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大正13年度 帝国海軍練習艦隊〜遠洋航海アルバムとの出会い

2018-01-06 | 海軍

ある日TOが「OLD IRONSIDES」という洋書を買ってきてくれました。

この「オールド・アイアンサイド」(鉄の横っ腹)は他でもない、
ボストンで見学し、ここでも長きにわたってお話ししたアメリカの
「ナショナルシップ」、コンスティチューションの今昔について
リタイアした海軍軍人が書いた写真入りの英語の本(1963年発行)です。

写真を撮っていて初めて気がついたのですが、JFKが前書きを書いています。

「私の小さな時の海軍にまつわる最初の記憶は、チャールズタウンの
USS「コンスティチューション」を見に行ったことだった(以下略)」

「新橋の駅前で古本市が始まってたのでとりあえずこれを買ってきてあげたよ」

「うわ、嬉しいー!ありがとう」

「海軍兵学校の写真集なんかもあったよ」

「それ買ってきてくれればいいのに」

「でも高かったし、そもそも要るかどうかわからなかったから・・・。
来週いっぱい古本市やってるみたいだし、行ってみたら?」

 

ちなみに「オールド・アイアンサイド」は「安かった」そうです。

というわけで、週明けに早速新橋駅前のロータリーに並んだテントの
古本市に足を運びました。

たくさん本屋が出ているので、その中からTOのいう遠洋航海の写真集とやらが
一体どこで売っているのかわかるだろうかと大変不安を感じたのですが、

「そういう系統の本を扱っているところは一部だから」

という言葉を思い出し、一通りざっと回遊してみました。

すると、向こうの方から存在を主張するかのように、あるいは
見つけてくださいと言わんばかり目に飛び込んできたきた一冊の古びた本。

 

「これだ」

わたしは思わず口に出して独り言をいいました。

元は白かったと思われる縒った紐を四、五本ずつ束ねて製本した
布表紙に金文字で

「大正十三 十四年 練習艦隊巡行記念」

と書かれています。

手に取ってみると、中をめくってみられないように
本はビニールで包んでセロテープできっちりと止めてありました。

「すみません、これ中見せてもらえますか」

お店の人に声をかけて、中を見ました。

大正13〜14年の遠洋航海といっても、果たして大枚をはたいてまで
わざわざ買う価値があるものなのだろうか。

もし中を見て、全く興味を惹かないようなら潔く諦めよう、
そう思ってページをめくると、

「軍艦八雲」「軍艦浅間」「軍艦出雲」

というおなじみの軍艦の名前、そして候補生の名簿からは

「猪口力平」「淵田美津雄」「源田実」

の名前が目に飛び込んできました。
それを確認するなり、
わたしは「これください」と頼んでいました。

店の人は、

「これは出版された本じゃなくて航海に参加した人しかもらえなかった、
つまり出版されたわけではないのでものすごく価値があるものですよ」

と言いながらも、こんな古本を5分もかけずにお買い上げになったのが
女性であったことに少し驚かれたようで、

「・・なんか本でも書かれるんですか?」

としみじみ聞いてこられました。

まあ、仕事が物書きで、資料に必要という事情でもなければ
古本にポンと3万円も出すのは奇矯な部類に属するかもしれません。

「いえ、興味があるだけなので・・・もし他にこんな系統
(海軍関係)があれば見てみたいですが」

そう言って他のお店を物色しているとそこで見つけたのが「海軍兵学校名簿」。
もし成績順になっていれば買おうと思って中を見せてもらっていたら、
(あいうえお順だったので購入を断念)さっきの本屋さんが後ろから忍び寄ってきて、

「あのー、こんなんありましたけど」

見せてきたのは

「軍艦香取聖戦記念写真集」

おっ!とまたしても目を輝かせたわたしの様子を見るなり、

「さっき買ってくれたからこれ五千円値引きしますよ」

大変商売上手な本屋さんでした。

 

というわけで、ほとんど衝動買いした練習艦隊記念アルバム、
せっかくですのでここでご紹介していきましょう。

というか紹介したい。紹介させてください。

 

 まず、練習艦隊司令官の百武三郎海軍中将の筆による

「内省実行」


という書が最初のページに出てきます。
海軍兵学校をクラスヘッド、恩賜の短剣で卒業した百武は海軍大将で予備役となり、
二・二六事件の後負傷した鈴木貫太郎に代わって侍従長を務めました。


