長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

出ました! 超ウルトラスーパー0点~  映画『クロユリ団地』 拾遺

2013年06月18日 22時06分05秒 | ホラー映画関係
 いや~、やっぱり言いたいことはおぼえてるうちに全部言っとかなきゃあね。

 っつうことで、今回は前回に引き続いての、「映画『クロユリ団地』ふざけんなキャンペーン」でございます。1800円しっかり払って2時間ちかく拘束させられただけのコストパフォーマンスはきっちりいただきますぞ! 泣き寝入りだけは絶対にせんからな、クソがぁあ!!


 ……と鼻息荒く始まりましたが、まずはいったん落ち着きまして、前回にいちおう挙げさせていただきました、主演の前田敦子さんの堂に入った「手のつけられない病気演技」のほかにも、映画『クロユリ団地』には2つだけ評価すべきポイントがあったということで、私が見ていて「あっ、これはおもしろくなるかな。」と、実に儚いうたかたの幻想をいだいてしまった前半の良かったところも指摘したいと思います。
 確かに、最初の30分くらいは傑作になるような気配もあったんですけど……その後の展開で何から何までまるっとパーになっちゃいましたね。


good その1 「老朽化した団地を『幽霊屋敷』に選んだ着眼点」

 やっぱりここは見事でしたね。
 映画は冒頭から、引っ越してきたばかりの二宮明日香(前田さん)主体の描写と並行して、彼女が新しく住むこととなった年代物の集合住宅地区「クロユリ団地」の深刻な老朽化と止めようのない住民の高齢化を、セリフを使わずに無言のカットバックのみで的確に説明してくれています。

 外観に無残なひびと黒いしみが広がっているコンクリート製の灰色の団地。すべてが昭和時代のサイズに設計されたために、明日香がどうしても窮屈に見えてしまう部屋の間取りや階段の狭苦しさ。子どもも滅多に遊んでいない閑散とした外の公園。特に何をするでもなく、杖代わりの無人のベビーカーを押してさまよう老人……

 大都市の近郊ならばどこにでもありそうな日常的な風景だし、とりたてて不吉なわけでもないんだけど、どことなく重苦しい閉塞感がただよっているこういったカットの連続は、リアルな生活のにおいを伝えると同時に作品の緊張度をいやがおうにも高めており、介護士を目指して勉強中の若い明日香の前途に、この団地の「暗さ」がなにかしらの影を落としていくという展開を予言しているようです。
 実際に、明日香が高齢者を介護するための専門学校に通っている設定や、のちに隣の部屋で孤独死した老人・篠崎の遺体を発見してしまう展開など、この作品の特に前半は、2007年に65歳以上の人口の割合が総人口の21% を超えてしまった「超高齢化社会」日本の大問題を観客にビシッと突きつけた、かなり硬派なタッチになっているのです。

 ホラー映画の舞台として、従来なら人里離れた古びた幽霊屋敷が選ばれるような「まがまがしい存在」に、一時期には日本の繁栄の輝ける象徴だった団地をもってきた着眼点もナイスですが、『クロユリ団地』の少なくとも序盤は、2013年にこの作品が製作された必然性のようなものがバッチリ提示されていて、とても興味を惹かれました。デートムービーのつもりで観に来た若いお客さんには少々堅苦しかったかもしれないけど、私はすごく新鮮だと感じましたね。

 確かに、昨今の「昭和製の集団住宅」の老朽化と廃墟化はちょっとものすごい勢いで私の身のまわりでも進んでいて、劇中のクロユリ団地ほどの大きさではないとしても、どこかの企業の社宅だったと思われる小さなアパートやマンション風の建物が無人となり、夜には不気味な闇をたたえた「生のない場」になっているという状況には、知らない町をふらふらしているときによく出くわします。怖いんですよね……あのざらざらのコンクリート、締め切られた車庫のシャッター、誰もいるはずのない暗い部屋の中をチラつかせる窓の群れ! もしそこに人の影があって、じっとこちらを見つめていたとしたら……キャー!!

