撮作品としては『透明人間』(1954年)以来であった。
核の象徴としても位置づけられていたゴジラと異なり、ラドンはより生物的な側面が強調されている。物語の前半は炭鉱での連続殺人事件の捜査に費やされ、ラドンが登場するのは後半に入ってからである。前半で描かれる暗い坑内での陰惨な事件と、後半の青空を超音速で飛ぶラドンとその追撃によるスピーディな展開が、カラー作品ならではの色彩設計を活かした対照的な構成となっている。
ラドンが衝撃波で破壊する西海橋は、本作公開の前年に完成したばかりだった。劇場公開後、西海橋や阿蘇山を訪れる観光客は明瞭に増えたとのことで、以後の怪獣映画のロケ地として完成まもない注目の新ランドマークが宣伝も兼ねて怪獣に破壊される伝統の先駆けとなった。また、怪獣に壊される建物は現実の所有者にお伺いを立てると非承諾となることが多いが、本作では「壊されることで有名になる」と現実の所有者が喜んで承諾した町興し映画の側面もあるという点がDVDのコメンタリーで言及されている。
原作者である黒沼健により、少年雑誌『中学生の友』1956年10月号の別冊付録として小説『ラドンの誕生』が掲載された。ただし、これが脚本の原型となった原作なのか、原作をノベライズしたものかは明らかになっていない。書籍『ゴジラ来襲』によれば、黒沼は検討用台本を執筆していないという。
東宝プロデューサーの田中友幸は、本作のきっかけは当時超音速ジェット機が話題になっていたことであり、「ゴジラを超音速で飛ばしたら」という発想であったと述べている。後年、田中は本作を「夢の高揚期に生まれた大好きな作品」と語っている。
原作者の黒沼健は、田中が黒沼の小説のファンであったことから起用された。田中によれば、本作の検討台本には黒澤明も助言したといい、黒澤の意見は「等身大のメガヌロンと巨大なラドンとの大きさの対比」や「季節感」など、細かい部分でかなり脚本に採り入れられたという。
設定では阿蘇地方の炭鉱からラドンが生まれるが、活火山である阿蘇周辺に炭鉱は存在しないため、ロケは長崎県北松浦郡鹿町町の日鉄鉱業加勢炭鉱で行われた。物語冒頭で事務所前に集合した鉱夫たちは、同炭鉱の鉱夫がエキストラとして大挙出演したものである。
西海橋の撮影でも、地元バス会社の協力によりエキストラを多数動員した避難シーンが撮影された。
撮影を務めた有川貞昌によれば、佐世保上空を飛ぶラドンを見上げる民衆のシーンはゲリラ撮影が行われた。トラックの幌にカメラを隠し、一般人のふりをした助監督や照明スタッフが上空を仰ぎ、周囲の人々も空を見るように誘導していた。
主演の佐原健二は、本作での演技について監督の本多猪四郎から「普通の芝居では誇張があるが、特撮ものでは逆にリアルな芝居の方がいい。」とアドバイスを受け、以後も特撮作品を演じる際の指標になったと述懐している。記憶喪失の演技では、目の焦点を常にぼかすという芝居を考案し、本多からも褒められたという。白川由美と抱き合うシーンでは、白川が照れて演技できずにいたところ、本多が自ら佐原に抱きついて演技指導を行い、場を和ませていた。
トロッコの撮影では、引っ張っていたウインチが緩んで脱線し、乗っていた佐原が負傷した。しかし、佐原は2日程度しか休めないまま撮影に復帰し、そのことを知った先輩俳優の鶴田浩二は東宝演技課に怒鳴り込んだという。
本作では、総製作費2億円のうち60パーセントにあたる1億2千万円が特撮に費やされた。
当時のカラーフィルムは感度が低く、緑のものは青く映ってしまうため、美術助手の井上泰幸は東宝初のカラー特撮映画『白夫人の妖恋』(1956年7月公開)同様、色彩には気を使ったと述懐している。また助監督の浅井正勝によれば、照明の電力が足りず、他の作品の撮影が終わった午後6時から撮影を行う昼夜逆転の状態であったと述べている。さらに照明が強いため、熱でミニチュアが溶けたり火薬が発火してしまうことなどもあったという。前半での大地崩落シーンは、ミニチュア撮影と作画合成を併用しており、緑の山間が一瞬にして赤土に変わる視覚効果を強調している。
ラドンに破壊されて崩壊するビル内で人が逃げているシーンは「鏡をミニチュアのビルの中に置き、人物を映す」という古典的な方法で撮影されている。
西海橋のセットは、580平方メートルのプール上に約16メートルの1/20サイズで作られた。当初は赤く塗装されていたが、本番前になって実物が銀色であることが判明したため、スタッフは徹夜でこれを銀色に塗り直したそうである。また、橋の中央部をピアノ線で吊っており、これを切ることで自重で崩落する仕掛けとなっていたが、本番でピアノ線が映ってしまい、特技監督の円谷英二の指示により編集で処理することとなった。
博多の街のセットは、防犯上の理由から図面の提供を断られたため、美術助手の井上らが実際に博多を歩き、4日間かけて歩幅や敷石の枚数などを記録して図面を起こした。東宝撮影所の第8ステージに建てられたメインセットは、基本的には1/25スケールであったが、手前側は1/10や1/20スケールとすることでパースを出している。炎上する商店街のセットは、大プールの上に1/10スケールで建てられた。このシーンは、翌年『地球防衛軍』に流用された。
