華やぐ時間

時の豊潤なイメージに惹かれて 。。。。

舞台 ” ピンク・フロイド・バレエ ”

2005-10-16 15:39:08 | ★芝居
ロック音楽を たぶん わたしはあまり好みではないかもしれない
だけど ずいぶん前に(30年前とか?) ラヂオから流れてきたピンク・フロイドの
”吹けよ風、呼べよ嵐”を はじめて聴いたときは  心が戦慄した
心の深いところへ うねるような躍動するような激しいビートが斬新で 印象に残った

昨年2月 ローラン・プティ演出・振り付け 牧阿佐美バレエ団の共演で
”ピンク・フロイド・バレエ”が初回上演されると知った時は バレエに無縁のわたしなのに
クラシックバレエの人たちが ロック音楽をどのように踊るのか 興味がわき 観に行った

昨日10月15日は バルセロナ パリで上演された新バージョンの東京公演の日
また観ることが出来る  喜び勇んで出かけた  前から8列目というラッキーな席
男性は上半身が裸 真っ白なズボン  女性はノースリーブの真っ白なつなぎタイツ
広い舞台を端から端まで動き舞い 高く跳躍する男性ソロダンサーが回転すると
汗までがライトにキラキラ光って回転しながら 飛び散る
男性ダンサーの筋肉の美しさ  きりきりと上体を張り 集中と緊張の緩急の身体表現
どの筋肉を使って表現しているのかが よっく見える わかる

男性のソロ 群舞 男性と女性のデェオ 男女の群舞 ”吹けよ風・・”の40名余の幾何学的群舞
ピンク・フロイドのビートのきいた音楽 哀愁ただようスローな曲が 交錯する照明と
ダンサーたちの洗練された抽象的な踊りとマッチし 観ている者は惹き込まれ陶酔してしまう
鍛えられた男性女性のボディの動きの 筋肉の美しいこと  しなやか 強靭 哀愁 官能
身体表現の美しさを たっぷり堪能した

どのくらい練習して選ばれて あの舞台に立つのだろう
踊りに限らないことであるけれど ひとつのことを人が関わり 修得していこうとする時
とてもたくさんの時間を自分が独りで向き合わなければならないと思う
他者のためではなく 自分自身のために真摯で誠実で強くなければならない
選ばれて舞台へ立つまでの 人の見えない努力 汗 涙に わたしは感動する
コメント (5)
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芝居 ”審判 ”

2005-10-09 02:46:13 | ★芝居
俳優加藤健一 本屋でこの本を立ち読みして涙し この作品を上演したくて 劇団を立ち上げたという
以来25年間 バリー・コリンズ作”審判”は 今回11回目の上演になるという
英語にして7万語の台詞を 一人で休憩なしの2時間半を喋り続ける
黒い幕を背景に舞台中央の証言台の前に立つ俳優にスポットライトが当たってるだけの簡素な舞台
  
演ずる側にも観る側にも 緊張と集中 気力がいるだろうと思う芝居である
「役者としての僕の原点。 セットも音響もなし、ひたすら言葉だけで、観客の想像力をかきたてる。
役者にも観客にも”極限”を求める芝居です。」と加藤健一が語る
彼の芝居を何本か観たことがある
喜劇タッチのものが多く 目がキラキラして楽しそうに演じていたが 妙な存在感があった
ゆるぎないもの 強さのようなもの  今なら 内なる瞑さを秘めている人 と言いえる

第2次大戦中 ドイツ軍の捕虜となったロシア人将校ら7人が修道院の地下室に閉じ込められた
衣服を剥ぎ取られ水も食料もなく 格子のはまった小さな窓があるだけの石造りの狭い地下室
60日後に救出されたバホフ大尉が軍事法廷の証言台に立つ
飢えと渇きと救出を待つ日々の間に何があったのか 語り始める

トレチャコフ大佐が監禁11日目で「生存のための作戦」を提案する 各人の髪の毛のくじを引き 
当たったものが残りの生存のために自らの肉体を食糧として提供する というもの
くじを引いた結果 彼が最初に当たり 規律を守るために抵抗せず そのまま殺害される

2番目にくじに当たるライセンコ少佐は 合意の基にくじを引くが 当たってしまい 
抵抗するが殺害される

バホフの幼馴染バニシェフスキー軍曹は 2人目が殺害されるとき ひそかに自殺する

ブロック大佐は 仲間の肉を食べられないと自らの肉体の提供を提案し 生きることを放棄する

ルビアンコは 4人目の肉を食べることを拒否し 発狂している状態をルービンに殺害される

バホフと共に救出されるルービン少佐 発狂した生存者 一人目の肉を一番最初に食べた人 
肉を積極的に食べ仲間にも食べさせることで 他人の死を無駄にしないで
「だれかが生存する」という目標を達成しようとする 
ルビアンコの発狂していく様子をまっすぐ自分の中に受け入れ 彼を殺害し 自らも発狂する

正気の生存者バホフ大尉  仲間の肉を食べたということで軍事裁判にかけられる
ルービン少佐が発狂してからは 彼をなだめたり食事の面倒をみたりする
二人だけになり ルービンを殺す意志はないが 殺されそうだったら殺し返そうと
死んだ仲間の大腿骨の骨を石の床で研いで 鋭利なナイフを作る

最初に 儀式 のようなものがあり 地下室の中に 生きていくための秩序が出来ていく
死んだ5人の首は 床に丁寧に並べられたという
その様子を思い描く時 死んだ者の思いを生き残ってる者が厳かに受け継いでいるようにみえる 
語り手がふっと息をつめ 間をおくと 観客もふっと真空になった気配が何度もあった
「誰か一人でも生き残るように 」と自分を差し出す人 食することを拒む人 食して狂う人
ひどい状況にあって 食べなければ生きられない人間への他者の愛?
人間って何だろう   まだまだ 考えきれない
観終わって俳優へ拍手を送りながら 涙があふれた