 写真家の内藤正敏さんの作品じゃないですけど、どんなに現代的な大都市にでも、必ず「魔の空間」は寄り添うように、あるいはいつの間にか一体化すらして存在している……無人のオフィスビル、深夜の病院、繁華街の路地裏、事件のあった現場。
 そういったものの最新型として提示された『クロユリ団地』の風景に、私は大いに期待値を上げたのですが……


good その2 「隣の部屋から聞こえる正体不明の音の強調」

 これも実に良かったですね!
 物語の前半、明日香は隣の住人の部屋に通じる壁から、正体不明の「重い物体を引きずるような音」が毎晩のように聞こえてくることに疑問をいだきます。
 まず、隣人のたてる不思議な音という展開要素はホラーやミステリーではかなり古典的なとっかかりであるわけなのですが、『クロユリ団地』の場合はただ単にその音を「ごそ、ごそ……」とリアルに表現するという順当な作法からは大きくかけ離れて、

「ゴリィ! ゴゴリィイイ!! ゴロン!」

 という思いっきり隣人を驚かす気まんまんの凶悪な不協和音をヴォリューム最大でスクリーンいっぱいに鳴り響かせているのです。 
 この気持ちのいいくらいのうそ臭さ! いいですねぇ~。『クロユリ団地』106分間の中で、私が唯一「その意気や!」とテンションを上げた演出でした。

 おそらく100% 意図的にかと思われるのですが、このでかすぎる壁の音は、初代『ゴジラ』(1954年)やシリーズ第2作『ゴジラの逆襲』(1956年)で観る者を大いにびびらせた、あの「巨大生物ゴジラのうなり声」に酷似しています。これは、のちの「怪獣王ゴジラ」の軽快な「アエェ~ン!」という雄叫びとはまるで異質な重低音のドスのきいた凶悪な声で、危険な「黙示録の獣」の気配と息遣いを肌で感じさせる実に良くできた音響効果になっていました。

 つまり、この壁の音は、クロユリ団地という建物や土地そのものが呪われた「恐怖の主体」そのものであるということを前半ではっきりと物語っているわけなのですが、そんな感じでせっかく好調なスタートを切ったその恐怖の主体はなぜか、話が進むにつれてどんどんその姿を変えていって……?


 と、まぁこういったあんばいで、実は最低限、序盤の30分間くらいの『クロユリ団地』はのちの展開に大いに期待感を抱かせてくれる「団地そのものが怖い!」という牽引力を十二分に機能させていたのです。
 まさか、あのキューブリック版『シャイニング』(1980年)のオーヴァールックホテルにも匹敵する「現代的な幽霊屋敷」の新たなる1ページになるのでは!? と鼻息を「フハッ!」としかけた私だったのですが……

フタを開けてみたら、前回にぶちまけたようなオールどっちらけの0点評価になっちまったってわけ。


 なんでこんなことになってしまったのか。序盤のいい感じのあれこれは、製作スタッフ自身のその後の演出によってどのように踏みにじられていってしまったのか?
 いちおう、おさえられない怒りに任せて、めぼしいところには前回だいたい触れたわけなのですが、今回は、他に気づいた『クロユリ団地』のどうしようもない致命的な失敗ポイントをざっとならべて終わりにしたいと思います。

 まぁ、メモみたいなもんですからね。前回の余熱処理みたいなもんだと思って、ゆっくりのんびり読んでってつかぁさ~い。
 たぶん、「そこがいいんじゃないか!」って反論する人はいない……と思う。


超BAD その1 「ベタな展開でさんざんひっぱっといた末に……それ?」

 『クロユリ団地』は序盤、主人公の一人である明日香の視点で物語が進行していき、その意味では1990年代から現在にいたるまで隆盛を極めている「実話投稿型ホラー」の典型的な流れを追ったような展開がしばらく続きます。

 明日香が新しく入学した介護学校で会話しているときに、彼女が「クロユリ団地に引っ越してきた。」と言った瞬間に「え、あそこって……『出る』んでしょ?」となんの気づかいもなく顔を曇らせる同級生など、もう百回くらいは見てるんじゃないかと思わせるパターン演出の繰り返しがズラズラとならんでいるわけなんですね。
 薄気味悪い隣人の存在、だんだんエスカレートする怪現象、明日香の「隣人がおかしい」という意見にかなりにぶい反応を返す周囲、なにやら訳知り顔で陰のある青年の登場、とかなんとか。