当時、岩田屋には改装工事の足場が設置されており、美術アルバイトであった飯塚定雄や三上陸男らはここまで作らなくてもよいと考えていたが、井上の指示により足場も再現している。飯塚と三上は、カメラに映らないと考えたウインドウに当時のコンドームの広告を再現して設置したが、円谷が急遽カメラ位置を変更したため慌てて消したという。井上によれば、岩田屋の建て込みには43日かかったが、撮影でラドンに壊されるのはあっという間であったと述懐している。
ラドンが起こす突風は、飛行機のエンジンを改造した扇風機によって表現された。突風で吹き飛ぶ屋根瓦は、ボール紙を用いてミニチュアの屋根に乗せている。突風で飛ばされるジープのミニチュアは、中でラッカーを塗った筒に塩酸が流れる仕組みとなっており、壊れる際に化学反応によって煙を発生させている。
西海橋や岩田屋のシーンでは、ラドンの着ぐるみを内部の中島春雄ごとピアノ線で吊り下げるという危険なワイヤーアクションで撮影されており、映画界での使用としては最初期と見られる。また、ピアノ線による操作で画期的と評されたのが、自衛隊機の表現である。『ゴジラ』では黒い幕を背景にして固定された状態のミニチュアから火薬を仕込んだロケット弾を発射させていたが、本作では真昼の青空を背景にしてピアノ線で操作されたミニチュア機からロケット弾が発射されていた。このような「ミニチュアを飛ばしながら発砲させる」という表現は「発砲時の反動でミニチュアが揺れてしまう」というアクシデントを起こしやすいが、それを最小限に抑えるために円谷はミニチュアの機首部、左右の主翼付け根、翼端、尾部など、複数個所にさまざまな角度からピアノ線を張って操作するという、より高度かつ複雑な技術を考案して撮影に臨んだ。
ラドンと空中戦を繰り広げる F-86Fセイバーの撮影には、ミニチュアだけでなく実物大モデルも用いられている。円谷の要望により特殊美術の入江義夫が実機の資料と写真から図面を起こしたが、キャノピーの透明部分は当時の技術では制作できず、アメリカ空軍から本物のパーツを借用している。入江は実物ゆえに芝居部分に迫力が出たと評しているが、透明部分がブルーバック合成で抜きにくくなるなどの苦労もあった。
MGR-1地対地ロケット弾「オネスト・ジョン」搭載車両のミニチュアは、当時多忙であった郡司模型に代わり山田模型社が制作したが、木製ゆえにミサイル発射時の火薬で燃えてしまうというトラブルが発生している。特殊美術の入江義夫はこのトラブルをきっかけに、火を用いる撮影には金属製のミニチュアでなければならないと考え、それ以降は郡司模型製の金属モデルを多用するようになった。オネスト・ジョンの登場は、当時日本の米軍基地に配備される予定であったことが問題視されていた世相を反映したもので、当時の自衛隊にはミサイル車両は配備されていなかった。
ラストシーンの阿蘇山は、200坪・高さ10メートルのオープンセットが建てられ、製鉄会社から溶鉱炉の釜を借りて熔鉄を溶岩に見立てて、リアルな噴火のメカニズムを再現している。井上によれば、熔鉄は予想以上に重く、コースを外れて流れてしまったり、熱で舞台の荷重が燃えてしまうなどのアクシデントも多かったという。この手法は、後に『日本誕生』でも用いられた。
当初、噴火する阿蘇山上空を2匹のラドンが弧を描いたまま飛ぶシーンで終わる予定だった。だが、溶鉄を溶岩に見立てたために撮影現場は高熱に包まれ、その熱は本番中にラドンを吊っていたピアノ線を焼き切ってしまい、操演不能になった。特技監督の円谷英二は操演スタッフのアドリブだと思ったため、撮影の有川貞昌らに「まだ、まだ、まだ」と叫んで撮影を続けさせた。撮影終了後に操演スタッフから事情を聞いたが、撮り直さないことに決定した。円谷は、「ああいう絵は撮ろうとして撮れるものじゃない」と述べたという。
あらすじ
炭鉱技師の河村繁は、阿蘇付近の炭鉱に勤務していた。ある日、坑道内で原因不明の出水事故が発生。それに続いて炭鉱夫らが水中に引き込まれ、惨殺死体となって発見される事件が相次ぐ。当初は河村の友人で行方不明の炭鉱夫、五郎が犯人と目されていたが、まるで日本刀で斬られたかのような被害者の傷痕に警察や監察医も首を傾げるばかりだった。やがて出現した真犯人は、巨大な古代トンボの幼虫メガヌロンだった。村に出現したメガヌロンに警官のピストルでは歯が立たず、河村は警察が要請した自衛隊と共にメガヌロンが逃げ込んだ坑道に入る。しかし機関銃の発砲の衝撃で落盤が発生、巻き込まれた河村は坑道内に姿を消してしまう。
やがて阿蘇では地震が発生、阿蘇山噴火の前兆かと付近一帯は騒然となる。だが、地震によって出来た陥没口で調査団が発見したものは、落盤事故から奇跡的に生還したものの、記憶喪失となっていた河村であった。時を同じくして、航空自衛隊司令部に国籍不明の超音速飛行物体が報告された。確認に向かった自衛隊の戦闘機を叩き落とした飛行物体は、さらに東アジア各地にも出現、各国の航空業界を混乱に陥れていた。一方、阿蘇高原では家畜の失踪が相次ぎ、散策していたカップルが死亡する事件が起きる。若い恋人の心中かと思われていたが、彼らが残したカメラのフィルムには、鳥の翼のような謎の影が映っていた。
