華やぐ時間

時の豊潤なイメージに惹かれて 。。。。

” 袋小路の男 ”  絲山 秋子 (いとやま あきこ)  著

2006-01-18 17:15:03 | ★本
”海の仙人” や ”イッツ・オンリー・トーク”なども読んでみたけれど  作者の奏でる思いは
いつも同じところにあると思うけれど なんだか読後の読み心地が落ち着かなかった
語り方に 物語そのものに なんだか強引な印象を受けたのかもしれない

男と女の間に友情は成立するのか   性の関係を持たない恋愛はあるのか
こういう問いかけをはらんで 作者は物語を書く  どの主人公の男と女も強い信頼感に結ばれている
二人の心の距離が縮まりながらも 情を交わす関係にならない  なれない
それぞれに付き合う恋人がいても また縁があって出会い 理解し信頼された親しい時間が繋がっていく
作者のどの物語にも たいてい この主題が盛られている   
そして やっと”袋小路の男”  こういう物語を待っていた  川端康成文学賞受賞作品である
  
この本の中には 他に中篇が2本編まれている
”小田切孝の言い分”は ”袋小路・・”の番外編といえるかもしれない  
物語にふくらみを与えているようでいて 書き過ぎの感じがあり ”袋小路・・”一本だけで
物語を楽しみたいとき  読み手の想像力や余韻を奪うかもしれない   
なくてもいいお話だと思う  ← 小声

3本目の”アーリオ オーリオ”は スパゲティのアーリオ オーリオ エ ペペロンチーニが好きな
40代の独身の叔父と14歳の中学生の姪が星座の話をとおして文通をする
「或いは宇宙は永久に膨張を続けて冷たくなっていくのか。   ・・・・  
しかし終わりというのは、いかなる意味でも時間のことではないか。 
宇宙が終わるとすれば、そのときに時間というものも終わる。 
しかしなぜ自分はいつも終わりのことばかり考えるのだろう。 」 と思う叔父が主人公なので
少しさみしくて  静かな雰囲気の小編である

”袋小路の男”   
文章が平易で読みやすく 切実な物語かもしれないのに 明るいおかし味がある
この主人公たちも やはり 作者の気がかりなテーマを生きる
飾りを削って語ったとき さらりと素直なお話が立ち上がった  そういう好印象が持てる

以下 文章の抜粋 概要
高校一年生の私は 袋小路に母親と住んでいる一歳上の小田切孝に好意を持つ
あなたと初めて会ったのは、学校ではなく、友だちに誘われて行った薄暗いジャズバーだった
小田切孝さん  二年生で、成績が良くて、彼女がいるのにソープランドばっかり行ってる人。
すこし機嫌のいい日は私のテーブルに手を置いて、「出ようか」と言う。 どこかご飯でも食べに連れて
いって貰えるかと尻尾を振ってついて行くと、「あ、ちょっとごめん、待ってて」と、言ってパチンコ屋に
入ってそのまま三十分は出てこない。   そうでなければ本屋に入って一時間も立ち読みをする。
私はいつも怒りそびれて、でも黙って帰ってしまうこともできなくて、手持ちぶさたで困っていた。

私が二十歳になった時、あなたは電話で言った。 
「二十歳になったらセックスしても犯罪にならないんだから、機会があったらやりましょう」
私は飛び上がる程驚いて、言葉が出なかった。 
私はその話を大学の友達にして、それを言いふらされてひどく傷ついた。
きっかり二年間付き合って、大学卒業と共に別れた。 私は大阪が本社の食品会社に就職した。
あなたがアルバイトをしていたのは あのジャズバーだった  
お盆と正月以外でも東京に来ればジャズバーに顔を出すようになった
空白の期間、どうして私はここへ来なかったのだろうと考えた。 
あなたに会うかもしれないことは会えないことよりも怖かったのかもしれない。

あなたが携帯に出ないのは今に始まったことじゃないけれど、何日も続けて出ないのはおかしいと
思った。   それで家の方に電話した。  あなたは階段から落ちて背骨を折った。
行こう。  新幹線はもうないけれど、私にはガンメタのフォルクスワーゲン・ゴルフがある。
月曜の朝までに大阪に帰ればいいんだ、行こう。  こんなときに行かなかったら私は私じゃない。
私は土曜と日曜、面会時間をフルにつかってそこにいた。  大阪から新幹線で、半分くらいは
ゴルフで来た。 毎週来るのはしんどい。 それにお金もかかる。 けれどほかに何が出来たろう。
私は週末大阪にいて、あなたがどうしてるだろうと思うほうがイヤなのだ。
「もし、私がいつもいてうっとうしかったら、遠くでいいから買いものでも言いつけてください」
あなたは、「足りないものは何もない」と満足げに言った。

