華やぐ時間

時の豊潤なイメージに惹かれて 。。。。

映画  ” 僕がいない場所 ”

2007-10-22 21:35:03 | ★映画  
   
                 


秋晴れの日  たくさん時間があったので  東京へ映画を観に行った
上映中でも前売り券を買える某所のカウンターで  え”! 
わたしの観たい映画は  次週からの上映だった      
わざわざ出てきたのに帰るのはイヤだし  ウィンドウショッピングも関心ないし  どうしよう・・
どうでもこうでも何か観ようと  上映中の作品一覧表を眺めてみた
” 僕がいない場所 ”    新聞の評が褒めていたような気がする
上映時間がちょうどいいから これを観てみようという消極的な気持ちで  劇場へ行った
2005年の映画だけれど ベルリン トロント ニューヨークなどの映画祭で 五つも賞を獲得している    
不思議なきっかけで 映画に呼ばれて観ることになり   観てよかったと思える映画だった   

少年のひとりぽっちの孤独を描いた ポーランドの女流監督の作品である
ヨーロッパの街は 人があまり出歩かないのかと思うくらい 人通りが少なかった印象があるけれど
この映画の街の 歩く人のいない石畳の街路  川辺の夜明けの景色  夕方の景色の映像は美しい
子役はオーディションで選ばれた素人の子供たちらしいけれど  子供の表情はナチュラルそのもの 
特に 主役の少年の凛とした雰囲気は  過酷な境遇のなかでの独り感が切々と伝わってくる
育児放棄の親の現実やストリートチルドレンのことを描いた 現代の映画である


クンデル少年は 孤児院の発表会のような場で詩を暗唱して  先生や生徒に嘲笑される
きらいな給食を食べ残したという罰で 夕方まで食堂に残されたとき  クンデルは塀を乗り越えて 
無銭乗車をしながら  母の住んでいる家へ向かう
母は クンデルが来たことを喜ばず そばに男がいないと生きられないと クンデルを厄介なように言う
大きな川べりに朽ちかけた舟を見つけ そこで起居し  空缶やクズ鉄を集めて売り 生きていく
はじめてお金を手にしたとき  街の食堂で温かいスープを注文する   
きれいなウエイトレスが 「 お金は いいわよ」 と言うが 「お釣りは いいよ」 とお金を置いて
店を出るクンデルに  ヨーロッパの少年は小さい頃から男なんだなぁと 感心してしまった

川のそばに建つ裕福な家の少女は  優秀な姉に似てないことや家庭内で疎外感があるのか 
小学生のような年齢なのに  毎晩 舟の中へ飲酒の缶を捨てていたのである
廃船で暮らす少年に話しかけ親しくなり  パンを持ってきてくれるようになる
クンデルの唯一の慰めは 幼い頃に遊んだ手回しオルゴールを回して カタコト音を聴くこと
学校にいる少女を塀の上から見て 手を振って合図をする
母の家の庭で 母が男たちと談笑しているのを  日が暮れるまで 木の蔭から見ている
履いている靴の破れが大きくなると ガムテープを拾ってぐるぐる巻いて履く
かつて仲間だったストリートチルドレンの少年たちは空き家でクスリを吸い クンデルを標的にして追う

クンデルは ほとんど一日中 独り    笑わない子供   笑顔を見せる場面は あったかなぁ  
母に愛してもらえない少年
なぜ訪ねてきたの  今日はあの男が来る日なのにお前のせいで来ない と言わんばかりの母親
夕焼けの美しい川べりで 大事なオルゴールを 先に川へ落とし  自分も落ちて死のうとする
急いで水中のオルゴールを探し  船に上がって火を焚き  服を乾かす
少女たちの父親は 少年が一人で舟で起居してることを知っていながら  無関心でいる
妹と少年が仲良くしていることに 姉は意地悪をして警察に少年のことを通報する
警察の取り調べ室で 係官が「 君の名前は何というのか  君がだれなのか知りたいからね 」と言う
クンデルは 「 僕は 僕だよ 」と答えて  映画は終わる


主人公たちは子供だけれど  大人が手を差し伸べない少年の境遇は あまりにも殺伐としている
笑わない少年は  ひとりで生きていく工夫をしなければならない
愛されない子供の孤独は  一人前の大人の男の孤独と見まごうばかりに 傷ましく残酷だ
街のひんやりした石の建物   音のないような道   雲の厚い弱い陽射しの空
映画の中の小さな街は 佇まいが  すでに重そうな孤独をはらんでいる
大人に愛されない子供の心の叫びが  映画の背景に くっきり映っている
子供は 大人の愛の中で 温かく包まれて 育てばいい   
孤独は あとから ゆっくり知っていけば いい  
寒くなっていく季節に クンデルが警察に保護されたことは  観客として ほっとした
大人になったら詩人になりたいと少女に語ったクンデルは  よき詩人になってほしいと思う