入院していた河村の記憶は戻らないままだったが、恋人キヨの飼っていた文鳥の卵の孵化を見たことをきっかけに、失われていた恐ろしい記憶が甦る。落盤で坑道の奥に閉じ込められた彼が見たものは、地底の大空洞で卵から孵化し、メガヌロンをついばむさらに巨大な生物だった。柏木久一郎博士により、その生物は翼竜プテラノドンに極めて類似したものと判明。博士の調査団は河村の導きで地底の大空洞へ向かい、そこで巨大な卵の殻の破片を発見する。計算機によってはじき出された卵の大きさから、巨大生物はソニックブーム(衝撃波)を起こすほどの飛翔力を持つと推測された。調査団が改めて阿蘇に赴いたその眼前で、古代翼竜の大怪獣ラドンが飛び立つ。
登場する怪獣
ラドン
身長50メートル、翼長120メートル、体重1万5千トン。飛行速度マッハ1.5。
出身地は、阿蘇山付近の地底。
スーツアクターは中島春雄。
ゴジラ、モスラと共に「東宝三大怪獣」と称される。
翼竜プテラノドンが突然変異した怪獣。名前もその略称が由来になっている。しかし、プテラノドンと比べるとさまざまな差違があり、その後頭部に生えている1本の角状の突起がラドンの場合は2本に分かれて生えているうえ、クチバシは鳥類のそれに近い形状で、鳥類にもプテラノドンにも無い歯が生えている。腹部には針のようなゴツゴツとしたウロコがある。尾はプテラノドンのように細い皮膜が付いたものではなく、楕円状にゆるく拡がっている。着地しての直立二足歩行が可能で、翼を広げたままで陸上走行を行うことも多い。超音速で飛ぶ巨体は周囲にソニックブームを巻き起こし、市街を破壊する。
水爆実験の放射能や火山ガスによる異常気象の影響で現代に復活した。劇中でプテラノドンとの関連性を示すような発言があるが、直接は明言されていない。
阿蘇山付近の炭坑の奥にある洞窟で誕生し、古代トンボの幼虫メガヌロンを捕食していた。阿蘇山から出現し、航空自衛隊のF-86戦闘機と大規模な空中戦を展開して追撃を振り切った後、佐世保や福岡に降り立って暴れ回る。このとき、口から煙のようなものを吐いている。
巣の描写や餌の存在など、核を象徴したゴジラよりも、生物としての描写が強調されている。また、ラドンの破壊描写はゴジラのような暴力性ではなく、人間の攻撃に対する抵抗の表現ともなっており、ラドンも被害者であるとの面を示唆している。製作の田中友幸は、ラドンは無敵のゴジラよりも恐竜に近く、強力な怪獣であっても人類が倒すことのできない存在ではないと位置づけている。
ラドンの声にはコントラバスの音と人間の声を素材として加工したものが使われている。
本作のラドンは、背中に緑と黄色のラインが入っている。
頭部造形は利光貞三、胴体は八木勘寿、八木康栄による。スーツの翼は、天竺布にラテックスを塗っているため重量があり、人の手では支えられないため、炭火で炙って曲げた竹を入れて支え、さらにピアノ線で吊っている。
造形物はスーツのほか、上半身のみのギニョールとサイズの異なる飛行モデルが数種類作られた。東宝特撮映画で怪獣の飛び人形が制作されたのは本作が初であり、布ベースのものや針金の芯に紙を貼ってラテックスを塗ったものなどが用いられたとされる。ラストシーンは、ピアノ線が切れて落下する様子がそのまま用いられた。
ラドンの幼体は、手踊り式のギニョールモデルで表現されている。
ラドンの飛行により発生する飛行機雲は、作画合成で表現された。
演じた中島は鳥の動きを研究し、初出現シーンでは毛づくろいのように翼をついばむ動きを取り入れている。一方で、足の形が鳥のような逆「く」の字にはならないため、足元が映らないよう意識していた。また、特撮班カメラマンの富岡素敬は、ピアノ線が多く塗装で消す作業も大変であったため、アップではピアノ線が翼の影に隠れるようなるべく下から上方を映すなどの工夫を行ったという。
岩田屋の上に出現するシーンや西海橋をくぐるシーンなどでも中島が入ったままスーツを吊っている。西海橋のシーンでは、ワイヤーが空回りして7メートルほどの高さから落下する事故が起きたが、下に水を張っていたため大事には至らなかった。
自衛隊との戦闘シーンでは、ミニチュアのロケット弾による火や煙が覗き穴から入ってしまい、中島は唇に火傷を負った。後にその対策として、中に風防を入れたり、体に石鹸水を塗るなど試行錯誤を行ったという。
メガヌロン
体長4.5~8メートル、体重700キログラム~1トン。
出身地は、阿蘇山付近の地底、炭鉱。
その容姿は、巨大なヤゴ(トンボの幼虫)である。阿蘇山麓にある炭鉱に出現し、水没した鉱内で炭鉱夫や警察官を腕の鋭いハサミで殺害する。メガヌロンが炭鉱住宅に出現したことで存在が発覚した。拳銃や機関銃では致命傷に至らない程度の防御力を持っており、事件を起こした個体は追跡してきた警察官や炭鉱夫を殺害した後に封鎖されていた炭鉱へ逃亡するが、石炭を満載したトロッコの列を河村によって激突され、1体が倒される。その後、五郎の遺体を収容中にもう1体が出現するが、自衛隊の機関銃による銃撃と突然の落盤に遭い、その後の生死は不明。
地下空洞のラドンの巣周辺にも別の個体群が繁殖していたが、孵化したラドンの雛にすべて捕食された。
