磯田道史×さかなクン Eテレ録画

2015-08-03 11:04:12 | ■だらだら。


幸せな二人だ。
見た目で人を判断するもしないも自分の都合次第だ、
などと捻くり回すことなど完璧ないと想像される。自身のモチベーションや行動で他人の都合を変換させる無自覚な力。幸せな人は詐欺師にはなれない。

夢は持ち続けて邁進すれば必ずかなう! そう言うのは必ず成功した者だけだと私は言うが、すいません私に夢中は一度もない。

夢中がある。文字どおり。
夢を持つだけで才能だ。




『わたくしも小学校のときに、将来は絶対お魚の研究家になりたいって書いて、まさかこうやってつながってくとは思わなくてですね、やっぱり子供のときのそのいだいた夢っていうのも、ほんとに大切で、それを宝物にしてくっていうのも…』

『「いや、そんなことじゃ夢みたいなのじゃ食べられないよ」とかさんざん僕も言われましたよ。だけど、いや、それは僕は違うような気がしていて、前方後円墳(の土)を牛乳瓶に詰めたら、で、横に倒したらハワイまで全部つながる長さになるかどうかを計算するために算数を頑張ったんです。それで、縄文土器を復元するために陶芸の本を読まないといけないから字と漢字を覚えたんですよ。
必要がありゃあやるんですよ。だから、必要もないのに試験に突破するからとかいうことで勉強できる人は、僕はすごいなと思うんだけど、自分は真似ができんから。
そういう何かこう欲しいものがあるから道具としてあとに勉強がついてくるっていうことは、ちょっとやっぱり僕らの社会、1回そこが本来なんだっていうことはやっぱり押さえておきたいところかなと思いますけどね。
オタクだのどうのというより生き方の問題だろうと思いますね、そこは。』




『いや僕ね、何がねえ、さかなクンと話してうれしいかっていうと、まず無償の遊戯性。
無償ってのは、得するか──損得は関係ない。あと、遊びでやる。楽しいからやってる。
無償の遊戯性は、日本語で言えば──江戸の言葉で言えば、道に楽しむで「道楽」なんですよ。
この無償の遊戯性を持ってる研究をする人たちっていうのは、こんなに労力かけて研究したら、成果が得られなかったらどうとか考えないんですよ、楽しいからやるんですよ。そんなところに研究の道は開けないとか損得で考えちゃうと乗り越えられない壁があるんですけども…』

『はい、オタクっていうのは、やっぱり自分自身が納得して、自分自身が喜びを得て追求してくと、いろんなことが見えていろんな喜びがあるんですけど、だけど、一人だけで自己満足してると、何かもったいないってだんだん思ってくるんですね。だから、自己満足してる段階ではまだアマチュアの域を超えないと思うんですけど、でも、これをみんなで、この感動を共有しなきゃもったいないんじゃないかという心に変わってくると、それが何ていうかお仕事にもつながったり食べてけるようになってくのかなって』


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