華やぐ時間

時の豊潤なイメージに惹かれて 。。。。

映画 ” マシニスト ”

2005-02-25 13:48:00 | ★映画  
MACHINIST(マシニスト) 機械組み立て工の意味のようだけれど
無意識 無感情の意味にも解釈したい雰囲気の映画 
見終わった時点では そっけない結末に消化不良の気持ちを持ってしまった
だけれど 内容を行きつ戻りつして反芻していくと ゆっくり わかってくる

人の心の持ちようは 体に行動に 表われるものなのだなぁと思う
いい加減な気持ちで生きている人は 良し悪しはともかく 深く病むことはない
365日間の不眠症になってしまう主人公が見る外界の色は 淡灰色
眠いような眠りそびれているような主人公の感覚で物語を観せられていると 
観客も 本当と幻覚の区別があやふやになってしまう

人は 葬り去りたい自分の現実 忘れてしまいたい既成の事実を自ら忘却し
そして 自分で掘り起こし 自ずから思い出して行こうともする
良心の呵責が 不眠症となり 激痩せに現われるのだろうか
熟睡できるとき 寝付けないとき・・・・  
これは自分のココロが何に囚われているかのバロメーターになるのか

出来事の悔恨に押し潰されそうなとき 消し去りたい記憶に囚われているとき
自分の立ち位置への不安  引き寄せられて行きつつある未知への道
自分の掌にそれらを載せて凝視すると眠れるのだろうか
いや その見つめ方がわからないから   わたしは今夜も眠れない



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芝居 ” コーカサスの白墨の輪 ”

2005-02-20 00:26:00 | ★芝居
串田和美の演出は”セツァンの善人””幽霊はここにいる”以来のファン
”コーカサスの白墨の輪”も 楽しんで芝居を作っているように見えた

観たいお客も演じる役者も混然となり 「始めるョ~」という まるで
野原に引いた線上から 芝居が立ち上がっていくようだった
観客が舞台を見下ろす形状の今回の芝居は まさに野ッ原の雰囲気 

開演前の何にもない床にパンフレットの売り子がいる
そのまわりでストレッチをする人がいる  木箱を運んでくる人がいる 
誰が役者か わからないうちに物語が始まる 
皆が持っていた一本の棒が 床に大きく丸く置かれた時 そこが舞台
役者は自分の出じゃない時は 円陣の周りに座って物語を観ている
 
照明器具の天井を指して「空がきれいだァ」と言うとそこに空がある
川にそっと足先を入れる  壊れそうな橋を渡る  雪の山道を行く  
役者のセリフ 動きで ありありとその景色が見える
場面ごとに楽器を奏で 帽子を被り 上着を代えて一人何役もこなす
歌ったり 演じたり 効果音の係にもなる
棒が道や家や剣にもなり そのとき床の上は様々なものを見せてくれる

松たか子の玲瓏とした声 口跡 体中で表現するメリハリのある喜怒哀楽 
谷原章介の身ごなしの清潔さ   毬谷友子のしなやかなきれいな動き 
串田和美の飄々としたあったかさ
拙い日本語を話す外国人俳優たちの存在は 物語の雰囲気を混沌とさせ
よき膨らみをかもすように思う

ひとつの芝居のために 数ヶ月前から用意していく
人が集い 語り 動いて 衝突もし だんだん芝居が出来ていく
まして 串田和美の演出だもの  楽しいだろうなぁと思う
白墨で描いた輪は 人の和でもある

休憩タイムのグルジア・赤ワインと おいしいチーズ
二幕目の青空裁判場面には お客さんたちも一緒に舞台に座っている
終幕のダンス場面では 役者と観客が十重二十重の輪で踊っていた

お客は十分楽しかったです
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”躑躅(つつじ) ”  『竹の秋 』  吉田知子著& 思うこと

2005-02-15 21:11:13 | ★本
闇の底にいるような気分が好きなのです。これ以上這いあがれない、いいえ、
這いあがることなど夢にも考えてはいけないのです。  そろりそろりと
そのへんをうごめく。 それは大方何ミリという範囲でしかないでしょう。
ながいこといると闇にも色があることが見えてきます。
淡紫、空色、赤茶、鼠。 闇の色など美しいといってもしれているけれど
中にはきれいな闇を持つ人もいるのです。私の闇は何色か。できれば浅黄色。
そのしんにぼうっと光るものを秘めた色であってほしい。
自分の闇は自分には見えぬ。

