華やぐ時間

時の豊潤なイメージに惹かれて 。。。。

映画  ” 列車に乗った男 ”

2005-05-20 19:52:07 | ★映画  
パトリス・ルコント監督の作品もよく観てるなぁ   ”仕立て屋の恋”  ”髪結いの亭主” 
”大喝采” ”橋の上の娘” ”ハーフ ア チャンス”  ”歓楽通り”  
そして 見逃していた映画”列車に乗った男”をやっと観ることが出来た

ものがたり
上品で教養のある独り身の元国語教師と強盗稼業の元サーカス男が偶然出会い 数日一緒に暮らす
国語教師(ジャン・ロシュフォール)は 銀行の下見に出かけた男(ジョニー・アリディ)の留守に
その上着皮ジャンを羽織ってみる   鏡の前で気取ってポーズを取ってみる
また 居間で寛いでいる時 強盗男が「室内履きを履いたことがない 履いてみたい」と言う
履き心地がいいと嬉しそうな様子に 国語教師が「あげるよ」と言う
この二つの場面はそれぞれ二人が手に入れ得なかった人生を暗示していて 一目瞭然

むっつり押し黙り静かな凄みを感じさせる強盗男 荒れた生き方をして来た様子が全身から醸される
人の良さそうな国語教師は人と話したい親しくなりたいというふうに街のカフェに案内する
店内で傍若無人に振舞う不良っぽい二人の若者に客たちは我慢をしている  誰も注意をしない
国語教師「だんだん気に障る 気にならないか?」  強盗男「相手は二人だ 俺はもう若くない」
「第二の人生が始まるかな?」と国語教師が立ち上がる 「君たち静かにしたまえ」
おお! 観客のわたしはドキドキ・・・  
国語教師が席に戻る  「第二の人生は始まらなかったよ」  強盗男も苦笑する

3日後の土曜日に心臓バイパス手術を受ける国語教師  
その土曜日に仲間が集まって この寂れたような街の銀行強盗を計画している男   
もう若くない どちらの男も土曜日に向けて不安とためらいを抱いてる
互いに相手の生活 生き方になり代わりたいと思っている

ラストの場面は何だったのだろう
数年後 互いの願望が実を結んだ・・と わたしは観たい
二人のために そういうラストであってほしいと思う

ルコント作品に常連のロシュホール   ロック歌手だったアリディ
それぞれの男の存在感  生きてきた過程をその風貌 言葉の端々でそこに置く
そして ルコント監督の情のある目線を感じる  

どのくらいか時間をおいて また観たい映画・・の引き出しに入れておこう

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 ” 私が語りはじめた彼は ”  三浦しをん 著

2005-05-16 23:14:30 | ★本
女性作家の連作短編集である
村川という大学教授がいて数人の女性と関係を持つ  短編の主人公は次々と代わっていく
村川の妻 再婚相手 娘 息子  まわりの人々が村川のせいで過剰なものを内に抱えてしまう
それを何らかの形で解決し あるいは解決できないまま呑みこんでいく小説である 
村川の息子の話”予言” と 村川と一時付き合う女性の夫の話”残骸”に惹かれた

”予言”の主人公の男子高校生の話し振りがいい
”残骸”は特に文章がいい  何度も戻って読み返し 味わってしまう
子どもも生んだ妻が自分の父親を「パパ」と呼ぶ 
「あなた」という私への呼びかけも 幼稚園児が夫婦ごっこをしているようで毛穴がざわめく
いつまでもおままごとの延長線上で日々を送っているようなこの妻を愛おしく感じることも
事実なのだ  小学生の娘に「今週なにか困ったことはなかったかい?」と尋ねる
「ママが毎朝いれてくれるお紅茶 とっても熱いのよ 飲むのが大変なの」
娘の悩みは紅茶の温度なのか 私はくすぐったいような困惑を覚えた
紅茶の温度で悩む暮らしを送っていると妻のような女ができあがるのだな と妙に納得した
夕方家に帰り着いた私は 玄関先で言い争っている妻と見知らぬ女性の会話から 
妻が村川先生と関わりのあることがわかってしまう

村川は哀れで愚かな男だ  
もしかしたら彼は この世のどこかに不変のものがあると信じたいのかもしれない
彼は 変わってしまうことの中に さびしさや繊細な美しさがあることを知らない

