秋晴れの日 たくさん時間があったので 東京へ映画を観に行った
上映中でも前売り券を買える某所のカウンターで え”!
わたしの観たい映画は 次週からの上映だった
わざわざ出てきたのに帰るのはイヤだし ウィンドウショッピングも関心ないし どうしよう・・
どうでもこうでも何か観ようと 上映中の作品一覧表を眺めてみた
” 僕がいない場所 ” 新聞の評が褒めていたような気がする
上映時間がちょうどいいから これを観てみようという消極的な気持ちで 劇場へ行った
2005年の映画だけれど ベルリン トロント ニューヨークなどの映画祭で 五つも賞を獲得している
不思議なきっかけで 映画に呼ばれて観ることになり 観てよかったと思える映画だった
少年のひとりぽっちの孤独を描いた ポーランドの女流監督の作品である
ヨーロッパの街は 人があまり出歩かないのかと思うくらい 人通りが少なかった印象があるけれど
この映画の街の 歩く人のいない石畳の街路 川辺の夜明けの景色 夕方の景色の映像は美しい
子役はオーディションで選ばれた素人の子供たちらしいけれど 子供の表情はナチュラルそのもの
特に 主役の少年の凛とした雰囲気は 過酷な境遇のなかでの独り感が切々と伝わってくる
育児放棄の親の現実やストリートチルドレンのことを描いた 現代の映画である
クンデル少年は 孤児院の発表会のような場で詩を暗唱して 先生や生徒に嘲笑される
きらいな給食を食べ残したという罰で 夕方まで食堂に残されたとき クンデルは塀を乗り越えて
無銭乗車をしながら 母の住んでいる家へ向かう
母は クンデルが来たことを喜ばず そばに男がいないと生きられないと クンデルを厄介なように言う
大きな川べりに朽ちかけた舟を見つけ そこで起居し 空缶やクズ鉄を集めて売り 生きていく
はじめてお金を手にしたとき 街の食堂で温かいスープを注文する
きれいなウエイトレスが 「 お金は いいわよ」 と言うが 「お釣りは いいよ」 とお金を置いて
店を出るクンデルに ヨーロッパの少年は小さい頃から男なんだなぁと 感心してしまった
川のそばに建つ裕福な家の少女は 優秀な姉に似てないことや家庭内で疎外感があるのか
小学生のような年齢なのに 毎晩 舟の中へ飲酒の缶を捨てていたのである
廃船で暮らす少年に話しかけ親しくなり パンを持ってきてくれるようになる
クンデルの唯一の慰めは 幼い頃に遊んだ手回しオルゴールを回して カタコト音を聴くこと
学校にいる少女を塀の上から見て 手を振って合図をする
母の家の庭で 母が男たちと談笑しているのを 日が暮れるまで 木の蔭から見ている
履いている靴の破れが大きくなると ガムテープを拾ってぐるぐる巻いて履く
かつて仲間だったストリートチルドレンの少年たちは空き家でクスリを吸い クンデルを標的にして追う
クンデルは ほとんど一日中 独り 笑わない子供 笑顔を見せる場面は あったかなぁ
母に愛してもらえない少年
なぜ訪ねてきたの 今日はあの男が来る日なのにお前のせいで来ない と言わんばかりの母親
夕焼けの美しい川べりで 大事なオルゴールを 先に川へ落とし 自分も落ちて死のうとする
急いで水中のオルゴールを探し 船に上がって火を焚き 服を乾かす
少女たちの父親は 少年が一人で舟で起居してることを知っていながら 無関心でいる
妹と少年が仲良くしていることに 姉は意地悪をして警察に少年のことを通報する
警察の取り調べ室で 係官が「 君の名前は何というのか 君がだれなのか知りたいからね 」と言う
クンデルは 「 僕は 僕だよ 」と答えて 映画は終わる
主人公たちは子供だけれど 大人が手を差し伸べない少年の境遇は あまりにも殺伐としている
笑わない少年は ひとりで生きていく工夫をしなければならない
愛されない子供の孤独は 一人前の大人の男の孤独と見まごうばかりに 傷ましく残酷だ
街のひんやりした石の建物 音のないような道 雲の厚い弱い陽射しの空
映画の中の小さな街は 佇まいが すでに重そうな孤独をはらんでいる
大人に愛されない子供の心の叫びが 映画の背景に くっきり映っている
子供は 大人の愛の中で 温かく包まれて 育てばいい
孤独は あとから ゆっくり知っていけば いい
寒くなっていく季節に クンデルが警察に保護されたことは 観客として ほっとした
大人になったら詩人になりたいと少女に語ったクンデルは よき詩人になってほしいと思う