
いつも見ていたヒロシマ(吉田拓郎)
八月の光がオレを照らし コンクリートジャングル
焼けつく暑さがオレの心をいらつかせる
いやせない みたせない なぐさめもない
深い祈りと 深い悲しみ 渇いた心をかかえて
オレはどこへ行こう 君はどこへ行く
時はおし流す 幾千の悲しみを
時は苦しめる 幾千の思い出を
焼けつきた都市から 確かな愛が聞こえる
子供らに オレ達が与えるものはあるか
安らかに笑う家はいつまであるか
いつもいつも遠くから遠くから 見ていたヒロシマ
* 写真は、カラオケ『白い骨』(黄金井脩)。吉田の歌はカラオケにない。どっちもカラオケで歌えるほどに知らない……。
膨大に存在するであろうゲンバクに言及する本の中で、あくまでもひとりの、それも市長在職時の戦いが主に著される。被害者にこそ対面の被害者の意識がわかる、そこをてこに思想にしていこうとする。また、家族や隣人が被害者であるとともに加害者であるという意識。
──沖縄県民の戦争体験は単純ではない。最初に敵として現われたのは米軍である。ところが、米軍に追いつめられ壕の中で抗戦を許さず自決を強いる日本軍は敵となった。その日本軍が敗れることによって命を永らえることができた住民には、米軍は解放者であった。しかし、解放者は戦後、占領軍として住民を抑圧する存在となり、/
──自分の体験を的確に表現することのできぬいらだちに身もだえするのだった。そして、言い合いのすえ、「もういっぺん原爆が落ちりゃあ、ようわかるんよ」と言ってしまわざるをえない被爆者の絶望感/
──「核兵器は直接軍事目標に向けることができるから、無差別に使用されることはあっても、もともとも無差別なものではない」(95年6月、国際司法裁判所に提出された米国政府の陳述書から)
核を通常兵器とは異なる視点で訴えるのがヒロシマ思想の原点だったわけだが、上梓から既に十年が経過し、さらに兵器の一つでしかない固定状の意識。日本政府が核への態度を明確にしないまま、戦前のにおいをかぐ識者がふえている。
「唯一の被爆国」であり続けるために。 ──この言葉すら恐るべき。
* セミパラチンスク、ネバダ、ムルロア、チェルノブイリ、東海村。えーと。
八月の光がオレを照らし コンクリートジャングル
焼けつく暑さがオレの心をいらつかせる
いやせない みたせない なぐさめもない
深い祈りと 深い悲しみ 渇いた心をかかえて
オレはどこへ行こう 君はどこへ行く
時はおし流す 幾千の悲しみを
時は苦しめる 幾千の思い出を
焼けつきた都市から 確かな愛が聞こえる
子供らに オレ達が与えるものはあるか
安らかに笑う家はいつまであるか
いつもいつも遠くから遠くから 見ていたヒロシマ
* 写真は、カラオケ『白い骨』(黄金井脩)。吉田の歌はカラオケにない。どっちもカラオケで歌えるほどに知らない……。
膨大に存在するであろうゲンバクに言及する本の中で、あくまでもひとりの、それも市長在職時の戦いが主に著される。被害者にこそ対面の被害者の意識がわかる、そこをてこに思想にしていこうとする。また、家族や隣人が被害者であるとともに加害者であるという意識。
──沖縄県民の戦争体験は単純ではない。最初に敵として現われたのは米軍である。ところが、米軍に追いつめられ壕の中で抗戦を許さず自決を強いる日本軍は敵となった。その日本軍が敗れることによって命を永らえることができた住民には、米軍は解放者であった。しかし、解放者は戦後、占領軍として住民を抑圧する存在となり、/
──自分の体験を的確に表現することのできぬいらだちに身もだえするのだった。そして、言い合いのすえ、「もういっぺん原爆が落ちりゃあ、ようわかるんよ」と言ってしまわざるをえない被爆者の絶望感/
──「核兵器は直接軍事目標に向けることができるから、無差別に使用されることはあっても、もともとも無差別なものではない」(95年6月、国際司法裁判所に提出された米国政府の陳述書から)
核を通常兵器とは異なる視点で訴えるのがヒロシマ思想の原点だったわけだが、上梓から既に十年が経過し、さらに兵器の一つでしかない固定状の意識。日本政府が核への態度を明確にしないまま、戦前のにおいをかぐ識者がふえている。
「唯一の被爆国」であり続けるために。 ──この言葉すら恐るべき。
* セミパラチンスク、ネバダ、ムルロア、チェルノブイリ、東海村。えーと。
おはようございます。ramenさん。
ちょっと以前に、調べていて知ったサイトがあります。
ちょっと、興味があり、頭に引っ掛かっていたのです。
ramenさんの今日の書き込みで、思い出しました。
「広島・長崎」をアメリカ人はどう見ているか
http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/atombomboj.htm
これは、アメリカの中学・高校生に米国政府が原爆をどのように教えようかという姿勢がよくわかります。
引用-----
まず、中学生向けの The American Nation から。
(本文751頁)
≪1945年4月になると、米軍は日本本土を繰返し攻撃できるところまで進出した。米国の爆撃機が日本の工場や市街地をたたいた。米国の戦艦は沿岸部を砲撃し、艦船を沈めた。
日本国民はひどく苦しんでいた。それでも指導者たちは、連合国に対する栄えある勝利をおさめることを語り続けていた。≫
≪米国軍指導者たちは、秋になったら日本を侵攻するという計画を立てた。
侵攻によって、米軍には15万から25万の犠牲が出るであろうと、軍指導者たちは警告した。≫