多くを望んでなんになる どんなに一生懸命選んでも カーテンなどいずれは色あせる
暮らしていれば 調和のとれた家具にも埃がたまる
今度の出来事で私に根ざした苦しみも困惑も そのうち溶けて薄れゆく
私は妻に愛の言葉を囁いたりはしないだろう 迸るような情熱もなく 淡々と日々を過ごすだろう
愛でもなく 打算でもなく。  花を咲かせては散らし 葉を繁らせては落とす植物のように
気の狂いそうな繰り返しの中で生きていく  いつか変化をやめるそのときまで。
それだけが 私の選んだことなのだ   すべてはいずれ 土に還る。

               *****

いくつか 文章を抜粋してみても 物語の香りは伝えきれない
視線 文体 物語の組み立て方がいい  気持ちの書き方がうまい
ほかの本も読んでみようかな





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映画  ” クローサー ”

2005-05-15 01:11:54 | ★映画  
映画試写券が当たっちゃったもんね  なかなか会えない友をコレで誘って観て来ちゃったもんね
映画”クローサー”   ゴールデン・グローブ賞2部門受賞だってさ
英語のスペルがわからない   closure 閉鎖 終止・・の意味かなぁ

ロンドンで巡り会った写真家  ストリッパー  小説家  医師の物語
大人の女 ジュリア・ロバーツ ・・・ 愛に慎重でいて 傷つく心
小説家 ジュード・ロウ ・・・ 魅力的な女性に惹かれて 傷つける心
ストリッパー ナタリー・ポートマン ・・・ 自分に正直なまっすぐな心 微笑の下に寂しい心
医師 クライブ・オーウェン ・・・ 僕を愛してほしい 男としての自信を確認したい心

4人の男女の情愛 嫉妬 愛し方   告げられる嘘  心から伝える真実
愛しているから疑い  愛したいから疑惑   愛し方 求め方が変容していく
真実を言い続ければ愛や恋が上手くいく・・ というわけでもないのだろうなぁ と思う
信じなければ壊れていく  信じるから壊れていく  信じないほうが壊れない
どれが嘘で  いつが真実だったのか

出口でアンケート係が 「自分は4人のうちの誰に近いと思いますか」と質問していた
するりと逃げちゃったけど わたしは ひたむきだけどどことなく浅いジュード・ロウでいいや
確かにハンサムだったなぁ  釣り合う美人になって腕を組んで歩いてみたいもんだ♪

いちばん惹かれたのは ナタリー・ポートマン  素敵な女優になったねぇ
ストリッパーの役できれいな肢体を見せてくれる  一番傷ついてしまう人物に見えたなぁ
艶然と微笑む悠々とした笑みの中に 深い寂しさが見えるような気がしたなぁ

粗筋だけなぞったら なんじゃ?って物語に思えたけど どの役者も適材適所だと思う



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芝居 ” メディア ”

2005-05-12 15:45:52 | ★芝居
演出:蜷川幸雄  主演:大竹しのぶ 生瀬勝久  ギリシャ悲劇王女メディアを観てきました
舞台から2列目の席  客席に水を被る可能性がある・・とのことで透明なビニールが置いてある
あんまり前過ぎて 舞台設定がわからなかったけれど なんと このたびも意表をつく舞台
舞台上に30cmほど水が湛えられていた  舞台の三方は石の城壁で囲まれている
休憩なし2時間弱の物語中 役者達は水の中を激情に駆られてバシャバシャ歩き 
厳かにためらいがちにひっそり歩く   客席は確かに水しぶきを浴びました

水中から大きな睡蓮が何本も生えている  重々しい城壁に囲まれて すでに弔いの予感
腰の曲がった背中に乳飲み子を負ぶっている15人の白髪の老女達が群唱して嘆く
橙色のボロ衣はなんとも禍々しい色の衣服に見える  声も表情も張りがあって力強い
主役も老女達も幕が下りる頃には半身濡れている  視覚的に迫力を感じてしまう

ものがたり・・・
イオルコスの王子イアソンは 王位を簒奪した叔父ペリアスをコルキスの王女メディアの魔術に
助けられて殺す   国を追われた2人はコリントスで子どもも生まれ質素に暮らしていた
ある日 コリントスの王がイアソンを女婿にと望む  
王位と財産 花嫁の若さに目がくらんだ彼は縁談を承諾する
イアソンの心変わりを嘆くメディアは復讐を誓う
子煩悩のイアソンへの復讐はその子どもを殺すこととして 我が子を殺害してしまう