そんな人物ですので、当たり前に達筆です。
バランス、墨のカスレ、省略、デフォルメ、全てが芸術的。

このころは今より「書は人なり」が生きていたのです。

このページを見て、練習艦隊司令官が二人いるのにはて?と思い、
次に『大正十三、十四年』と書かれているのに首をひねりました。

ウィキによると、

【大正13年度練習艦隊】

司令官古川 鈊三郎海軍中将
兵学校52期、機関学校33期、経理学校12期
「出雲」「八雲」「浅間」

【大正14年練習艦隊】

司令官百武三郎中将
兵学校53期、機関学校34期、経理学校13期
「磐手」

それなら両中将が同じ写真集におさまっているのはなぜなのか。

アルバムを見ていくと、実際の艦隊司令官は百武中将で、古川中将はいません。
しかし写真の上3人は右から「出雲」「八雲」「浅間」の艦長。
(下3人は右から先任参謀、軍医長、機関長)

実際にも参加艦艇は「出雲」「八雲」「浅間」の3隻で間違いありません。

どう見ても、大正13年度の練習艦隊司令(古川)と14年度の艦隊司令(百武)
の名前が入れ替わっているのです。

わたしはいきなり難問に直面し、うーんと唸ってしまいました。

ちなみに名簿に載っている少尉候補生の期数は52期。
考えても調べても、この違いを埋める発見はついに現れません。

しかし唸っていてもラチがあかないので、とりあえず写真集を具に見ていけば
何事かわかるかもと思い直し、先に進むことにしました。


アルバムの最初には高松宮宣仁親王のお姿がありました。

高松宮親王は海軍兵学校予科を経て兵学校52期に入学しましたが、

「無試験で入学できる皇族子弟は他の生徒より
知的・体力的に劣らざるをえなかった。
宣仁親王の予科入学に際してはレントゲン検査も含め
健康管理に万全の準備が整えられていたが、凍傷になったため
他の生徒とは異なる厚手の作業着が用意された」wiki

兵学校跡である現在の第一術科学校の坂を上っていったところには
高松宮のために作られた一軒家があります。

一般の学生は余暇を「下宿」で過ごすことになっていましたが、
平民の家が殿下を受け入れるわけにもいかず、ということで
殿下が週末を過ごすための別邸が殿下入校が決まってから建てられました。

それまでにも皇族の方々の在校を仰ぐことはありましたが、
の度は畏れ多くも天皇陛下のご子息の初めての入校とあって、
全てにおいて特別扱いがあったことがこの一事からもうかがえます。


さて、アルバムにそのお写真があるものの、高松宮親王は兵学校卒業して
少尉候補生になった9月、赤痢を罹患し遠洋航海参加を断念されることになります。

健康に万全の注意を払ったはずなのに、嗚呼、文字通り殿様育ちの殿下は、
あっさりと赤痢なんぞにお罹り遊ばしてしまわれたということになりますが、
一体その直接の原因は何だったのかがとっても気になります。

考えたくはないですが、何か下賎なものでもこっそり買い食いされたとか・・・。


しかしここだけの話ですが、練習艦隊司令部は殿下の参加が叶わぬとなった時、
実は内心ホッとしたのではなかったでしょうか。

殿下が乗艦されるとなると、司令部、幕僚から候補生、下々のものまで
殿下の一挙一動に神経を払わなくてはなりませんし、寄港地の側も気を遣います。
迎え入れる方も大変ですし、おそらく専用のスタッフが一個小隊必要になってきます。

何より航海中に万が一の事態が起こり怪我や事故、病気などということでもあれば、
下手したら関係者の首が一つならず飛ぶことにもなりかねません。

当時の医療では航海中の不慮の事故や病気に対応するにも限界がありましたし、
実際に遠洋航海中死亡して異国の地に葬られた候補生もいたという時代です。

今回の遠洋航海では、そんな不幸な候補生の墓にお参りをするという行事が
スケジュールに組み込まれていたくらいでした。

病み上がりの殿下を1年近い航海に連れ出すのはあまりに双方に負担が大きく、
畏れながら不参加になっていただき助かりました、というのが本音でしたでしょう。

司令官と各艦艦長、及び幕僚の艦上での記念写真です。

百武司令の左が浅間艦長七田今朝一大佐、一番左が
八雲艦長鹿江三郎大佐、一番右が出雲艦長である
重岡信治郎大佐らしいことはわかりました。

この頃の軍服はまだ変更前の、ウィングカラーシャツのダブルスーツです。
今現在の海自の制服はこちらに近いとも考えられますね。

そして、しつこいようですがもう一度思い出してください。
ここには古川中将の姿はありません。


現在の資料には残っていないけれど、何かの事情があって
14年度の練習艦隊司令古川中将が参加できなくなり、
仕方ないので司令官だけ百武中将と交代した。

古川中将の写真が掲載されているのは、一応敬意を表して、ということで、
実は古川中将は翌年の14年度の司令官を務めたのでは・・・?

というのがこれまでのところのわたしの推理です。

というか、結局最後までこれを覆すような発見はなかったわけですが、
もしどなたか
この事情を解き明かすか実際のところをごぞんじであれば
ぜひ教えていただきたく思います。

 

続く。