≪1945年7月下旬、連合国の指導者であるトルーマン、チャーチル、スターリンは、ドイツのポツダムで会議を行った。ポツダムのトルーマンに、本国から驚くべきニュースが飛び込んだ。
アメリカの科学者たちが秘密の新兵器、原子爆弾の試験に成功したのだ。
新兵器の威力はすさまじく、たった1個の爆弾で1つの都市を破壊できる。
使用するにはあまりに危険だと考える科学者もいた。≫
≪ポツダムから連合国指導者たちは日本に対して、降伏せねば「ただちに徹底的な破壊」が行われるであろうとの警告のメッセージを送った。
日本の指導者たちは原子爆弾のことを知らなかった。
彼らはポツダム宣言を無視した。≫
≪1945年8月6日、米国の爆撃機エノラ・ゲイが、日本の広島に原子爆弾を投下した。
爆発によって少なくとも7万人が死に、同人数が負傷した。
市の大部分が破壊された。≫
≪1945年8月9日、米国は第2の原子爆弾を、今度は長崎に投下した。
約4万人の居住者が即座に死んだ。
その後、長崎でも広島でも、さらに多くの人々が、爆弾が放った致死の粒子、放射能によって亡くなった。≫
≪日本の内閣における激しい議論の末、日本の天皇は1945年8月14日に降伏を発表した。
正式な降伏は、9月2日に東京湾でミズーリ号の艦上においてなされた。≫
引用終わりーーー
歴史の解釈は、民族(ネイションの構成者)によって、国民国家として意識される時、その国家の行為が正当性を付随させて伝承される好例のように感じました。
日本の教科書の記述についても調べたいのですが、ちょっと余裕がないようです。
それでは。
日本の教科書……。たまたまひっかかったすばらしいサイト(私の最初の感想として)の中を巡っていると、扶桑社の教科書なんか目じゃない、とんでもない教育論が展開されていることが、よく、あります。
ショービニズムといったでしょうか。ネット辞書でチョット調べても出てこなくて定かではありません。
元広島市長の言う、例えば国を超えた自治体間での密な連携があればさきの大戦も抑えられたのではないかという視点からの建設的(ある意味楽観的性善説?)な動きを初め、国を超えたところに良心は確かに存在しながら、なぜか、そのショービニズムみたいなものは、ぐろーばる大国(なんじゃそりゃ)アメリカが率先することにより、国という単位ではぐろーばるに増殖させられているようです。
性悪説と不信感はそれをもってそれぞれを増殖させるということでしょう。本のタイトルにつく「希望」はミクロにこそその楽観的性善説を期待せざるを得ないという希望なのでしょう。──10年前の。不毛かと疑いながらもさらにこの10年をたたかってきた人たちは確かに存在するのでしょう。それが見えない。見えるのは増殖のイメージということについて、何をか言わんや。
Junさんのサイトのカウントを懲りずに上げているのは私ひとりではないと思います。こんなところに書くのはもったいない。たまには一言。
* 性悪説といえば。
内政的には、危機感を持ち得ない日本国内での目まいを覚えるような事件続発に関して、性悪説をとる教育を徹底するしかないという話もどっかで読んで、納得する部分もあったなあ……。
うかつにも「ショービニズム」という言葉を知らず、ネットで検索すると次のようなサイトがヒットしました。
内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/archives/000961.php
冗談ぽいのですが、現在、「守ろう憲法9条」という書いてあるラベルのついている泡盛を飲みながら、コメント書いています。(苦笑ぎみ)
性善と性悪という二律背反で止揚されるものが何ものなのかが判別できないままにいますが、ナショナリズムが他民族の性悪をかきたてる(煽る)ことで、いっそう、その方向性がショービニズムに連携されることは間違いないように感じます。
以前、少しだけJANJANというネット新聞にかかわりをもっていたことがあります。市民記者による新聞という謳い文句ですが、中には、どうも自分たちのプロパガンダになっていたり、記事の内容の信憑性が乏しいものがありました。この新聞が、逆の意味でのショービニズムとしての役割を果たすのではないかと思ったりします。
特に、現在の中国における反日教育、反日のデモや韓国の反日運動・歴史教科書をとらえて、好戦的ナショナリズムをかきたてようという意図がマスコミを通してたれながされています。自国を性善とし、他国を性悪とするような、アジアの色分けにはへきへきですが、図式はそのような方向です。さらにテロ行為において。それが国家の主体的意識としてとらえられ、「テロ国家」という奇妙な果実が、断頭台に吊るされています。
以前に書いたもの。
「シソウのオトコ」
行きずりのシソウのオトコ
土気色の皮膚には皴が刻まれ
資本論を片手にさっそうとした若きころの
面影はなく
白眼は黄色くなり
それでも
かすれ声のアジテーション
「我々が死をもって臨むときが到来した。
今こそ、砂あらしの中の暴君をさらすときだ」
皿に盛られたメロンを口に入れ
したたる果汁が蟻を目覚めさせる
junhigh
シソウは死相であり思想なのですが。
では、また。
教育テレビ7/24放送『イサム・ノグチ幻の原爆慰霊碑』(NHK広島放送局発信)
「対立を超えた融和」。
TV画像
イラクで小児ガンが深刻化と、きょうの夕刊。アメリカはどう対応するのでしょうね。
載せるほどのもんじゃなくてm(__)m