コルセットができ上がってあなたが退院すると、私は東京へ行く理由を失った。
結局、退院してはじめてあなたに会ったのは一年近く後のことだった。
「おまえさ、俺と結婚しようったってだめなんだぜ」 「そもそも俺にその気がないんだからよ」
問題は結婚なんかじゃない、この中途半端な関係をどうするかということだった。
片思いが蛇の生殺しのように続いていくのがとても苦しかった。  私は考えた末にメールを出した。
「小田切さん、このままじゃつらいです。最後に一度だけでいいから」 そのあと迷って
「一緒に寝てください」と書いた。 でも断られた。 「おまえと縁を切るつもりはないけれど、
俺は本当にいろんなことを諦めているんだ。これで答えになるかな」  なんない。

出会ってから十二年がたって、私たちは指一本触れたことがない。
今、あなたは私の部屋にいる。
Tシャツの下からへそを出して、軽いいびきをかいて気持ちよさそうに眠っている。
私は文庫本を片手に番茶を飲みながら、あなたの目がさめるのを待っている。
襲ったりはしない。せまったりはしない。 あなたを袋小路の奥に追いつめるようなことは一切しない。 
静かな気持ちだ。


   ****************


作品 ” 沖で待つ ”で 作者は芥川賞を受賞しました  おめでとうございます
                                    
                          
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

” 時計館の殺人 ”  綾辻 行人 (あやつじ ゆきと) 著

2006-01-13 02:17:10 | ★本
久しぶりに長編推理小説を読んだ   大勢の人が死ぬが 殺人は二人くらいでいいと思う
殺人が起きてしまう因縁 動機 準備はすごい  そして年数を要するトリックは面白かった
犯人の怨恨がどんなに深くても  あまり年数がたたないほうがリアリティがあると思う
まして 単独か複数犯かはともかく 人は一度に大勢の人を殺害できるものじゃないと思う
ピストルだと可能かもしれない  引き金を引くだけの手応えしかないのだから
でも自分の手が物を持って人を痛めるのは 直にそれが自分に伝わり 何度も出来るものかなぁ

文章を読みながら状況や背景を想像していく読書と 情景を画面で見せる映画とでは
読み手 観客の推理力に差異が出ると思う
密室殺人の設定だけど わたしは早いうちに密室ではないことに気づいた
映像なら すぐに直感できそうである
水についても そう    超常現象研究会の大学生たちが気づかないのは変である
作者は繰り返しポイントを書き述べている  書き過ぎの感があり 読みながらわかってしまう
殺人が出てこない推理小説ってないのかなぁ  せめて 人をあやめる犯人の逡巡も書いてほしい

時計館ということで たくさん時計が出てくるが ”もう一つの時間”ということを考えた
今 自分が暮らしているリアルな時間と場所がある
自分の心の中に この現実以外のもう一つの時間の流れを見 感じることができるなら
たとえば自然の大きな推移でも 敬愛する人の生の時間でもいい 時の流れを感じることができれば
自分の生に豊かさが加味されるような気がする
                              
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

” 写楽殺人事件 ”  高橋克彦 著

2006-01-10 21:26:23 | ★本
昭和58年  第29回江戸川乱歩賞を受賞した作品である  
ジャンルは推理小説になるのだろうが これは写楽は誰かという謎への研究発表の書として楽しめた
作画期間10ヶ月の間に140枚の絵を描きながら 素性も履歴もわからない写楽の正体は誰か
いろいろな諸説があり 浮世絵の魅力とあいまって 浪漫がある
この物語の写楽説は 長年浮世絵を研究してきたであろう著者の持論なのではないだろうかと思う  
写楽の生きたであろう時代の秋田蘭画という画風の存在はこの本で知った
田沼意次の時代の秋田藩にまで視点が広がり 研究者の調査検証はとても緻密なものだと驚嘆した
殺人の起きた推理小説の謎解きとからませて  ぐんぐん読ませる
                                 