イアソンの言い分 「お前達の生活の安泰のために子の教育のために 王の地位がほしいのだ」
生瀬の張りのある声  存在感のある動きを見ていると一理ある・・と思ってしまう
それに比してメディアの裏切られたと深く嘆くさま  
大竹は体の中から悲しみを搾り出すように身もだえ嘆く  女としての激情 母としての慈愛
二つの感情の間で揺れ動く迷いを全身で演じる

愛と憎しみは表裏一体なのかもしれない  でも 我が子を殺さなくたっていいじゃない と思う
その後 メディアはどこかの清々しい王子の国への逃亡の段取りをつけている

男にも言い分があり女にも言い分がある  そして男と女の間には深い川が流れている・・のだろう
人を愛すると言うとき それは自分の中のある部分を愛するのと同義なのではないかと思う
他人は自分自身を映す鏡のような存在なのではないかとも思う
愛を裏切られたと嘆く気持ち  復讐を思う気持ち  自尊心  ジェラシー
それにしても強く 重い物語
メディアは自分の情熱 激情 強さ 実行力・・  自分自身で持て余してなかっただろうか

わたしはメディアに感情移入できなかったなぁ
日々 ぬるま湯チックに生きているわたしには オロオロしてしまう物語だった
むしろ イアソンに男としての責任感 父性愛を見出したくなってしまった

ラストの演出は嫌い  蛇足  変!  違和感ばっかり感じてしまう
それでも 演出家蜷川幸雄氏の大きな強い情熱に ただただ感嘆します





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映画  ” こころの湯 ”

2005-05-08 22:44:30 | ★映画  
NHKドラマ”大地の子”の日本人孤児の養父役 朱旭(チュウ・シュイ)の主演映画
劇場で見逃したのをテレビが放映してくれたのでビデオに撮って やっと観ることが出来た

父が下町で営む銭湯;清水池を継がず 都会で働くターミンは弟アミンから葉書をもらう
知的障害のあるアミンは父が横たわる絵を描いてきた  心配して久しぶりに帰郷するターミン
父に変わりはなかったが アミンが迷子になったり父が風邪で倒れたりが続き 滞在を延ばして
銭湯を手伝う  そのなかで ターミンはこの仕事を愛する父の気持ちを理解していくのだけれど
地域の再開発のために銭湯の取り壊しが決まり 父も亡くなってしまう

              ****

隣近所の常連達で朝から賑わう銭湯  古い大きな銭湯  建物に入っただけで癒されそう 
人々の暮らしの喜怒哀楽  くつろぎ 親しみやすさ 人情のこまやかさ
父は目を細めて人々へ笑顔を返し アミンのお客たちへの誇らしげな応対は観てても嬉しい
仕事が終わった後 毎日の日課であるアミンとのジョギングへ行く父
アミンへ話しかける父の笑顔  その慈しみにあふれた表情
父と弟が笑い転げる様子を見ているうちに ターミンの都会人っぽい心がほぐれていくのがわかる

中国で国宝とまで言われる朱旭の自然なあたたかい演技に惹かれる
”變臉(へんめん)/この櫂に手をそえて”も いい映画で  物語にはホロホロ泣けてしまった
どういう生き方をしてくると このような表現・演技が出来るのだろうかと思ってしまう

人間と人間は心で繋がる   今さらながらに つくづく そう思う

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映画  ” インファナル・アフェア ”

2005-05-05 14:56:48 | ★映画  
”インファナル・アフェア”をⅡⅠⅢの順番で観た  男の映画だなぁと思う
わたしは Ⅱ一本で十分惚れ惚れ 映画として堪能できる   

もう一度観たい映画Ⅱの評を抜粋してみる
刑事ヤンとマフィアの青年ラウがそれぞれ相手の組織に潜入する理由と経緯が解き明かされる
若き日のヤンとラウは 組織の思惑以前に 潜入せざるを得ない不幸な血縁関係と
報われぬ恋という宿命を抱えている   ふたりの苦悩は切なくて深い
彼らは ボスの座を巡るマフィア内の抗争 警察側の策謀 さらには夫を新しいボスの座にと
願う妻の思いが絡んだ 複雑で危うい勢力図の中にいる
駆け引きが生み出すすさまじい緊迫感 信頼と裏切りと復讐 皮肉な結末
ダブル潜入という秀逸なアイデアと 人物の造詣を掘り下げ 錯綜する人間関係と
そこからほとばしり出る心情によって作り出されるサスペンス 
だれもが最善の方策をとったつもりなのに 何もかもが悪い方へと転がっていく
ヤンの悲しみ 人間の業の深さを思うと やるせなさが募り 胸が痛む

