華やぐ時間

時の豊潤なイメージに惹かれて 。。。。

 ” 河岸忘日抄 (かがんぼうじつしょう) ”   堀江 敏幸  著

2006-04-05 00:39:34 | ★本
人と話すときに大きな声音でものを言わない 物静かな男性の日記を読んだ という印象の本である
自分の考え方を掘り起こし 随筆のようでいて  少ない登場人物の動向をも追って 日が過ぎていく
フランスと思しき国の大きな河岸に停泊している船の中で数ヶ月を過ごす時間   たゆたう時間   
「ためらいは、断ち切られるためにある。  ためらいつづけることの、なんという贅沢」という文がある

日本にいる間にたくさん働き すべてを清算して かつて訪れたことのあるこの街へ立ち寄った時
知人の老人の急病を助けた縁で 「アパートを借りるくらいなら使ってくれ」と言う老人の持ち物の船に
起居することになる     毎朝 対岸の河べりで誰かがジャンベという太鼓を叩く音で目覚める
数日に一度 リュックを背負い  遠くの市場へバスを乗り継いで食材を買いに行く
吟味されて誂えられた調度品  たくさんの蔵書  クラシックレコードを好きに使用する許可を得て
彼は 船のキッチンでオムレツを焼き  クレープを作り  果物のジャムまでこしらえて自炊する

デッキで煙草をくゆらし 珈琲を飲み 本を読んでいる  郵便物を届けに郵便配達夫がやってくる 
近くに停泊中の船の少女が遊びに来る    船を管理する会社の人とのやり取り
病に臥した大家である老人を ときおり見舞いに行って話し込む時間  
その会話を日本にいる年長の旧友に伝え 東西の国の時間を問わずファックスの文が行き来する

       ***************


真実とは、本人がそこにあると信じているかぎりにおいて有効なのであり、 信じる力が弱まって
影が薄れた瞬間、 嘘に転じてしまう酷薄なものだ。

たんにひとりでいたかっただけなのだ。 そういう時間と空間を求めて、わざわざここまでやってきたの
だから。 とはいえ、 ひとりでいることの不可能をもっと自然に受け止められるようになれたら、とも
心の底で期待しているあたりに、 彼の本性的な弱さがあった。

いろいろなひとの、いろいろな言動にたいして、そして自分自身の言動にたいしても、 彼はしばしば
抑えきれない怒りの気配を感じることがある。  怒りの芽は、いったん散り散りの灰となって胸のうちに
音もなく降り積もり、やがて体内に溶け込んでいく。 この内爆の瞬間さえ把握できれば、本格的な暴発、
暴走を防ぎうるはずだとの確信が彼にはあった。

繋留された船の暮らしには、 たしかにどこか隠遁に似たにおいがある。   
隠れ家とは出ていくことを前提にしているからこそ存在しうるのであって、 きついのはそこで
何ヶ月も何年も禁欲的な暮らしを守ることにではなく、 いつでも出発できるのにあえてそれを拒み、
待機しつづけることにあるのかもしれない。

実人生のなかの「私」の像は、 あくまでも片側に、一面にすぎない。 
一対一の関係の順列の組み合わせだけなら、 人づきあいなんてじつに単純で、 薄っぺらな遊戯に
等しい。 
そこに多対一の、 多対多の関係が加算されてくるから話がややこしくなるのだ。
組み合わせしだいで楽しくもなり、鬱陶しくもなり、悲しくもなる。  そういう変化を厭えば厭うほど、
他人が所有する自分の人生のかけらが少なくなって、 証言の数が乏しくなる。

自分以外の存在、すなわち他者とのあいだの消しがたい距離の受け入れ「と」、距離があるからこそ
他者への理解に道が開かれるという認識。   自分とは異質の人間にたいして否定や拒否の盾を
かざさないある種の強さ「と」 やさしさを目指していくほかないのである。


        ******************


本を読みながら 音楽を聴きながら 観た映画を思い出しながら 彼は自分の思考を繰り返し思う
折々の彼の独白を読み進むのは 船底に寄せては返す波の水音を聞く感じに似て  ここちよい
大家である老人が亡くなり 季節が一巡した頃   久しぶりに 対岸の土手からなつかしい太鼓の
リズムが聞こえてくる   彼は手鏡を持って 対岸のジャンベの演奏者に光の合図を送るのである
「現状にゆったりと胡坐をかいている自分を、自分にたいして静かに破門してやることだ。
散歩に出てみよう  向こう岸に渡ってみよう  おそらく2時間ほどで着けるはずだ 」
主人公が行動の気持ちをもたげたところで物語は終わる
先ごろ1月31日に ”読売文学賞”を受賞した本である



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2 コメント

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ニート生活のお手本? (ニート1号)
2006-04-05 19:22:42
ニート生活に参考になりそうな小説ですね。私のニート生活より、はるかに高尚ですけど。



「本を読みながら 音楽を聴きながら 観た映画を思い出しながら 彼は自分の思考を繰り返し思う」隠遁生活には惹かれますが、どんどん厭世的になっていきそうです。俗世間や他者と適度な距離を保った生活が理想的です。経済的にも精神的にも、現実は難しいですけどね。
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たゆたう 待つ時間 (rei-na)
2006-04-06 20:29:57
いろんなことがスピードアップしている今の社会にあって 日が週が月がサッサと過ぎていくような気がします

時間割をこなしているだけの日々 と思ってしまったら その歯車から しばし外れたくなってしまいます

生きていくうえで身にまとわなければならない いろんな衣を脱いでみる時間  

何をどう着たいのか 持てるものを並べて眺めてみる時間・・    

この本を読みながら そんなことも考えていました

 





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