メガヌロンの登場場面は、炭鉱内でうごめく怪奇性、殺害された死体の描写による猟奇性など、ゴジラなどの巨大怪獣とは異なる等身大の恐怖が強調されており、後半の青空の下でスピーディに描かれるラドンとの対比ともなっている。
原型製作は利光貞三。着ぐるみは3人で演じる約5メートルサイズのものが造られた。先頭に入っていたスーツアクターは手塚勝巳。そのほかは中島春雄、広瀬正一、大川時生。2体登場するシーンでは、片方が下半身を隠しているため、上半身のみの造形物とみられる。そのほか、大中小計10個のミニチュアが制作された。
おもなキャスティング(年齢は公開当時のもの。故人である場合、没年は省略しています)
河村 繁 …… 佐原 健二(24歳)
キヨ(五郎の妹)…… 白川 由美(20歳)
西村警部 …… 小堀 明男(36歳)
柏木 久一郎 …… 平田 昭彦(29歳)
南教授 …… 村上 冬樹(45歳)
大崎所長 …… 山田 巳之助(63歳)
井関記者 …… 田島 義文(38歳)
五郎(キヨの兄)…… 緒方 燐作(31歳)
若い男 …… 大仲 清二(22歳)
若い女 …… 中田 康子(23歳)
警察署長 …… 千葉 一郎(27歳)
武内幕僚長 …… 津田 光男(46歳)
阿蘇ホテル支配人、メガヌロン、ラドン …… 手塚 勝巳(44歳)
防衛隊幹部、ラドン、メガヌロン …… 中島 春雄(27歳)
おもなスタッフ(年齢は公開当時のもの。没年は省略しています)
製作 …… 田中 友幸(46歳)
原作 …… 黒沼 健(54歳)
脚本 …… 村田 武雄(48歳)、木村 武(45歳)
音楽 …… 伊福部 昭(42歳)
特技監督 …… 円谷 英二(55歳)
監督 …… 本多 猪四郎(45歳)
製作総指揮 …… 森 岩雄(57歳)
造形チーフ …… 利光 貞三(47歳)
『空の大怪獣ラドン』は、東宝制作の怪獣映画。
キャッチコピーは「空飛ぶ戦艦か! 火口より生れ地球を蹂躙する紅蓮の怪鳥ラドン!」
初のカラー東宝怪獣映画である。正月向け興行の特撮作品としては『透明人間』(1954年)以来であった。
核の象徴としても位置づけられていたゴジラと異なり、ラドンはより生物的な側面が強調されている。物語の前半は炭鉱での連続殺人事件の捜査に費やされ、ラドンが登場するのは後半に入ってからである。前半で描かれる暗い坑内での陰惨な事件と、後半の青空を超音速で飛ぶラドンとその追撃によるスピーディな展開が、カラー作品ならではの色彩設計を活かした対照的な構成となっている。
ラドンが衝撃波で破壊する西海橋は、本作公開の前年に完成したばかりだった。劇場公開後、西海橋や阿蘇山を訪れる観光客は明瞭に増えたとのことで、以後の怪獣映画のロケ地として完成まもない注目の新ランドマークが宣伝も兼ねて怪獣に破壊される伝統の先駆けとなった。また、怪獣に壊される建物は現実の所有者にお伺いを立てると非承諾となることが多いが、本作では「壊されることで有名になる」と現実の所有者が喜んで承諾した町興し映画の側面もあるという点がDVDのコメンタリーで言及されている。
原作者である黒沼健により、少年雑誌『中学生の友』1956年10月号の別冊付録として小説『ラドンの誕生』が掲載された。ただし、これが脚本の原型となった原作なのか、原作をノベライズしたものかは明らかになっていない。書籍『ゴジラ来襲』によれば、黒沼は検討用台本を執筆していないという。
東宝プロデューサーの田中友幸は、本作のきっかけは当時超音速ジェット機が話題になっていたことであり、「ゴジラを超音速で飛ばしたら」という発想であったと述べている。後年、田中は本作を「夢の高揚期に生まれた大好きな作品」と語っている。
原作者の黒沼健は、田中が黒沼の小説のファンであったことから起用された。田中によれば、本作の検討台本には黒澤明も助言したといい、黒澤の意見は「等身大のメガヌロンと巨大なラドンとの大きさの対比」や「季節感」など、細かい部分でかなり脚本に採り入れられたという。
設定では阿蘇地方の炭鉱からラドンが生まれるが、活火山である阿蘇周辺に炭鉱は存在しないため、ロケは長崎県北松浦郡鹿町町の日鉄鉱業加勢炭鉱で行われた。物語冒頭で事務所前に集合した鉱夫たちは、同炭鉱の鉱夫がエキストラとして大挙出演したものである。
西海橋の撮影でも、地元バス会社の協力によりエキストラを多数動員した避難シーンが撮影された。
撮影を務めた有川貞昌によれば、佐世保上空を飛ぶラドンを見上げる民衆のシーンはゲリラ撮影が行われた。トラックの幌にカメラを隠し、一般人のふりをした助監督や照明スタッフが上空を仰ぎ、周囲の人々も空を見るように誘導していた。
主演の佐原健二は、本作での演技について監督の本多猪四郎から「普通の芝居では誇張があるが、特撮ものでは逆にリアルな芝居の方がいい。」とアドバイスを受け、以後も特撮作品を演じる際の指標になったと述懐している。記憶喪失の演技では、目の焦点を常にぼかすという芝居を考案し、本多からも褒められたという。白川由美と抱き合うシーンでは、白川が照れて演技できずにいたところ、本多が自ら佐原に抱きついて演技指導を行い、場を和ませていた。
