ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ヒーロー GIジョー(ただし鳩 )〜ミリタリー・アニマル

2018-01-24 | すずめ食堂

軽い気持ちで始めたミリタリーアニマルシリーズ、
今日は「飛ぶ小動物、鳥、そして虫など」です。 

■ コウモリ

第二次世界大戦中、勝利を祈るアメリカ人のうちの一人、

ライトル・S・アダムス博士

は、コウモリに小型爆弾を装着して飛行機で日本上空に放つ
→日本本土は火の海→米軍大勝利→ ( ゚Д゚)ウマ〜

ということを真剣に提唱しました。
まあそんなことをせずとも、硫黄島とサイパングアムを奪取した後は
直に爆弾を撒きまくることができるようになったわけですけどね。

そもそもアダムス博士は日本の工場は紙と木でできており、
火をつけたコウモリを飛ばせばあっという間に工場壊滅、
と考えていたフシがあり、幾ら何でもそりゃ認識が間違っとる、
って話ですが、陸軍、海軍、海兵隊までもがこのプログラムを

プロジェクトXレイ」(Project X-Ray)

として真面目に検討していたということです。
しかしながら、研究はいきなり困難に直面します。

(BGM: やっぱり地上の星)


人間の言うことを全く聞かず、訓練もできない上、
当時の技術では爆弾をどんなに小型化してもコウモリはなぜか

爆弾の重さで地面に落ちてしまうのでした

というわけで、プロジェクトは1944年に中止になりましたが、
現代の技術であればコウモリが乗せて飛べる爆弾は十分開発できるでしょう。

いや、もしかしたらもうDARPAがやってるかも?
あの組織はゴキブリ爆弾も開発してるからな。

■七面鳥

最初にこの鳥を食べた人は偉いなあとこの写真を見て思うわけですが、
七面鳥、美味しいんですよねー。
脂身がなくあっさりしていて、ブロイラーのチキンよりずっと好きです。

それはともかく、1936年から3年間にわたって、
人民戦線政府(共和国派)と、フランシスコ・フランコ将軍を中心とした
右派の反乱軍(ナショナリスト派)とが争ったスペイン内戦。

ソ連が支援していたスペンヌ共和国軍と民兵団は、
物資をエアドロップ(飛行機からの投下)で行なっていました。

しかし、薬の瓶などが衝撃で割れてしまうので、考え出されたのが

七面鳥に物資をくくりつけて上空から落とすこと

もちろん飛べない鳥なので、結局は地面に落ちるのですが、飛べないなりに
彼らは本能で翼をバタバタやるので、地面に激突する衝撃が軽減されます。

本日カテゴリの「飛ぶ小動物・鳥」には厳密にいうと入っていませんが、
「飛ぼうとする鳥」というジャンルではあったわけです。

で、かわいそうに七面鳥は結局地面に激突して皆死んでしまうのですが、
どっちにしろ後で食べるのでシメる手間が省けるという具合です。

しかし、こんな方法で七面鳥の命を弄んだ人民軍は結局敗北しました。

結局スペイン内戦はナショナリストが勝利を収め、その後66年間、
フランコ政権は続くことになります。(写真は凱旋パレード)

これ絶対七面鳥の祟りだから(断言)

 

■ はと

 

靖国神社の境内に軍バトの鎮魂碑があったことからわかるように、
ハトと軍隊というのは密接な関係にありました。

電話・電信、もちろんインターネット普及以前は、
もっとも早い通信手段はハトだったのです。
古くは古代ギリシャ時代からハトによる通信は行われてきました。

第一次世界大戦時が最近でもっともハトが活用された戦争で、
両陣営の陸軍には50万羽以上の軍バトがいました。
足にくくりつけたカプセルにメッセージ、地図、そして写真、
首に小さいカメラをくくりつけていることもありました。

今でいうドローンの役目ですね。

ハトは賢いので、90パーセントの割合でミッションを成功させてきました。

犬にも猫にも、軍隊には「ヒーロー」が(熊にもね)いたわけですが、
さすがにハトのヒーローはいないだろうと思ったら、

シェール・アミ(Cher Ami)フランス語の”親愛なる友”

