雷ブログ

落雷抑制システムが運営するブログ

日本史サイエンス  播田安洋 ブルーバックス

2023年03月17日 09時00分00秒 | 雷日記

こんにちは。 落雷抑制の松本です。

 本書の著者の播田さんは元造船技師で、本書は、元寇、秀吉の大返し(本能寺の変で、備中(岡山)からを2万人の軍勢が8日間で京都までの220Kmを駆け戻った)、戦艦大和について数理的な考察で解説しています。この3つの話題、どれも興味深いのですが、秀吉の大返しについては、史実よりは客観的な走るためのエネルギーから計算しています。8日間の行程の内、5日間は雨、陸上自衛隊のような先進素材を用いた、防水、防湿の軍服は無く、また、マラソンランナーのような軽装ではなく、軽量で丈夫な優れたランニング・シューズもなく、足軽の履物などワラジで衣服も綿の貧疎なもので、しかも戦いのための武具を約30kgほど持っている。食料からしても1日に必要なおにぎり1個を100gとし、そのエネルギー量は173㎉とすると、兵士の運動量に必要な3700㎉を賄うにはおにぎり20個、2万人の兵士には40万個にもなります。そのような過酷な状況で2万人が8日間で220kmも走れたのかについて、客観的に解説しています。

 当時の山陽道の道幅は狭く、軍事パレードのような行進は不可能ですし、道もぬかるんで石ころだらけ。では途中で、海路に切替えることも考えられますが、秀吉とその直属だけは海路に切替えたかもしれませんが、兵力の大部分は京都に着いた時には体力を使い果たし、合戦などできる状況ではなかったのでは? その証拠に光秀との山崎の合戦の布陣を見ると、光秀軍と最前線で対峙しているのは、新たに秀吉に加勢した武将たちで、秀吉の軍勢は一番後ろです。 しかし、中国からの大返しをしたことで、中かを増やせたので、大返しには意味がありました。

 秀吉は光秀が謀反するであろうことをを知っていて、帰り道を準備していたのではないのかという説もありますが、これも、いきなりの「大返し」は無理があり、水と食料の補給、雨の中の野営による体力の消耗もあり、2万人が合戦に参加できる状態で京都に戻ったのは、ほぼ、無理ではなかったかの結論です。歴史での成功話は尾ひれがついた大きな成功話になる傾向があります。 まあ、2万の軍勢が全て戻れなくても、その奮闘ぶりを見て加勢する軍勢が増え、勝利に終わったのですから、大局的な見地からは「大返し」は成功には間違いありません。

〒220-8144  
神奈川県横浜市西区みなとみらい 2-2-1
横浜ランドマークタワー 44階 4406
落雷対策専門の株式会社落雷抑制システムズ
電話 045-264-4110
公式サイト http://www.rakurai-yokusei.jp/
Eメール info@rakurai-yokusei.jp

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする