華やぐ時間

時の豊潤なイメージに惹かれて 。。。。

” 宇宙からの帰還 ”   立花 隆  著

2006-03-28 00:34:21 | ★本
アメリカの宇宙飛行士たちにインタヴューした 1983年刊行の本である
初期の有人宇宙飛行計画の飛行士から アポロ17号の飛行士まで会って話をまとめている
生い立ち 環境 宇宙飛行士を引退した後の生き方考え方など  著者の調査力に圧倒される

「人間には気圧が必要なのだ。 呼吸というのは、肺の中にある肺胞の膜を酸素が通過して血液の中に
溶け込んでいく現象である。  酸素に圧力がかかっていないと、酸素は肺胞膜を通過できなくなる。」

「月の表面温度は、太陽に直射された部分は最高130度にも達するのに対し、裏側の日陰の部分は
最低零下140度にもなるのである。 アポロの月着陸も、この点に気を配って早朝の時間が選ばれた。
アポロ11号は月に2日間にわたって滞在し、 その後の月探検はさらに長期にわたったはずだから、
着陸は早朝でも、灼熱地獄も寒冷地獄も避けられなかったのではないかと思われるかもしれない。
アポロ17号は足かけ4日間にもわたる長期滞在を果たしている。   
しかし、 これは実は地球時間で計測した滞在時間であって、 月時間による滞在時間ではない。
アポロ11号は月時間では約47分しか滞在しなかったことになるし、 最長滞在記録のアポロ17号でも
月時間では2時間45分しか滞在していないことになる。 」

この本には 宇宙船を飛ばすまでの苦労も  宇宙飛行士の何年にもわたる訓練のことも書いてある
すごいなぁと ただただ 感嘆である
アポロ13号の事故のことも 緊迫感ある実況中継のように記されていて ドキドキしながら読んだ

宇宙飛行士の引退後の仕事の様々な職種   その成功 不成功も興味深く読んだ
特に、 アポロ11号で、アームストロングに次いで人類2番目に月に足跡をしるす男となりながら、
精神病院に入ることになった、 バズ・オルドリンの後半生は痛ましい
選ばれて 肉体的にも精神的にも厳しい訓練をこなし あらゆる分野の勉強をする宇宙飛行士
子どもの頃から宇宙を飛びたいという夢を持ち  その大目標へ心身を傾けてきて その達成とともに
人生の目標喪失感を失うとしたら  なんとも 気の毒である
全員がそうではないけれど 普通の家庭生活を過ごせず  結局離婚した宇宙飛行士もいる

この本の主旨は 宇宙へ飛んだ人がその体験の前後で 意識や考え方が変わったかどうかということ
クリスチャンの宇宙飛行士もいれば  無宗教の人もいる
月から地球を見たとき 国籍も肌の色の違いも信じる宗教の違いさえも些細なことで みんなが地球人
こういう感想を持つ宇宙飛行士が多かった   人類みんなが 宇宙体験をすればいい とも言う
大きな心の視点でものを考え感じることができるのなら わたしも宇宙空間から青い地球を見てみたい


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映画  ” ブロークバック ・ マウンテン ”

2006-03-23 00:01:54 | ★映画  
たくさんの賞をもらった噂の映画 ” ブロークバック マウンテン ” を観てきた
1963年のアメリカ ワイオミング州ブロークバック マウンテンの雄大な景色が舞台である
ひと夏を雇われて 羊放牧の仕事をする二人の男の友情が  愛情になっていく20年間の物語

映画を観ると 世の中には いろいろな仕事があるのだなと いつも思う   
何百頭の羊がいたのだろう   山を登って行き  広い放牧地で羊たちと 数ヶ月を過ごす
男の一人はテントを張り 食事を用意する  もう一人の男は もっと山奥で羊番をする   
朝と夕方の食事の時に 山奥から馬に乗って片道2時間の道のりを降りてくる
こんなにも孤独な仕事があるのかと驚いた   どちらの男も生い立ちが温かくない
景色がきれいだろうとも  漆黒の夜空の星が美しかろうとも  風がわたるだけの独りの時間
さみしくつらい生き方をしてきた人でなければ勤まらない仕事かもしれない
こういう二人だから  互いに深く愛を感じ  20年間も想い続けられたのだろうか

人を好きになること  愛情を育て深めていくことに 同性も異性もなく あるがままを惹きあう心
人と人の間の感情として  縁ある者同士の不思議な神秘な繋がり
そして  愛は哀しいものだと思った
夫も妻も  父も娘も  かけがえのない恋人同士でも  人と人の愛は深く貴く 美しく哀しい
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芝居  ” 東海道四谷怪談 ”

2006-03-22 07:55:36 | ★芝居
開演三日目の20日(月)の夜  コクーン歌舞伎 ”東海道四谷怪談 南番 ” を観てきた
後方の座席だったのが幸いして  有名人 俳優 女優を見かけた
カメラマンの篠山紀信  三谷幸喜  小林聡美  米倉涼子  渡辺えり子  松本紀保  波乃久里子
わたしは芝居を観に行った劇場で芸能人を見かけることもまた楽しいと思うミーハーであるけど
この頃のお客さんたちは 芸能人を見かけても  サインをください などと駆け寄らないのだろうか
あるいは芝居を楽しむ者同士として プライベートタイムを騒がないという礼儀かな
もしかしたら  たんに気づかないだけかもしれないけど   いいことだと思う

今 渋谷では シアターコクーンの近くのパルコ劇場でも  忠臣蔵がらみの芝居が上演されている 
PARCO歌舞伎 ”決闘! 高田馬場” をやっている   主人公の堀部安兵衛役は市川染五郎
この芝居の今日の昼の部に 「特別ゲストに  シアターコクーンで『東海道四谷怪談』出演中の
中村勘三郎さんも白塗りのままで 劇中ちょこっと通路だけの出演でした 」という情報があった

わたしは 夜の部の ”東海道四谷怪談”  この終幕大団円近く 主人公二人が雪の降りしきる中を
緊迫感の様式美の立ち回りをしている舞台上を 旗を持ち 着物の裾をからげたサムライが走り抜けた
主役二人は動きを止めて あっけにとられ  客席も騒然   今のは 何?  誰なの?
数秒後 客席の後方から 舞台へ向かって走ってきたのは  堀部安兵衛!
助太刀姿の染五郎に  勘三郎が お岩の仇 民谷伊右衛門を討てと合図して 三人での立ち回りに
なっていくのが 予想外の展開で  観ているお客としては とても楽しかった
四谷怪談に 堀部安兵衛が助っ人にやって来る    愉快 愉快

きりのない立ち回りに 笑いながら三人が素に戻り  演出家の串田和美を舞台上へ招く
なんだか 監督にナイショの友情出演のような説明だった  串田は客席の三谷幸喜へライトを当てる
PARCOの方の芝居は 三谷幸喜が作者なのである
お昼は 勘三郎が 向こうの舞台にちょっと顔を出し  夜は染五郎が顔を見せる
勘三郎の舞台は 役者たち自身が楽しんで演じているのが伝わってきて  いつも楽しい
今夜だけの楽しいサービスなのかもしれないが   観客としては ラッキーな夜の部だった

芝居は 夏の怪談物の四谷怪談   歌舞伎そのものの言い回し  所作  表情を見せる
三味線の音が響きすぎて セリフが聞きにくかったりもしたけれど  真面目に正統派歌舞伎
女形の勘三郎は女らしい身ごなし   伊右衛門役の橋之介は美形のくずれた悪党らしさを見せる
お岩の父親を斬り殺したのは伊右衛門ということを知らずに  父の敵討ちを頼むために夫婦になる
赤ん坊の着物 蚊帳まで持ち出して遊び金に使う伊右衛門に裏切られたと知ると お岩の恨みが増す
壮絶な死に方で怨霊となって次々に怨念を晴らしていくこと  共感できそうである
幽霊となってからの仕掛けもおもしろく  寄り合い衆の座っている輪の中にすっと座っていたり
出窓の提灯が揺れ出し燃えたと思ったら 出窓にお岩の顔があり あっという間に空中へ身が吊り上る
舞台上方で 勘三郎のお岩の幽霊が  右や左に自在に浮かんでいる  
一瞬  舞台と客席の照明が落ち  客席のあちらこちらで悲鳴が上がる   
真っ暗な客席のお客の間を 髪の毛のようなものが揺れ動き  鼠がちゅうちゅう走り回ってる様子
舞台と客席の間には本物の水を張った溜りがあり 大捕り物の立ち回りの中で役者がどんどん落ちる
水しぶきが上がり  前方5列目までのお客たちは合羽を着 その度にビニールシートを持ち上げる
横列の観客たちのシートを持ち上げるタイミングが一致していくのは  後ろから見ていても笑いを誘う
3時間余の楽しい芝居を堪能でき  明るい元気をもらえた
                                      
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映画  ”  マンダレイ  ”

2006-03-17 19:14:28 | ★映画  
デンマークのラース・フォン・トリアー監督の 米国3部作の第2弾作品である
あの戦慄の  あの衝撃的な  あの演劇的美の構成の ”ドッグ・ヴィル”の続編になる
大きな倉庫のような建物の床に白線で家の間取りを引き  畑や道や小屋が現れる
少しの家具を配置したその家の中で人がそれぞれの生活を動き  道端で子どもが遊んでいる
舞台上の芝居を観るような臨場感 緊迫感が  とても新鮮で  物語の中にぐいぐい引き込まれた
力のある俳優たちでなければ演じれないのではないだろうかと思わせた構成だった
その ”ドッグヴィル”の同じ主人公グレースが登場する ”マンダレイ”  
心の中で てぐすね引いて  いそいそ観に行った

マンダレイ農園にクルマでさしかかる車中のグレースと父親の会話が 物語を要約してる印象だった
ギャングのボスである父親を「傲慢」と言ったグレースが  ラストでは傲慢な黒人を鞭打ち
父親は グレースのその「傲慢さ」に満足して立ち去るのである     物語の円環
一人の黒人女性が鞭打たれる者を助けてほしいとグレースに頼む  奴隷制が残っているその農園
グレースは黒人たちに自由を与え解放し  民主主義を説く使命感のために農園に残る
若いグレースの独り善がり 理想の押し付け  物語が進むほどに彼女の危うさに はらはらさせられる

死の床の農園主も 黒人たちのまとめ役のような老人も 奴隷制の終わっていることは知っていた
そのうえで農園内の決まり事を書き  働く人々も甘んじて奴隷制を生きていたのである 
ずるがしこい者  人を笑わせる者  番号を振られた個々人はその役割の中で生きていく
なにかよくないことが起きたときは農場主であるママを悪者にすればいい
世の中の準備が整っていない今 奴隷制が消滅したとて 農場から出て行って まずいことが起きたら
自分を責めなければならない   自由も解放もなくてもいい  この農園の中では不要でさえある

この映画の物語を 現実の世界に寓話的に当てはめてみる見方をする人もいるようである
グレースがマンダレイを解放しようとすることは アメリカがイラクにしたことと同じだろう と言う
監督いわく 「自由になりたい人を自由にすることはすばらしいことだと思うが、 相手の考え方が
正しくないからといって、 自分たちの考えをそのまま持ち込むのはよくない。 」
政治のことはともかく  狭い生活の場で ある意味で農園主に守られながら生きてきた奴隷という
身分の人々は  その共同体の中で自分らしい役割を認められて 指図されたことを信じて生きていく
この農場から出なければ  外の世界を知らなければ  これは安泰といえるのではないだろうか
「まだ準備が整っていない 」と まとめ役の老人が呟いていたが  そうかもしれないと思う
この世の中 社会は まだまだ 人種間のことだけではなく いろんな偏見差別が横行している
                             

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” 夏の朝の成層圏 ”    池澤 夏樹  著

2006-03-14 22:50:08 | ★本
このタイトルを呟くだけで わたしの心のなかには  南の空の真夏の青色が広がる
空と海の色が 青のグラデーションを描いて溶けている   少しの白い雲
澄んだ 乾いた空気のなかを 上方へ 天頂へ  成層圏へ  心が一瞬に駆け上がっていく
心臓の鼓動を得て 呼吸するわたしという形が  頭の中が真っ白になって 身も透けて  
空の青の潔さに吸い込まれ  陶然と溶けてしまう


” ・・・・・に滞在した時期のことを後からふりかえってみれば、
 まるでずっと空の上で暮らしていたような気がして、
 あなたはびっくりすることでしょう  
             
                              カレン・ブリクセン  ”

この言葉が 最初のページに掲げられている   
物語を読み終えて思うのは 幸福 という思いを言った言葉ではないのだろうか ということ      
素直にそう感じる

この物語は とても簡単なあらすじで説明できる
日本人の二十代の男性  地方新聞の記者が 遠洋マグロ漁の取材のために漁船に乗り
荒れる波を撮ろうとして 闇夜の海に落ちてしまう  身一つで数日間 海を漂流して
環礁の中の小さな無人島に流れ着き  暮らし始める  
紆余曲折を経て  「 明日はここを出る 」と 物語の最終ページが終わる

印象的な場面は いくつもある
膨れた救命胴衣で数日間  昼夜の海の中に漂っているところ
無人島に流れ着き  雨水の蓄え方を工夫し  椰子の幹の間に蔓を張り広い葉を重ねて屋根を作る
高い椰子の木に登れるようになり  海の貝を拾えるようになる
闇という黒い液体の底に溺れているような暗さの夜の中で 島の精霊を感じる
倒木をくくって浮き材を作り  遠くに見えるもう少し大きそうな島へ潮に流されながら泳ぎ着く
丈の低い樹木を背にして  そこにまぎれもない西洋風の白い家が一軒 建っていた
精霊たちが 彼に島の盛衰をささやく   ミランダの体の意識   宇宙の中の人の存在

マイロンのセリフ  「 ジョンが言いたいのは、 他人の目から見ればきみは英雄だということさ。  
他人の目から見ないかぎり英雄なんて存在しない。  」
このセリフ   また  わたしの心にひっかかる  
思う自分ではなく  他人の目の中に わたし自身は作られるというのだろうか  宿題だなぁ


あ そうそう   先日 中華街を歩いていたとき  あるお店の前で生ジュースを売っていた
椰子の実のジュース!   この幸運♪    近寄り 手に取り 持って 振ってみた
両手で丸く輪を形作ったくらいの大きさ  白く固い繊維がしっとりしている  振っても音がしない
小さく穴を開け細いストローを刺して売っている   この果肉を無人島の彼が食したのだ
売り子のおねえさんに質問する  「この白い部分は 食べられますか?」
「いいえ  中の果汁のあたりなら  少し柔らかいから  食べられます 」 
この数分間  わたしの心の中は 無人島の椰子の林の中にいました
で  見つめ  さわって  眺めて  果汁は飲むことなく 立ち去りました
                              
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映画 ” ナルニア国物語   第1章 ライオンと魔女 ”

2006-03-06 18:19:47 | ★映画  
映画を観て来ちゃった   観たいと思っていたので エイヤッと きょう 観て来ちゃったわ
わたしの好きな小説家 池澤夏樹が薦めていたたくさんの本に ” 鏡の国のアリス ” と
” ナルニア国物語 ”が入っていました
読む機会のないまま タイトルだけは覚えていたのですが ” ナルニア・・ ”の映画化が決まった時
とっても嬉しく 上映が楽しみでした
きょう 観てきました    スケールの大きなファンタジー   楽しかったなぁ

主人公の子どもたちが だんだん凛々しくなっていくのも 頼もしい限りでした
雪と氷に閉ざされた世界も美しく  春の芽吹きの季節も 暖かさが伝わってくるようで きれい
河の厚い氷が 溶けて流氷となる瞬間の迫力は   すごい すごい
物語は本を読みながらも十分楽しめるでしょうが  こういうファンタジーは 映像で観るのも楽しい

冒険を終えて ひょいと現実の部屋に戻ったとき   やって来た館の主が 子どもたちへ
「ここにいたのか   何をしていたのかね 」 と 話しかける
「話しても  信じないでしょうね 」 と 長男が言う
「話してごらん 」 と 微笑む主   このラストの会話が とても好き
聴こうと耳を傾けてくれる気持ち    ここから 人と人の信頼が始まっていく
                                      
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” 臨死体験 ”    立花 隆  著

2006-03-06 00:04:49 | ★本
’91年8月~’94年4月まで 文芸春秋誌に連載されたものをまとめた上下二冊の本である
著者は たくさんの人に会い インタビューをして 実証調査をし 統計を取り 原稿を書き 推敲し
多くの時間を費やして この本を上梓したことと思う     その熱意と情熱に 敬服してしまう

自分の体験したことのない超常現象には マユツバ的な斜に構えた気持ちで 本を読み始めた
たくさんの事例を紹介する作者は 大真面目に信じているのだろうか という気持ちで読み進んだ
取材したビデオテープは230巻   取材ノートは9冊に達した という  
大勢の臨死体験者の体験記録の内容が紹介されている  
一般の人たちや宗教学者や医師や夏目漱石の内容や外国の学問的研究をしている人たちの分もある
印象に残った概要を紹介します


「臨死体験というのは、事故や病気などで死にかかった人が、九死に一生を得て意識を回復したときに
語る、不思議なイメージ体験である。   三途の川を見た、 お花畑の中を歩いた、 魂が肉体から
抜け出した、 死んだ人に出会ったといった、 一連の共通したパターンがある。」
「臨死体験者は 具体的にどういう体験をしたのか
 ・安らぎに満ちた気持ちよさ
 ・肉体からの離脱
 ・暗闇(トンネルなど)の中に入っていく感じ
 ・強い輝きの光を見る 
 ・自分の人生を回顧させられる 
 ・死んだ親族 知人との出会い     」

「臨死体験後にあらわれた超能力の実例  
透視能力やテレパシー能力が備わった人や 頭の中に数学の記号や方程式の断片が浮かんできて
物理学量子論の勉強がわかるようになった除雪車の運転手の例もあげている」

体験者のひとりは語る 
「ただ深い安らぎと静寂の中で空中に漂っていた。  死への不安はほとんどありません。  
生きている間どれほどの苦しみがあろうとも一所懸命生き抜けば最後にはあの安らぎの境地になれる、 
そんな保障を得ているような気がします。」

臨死体験研究の先駆者レイモンド・ムーディ博士は超常現象 超能力 心霊現象といったようなものは
信じないという立場である  
「この問題は 科学やロジックでは最終的な答えが出ない問題だと思うのです  現実に体験者たちの
話を聞いていくと  これは頭の中でこしらえあげた理論ではとても説明できない現象だということが
すぐわかります     幻覚と臨死体験とでは 内容にあまりに質的ちがいがありすぎる
特に体外離脱は幻覚ではなく現実であると考えないことには 説明がつかない事例がたくさんある」
「臨死体験の研究をやってよかったと思うのは 死に対する恐怖から 完全に自分が解放されたことです
死に対する恐怖がなくなったことで 生きることがとても大切に思えてきました」

「臨死体験の内容には、体験者が育った文化の影響がかなり色濃く反映されているようだ」
体外離脱という現象が、必ずしも臨死体験に付随して起こるものではないということ
1982年に、中国のミニヤコンカ峰に登山して遭難し、死んだとみなされながら、消息を絶って18日後に
奇跡の生還をとげた登山家の松田宏也さんの体験談もある

「感覚遮断の研究は、人間を、感覚入力が奪われた状態に置いたら、その精神機能がどう変化するかを
探るために行なわれた」     
ノーベル物理学賞受賞者のR・ファイマンが、感覚遮断用の隔離タンクに入った体験を述べている 
のみならず 著者立花隆も このタンクの実験を体験している
「さまざまの宗教で伝えられる神秘体験というものが、実感的にわかるような気がした 
この肉体の存在感の消失というところが、体外離脱の本質なのだろうと思う 」 と言う