というヒーローバトがアメリカ陸軍第77歩兵隊にいたんですよ。

1918年、チャールズ・ウィットルジー少佐と500人以上の兵士が、
敵の背後にある丘陵地帯の小さな窪みに追い詰められ、
しかも連合軍からのフレンドリー・ファイアを受け始めました。

味方がいると知らない自軍の攻撃によって、次々と兵士は斃れ、
ついに194名にまでその数を減らすに至ります。

司令官は味方にそのことを知らせるべくハトの脚にまず

「たくさんの兵が負傷した。避難できない

とメッセージを結んで飛ばしたのですが、ハトはドイツ軍に撃墜されます。
二羽目のハトに

「皆苦しんでいる」

というメッセージをつけて飛ばしますが、これもドイツ軍の
超優秀なスナイパーに撃ち落とされてしまいました。

三羽目の正直として司令官はシェール・アミの足に

「貴軍は今味方の上に直接砲弾を落としている。
神の御名によって直ちに砲撃をやめよ」

というメモをくくりつけて飛ばしたところ、やはり今回も狙撃を受けます。
しかし驚いたことに、弾を受けたにも関わらず彼は任務を諦めませんでした。

(彼か彼女が知りませんが一応)

傷を負いながらも彼は25マイル(40キロ)を飛び、メッセージを届け、
帰ってきたところを、また銃撃され・・・・。
壕に帰ってきたシェール・アミは胸を撃たれ、片方の目は血で覆われ、
片方の足は腱だけでぶら下がっているという瀕死の状態でした。

陸軍軍医の必死の救護活動によって彼は一命を取り留めました。
脚はどうしてももとどおりにならなかったので、彼のために
小さな木の専用義足が作られました。

シェール・アミはその後パーシング将軍に拝謁を行い、
名誉の除隊となって帰国し、英雄としてクロワ・ド・ゲールを授与されました。

しかし一年後、この時に受けた傷のために死亡しています。

シェール・アミは片足のない姿のままで剥製にされ、
現在スミソニアン博物館に英雄として展示されています。

 

第二次世界大戦が始まる頃には無線通信が普及していましたが、
軍バトは相変わらず重要な役目を負っていました。

スパイ側も兵士たちも、どちらもがトップシークレットについては
ハトを使ってメッセージを送ることが多かったのです。
無線はどうしても近くにいると傍受されてしまうからでした。

敵に取り込まれて孤立した部隊には、上空から飛行機で
ハトのケージをパラシュートで落とすという方法も取られました。

Dデイ、ノルマンジー上陸作戦の時には何千ものハトが
投下されたと言われています。

それを見つけたフランス市民がドイツ軍の現在状況を記し、
ハトを送り返すという方法で諜報活動を行なったのです。

上陸作戦まで、ほぼすべての連絡はハトを使って行われました。 
中でもグスタフという名前のハトは、150マイル以上も飛び続け、
イングランドまで重要な情報を届けたという話もあります。

第二次世界大戦で最も有名となった軍バトは「GIジョー」でしょう。

彼は1943年10月18日、ドイツ軍の制圧下にあるイタリアの街、
カルビ・ベッキアの住人とイギリス軍を救ったことによってヒーローとなりました。 

カルビ・ベッキアからはドイツ軍は撤退しており、そのあとに
イギリス軍の旅団がいたにも関わらず、何かの間違いで爆撃が要請されたのです。

間違いに気づいた時には攻撃開始時間は迫っていました。
ラジオで攻撃を中止することを伝えようにも時間がありません。

そこでGIジョーが攻撃中止の報を持って飛ばされました。

彼は(多分)20マイル(32キロ)の距離をわずか20分で飛び、
攻撃の始まる寸前に中止を伝えることに成功したのです。

鳩が飛ぶ速度は平均で時速35〜40マイルと言われていますから、
GIジョーがいかにスーパーピジョンであったかがわかりますね。 

この功績により、GIジョーは国家に功績のある動物に与えられる
ディッキンソンメダルを授与し、フォートモンマスにあるロフトで、
他の24羽の「ヒーロー鳩」と共に老後を過ごし、18歳で亡くなりました。

彼もまた剥製になってアメリカ陸軍電気通信博物館に安置されています。

ちなみに、鳩が通信の主流だった頃、これに対抗するために
鷲や鷹を訓練して、前線の鳩を襲わせるということも行われました。

 