トロッコの撮影では、引っ張っていたウインチが緩んで脱線し、乗っていた佐原が負傷した。しかし、佐原は2日程度しか休めないまま撮影に復帰し、そのことを知った先輩俳優の鶴田浩二は東宝演技課に怒鳴り込んだという。
本作では、総製作費2億円のうち60パーセントにあたる1億2千万円が特撮に費やされた。
当時のカラーフィルムは感度が低く、緑のものは青く映ってしまうため、美術助手の井上泰幸は東宝初のカラー特撮映画『白夫人の妖恋』(1956年7月公開)同様、色彩には気を使ったと述懐している。また助監督の浅井正勝によれば、照明の電力が足りず、他の作品の撮影が終わった午後6時から撮影を行う昼夜逆転の状態であったと述べている。さらに照明が強いため、熱でミニチュアが溶けたり火薬が発火してしまうことなどもあったという。前半での大地崩落シーンは、ミニチュア撮影と作画合成を併用しており、緑の山間が一瞬にして赤土に変わる視覚効果を強調している。
ラドンに破壊されて崩壊するビル内で人が逃げているシーンは「鏡をミニチュアのビルの中に置き、人物を映す」という古典的な方法で撮影されている。
西海橋のセットは、580平方メートルのプール上に約16メートルの1/20サイズで作られた。当初は赤く塗装されていたが、本番前になって実物が銀色であることが判明したため、スタッフは徹夜でこれを銀色に塗り直したそうである。また、橋の中央部をピアノ線で吊っており、これを切ることで自重で崩落する仕掛けとなっていたが、本番でピアノ線が映ってしまい、特技監督の円谷英二の指示により編集で処理することとなった。
博多の街のセットは、防犯上の理由から図面の提供を断られたため、美術助手の井上らが実際に博多を歩き、4日間かけて歩幅や敷石の枚数などを記録して図面を起こした。東宝撮影所の第8ステージに建てられたメインセットは、基本的には1/25スケールであったが、手前側は1/10や1/20スケールとすることでパースを出している。炎上する商店街のセットは、大プールの上に1/10スケールで建てられた。このシーンは、翌年『地球防衛軍』に流用された。
当時、岩田屋には改装工事の足場が設置されており、美術アルバイトであった飯塚定雄や三上陸男らはここまで作らなくてもよいと考えていたが、井上の指示により足場も再現している。飯塚と三上は、カメラに映らないと考えたウインドウに当時のコンドームの広告を再現して設置したが、円谷が急遽カメラ位置を変更したため慌てて消したという。井上によれば、岩田屋の建て込みには43日かかったが、撮影でラドンに壊されるのはあっという間であったと述懐している。
ラドンが起こす突風は、飛行機のエンジンを改造した扇風機によって表現された。突風で吹き飛ぶ屋根瓦は、ボール紙を用いてミニチュアの屋根に乗せている。突風で飛ばされるジープのミニチュアは、中でラッカーを塗った筒に塩酸が流れる仕組みとなっており、壊れる際に化学反応によって煙を発生させている。
西海橋や岩田屋のシーンでは、ラドンの着ぐるみを内部の中島春雄ごとピアノ線で吊り下げるという危険なワイヤーアクションで撮影されており、映画界での使用としては最初期と見られる。また、ピアノ線による操作で画期的と評されたのが、自衛隊機の表現である。『ゴジラ』では黒い幕を背景にして固定された状態のミニチュアから火薬を仕込んだロケット弾を発射させていたが、本作では真昼の青空を背景にしてピアノ線で操作されたミニチュア機からロケット弾が発射されていた。このような「ミニチュアを飛ばしながら発砲させる」という表現は「発砲時の反動でミニチュアが揺れてしまう」というアクシデントを起こしやすいが、それを最小限に抑えるために円谷はミニチュアの機首部、左右の主翼付け根、翼端、尾部など、複数個所にさまざまな角度からピアノ線を張って操作するという、より高度かつ複雑な技術を考案して撮影に臨んだ。
ラドンと空中戦を繰り広げる F-86Fセイバーの撮影には、ミニチュアだけでなく実物大モデルも用いられている。円谷の要望により特殊美術の入江義夫が実機の資料と写真から図面を起こしたが、キャノピーの透明部分は当時の技術では制作できず、アメリカ空軍から本物のパーツを借用している。入江は実物ゆえに芝居部分に迫力が出たと評しているが、透明部分がブルーバック合成で抜きにくくなるなどの苦労もあった。
MGR-1地対地ロケット弾「オネスト・ジョン」搭載車両のミニチュアは、当時多忙であった郡司模型に代わり山田模型社が制作したが、木製ゆえにミサイル発射時の火薬で燃えてしまうというトラブルが発生している。特殊美術の入江義夫はこのトラブルをきっかけに、火を用いる撮影には金属製のミニチュアでなければならないと考え、それ以降は郡司模型製の金属モデルを多用するようになった。オネスト・ジョンの登場は、当時日本の米軍基地に配備される予定であったことが問題視されていた世相を反映したもので、当時の自衛隊にはミサイル車両は配備されていなかった。
ラストシーンの阿蘇山は、200坪・高さ10メートルのオープンセットが建てられ、製鉄会社から溶鉱炉の釜を借りて熔鉄を溶岩に見立てて、リアルな噴火のメカニズムを再現している。井上によれば、熔鉄は予想以上に重く、コースを外れて流れてしまったり、熱で舞台の荷重が燃えてしまうなどのアクシデントも多かったという。この手法は、後に『日本誕生』でも用いられた。