    
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

” グールド魚類画帖 ”  リチャード・フラナガン 著

2006-01-08 18:33:32 | ★本
英連邦作家賞受賞の作品  新聞の書評が褒めていたので予約して待ち 読み始めた
物語は長編に限る   長い話はとても好きだけど 前半は読みにくかったなぁ


訳者あとがき より抜粋。。。。。
オーストラリアのタスマニア州ローンセストンにあるオールポート美術資料館に、19世紀に描かれた
36葉の魚の水彩画が現存する    推定制作年は1832年、作者は英国から現在のタスマニアへ
流刑となった囚人ウィリアム・ビューロウ・グールド
1827年、グールドは衣服を盗んだ罪で7年間の流刑を言い渡される
当時イギリスでは産業革命が進み、手工業が機械化されて失業者が増大するとともに貧困層が拡大し
犯罪者の数も増えて刑務所は過密状態になっていた   政府は、その問題を解消し 植民地開拓の
ための労働力として使うため、 政治犯重罪犯のみならず 貧しさゆえに少量の食糧を盗むなどの
ささいな罪を犯した者まで、 大勢をはるか彼方の南海の植民地への流刑に処した

1827年12月、グールドは囚人輸送船エイジア号で現タスマニアに到着する
過酷な強制労働、鞭打ちなどの拷問、長期にわたる独房での監禁などが行なわれ、脱走者があとを
絶たず 脱走しても再び捕らえられるか、 逃亡中に死ぬか、 あるいは山賊となった
ロンドンではドイツ人石版画家の元で仕事をしたことがあり、 航海中は船上で士官たちの肖像画も
描いたグールドは、 この特技ゆえにほかの囚人よりも多少優遇されたのだろう
植民地外科医で素人博物学者ジェームズ・スコット医師に下男として仕え、同氏の依頼で地元の植物の
水彩画を描いた   その後 ウィリアム・ド・リトル医師に仕え、本書に登場する魚の絵も同氏の要請で
あった可能性が高いと思われる      晩年の数年間は、窃盗の罪で数回にわたり投獄され
1853年12月 酒に溺れ、極貧のうちにホバートで果てた

グールドが描いた魚の水彩画に出会ったリチャード・フラナガンは、 写実的に美しく描かれた絵で
ありながら、 妙に人間のような顔つきをしたその魚たちを見て、画家が自分を取り囲む残酷な世界の
なにかをこれらのイメージにこっそり持ち込んだような印象を受けたという
章ごとに一匹の魚をあて、その魚が描かれた経緯を語り、 絵の本当のモデルを明らかにするという
手法で小説を書くというアイデアが生まれた
この小説は、勝者が語る歴史を敗者の側から書き直した作品だと一応言えるにしても、
支配者側にも被支配者側にもある、 善と悪、美と醜、悲哀と欲望、寂寥と孤独を多重に描き、
汚辱にまみれたこの世界と人間の眩暈をおぼえるような姿を全体的に描き出すことに成功している

          ***********

本書の12枚の魚の絵はどことなくユーモラスな表情でかわいく 色彩に惹かれる
本当に赤は血の色、 セピアはイカスミと排泄物の色、 緑はアヘンチンキの色、 青は貴石を砕き、
紫はウニの棘をすりつぶして作った色なのだろうか
小説の感想としては 主人公グールドは へこたれず明るい
残酷な拷問  仲間が死んでいく様子  自分の独房に夜毎海水が満ちてきて死体と共に数時間
浮かんでいなければならない状況   看守に長靴でデコボコに蹴られながらも冗談を言い続ける
司令官の愛人と情を交わし 恋のように楽しい交流
海に囲まれたこの島から絶対に逃げ出すことが出来ず  囚人という身柄が不変であるとき
人はどう生きるのだろうと思いながら読んだ   囚人だけではなく 配属させられた役人たちとて 
辺鄙な島での隔離された状況は同じである
文字を読めて 絵心のある主人公ではあったけれど 空腹でやりたくもない単調な苦しい労働をして
いくだけの生しか 先にないとしたら  心の希望とか活力とか持てるものだろうか
むき出しの命そのものになって 規則も秩序も放って 自分の思うところへ突き進む
そういう登場人物たちで動物たちの檻の中のような物語だけれど 人間の愛おしさのようなものが
読後に残り  また再読してみようかなぁと思う 
                                

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォントサイズ変更

フォントサイズ変更