これ以上墜ちないということが私を安心させている。 それはよいことでは
ないかも知れないのです。 どこまで行っても水平の世界しかないとすれば
どう変わりようもないのですから。
  
私は闇が好きです。選んでその中にいるのです。そうです、そう思っている
けれども本当はよくわかりません。それは好きだったり選んだりすることが
できるものなのでしょうか。しかたがないので好きなふりをしているだけなの
かも知れない。

           * * * * *

人の闇と自分の闇を比べるつもりはないけれど  わたしに闇はあるのか
表の楽しさに気を取られて 見ないフリをしているのかもしれない
浮わついたココロをパチンッ と叩かれたときは好機到来の時   
自分の想いを垂直に ゆっくり深く深く潜行させて降りて行くとき
忘れていた事々を思い出し 忘れていたい数々の悔いがまとわりついて来る

人のきれいな心に触れたとき 澄んだ空気の広々とした景色を目にしたとき
子どものまっすぐな瞳にみつめられたとき  やわらかい笑顔をもらったとき
わたしは同じ目線でいられるだろうか  新生を思うのはそういうとき
せめて わたしの闇の底には澄んだ湖が小さくあってほしい
水面を揺らす少しの風があり どこからか仄かに光が射している
聴こえてくる音楽は  バッハ  エンヤ  サラ 。。。。
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芝居 ” 幻に心もそぞろ 狂おしのわれら将門 ”

2005-02-14 09:38:56 | ★芝居
久しぶりに蜷川幸雄の芝居を観に行ってきた
いつも 舞台設定にはワクワクさせられるけど このたびのは大階段
城砦にもなり 役者の演技では廃墟の城内にも見える

大階段を貧しい身なりの者が這って登ると大衆の貧困が見え
武者が勢いよく駆け降りると事の緊急が伝わってくる
鷹揚と主人公の登場  堤真一の清潔な色気が好き
参謀の段田安則  気位の高い木村佳乃  中嶋朋子の情の強さ
まっすぐな若さを感じさせる高橋洋  切ない忠臣の田山涼成・・・・

舞台に雪が降る  ごつごつした石まで大きな音を立てて降ってくる
登場人物が大階段を行き来することで 舞台が垂直に膨らむ
暗闇に松明の炎が燃え 揺れる煙の匂いが臨場感となる
凛々と語る言葉が力強く美しかった  
蜷川の様式美の世界に 陶然と一体化させられてしまう
動くほどに絶望へ向かう物語なのだけれど 参謀が 桔梗が 影武者が
一途であればあるほど 将門の明るい軽さがよけい悲劇を予感させて哀れ

人の真摯って どうして いつも哀れを伴うものなのだろうか
 

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映画 ” Ray ”

2005-02-10 08:14:58 | ★映画  
盲目のジャズ・シンガー レイ・チャールズの自伝映画
少し古い時代 黒人で盲目で貧しくて 弟の死にずっと心が囚われている
幼くしての盲目ってどんなに不自由かと思う
母親の凛とした優しさ・賢さ・生きることへの強さ・・・
椅子につまずいて転び泣いていたレイが 周囲に耳をすませ音を聞き
ゆっくり自分で立ち上がっていく姿には 助け寄らずに部屋の隅で様子を
窺っていた母親同様 泣けてしかたがなかった
人の本当の優しさ・愛は 強さに裏打ちされていると思っている
一見 気弱な人優柔不断な人がやさしい人のように見えるときがある
本物の優しさ・愛は 手を伸べず立ち尽くさざるをえない辛さをともなう
レイの母を見て再確認できた

。。。 どの本の誰が言ったか忘れたけど 印象に残ってる言葉 。。。
幸せが手に入った・自己実現が出来たと思えた途端なぜか虚しさに襲われる
心が満たされないのは 自分に執着しこだわりを追い求めているからである
私を超えた向こうから届けられてくる”人生の呼び声”に耳を傾けること
あなたを必要とする”何か”があり ”誰か”がいる 
そして あなたに発見されるのを”待って”いる
人は常にこの何か・誰かによって必要とされ それを発見し実現するのを
待たれている存在なのだ
今・この時代・この時・この国・この場所に生きているというこの事実
一見単なる偶然のように見えるこの事実   既にここにいる私 
このことはそれだけで意味があると思わずにいられない
何かが 遅かれ早かれ私たちを ある一つの道へと呼び込んでいく
ふってわいたような衝動  あらがいがたい魅惑  思いがけない曲折
これこそが私がやらなければならないこと・手にしなければならないこと・
これこそ私が私であるために必要なものなのだ 。。。。。