当初、噴火する阿蘇山上空を2匹のラドンが弧を描いたまま飛ぶシーンで終わる予定だった。だが、溶鉄を溶岩に見立てたために撮影現場は高熱に包まれ、その熱は本番中にラドンを吊っていたピアノ線を焼き切ってしまい、操演不能になった。特技監督の円谷英二は操演スタッフのアドリブだと思ったため、撮影の有川貞昌らに「まだ、まだ、まだ」と叫んで撮影を続けさせた。撮影終了後に操演スタッフから事情を聞いたが、撮り直さないことに決定した。円谷は、「ああいう絵は撮ろうとして撮れるものじゃない」と述べたという。
あらすじ
炭鉱技師の河村繁は、阿蘇付近の炭鉱に勤務していた。ある日、坑道内で原因不明の出水事故が発生。それに続いて炭鉱夫らが水中に引き込まれ、惨殺死体となって発見される事件が相次ぐ。当初は河村の友人で行方不明の炭鉱夫、五郎が犯人と目されていたが、まるで日本刀で斬られたかのような被害者の傷痕に警察や監察医も首を傾げるばかりだった。やがて出現した真犯人は、巨大な古代トンボの幼虫メガヌロンだった。村に出現したメガヌロンに警官のピストルでは歯が立たず、河村は警察が要請した自衛隊と共にメガヌロンが逃げ込んだ坑道に入る。しかし機関銃の発砲の衝撃で落盤が発生、巻き込まれた河村は坑道内に姿を消してしまう。
やがて阿蘇では地震が発生、阿蘇山噴火の前兆かと付近一帯は騒然となる。だが、地震によって出来た陥没口で調査団が発見したものは、落盤事故から奇跡的に生還したものの、記憶喪失となっていた河村であった。時を同じくして、航空自衛隊司令部に国籍不明の超音速飛行物体が報告された。確認に向かった自衛隊の戦闘機を叩き落とした飛行物体は、さらに東アジア各地にも出現、各国の航空業界を混乱に陥れていた。一方、阿蘇高原では家畜の失踪が相次ぎ、散策していたカップルが死亡する事件が起きる。若い恋人の心中かと思われていたが、彼らが残したカメラのフィルムには、鳥の翼のような謎の影が映っていた。
入院していた河村の記憶は戻らないままだったが、恋人キヨの飼っていた文鳥の卵の孵化を見たことをきっかけに、失われていた恐ろしい記憶が甦る。落盤で坑道の奥に閉じ込められた彼が見たものは、地底の大空洞で卵から孵化し、メガヌロンをついばむさらに巨大な生物だった。柏木久一郎博士により、その生物は翼竜プテラノドンに極めて類似したものと判明。博士の調査団は河村の導きで地底の大空洞へ向かい、そこで巨大な卵の殻の破片を発見する。計算機によってはじき出された卵の大きさから、巨大生物はソニックブーム(衝撃波)を起こすほどの飛翔力を持つと推測された。調査団が改めて阿蘇に赴いたその眼前で、古代翼竜の大怪獣ラドンが飛び立つ。
登場する怪獣
ラドン
身長50メートル、翼長120メートル、体重1万5千トン。飛行速度マッハ1.5。
出身地は、阿蘇山付近の地底。
スーツアクターは中島春雄。
ゴジラ、モスラと共に「東宝三大怪獣」と称される。
翼竜プテラノドンが突然変異した怪獣。名前もその略称が由来になっている。しかし、プテラノドンと比べるとさまざまな差違があり、その後頭部に生えている1本の角状の突起がラドンの場合は2本に分かれて生えているうえ、クチバシは鳥類のそれに近い形状で、鳥類にもプテラノドンにも無い歯が生えている。腹部には針のようなゴツゴツとしたウロコがある。尾はプテラノドンのように細い皮膜が付いたものではなく、楕円状にゆるく拡がっている。着地しての直立二足歩行が可能で、翼を広げたままで陸上走行を行うことも多い。超音速で飛ぶ巨体は周囲にソニックブームを巻き起こし、市街を破壊する。
水爆実験の放射能や火山ガスによる異常気象の影響で現代に復活した。劇中でプテラノドンとの関連性を示すような発言があるが、直接は明言されていない。
阿蘇山付近の炭坑の奥にある洞窟で誕生し、古代トンボの幼虫メガヌロンを捕食していた。阿蘇山から出現し、航空自衛隊のF-86戦闘機と大規模な空中戦を展開して追撃を振り切った後、佐世保や福岡に降り立って暴れ回る。このとき、口から煙のようなものを吐いている。
巣の描写や餌の存在など、核を象徴したゴジラよりも、生物としての描写が強調されている。また、ラドンの破壊描写はゴジラのような暴力性ではなく、人間の攻撃に対する抵抗の表現ともなっており、ラドンも被害者であるとの面を示唆している。製作の田中友幸は、ラドンは無敵のゴジラよりも恐竜に近く、強力な怪獣であっても人類が倒すことのできない存在ではないと位置づけている。
ラドンの声にはコントラバスの音と人間の声を素材として加工したものが使われている。
本作のラドンは、背中に緑と黄色のラインが入っている。
頭部造形は利光貞三、胴体は八木勘寿、八木康栄による。スーツの翼は、天竺布にラテックスを塗っているため重量があり、人の手では支えられないため、炭火で炙って曲げた竹を入れて支え、さらにピアノ線で吊っている。
造形物はスーツのほか、上半身のみのギニョールとサイズの異なる飛行モデルが数種類作られた。東宝特撮映画で怪獣の飛び人形が制作されたのは本作が初であり、布ベースのものや針金の芯に紙を貼ってラテックスを塗ったものなどが用いられたとされる。ラストシーンは、ピアノ線が切れて落下する様子がそのまま用いられた。