 で、それ自体はいくらベタだってかまわないんですよ? 後半に高まったぶんの期待に応えてくれる展開があったら。

 だのにま~、その肝心の後半が、前回にも言ったとおりの「笑えない幽霊退治コント」なんだからかける言葉も見つからないやね!
 時間をおうごとに展開がさらにベタになっていって、なんの新奇さも見当たらない放り投げオチでおしまい!? そういう実験的なことをやってサマになるほど独特の映像センスがあるわけでもないのに、ふつうの TVの再現ドラマなみの平々凡々な画面でそれをやられてもねぇ……なにを楽しんだらいいのか、さっぱり。
 全編2時間ちかくベタだらけなんていう摩訶不思議な大冒険は、デイヴィッド=リンチとかコーエン兄弟くらいの天才じゃなきゃもつわけがありませんわな。

 唯一、この流れの中でも「おっ」と感じさせるものがあるのだとすれば、それはやっぱり中盤での明日香のキャラクターにたいする観客の見方の「転換」かと思われるのですが、それだって前回に言ったような絶妙なつなぎの悪さで、大半のお客さんは「あぁ、イヤだなぁこの娘……」という感触に直結してますます興味が離れる方向に助長してしまったのではないのでしょうか。いくら意外な展開だからって、それでドン引きされちゃったら意味はありません。

 こういう、主人公の不運な設定が大事な要素になってるホラー映画自体は、昔からいろいろありますよね。その中でもいちばん『クロユリ団地』に似ている……というかオチがちゃんと効いているぶん『クロユリ団地』より数万倍おもしろいのは1961年の古典ホラー『恐怖の足跡』(ハーク=ハーヴェイ監督 アメリカ)なわけなんですが、こっちのオチにいっちゃうともう完全に『恐怖の足跡』のリメイクにしかならないんで、そこを避けた結果、今回のような実に中途半端で観る価値のない奈落に落っこちることになってしまった……だいたいこんな経緯だったんじゃないっすか?
 ちなみに、『恐怖の足跡』パターンの作品の中でも私が最も好きなのは、1981年の『ゾンゲリア』(ゲイリー=シャーマン監督)ですねぇ。いずれにせよ、このパターンはオチが強烈なぶん、そこにもっていくまでの脚本の伏線張りと監督の映像センスが大いにキモとなります。ということは……しょせんこっちに走っても『クロユリ団地』のスタッフ陣ではたいした作品にはならなかったでしょうね。意味なし夫。

 そういえば、前回にとばっちりに近い形で引き合いに出してしまった『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』「ムービーウォッチメン」コーナーでの『クロユリ団地』評で、宇多さんがこの作品のクライマックスでの美術造形をさして「ルチオ=フルチみたい」などとツルッパゲな意見をぬかしていましたが、それはあまりにもフルチに失礼だと思います。
 あんな、ちょっとサビてよごしのかかった程度のもので「フルチみたい」……? 登場人物が日本語のセリフをしゃべってるマンガを見て「手塚治虫みたい。」と言ってるくらいに的外れもいいとこな発言ですね。うじ虫の1匹もわいてない空間のどこがフルチ的なんですか?


超BAD その2 「黒ずんだユリとかジャングルジムのカットの意味のなさ」

 私がこうも口をすっぱくしてスタッフの技量を低く評価するのは、なんのオチも意志も示さなかった腑抜け脚本家の観客を馬鹿にしきったやっつけ仕事もさることながら、わけのわからないイメージカットをことあるごとにシーンとシーンとのあいまに挿入してくるという、明らかに監督が脚本の牽引力を信頼していない「ひより演出」がチラッチラ見えるからでもありました。
 あれね。どっかの花壇で何十本も咲いている赤黒いユリの花を映して意味ありげな「ズウゥ~ン」みたいな不協和音を流したり、真上の視点から団地の公園にある球形のジャングルジムを映して、それを「うにょにょ~ん」と歪めたりするカット。それがあって次のシーンに入っていくわけなんですが。

 いや~、心の底から意味がない、子供だましの時間稼ぎですね。「これはホラー映画です。これから怖くなるから、みんなみててね☆」みたいなテロップを画面の下に流したほうが良かったんじゃないですか? そんなに自信がなかったら。

 だってさぁ、作品の中で特に明日香がユリに興味があるとか、ジャングルジムになにかの思い出があるとか、そんなこといっさいないんですよ!? それなのに、ジャングルジムのカットから明日香の「非常に重要な記憶」のイメージ映像とかが始まっちゃうわけ。なんなの、そのデリカシーのかけらもないカット配置!? それで、その後の展開にユリとかジャングルジムがかかわってくることも結局ないんですからね。
 いったいどんな思考回路をしていたら、自分の全身全霊を込めた作品の、大事な血肉のひとかけらにそんなに意味のないパーツをはめ込めるんでしょうか。たいしてきれいなカットでもないよ? 意味ありげにピントを動かしたり CGでいじくってるってだけじゃん!