レイ・チャールズは 私を超えた向こうからやってくる運命の呼び声に
手を引かれて音楽の世界に生きた人と思う
出会うべく人との出会いがどんどんレイを作っていく
映画の後半 聞き知った曲が作られていくのを観るとひときわ心にしみる

自分の心の傷や寂しさをごまかすことなく しっかりと見つめる
そして そこから聴こえてくるメッセージに耳を傾ける
わたしの痛み 他人の痛み  わたしの癒し 他人の癒し







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諸富祥彦の本より 抜粋 & 思うこと

2005-02-09 20:37:37 | ★本
【人間の心・魂は 時によっては明るさや光よりも暗さや闇のほうを好む
だから”ピカピカの癒し”や”輝く私”を目指す必要はない
むしろ暗闇が持つ意味を大切にしていこう
どうしていいか途方に暮れる日々 悶々としながら徒に時間ばかりが過ぎていく・・・
そんな一見無駄な時間 苦しいばかりの時を過ごすことが 人間の心や魂の成長には不可欠のように思うのです
この人生 この世界で起こるすべてのことには意味がある
健康や幸運ばかりではない 慢性の病 障害 死 不幸 争い 衝突 離婚 別離 憂鬱・・・
こうした否定的な出来事にも何か大切な意味があり それとしっかり関わることで私たちの魂は耕され 人生が豊かになっていくのである 】

     ********************

人を性善説・性悪説で考える論があるけれど この頃人間の本質 常態について思う
人間は喜怒哀楽の感情で言えば 哀の状態がゼロ点なのではないかと思う
たいてい なんだか寂しく心細く なんとも不安で欠落感ばかり見える
大切な人と居てもどことなく哀  
人の常の感情7割ほどがマイナーな思いで ときどき喜と楽の3割がやって来る

生きることは楽しく喜びに満ちている・・と思うのではなく 孤独で寂しく不安な心が常態と思えば いっそ穏やかでいられる
たまに遭遇する喜と楽が ひときわありがたく貴重に感じられて 嬉しい




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映画 ” オペラ座の怪人 ”

2005-02-05 02:15:47 | ★映画  
あまり粗筋を知らず 楽しみにして観に行って来た  オープニングの廃屋の情景が一気に彩色されていく鮮やかさ!  舞台の幕が上がっていく高揚感を味わえた  なんて大勢の登場人物たち  カメラが映していく一瞬の場面の隅々にまで役者の予定された動きがある  開幕前の舞台裏の喧騒 猥雑 活力・・・  そして華やかな祝祭の雰囲気!  映画ならではの仕掛けの大きさが目と心を惹きつける  配役も舞台セットも惜しみなく大きく用意すると このように人の生きる片鱗を感じさせる厚みのある物語が出来るのだと思う

清く善人のヒーロー&ヒロイン そしてファントム
ヒロインがファントムの仮面をはずして後 縷々と不遇をかこつファントムへ「あなたの顔が醜いのではない  あなたのその心が醜いのだわ」と言う  深い深い孤独のうちに地下で生きざるをえない境遇の者は 清く可憐なヒロインに憧れるのは当然と思う
そうだった ファントムはわたし  凍結していた心を目覚めさせてしまった 
再三再四 他人へも事へも思いが空振りばかりだと自分の行く方向はこのように定められているのかと斜にも構えたくなる  
ヒロインとファントムの心が通い合った瞬間の美しさ! 我がことのように心が震え涙だってこぼれる  深い孤独を知っている者は熱いのだ!  ヒロインが惹かれて当然のこと  それなのに孤独者の行かざるを得ない道からそぐわないことを望むから 見よ より深く漆黒の闇へと落ちて行くことになる

やっと如月の月が始まったばかりだと言うのに こんな物語に触れたばっかりに わたしは自分のパンドラの箱を開けてしまった  悔いと混沌と嘆息だらけのこの箱  始まったばかりのこの年をまたこの箱の中を見つめて行かざるを得ないのかと思うと体が地に引き込まれそうな気がする
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