■ハチ

ハチも軍隊に就職し、偉大な任務をやり遂げることがあります。

古代ローマでの軍でのハチ使用というのは、せいぜい蜂の巣を
敵の陣に投石器(カタパルトという)で投げ込むくらいでしたが、
近代の戦争ではハチの優秀なアンテナが軍に利用されています。

ハチの嗅覚は大変優れていて、遠くに離れた花粉の匂いを嗅ぎわけて
その花に間違いなく到達する能力を持っています。

軍の科学者たちはこの知覚能力が活用できる日が来るとしています。

彼らが花粉を探索する時、花の方がその「ご褒美」として
ハチの「吻」と言うストローのような口に蜜を吸わせるのですが、
そのご褒美を利用してハチをトレーニングし、爆弾の匂いを覚えさせ、
安全対策に投入するということもできます。

今のところ、実現はしていないようですが。

■ ツチボタル

第一次世界大戦といえば塹壕、塹壕といえば第一次世界大戦。

というくらい塹壕戦のイメージのあるこの戦争で、兵士たちは
塹壕足と呼ばれる症状に苦しみました。
濡れた手足が風にさらされるとしもやけ、さらに凍傷になります。
気温10℃の塹壕のぬかるみにずっと浸かっていたためで、
足が変色、膨張して凍傷になり切断した兵士がたくさんいたのです。

しかも当時は携帯のランプなどありませんから、塹壕では
暗さにも苦しめられました。

そこでたくさんの土ボタルを集めてきて、ランプにしたのです。


透明の瓶に入れ、これが本当の蛍の光。

その光のもとで、彼らは文字通り「文読む月日重ねつつ」、
故郷への手紙を書いたのです。
 

ちなみに「オールド・ラング・サイン」を蛍の光と呼ぶのは
我が日本だけですが念のため。

ツチボタルは成虫に成長する前の幼虫の状態で、
その段階で発光するのですが、これは一種の化学反応で、

bioluminescence(バイオルミネッセンス

といい、この言葉そのものが生物発光を意味します。

2010年までの研究によると、「蛍の光」になるくらいの
生物発光をする虫は10種類しかいなのだそうです。

■ナメクジ

ナメクジが戦争に役に立つということもあります。
やはり第一次世界大戦の塹壕では、ナメクジが一斉に丸まったら
マスタードガスが撒かれた可能性があるとして、兵士たちは
それを見てガスマスクを装着しました。

ナメクジは人間の嗅覚よりもずっと早くガスに反応するのです。

マスタードガスというのは西洋ワサビに似た匂いを発することから
この名前がつけられたびらん性のガスで、残留性が強く、
しかもすぐには知覚できないという恐ろしい武器でした。

第一次世界大戦では1917年にドイツがカナダ軍に対して使用し、
それ以降両軍によって使われることになりました。

ガスマスクといえば第一次世界大戦、第一次世界大戦といえば(略)
というイメージはマスタードガスによって普及したのです。

ナメクジを探知のために使うことはアメリカ陸軍が1918年に始め、
その後5ヶ月間に渡って多くの兵士の命を救ったということです。

■ ロボ・トンボ

これを生物といってしまうと差し障りがありそうですが、
アメリカ軍はロボットの飛行体、つまりドローンを
第二次世界大戦の頃からずっと使っています。

CIAも30年以上、

insectothopter 

というトンボ型のロボットを開発していたそうです。

上が本物、下がロボトンボ。
もしこれが飛んでいたとしても、まずわかりませんよね。

ガソリンエンジンで動き(!)羽は本物と同じく4枚、
体躯には小さな盗聴装置が仕込まれていました。  

 し か し ( 笑 )

悲しいことに、このロボトンボ、強風が吹くと飛ばされて、
どこかにいってしまうことがわかったのです。

というわけで、30年かけたロボトンボ開発は終わりを告げました。

しかし、たとえ風が吹かなくても、そこがもし日本なら、
夏休みの子供に網で捕まえられ、

「なんだこれ!」「ロボットじゃ!」「おまわりさんに持ってくべ!

となって機密がダダ漏れという結末になっていたでしょう。

え?

CIAは子供がトンボ取りするようなところに盗聴器を放ったりしない?
それに今時の子供はトンボ取りなんてしない?

これまった失礼しました〜。


続く。