オチャと同時に音訳もとうぶん休むことにした。広報類はともかく資料(書籍類のこと)としては2冊目にしてとりあえずの最後となったのが白洲正子のエッセイだった。数冊がランダムに置かれている中から選んだ理由は、ほかのものが英文解説本や図説多載本などで初心者には難しそうだったから。
彼女のエッセイを読んだことがある。あまりにも造詣に遠い私だからこそ、さっと読めたのである。それ一冊のみだった。ずいぶん昔だ。
調べる単語の数に際限のなさを覚えるものしらずがやっとたどり着いた録音では一文ごとに録り直し、情けないし仕事を侵すし返上しようか今さらと数度迷った「エッセイ」。校正は重鎮にご担当いただき、厳しく正しい指摘もいただきながら、大変難しい本を御苦労様でございましたとの最初の言葉に、音訳対象として難しいと言ってモラエル本であーよかったとほっとする気持ちが次回に続かぬ身には勝つ。
昨夜録画した教育テレビの番組を先ほど見た。選んで使われた白洲正子の写真は、それだけで言葉にできないちからを放つ。テレビの向こうにあるオキーフの写真に一瞬目が動いた。
エッセイのなかで印象に残ったのが自分が女を舞うことについてだった。彼女は能を舞う男に、まずなる。その男が女を演ずる。それは、そのときにもすっと入り得なかったし手元に既に本もなく再現できないが、簡潔な字面で複雑なその綾を表していた。
ドキュメンタリーの主人公と正子はだれよりも生きながらそれぞれに死の世界と向き合っていた。彼は彼女の両性具有を言う。それは魂の交流を感じたひとの確かな視座においてのことではあるだろう。
私は少なくともそのエッセイに女性を強く感じていた。ひとつのことを掘り下げる思いは袂に込めひとつから永遠へ咲きほころんでゆく。知か生か。随所に炯眼を閃かせながらふと気づいたように収束していく各段は謙虚とも曖昧とも詩的ともちがう。
彼女のエッセイを読んだことがある。あまりにも造詣に遠い私だからこそ、さっと読めたのである。それ一冊のみだった。ずいぶん昔だ。
調べる単語の数に際限のなさを覚えるものしらずがやっとたどり着いた録音では一文ごとに録り直し、情けないし仕事を侵すし返上しようか今さらと数度迷った「エッセイ」。校正は重鎮にご担当いただき、厳しく正しい指摘もいただきながら、大変難しい本を御苦労様でございましたとの最初の言葉に、音訳対象として難しいと言ってモラエル本であーよかったとほっとする気持ちが次回に続かぬ身には勝つ。
昨夜録画した教育テレビの番組を先ほど見た。選んで使われた白洲正子の写真は、それだけで言葉にできないちからを放つ。テレビの向こうにあるオキーフの写真に一瞬目が動いた。
エッセイのなかで印象に残ったのが自分が女を舞うことについてだった。彼女は能を舞う男に、まずなる。その男が女を演ずる。それは、そのときにもすっと入り得なかったし手元に既に本もなく再現できないが、簡潔な字面で複雑なその綾を表していた。
ドキュメンタリーの主人公と正子はだれよりも生きながらそれぞれに死の世界と向き合っていた。彼は彼女の両性具有を言う。それは魂の交流を感じたひとの確かな視座においてのことではあるだろう。
私は少なくともそのエッセイに女性を強く感じていた。ひとつのことを掘り下げる思いは袂に込めひとつから永遠へ咲きほころんでゆく。知か生か。随所に炯眼を閃かせながらふと気づいたように収束していく各段は謙虚とも曖昧とも詩的ともちがう。