これは実際にあった事件をヒントにしているそうです 
生存者2名はいずれも発狂していて 銃殺されたそうです
作者は もし1名が正気だったら という仮定で この作品を書いたそうです
コメント (4)
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映画 ” シンデレラマン ”

2005-10-03 11:43:57 | ★映画  
映画のレディス・ディに 友人に誘われて”シンデレラマン”を観に行った
ラッセル・クロウが主演して ボクシングの話でサクセスストーリーっぽいので 関心がなかったけど
映画後の食事&お喋りに食指をそそられ  レディなのでくっ付いて行った

アメリカの恐慌時代に実在したボクサーの物語
若い頃は成績も残し 経済的にも恵まれて過ごしたジム・ブラドックも 加齢 時代の流れの中で
家族を養うために 早朝から港の日雇い労働者斡旋の行列に並ぶ日々を過ごしている
かつてのマネージャーが 対戦相手降板のための ”一晩だけの試合”話を持ってきた
相手はチャンピオンに対戦する予定者である  「出てくれるだけでいい」 とギャラを渡す
ジムは 勢いのある若い相手をノックアウトで勝ってしまう
番狂わせで ジムがチャンピオンと対戦することになってしまう
反則のようなやり方で対戦相手を打ちのめし リング上で2人を死なせてしまったチャンピオンである

元マネージャーは久しぶりのジムの勝利試合を見たとき 何かを感じた
「お前なら チャンピオンに勝てる」 と高額の準備資金をジムへ渡す
ジムの妻(レネー・ゼルウィガー)は マネージャーの高級マンションへ乗り込んでいく
「ドアを開けなさい  自分はこういう良い暮らしをしていて 生活に困っているジムをお金で釣る!」
招き入れられた室内は家財をほとんど売り払い 広い部屋の小卓にマネージャーの妻が座っている
「夫がどうしてもジムに賭けてみたいと言うので 資金を作ったの」と微笑んで言う

光熱費を支払えないために電気を止められ 子どもがハムを万引きしてしまう
熱のある子どもを病院へ連れて行くお金がなく 食品店への借金ばかりが増える生活
飢える子どもたちを実家へ預けたいという妻を 家族の離散は許さないとジムは怒る

もう一度リングに立つ機会をくれ と言うジムに 妻は
「いつも試合のたびに 少しの怪我をして二度とリングに立てないようにと祈っていた」と言う
ジムはすぐにノクアウトされるだろう  リング上で殺されるという噂が聞こえてくるにつれ 
妻は殺されるかもしれない試合に出ようとする夫へ棄権を哀願する
試合当日の朝 喪服のような服装で夫を送り出した妻は 祈るために入った教会の中が
ジムの勝利 無事を祈願する貧しい人々でいっぱいなのを見る
何十万人もが失業に苦しんでいた時代 貧しい人たちがジムの試合のために入場料を払い
街で家の中でラジオを聴きながらジムを応援する
急いで会場の控え室に駆けつけた妻は 「わたしの支えがなければ勝てないでしょ」 と言う


世の中の仕事はもちろん 一人の人間の言動は いつだって孤立無援のものだと思っている
ボクシングのいろいろなことは皆目わからないけれど 身を守る衣服もなく 素手に近い状態で
自分の力 技術だけで戦っていくこのスポーツは 視覚的に孤立無援そのものに映る

リング上で死ぬかもしれない夫を送り出す妻の気持ち  わたしなら こう言いたい
「わたしにとって 大切でかけがえのないあなたの したいことをしてください 
 あなたが何をしても何を言っても  わたしはあなたをすべて受け入れます 
 あなたのすることを見ていたい  わたしをあなたのそばにいさせてください 」
コメント (1)
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映画 ” マザー テレサ ”

2005-10-02 20:12:39 | ★映画  
マザー・テレサの生き方に とても関心があったので 楽しみにして観に行った

カルカッタの街で 貧しい人や路上に放置されたまま亡くなる人々を見かけ
修道女の身分のままでは思うようにボランティア活動が出来ないので 
自分で修道会を請願創設する
市場へ行き 売り物にならない食物を譲り受け 孤児たちに分け与える
孤児が寝起き出来る家屋や  治癒が手遅れで死期の迫っている人や 
ハンセン病の人たちが働きながら住める村を作っていくこと
自らを神のペン先と称して 信念と勇気と行動力で実行していく

頑固なまでの信念と勇気と行動力である
寄付も集まり 慕う人たちが手となり足となって テレサの行く先々を助ける

「人間にできるもっとも大切なことは、祈ること」  いい言葉だなぁと思った
テレサの志に賛同する人たちがインド以外の国でも同じような施設を作っていく
だんだん組織のようになってきたとき 「これは今日で解散して また初心に戻ります」
と言うところで 映画はおしまい

感想は ドキュメンタリー映画を見終わったようだなぁ と思う
テレサを演じるオリビア・ハッセーの眼差しが 意思的に強く見えたためか
小柄なマザーテレサは 意志の強い政治力の備わった行動力の人のような印象を受けた

人への深い愛にあふれたテレサであっても ただそれだけでは人を救えない
現実に雨風をしのぐ場所 食べ物がすぐ必要である
貸してもらえそうな建物が他宗教の人たちの町にあっても ひるまない
愛はある種の強さに裏打ちされていると確信する所以である
      

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