ラドンの幼体は、手踊り式のギニョールモデルで表現されている。
ラドンの飛行により発生する飛行機雲は、作画合成で表現された。
演じた中島は鳥の動きを研究し、初出現シーンでは毛づくろいのように翼をついばむ動きを取り入れている。一方で、足の形が鳥のような逆「く」の字にはならないため、足元が映らないよう意識していた。また、特撮班カメラマンの富岡素敬は、ピアノ線が多く塗装で消す作業も大変であったため、アップではピアノ線が翼の影に隠れるようなるべく下から上方を映すなどの工夫を行ったという。
岩田屋の上に出現するシーンや西海橋をくぐるシーンなどでも中島が入ったままスーツを吊っている。西海橋のシーンでは、ワイヤーが空回りして7メートルほどの高さから落下する事故が起きたが、下に水を張っていたため大事には至らなかった。
自衛隊との戦闘シーンでは、ミニチュアのロケット弾による火や煙が覗き穴から入ってしまい、中島は唇に火傷を負った。後にその対策として、中に風防を入れたり、体に石鹸水を塗るなど試行錯誤を行ったという。
メガヌロン
体長4.5~8メートル、体重700キログラム~1トン。
出身地は、阿蘇山付近の地底、炭鉱。
その容姿は、巨大なヤゴ(トンボの幼虫)である。阿蘇山麓にある炭鉱に出現し、水没した鉱内で炭鉱夫や警察官を腕の鋭いハサミで殺害する。メガヌロンが炭鉱住宅に出現したことで存在が発覚した。拳銃や機関銃では致命傷に至らない程度の防御力を持っており、事件を起こした個体は追跡してきた警察官や炭鉱夫を殺害した後に封鎖されていた炭鉱へ逃亡するが、石炭を満載したトロッコの列を河村によって激突され、1体が倒される。その後、五郎の遺体を収容中にもう1体が出現するが、自衛隊の機関銃による銃撃と突然の落盤に遭い、その後の生死は不明。
地下空洞のラドンの巣周辺にも別の個体群が繁殖していたが、孵化したラドンの雛にすべて捕食された。
メガヌロンの登場場面は、炭鉱内でうごめく怪奇性、殺害された死体の描写による猟奇性など、ゴジラなどの巨大怪獣とは異なる等身大の恐怖が強調されており、後半の青空の下でスピーディに描かれるラドンとの対比ともなっている。
原型製作は利光貞三。着ぐるみは3人で演じる約5メートルサイズのものが造られた。先頭に入っていたスーツアクターは手塚勝巳。そのほかは中島春雄、広瀬正一、大川時生。2体登場するシーンでは、片方が下半身を隠しているため、上半身のみの造形物とみられる。そのほか、大中小計10個のミニチュアが制作された。
おもなキャスティング(年齢は公開当時のもの。故人である場合、没年は省略しています)
河村 繁 …… 佐原 健二(24歳)
キヨ(五郎の妹)…… 白川 由美(20歳)
西村警部 …… 小堀 明男(36歳)
柏木 久一郎 …… 平田 昭彦(29歳)
南教授 …… 村上 冬樹(45歳)
大崎所長 …… 山田 巳之助(63歳)
井関記者 …… 田島 義文(38歳)
五郎(キヨの兄)…… 緒方 燐作(31歳)
若い男 …… 大仲 清二(22歳)
若い女 …… 中田 康子(23歳)
警察署長 …… 千葉 一郎(27歳)
武内幕僚長 …… 津田 光男(46歳)
阿蘇ホテル支配人、メガヌロン、ラドン …… 手塚 勝巳(44歳)
防衛隊幹部、ラドン、メガヌロン …… 中島 春雄(27歳)
おもなスタッフ(年齢は公開当時のもの。没年は省略しています)
製作 …… 田中 友幸(46歳)
原作 …… 黒沼 健(54歳)
脚本 …… 村田 武雄(48歳)、木村 武(45歳)
音楽 …… 伊福部 昭(42歳)
特技監督 …… 円谷 英二(55歳)
監督 …… 本多 猪四郎(45歳)
製作総指揮 …… 森 岩雄(57歳)
造形チーフ …… 利光 貞三(47歳)
ラストシーンは希少な古代生物の絶滅(‼️)を表現して胸に迫るものがありました。
怪獣の巨大さを現すためにメガヌロンという比較対象を持ってきたところは「原子怪獣現わる(原作はブラッドベリ『霧笛』でした)」以来の特撮の伝統をしっかり守っています。この手法は平成ガメラシリーズにも「建物の破片によってヒトが死傷する」描写として脈々と受け継がれていますね~。
対して前半は今では見ることができない炭鉱の街の実態を克明に描写していて、これも今となってみると貴重な映像です。ぜひ世界産業遺産としての登録をお願いしたい映画です。
4K、本当に素晴らしかったです! 前半のメガヌロンパートの暗さと、後半のラドンパートのぬけるような青空との対比が、見事の一言。もはや伝説と言っていい西海橋&岩田屋破壊シーンの大迫力と、ほんとの一般観光客も巻き込んだという群衆の避難シーンに、当時の日本の勢いを観た気がいたしました。
と同時に、文明を超えた能力を持つ『ゴジラ』の系統とはまるで違う、「人間が倒せないこともない巨大生物」としてまっとうに駆除されてゆくラドンの最期に、『ウルトラマン』で決定づけられるアイドル怪獣以前の、それこそリドサウルス、金星竜イーマ、キングコング、東宝の獣人雪男にバランといったあたりにただよう怪物の悲哀を強く感じました。そうそう、実はゴジラのほうが異端だったんですよね、まだまだ当時は!