コメント (4)
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映画  ” フリーダム・ライターズ ”

2007-10-13 01:42:59 | ★映画  
実話の映画である    主役は ヒラリー・スワンク
”ボーイズ・ドント・クライ ” ” ミリオンダラー・ベイビー ”で 二度 アカデミー主演女優賞を受賞した
そういう人が選ぶ脚本は どんな映画なのだろうと思って 観に行った
タイトルは ’60年代の公民権運動の 人種差別に反対した若者たちのグループ名に由来するという     
もっと知りたくて パンフレットを衝動買いしてしまった    もう一度 観たい映画である


 あらすじ。。。
ロス暴動から2年後の1994年、 ロサンゼルス郡ロングビーチ。 
様々な人種が通うウィルソン高校では 肌の色ごとに徒党を組み、人種間の憎しみをむき出しにする。
ここはかつて 中流白人子弟だけの進学校だったのである。
公民権運動の趣旨は あらゆる人種を一つの環境に混ぜ合わせることだった。 
その結果 遠くのスラムから長時間のバス通学で有色人種の子弟が送り込まれ 
悪化した教育環境をのがれて 白人子弟は私立校へ逃げ出した。
これは 1960~80年代 全米規模で起きた現象だった。
下層の黒人ピスパニック子弟の階層分化は なぜ起きたのか  
1970年代以降の工場の海外逃避で ブルーカラー中流層だった彼らの親たちが失業した。  
その結果 家族崩壊が深刻化し 子供たちは 麻薬取引か強盗で生計を立てる必要から 8歳くらいで 
ギャング組織 ”フッド ”に入り、 兄貴分の下で子分として殺人訓練を受けた。
登校には 敵フッドの縄張りを通るので 拳銃携帯は当然だった。

203教室に 23歳の新米の国語教師エリン・グルーウェル(ヒラリー・スワンク)が赴任してくる。 
テレビで暴動を見て、 法廷ではなく 教室で子供たちを救うべきだと 弁護士より教職を選んだ。
白人教師を拒絶する落ちこぼれの生徒を集めた教室での授業に エリンは詩の教材にラップを
取り入れたりして努力を重ねていく。
ある日の授業中、 ラティーノの生徒が黒人を馬鹿にした漫画を書き 生徒の手から手へ渡っていく。
エリンは 「こういう絵を博物館で見たことがあるわ ユダヤ人と黒人は人類で最も下等だとね 」と言い
第二次界大戦のホロコーストがこうした差別から生まれたことを説明するが 生徒たちは ホロコーストも
”アンネの日記”も 知らなかった。

教室内でも同じ人種同士で固まり  校庭でも仲間同士で集まっていて 他グループを牽制している。
それを見たエリンは 机を後方に寄せて 教室の中央に一本の線を引き 全員を線の左右に立たせる。
「今から質問することに YESの人は一歩前へ出て NOの人は一歩下がって 」と次々に質問していく。
銃に触ったことがある人  親に暴力をふるわれた人  路上で眠ったことがある人  人の死をまじかで
見た人  覚せい剤  中毒  少年院のこと・・  
さまざまな衝撃的な質問に そのたびに生徒たちが前進するし後退し ほとんどの生徒の日常が 
貧困と犯罪と不安の中にあることがわかり  お互いが似た境遇にあることを知る。
暗黙裡に 相手を認め 見直す場面は  この映画の中のわたしの好きな場面である

エリンは 生徒たちに日記帳を用意する。 
「今思うこと 未来や過去のこと なんでもいいから毎日書いて 読んでほしい時は この棚に入れて 」
日記帳を持ち帰る生徒が増え  棚の中には 日増しに生徒の書いた日記帳が積まれてくる。
エリンは生徒たちに”アンネの日記”を読ませたいと ベテランの国語教科長に申し出るが
「 あの子たちに知的興味を持たせるのは無理 」 と断られる。
エリンはパートで働きはじめ 得たお金で本を購入し ホロコースト博物館への見学も実行する。
夜 生徒たちをレストランのディナーの席へ招待して ホロコーストの生存者の話を聞く機会を設ける。
生徒たちは登下校の間に あるいは灯りのない家の中では懐中電灯を灯して 本を読み続ける。
戦争中に13歳のアンネが書くことで辛い日々を耐えた生き方は 人種間抗争の日常で生きる彼らに
自分の経験や感情 苦難を綴ることが  自分を知り 他者を認め 理解することを教える。