 シーンとシーンのつなぎは本当に大事だと思うんですよ……そこにどのくらいセンスを見せるかで、映像作家の技量は決まってくると思うの。『天才バカボン』のレレレのおじさんやウナギイヌを見習ってほしいですね。


超BAD その3 「忍を演じる成宮寛貴の過剰すぎる『不幸な境遇』ヴォイス」

 作品のもう一人の主人公である青年・忍。
 物語の後半から、なかば精神崩壊してしまった明日香に救いの手を差し伸べる存在として登場した彼もまた、明日香とはまた違う「重い過去」を背負って生きている人物だったわけなのですが……

 そこらへんの事情が明らかになる前も前、最初に画面に出てきた瞬間から、全身にまとうオーラが不幸すぎ!! 顔はやせこけて目はふしめがち、その上しゃべりだしたら声のトーンも疲れテイスト240% アップのやつれ演技だってんだからどうしようもねぇや! この状態で「明日ディズニーランドに行くんです……」とは絶対に言わないでしょう。

 そういう過剰演技って、見ていて本当に重たくてめんどくさいんですよね。
 成宮さんも、もう必ずしも若くはないんですよ。二枚目に変わりはないとしても、顔もそれなりに年齢を重ねて味が出てきて、肌にハリツヤのあるフレッシュ感はなくなっていると思うんです。だいたい、たたずまいでキャラクターの印象を出せる技術もすでに身についているはずなんですが。
 それなのに、そこらへんだけでなく「セリフのしゃべりかた」にまで不幸キャラの色を混ぜ込んできたら、そりゃあもうおなかいっぱいトゥーマッチってもんですよ。なんか、顔を出さないぶん演技を過剰にする必要のある声優さんなみに「私、不幸なんです!」成分がしみこみすぎなんです。いらないと思うんだけどなぁ、そんなには! ルー大柴さんレベルのクドさでしたよ。
 そういう人が主人公になっちゃうと……ついていけないよね。もう展開のなにもかもがめんどくさい。誰が死のうが助かろうがどうでもいいって感じになっちゃいました。全盛期のみのもんたさんの『チョット聞いてヨ! 思いっきり生電話』でも、この事案はフォローしきれないでしょう。梅沢富美男さんがいたらブチ切れる内容ですよね。

 こういうめんどくさすぎる不幸ペアが主人公だからこそ、クライマックスにあのインチキ霊能者がクロユリ団地にこの2人「だけ」を置き去りにしてミノル君との対決をまかせっきりにしてしまった展開も説得力がまるで見られないものになってしまいます。負けるに決まってんじゃん、そんなもの!! 後ろにいたおばちゃんの1人でもついて行かせろっての、バックコーラスに置いても意味ないんだから!


超BAD その4 「明日香は絶対に介護サービス業に向いてない」

 これは地味にイラッときました。
 お隣さんの孤独死を発見したんだかなんだか知らないが、本当に介護の仕事に就きたいんだったら、そんな最低なテンションで介護学校に来るんじゃない!! いるだけ、真面目に実習している他の生徒たちの邪魔!

 だって、明日香は孤独死が蔓延しつつあるような現状をなんとかしたくて介護の道を目指してるんでしょう? それがなんで、たまたま隣人の遺体を見たってだけで、あんな再起不能な状態になっちゃうんですか? それだけ明日香の意志は薄弱だったってことなの? そんなキャラクターをどうして前田敦子さんがやってるの!?

 なんか、おかしいんだよなぁ……そんな娘が思いつきで介護士を目指して、わざわざクロユリ団地に引っ越してきて学校に通うまでの意志を持つか?
 つまるところ、前半の「将来の夢に向かって進んでいる明日香」と、後半の「ミノル君につきまとわれる明日香」とのキャラクターに齟齬がありまくりなんです。中盤でブランコに乗って泣き出す明日香の行動がまったく唐突なんですよね。
 それが人間というものの複雑さ……なのか? 単に脚本が行き当たりばったりなだけなんじゃなかろうか。この疑問はそのまんま、次のポイントにもつながります。

 余談ですが、作品を観ている途中から、私は明日香というか、明日香を演じている前田さんのもろもろの演技が私の身近にいる女性の表情や言動の剛情さに酷似している事実に気づいて、明日香が泣いたり叫んだりするたんびに「う~ん、そういうこと言うよね……そして、確かにめんどくさい!!」と再認識してしまいました。
 でも、それは脚本がうまいってことじゃないですよ。だって、私の知ってる人は正真正銘の演技でそういうことやってるからね。うすっぺらい脚本なんだよなぁ~、心の底から!!


超BAD その5 「ラスボス『ミノル君』の存在の耐えがたいチャチさ」

 まず最初に疑問。
 明日香とのファーストコンタクトで、どうしてミノル君は無言で明日香から逃げるように走り去っていったのか?

 上の疑問の答えとして私は、「その段階では脚本はミノル君をラスボスどころか、敵キャラにする気さえなかった。もしくはどうしようか迷っていた。」という前代未聞の真相だったんじゃなかろうかとふんでいます。客に出す料理の作り方を、調理しだしてから悩むなバカー!!!

 まさか、ミノル君が「初回はわざと無視して、2回自分に声をかけた人間につきまとうことにしていた。」という諸葛亮孔明みたいな作戦をとっていたわけでもあるまいし。
 なんか、あからさまに急なんだよなぁ、後半からの「ミノル君がすべての元凶!」という展開が。
 そして、それがミノル君の「孤独でかわいそうな境遇だが、明日香に優しい気づかいを見せてくれるかわいらしい少年」という面をさんざん見せたあとで始まるわけだから、もはや何をやっても、どんなメイクをしてもミノル君が怖くないのなんのって。ふつうの小学校入りたてのガキンチョなんだもん、もう!

 これはもう、『呪怨』の佐伯俊雄君を製作スタッフがどれだけ細心の注意を払って「怖い存在」に創り上げたのか。その苦労のいっさいを放棄しているとしか言いようがありません。偉大なる先行作品からなんにも学んでない!
 幽霊役をやらせる子役なんて極力しゃべらせちゃダメなんだって。しゃべったら、どうやったってかわいらしさと幼さが出ちゃうんだから。生きている人間のあたたかみとか、「早く帰ってハンバーグ食べたいな~。」とかっていう脳内思念を表に出さないために、無言にしたり全身白塗りにしたり顔を映さなかったりしてたのよ、いろんな作家さんたちは。

 そういうことにろくに機転も働かせないで「はい、この子は悪霊でござ~い。」ったってそうはいかねぇよ。
 こっちは前半のそれなりの団地のおどろおどろしさで期待値が上がってるんだから! それなのにガキがとことこ出てきて「おねえちゃ~ん、開けてよ~。」ったって、もうじぇんじぇん怖くなんない! 勢いよくドアを開けたら、たぶんノブに頭をぶつけて号泣するぜ、あんなの。

 たいして人生経験もないくせに、いっちょまえにゴミ焼却炉と一体化して人を見くだしやがって……大ヤケドしたのはこんな映画を見るために千ウン百円払わせられたこっちのほうじゃ、クソガキがぁああああ!!


超BAD その6 「中盤からの忍と『金本』の役割のどっちつかずのアイウォンチュウ」

 なんか、明日香と忍をだしぬいて「明日香の秘密」を知ってしまう、介護学校の教師・金本っていう中盤のくだりが、まったくもってストーリー上のネタバレ要員にしかなっていないのがものすごく癪にさわりました。そういう意味では金本はかなり重要なキャラでなければならないわけなのですが、それ以前もそれ以降もまったく物語の核心にかかわってこないんですよ、全然。

 要するに、ミステリー小説でいう名探偵の推理なみに大事な部分のはずなのに、その役割を忍がやると忍が「全知全能すぎ」になってしまうから、そのパートだけ誰か他のキャラにやらせた。ただそれだけなんです。

 金本……なんだったんだ、金本? 来たと思ったら行っちゃったよ。
 演じた青山草太さんは大好きな俳優さんなんですが、実に意味のない仕事でしたね。


超BAD その7 「明日香の伯父・伯母夫婦のどうしようもなさ」

 役    立    た    ず    す    ぎ    。



 こんな感じで、『クロユリ団地』が超ウルトラスーパー0点だった採点内訳は以上で~っす♪
 あ~……すっきりしたんだかしてないんだか、よくわかんない!!

 日本のホラー映画業界よ、二度とこのあやまちを犯すなかれ。
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