「側頭葉というのは、実に不思議なところで、刺激すると、奇妙な現象がいろいろ起きるんです
脳内化学物質のバランスの変化と、血流低下・低酸素状態が側頭葉・辺縁系てんかんの引き金を引く。
それによって、辺縁系にある記憶検索装置が機能不全状態になると、過去の思い出が次々に
よみがえってくる人生パノラマ回顧が起こる。 また、側頭葉てんかんによって、体外離脱も起こるし、
さまざまな幻覚を見るという現象も起こる。」
「臨死体験は、脳内現象として説明できるということを意味するが、そういい切ってしまうことが
なかなか できないのは、実際に体外離脱しなければ見えないはずのものを見てきたという事例が
幾つかあるからである。」

「生きてる間は生きることについて思い悩むべきである。 」    著者は このように結んでいる


              ***********


未体験 未知のものへは なにによらず不安が大きい  死は痛いのか 怖いのかと 不安も大きい
事故や病気の危篤状態の人が多いが それ以外でも臨死体験をした人たちは 一様に 何者かの
大きな愛で包まれる感覚を味わったと語る
実際に亡くなった人のお顔が安らかなのは そういう安心の状態で生を終えれるということなのだろうか
わからないことは 保留
いまは 著者も言うように  生きることに 一所懸命でありたいと思う
                                   

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映画  ” クラッシュ ”

2006-03-05 00:27:48 | ★映画  
街のひとつの時間のあちこちで  何人もの人のその時の場面が見せられる
誰が誰やら  この人が誰とどういう関わりがあるのか  最初はわからないけれど
アメリカ社会の人種差別意識    まだ  あるんだなぁ
銃を携帯しても構わない日常の怖さ   ポケットに手を入れる=銃を取り出す という思い込み

”クラッシュ”  クルマの衝突のことをいう  
タイトルどおり  自動車事故の現場場面から映画は始まり  その場面へ戻って 映画は終わる
公平な精神を持つ若い警察官が人を殺してしまう   真面目な黒人刑事が買収されてしまう
共に仕事を作ってきたはずの白人から黒人蔑視の言葉を聞いてしまう黒人演出家  
錠前屋の忠告を聞き入れる余裕のない店主   その娘は賢い医師
病む父の介護に疲れてる警察官が不要な職務質問で黒人女性をいたぶる
事故車のガソリン引火爆発の間一髪で その警官は偶然その黒人女性の命を救う
クルマ盗癖の黒人の若者二人のうち 行方不明だった刑事の弟のほうが死に 片方は人助けをする

やはり感動的なのは 錠前屋のエピソード
ある夜 帰宅すると 5歳の娘がベッドの下で震えている  ピストルの音を聞いたから と言う
「子どもの時 妖精からもらった銃の弾を止めてしまう透明なマントをあげよう」と 娘に着せてやる
数日後 錠前屋の忠告を無視して泥棒に店を荒らされた店主が家の前で 彼に銃を向ける
窓から見ていた娘が 「パパはマントを持っていないから 」 と飛び出して パパに抱きつく
と同時に店主のピストルの銃声が 女の子の背中を撃つ    空砲だったのです

たくさんの登場人物が 物語の後半の場面で ゆっくり 絡まってくる
人に善きところ 弱く悪しきところがある と 二面性を活写するだけの物語なのではないと思う
夜空から粉雪がチラチラ降りてきて 映画は終わる   俯瞰的に監督が物語を見ているのではなく  
「太郎の屋根に雪降るつむ 次郎の屋根に雪降りつむ」 この言葉を思い出すラストの場面でした

人には いろんな心の面がある   ひとつの行動から その人を色付けをすることは無意味である
この映画では どの人もが主人公である   人と人がクラッシュ 
人が生きていくことの すぐ隣りの現実を見たような気になってしまう映画である


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