ある日 マーカスが アンネを匿ったオランダのヒースさんに手紙を書くことを提案する。
さらに生徒たちは ヒースさんをウィルソン高校に招待したいと 募金コンサートを開き お金を貯める。
高齢のヒースさんが高校へ来てくれて ヒースさんへ「あなたはヒーローだ」と生徒が言った時  
ヒースさんは 「 わたしはヒーローでない。 正しいことだから したの。 
あなたたちこそ ヒーローよ 」と言う。
 以下 略



   ***********


最初はエリンの教師としての熱意に協力的だった夫が エリンが生徒たちのことに一生懸命になると 
家庭で夫と過ごす時間が少なくなり 夫は 離婚したいと言い出す
「 子どもたちの生き甲斐を探す手伝いは  わたしの生き甲斐を探すことでもあるのよ 」
エリンのこの言葉は 夫にはわかってもらえなかった
この台詞の言葉を入れ替えて  いつも思うことがある
人に優しくすることは 自分が優しくされること   人を励ますことは 自分が励まされること
人は わたし自身 と思うときがある

エリンの生徒のためにと思う発想 試みが 生徒の心の側に沿っていく
荒れてた生徒たちが エリンの提案に関心を持ち 素直に心のガードをはずしていく
ささくれ立って 戦闘的 懐疑的な生徒たちが 悪友の誘いを断ってまで 課題の本を熱心に読みふける
眼差しが和らぎ 服装や雰囲気が こざっぱりと落ち着いた様子に変わっていく
落ちこぼれと見捨てられた生徒たちが 過酷な環境の中で変わっていき 自分で事の善悪を判断し
クラスの中がまとまり 大きな夢と希望を持ち 自分たちで行動を起こしていく
エリンの生徒を信じる気持ち 生徒のエリンへの信頼が  大きな勇気になっているように思う
こののち ほとんどの生徒が 大学や短大へ進学したという
人を信じること  人との繋がり  希望  可能性  生きる喜びを知っていくこと
たくさんのことを考えさせられる映画だった



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映画 ” エディット・ピアフ   愛の讃歌 ”

2007-10-04 21:32:32 | ★映画  
実話の好きな私が心待ちにしていた映画    いろいろな映画祭で すでに いくつも賞を得ている
1915年ころの貧しいパリの下町のセットなど あるいは大劇場の撮影などに 大きなお金が投じられているだろうなと思える映画
シャンソンの歌に馴染みのない私でも 聴くたびに  とても惹かれる歌を歌ったピアフ
” 愛の讃歌 ” ” バラ色の人生 ” ” 水に流して ” ” ミロール ” ” パダンパダン ”
映画の中では ピアフの実際の録音を流したというだけあって  歌は聴き応えがあった
小柄な体から 声量たっぷりに歌われる歌は 哀愁に満ちて  歌詞の意味を知らなくても感動する
エディット・ピアフの47年間の生涯を描いた映画である

時代が貧しかったのだとも思えるようなパリの下町の 貧困 不潔な環境の中で育ち
10歳ころからは 父方の祖母の娼婦館で暮らす   やさしい娼婦たちに可愛がられて育つのだけれど
幼い子は知らなくてもいいような 何を見て 何を知って育ったのだろうかと 傷ましい
子どもは生活環境を選べず  生育環境は人の性質に影響するだろうなぁ と思ってしまった

二十歳のころに歌の才能を見出されて  歌手として世間に認められていくのだけれど
作品と人は別だなぁと 思ってしまった   わがまま  傲慢  気の短さ  人へ欠く思いやり  
このせいではないだろうけど  車に同乗しての交通事故を 4回も起こして大ケガをしている
酒浸り クスリ漬けになり 40歳代のときの風貌は 背中が曲がり 足取りのおぼつかない老婆である

こういうピアフも 恋をしている時の幸せに満ちた輝くような笑顔は  とてもきれいだった
ジャン・コクトーやマリーネ・ディートリッヒと交流があり  シャルル・アズナブールやイヴ・モンタンの
才能を見出して 世に送り出したのは  ピアフである

この映画では ピアフが世間に認められていくまでの過程を描いているけれど 人生を遡っての
フラッシュバックの場面が唐突に入ってきて  かつ多すぎて   物語の流れを混乱してしまう

女優マリオン・コティヤールの ピアフになりきった微に入り細にわたった演技は すごい と思う
だけど 似せようとする雰囲気ばかりが押し出されて  なぜか ピアフの人生に共感感動できない
なんだか 作為的に過ぎる?     そっくりサンを観ているだけで ピアフが感じられなかった
こういう人生だったのか  こういうわがままな性格でもあったのか と知ることはできたけれど
「 いい映画だったなぁ  もう一度観たい 」 と思えなかったのが 残念で 不思議である



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