現時点でガメラシリーズ最新作の『小さき勇者たち』に出た悪役怪獣ジーダスもそうでしたが、ふつうに人間をむしゃむしゃ食べる怪獣って、地味~に小さいのが逆に怖いですよね……ガイラとか。
おっしゃる通り、炭鉱町の記録映像としても、そうとうの価値がある今回の4K 化だったと思います。
映像がきれいになって、佐原健二さんがぷりっぷりの少年系だったこともはっきりわかりました。ウルトラシリーズで見る佐原さんとは、また違った魅力でしたね!
「ラドン」を地元場末映画館の古い機材で観たのは既に60年近く前、その後「Vソフト LD DVD CS放送」と全て観たが、何より心に残るのは素晴らしい音楽=BGMでした。元々10代から二十歳くらいまでpropiano奏者&音響engineerを勤め、現生業に転向後も音楽/映像は心の全てでした。そういう中どういう理由か?大家巨匠の大作曲家の諸先生方との出会いが在り「伊福部昭 木下忠司 小川寛興 渡辺兵夫 山下毅雄 三木鶏朗 」他多数の諸先生方へのインタビュー取材に成功し、絶対に他には解らぬ知り得ぬ事をご教示頂きました。そんな中最も印象に残るのが「伊福部昭先生とのお話」で、この中で先生から「実に貴男は態度も立派で勉強も良くされている」とお褒めの言葉を頂き、生涯の金看板としております。その中で「ひとつだけ、お話をいたします」と、先生より「スコア=譜面を見てもよく解らないと思う それはスコアだけでは無く録音=recordingの際=マイクを近づけたり遠ざけたりして録るので、スコアだけでは表現できない」と。これは驚くべき事であり思い出して下さい=ラドンと防衛軍機の空中追撃戦のシーンを。「こちら北原」と言う台詞と基地との交信以外無いシーンのBGM 何故か「モノラル録音でスタレオ立体音響でも無いのに、何故かメインメロディーのトランペットのフレーズが遠くから小さく聴こえてきて段々大きくなりフルオケの大音量に、、」嗚呼っこのシーンのBGMこそ「マイクの位置加減の調整で、モノラルで在ってもステレオの様なパースペクティヴ=立体感 空間表現」を現しているのはと。感激しましたね。
ラドンそのものは完成された傑作ですが、それを陰で支えた「伊福部昭先生の素晴らしい音楽&東宝音響効果技術員等の創意工夫」があったればこその名画でした。今日の様な便利なコンピューターやDAW等夢の夢の時代、analogの粋を極めたラドンは素晴らしい映画でした。 敬具
そうなのです! 私も VHSビデオ版と DVD版は見ていたのですが、今回の4Kリマスター版上映に大きなショックと感動を受けて、とりあえず Wikipediaの資料だけ整理して、感想はもうちょっと生活に余裕ができたらおいおい……と考えていたのですが、このまとめ記事って、実際に観た人全員の印象に強く残るはずの「音楽」に関する内容がまるでないんですよね。それを補って余りある大石様の歴史的証言、本当にありがとうございます!!
序盤の炭坑シーンは洞窟の水滴とメガヌロンの「もきゅもきゅもきゅ」みたいな不気味な歩行音、そして終盤はただひたすらのミサイル着弾の轟音といった感じで、伊福部先生の楽曲は中盤のラドン飛来からの都市破壊シーンのみに絞られている感のあるこの作品なのですが、私も、後年に切り取られた劇伴音楽集を聴いて「あれ~? なんか、あの劇中のドキドキ感がないなぁ。」と感じていたのですが、あなた様が先生からうかがった証言を知って大いに腑に落ちました。なるほど、そういったひと工夫があったのですね!! 長年の違和感が氷解いたしました。ありがとうございます。
現在、この映画で誕生した怪獣ラドンのことを知る人のほとんどは、東宝の何十頭といるスター怪獣の一頭、というイメージのみを持っているかと思われるのですが、この『空の大怪獣ラドン』に登場するラドンは、明らかに人類の進歩の犠牲者となった哀れな生き物として描かれています。身長50m の怪獣をそう描くことももちろんそうですが、この映画では初カラー特撮映画、初めて実際の観光地を襲撃の舞台にした映画、溶鉱炉の溶けた鉄をスタジオに運び込んで撮影した映画、一瞬の旋風で吹き飛ぶ街のセットを1ヶ月以上かけて作った映画と、常識外のチャレンジを山ほど盛り込んだ一大スペクタクル映画だったはずなのです。それに遅れじと、手製ステレオ録音を発明した伊福部先生のプロ意識に、あらためて感服いたしました。
重ねて、貴重な証言をご教示くださった大石様に深く感謝いたします。
そして、早く感想の方の記事もあげたいと思います!! 本当に申し訳ございません……でも、あなた様のコメント以上にすごい記事なんて、できるわけないじゃないですかぁ! どうしましょう……
遅かりしは、由良之助じゃなくて私のほうでした~!!