脚本がすごいなぁと思う
香港映画の俳優って なんてカッコイイ男が多いのだろう
トニー・レオン  アンディ・ラウ  ショーン・ユー  エディソン・チャン
ほかに アンソニー・ウォン  レオン・ライ  チェン・ダオミン
立っているだけで存在感があり 男の清潔な色気がふんぷん
大人の男の役者が多い  
以前から 悪役は知的で美男で静的な雰囲気の男が似合うと思っていた
そのほうが絵になる  悪はゾクゾク絵になるほうがいい

それにしても平々凡々  変わりばえしない日々をありがたいと思う
凡庸たるや平凡の偉大さに徹せよ

  
 
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映画 ” エレニの旅 ”

2005-05-05 02:16:36 | ★映画  
ギリシャの巨匠テオ・アンゲロプロスの作品 ”エレニの旅”を観てきた
この監督は”旅芸人の記録”を観て以来のファン   ”永遠と一日”も良い映画だった
3時間弱の上映時間  叙事詩的映像  長回しのカメラ  寡黙な映画である
ドラマチックな場面でもBGMはなく 登場人物が楽器を奏でた時に音楽が現われる

”エレニの旅”は1919年から1949年にいたるギリシャ人孤児エレニの物語である
時代に翻弄されて不運な生を生きる女性の物語である
難民として帰国してきたギリシャ人達が大きな川沿いに村を作る
(スタッフが2年かけて そこへ実際に当時の村を作っての撮影という)
スピロス一家の養女として育てられ スピロスに結婚を迫られ 一家の息子アレクシスと逃げる
音楽家ニコスに助けられて生きていくがスピロスが追って来る  内戦に巻き込まれる
いつまでも心細く不安な日々ばかり続いていく  笑顔の場面も食事をする場面もなかった
舟で村へ帰って来る黒い旗を揚げた葬式のシーンの黒い美しさ
期待で逃れて来た白布が風にはためく丘  後半ニコスの血でよごれる白布
アメリカへ発つアレクシスとエレニをつなぐ赤い毛糸の色

内戦に巻き込まれる国  そういう時代の中で生きる貧しい人々
アレクシスと子どもを拠り所として生きながらも 流転の難民のようにいつも落ち着けない
そういう中で楽器を奏でる登場人物たちの音楽は とてもあたたかく和む
アレクシスの奏でる哀愁のアコーデオンの音色   廃屋で人々が踊る陽気な音楽
人生に音楽のあることがこんなにも救いかとしみじみ思う

人が過酷な時代を必死に生きている誠実さが映像美となっている映画である
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映画  ” Shall we Dance?”

2005-05-01 01:49:09 | ★映画  
日本版を観ていたので どうしても場面ごとに比べながら観てしまう
日本人は社交ダンスを習うということに気恥ずかしさがあるかもしれない
アメリカの人たちは踊ることにそれほど抵抗がないのではないかと思う
こういうお国柄の背景がまずあると思う
日本人が周囲になんとなく秘密にして習うから面白い映画だったのであって
アメリカ人も社交ダンスを習うことを内緒にしたいものなのかなぁ

社交ダンスはイギリスで格調高く盛んなような気がする
アメリカのフロアは映画で見る限り ディスコフロアのような印象
そこではダンスもソシャールよりラテン系ヒップホップのような群舞

主人公の職業を弁護士にしたのはなぜかなぁ
幸せな家庭に物足りなさを感じた主人公の心情であったようだけど
遺言書を作成する仕事をしているらしい
遺族の前で遺言書が読み上げられた時 残された者の思惑が外れる
財産が犬へ渡り 庭師がオペラ座のチケットを手にする
この独白の中に人の生は予定調和ではないことを語っていて面白かった

日本版はしっとり品のよさを感じたけど ハリウッド版はなんか猥雑な印象
ほとんど同じにリメイクする意味はあったのかなぁ
似たようなエッセンスで 別の物語に仕立てたほうが面白いのじゃないかなぁ
コメント (6)
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