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戦火の馬〜ミリタリー・アニマル

2018-01-12 | すずめ食堂

「ミリタリー・アニマル」シリーズ、犬のエントリにはつい入れこんでしまいました。

そこで犬についてこれだけは付け足しておきたい、今回知った情報ですが、
ベトナム戦争でアメリカ軍が撤退するとき、軍犬は「装備」としてしか見なさされず、
犬のハンドラーはもちろん兵士たちが熱心に連れて帰ることを希望するも
現地に放棄する旨厳重な命令を出したということがありました。

人間のためならば何億もするヘリを惜しげも無く捨てるアメリカ軍が、
犬の命にこうも冷淡だったというのは少し不思議な気がしますが、
軍命令として許可を出してしまうと当然誰も犬を手放したがらない以上、
危急の際の人命第一の観点から仕方がなかったのかもしれません。

鬼怒川の洪水で自衛隊員が犬を助けたことにも非難が起きたように、
飼い主にとって家族でも公的には「もの」に過ぎないのが動物です。

ベトナムではアメリカ軍に4000匹以上の犬がいましたが、
その多くは多くは何らかの形で生命を犠牲にしたと言われます。

軍が撤退するとき、24時間、365日彼らとともにいたハンドラーたちは
泣く泣くたちを手放し、帰国せざるを得ませんでした。

彼らが戦地で数千人のアメリカ軍兵士を何らかの形で救い、
軍犬としての任務を十分に果たしたにもかかわらず・・・・。

 

■ ラクダ

さて、気を取り直して続きはラクダからです。

ラクダは中東と北アフリカで古代から軍隊の一部分となっていました。
過酷な砂漠の気候でも耐え抜くタフな動物で、水を取ることもなく
長い距離を重い荷物を背負って歩くことができるからです。

1800年代中ごろ、アメリカでもラクダが使われ始めます。
西部開拓者が砂漠を縦断するのに彼らを必要としたのです。

1856年、66頭のラクダが北アフリカから大西洋を超えてアメリカ大陸に到着、
そのまま彼らはテキサスへの道を歩き始めました。

それからしばらくは、南西部開拓団の軍隊もラクダを配備するようになります。

南北戦争の1861年、南部連合の中隊が南部で物資輸送のために
使われたラクダは戦争が終わると動物園やカーニバルに売られていきました。

第一次世界大戦時、イギリス軍には

Imperial Camel Corps(帝国ラクダ部隊)

なるものが存在し、砂漠での敵掃討に使われましたが、
基本的には彼らの任務は水を運搬することでした。

彼らの運んだ水で数千人もの人命が生き延びることができたのです。

 

ちなみにラクダの性質は決して温厚ではなく(笑)
敵の攻撃に対しては平然としているのはいいとしても、
急に走り出して逃げてしまったり、自分に乗っている人間の膝頭に
首を伸ばして噛み付く(首が長いので)のがデフォなんだそうです。

■ ゾウ

ゾウ軍団に対抗するには小さな動物をたくさん放てば良い、という話を
豚の欄でお話ししましたが、これは小さければいいのではありません。
象が自分で踏んづけちゃったことが認識できなければなんの意味もないので、
子豚くらいがちょうど?いいのです。子豚にはかわいそうですが。

さて、象は古代では戦車のような位置付けで軍に使われていました。

ギリシャの王ピュロス(エピロス)はローマを侵略するのに象の軍団を編成し、
攻め込んでいくとローマ兵は象の姿を見ただけで逃げたという話があります。

ただしこの時の「ピュロスの勝利」は「勝ったけど損害が大きく実質敗北」
という勝負を表す言葉になってしまっています。
象の飼育代が高くつき過ぎたから、に1アウレウス。


 

近代になっても戦争シーンに象は欠かせませんでした。
第二次世界大戦では例えばビルまでジャングルに橋や道路を作るのに
象の力を必要としました。(アニメ空の神兵でも描かれていましたね)

頭がいい彼らはバランスよく大きな木材を鼻で持ち上げたり、
それをちゃんと指定された場所に置くこともできたのです。

写真の吊り下げられている象さんの名前はリジー。

もともとサーカスで活躍していた象ですが、徴兵?されて彼女がやってきたのは
後ろの景色を見てもおわかりのようにここはイギリスの鉄鋼業の街シェフィールド。

第一次世界大戦で象さん、じゃなくて増産体制に入ったイギリスは、
鉄鋼業に力を入れましたが、そこで運搬に投入されたのが象だったのです。

彼女はこの街で鉄鋼の運搬を運搬する仕事に従事していました。
石畳の道を荷を曳きながら歩くのは体重の重い象にとって辛かったと思うのですが、
リジーは子供達にも人気、すっかり街のアイドルだったそうです。

 

第二次世界大戦でイギリス軍が敵国(日本ですが)を迎え撃つために
東南アジアの戦場で頼りにしたのもやはり象でした。

47頭からなる象軍団のうちの一匹、「バンドーラ」と名付けられたメス象は、
あたかも象の司令官のような統率力で軍団を率いて信頼が厚かったそうです。
行軍が終わると彼女はパイナップル畑に分け入り、900個をペロリと平らげました。


ベトナム戦争では象をヘリで輸送したという記録があります。

山間の村からベトナム人をリクルートして結成した特殊部隊に、アメリカ軍は
キャンプを建設させることにしましたが、材料も人手も道具もあるのに、
ただ一つ、その村には象がいなかったのです。

今ベトナムに旅行に行くと象使いの村に行って象に乗るということもできるそうですが、
どこにもここにもいるというものではないので、アメリカ軍は象を二頭、
ヘリコプターで村までの300マイル(482キロ)の距離を空輸しました。

を吊り下げて行ったとすれば、東京から滋賀県くらいの距離を飛ぶ間の
象さんの気持ちとか、その間の象さんはどうしていたかとか、
その間象さんの落としたもので地上では何事も問題はなかったのだろうかとか、

いろんなことを考えてしまいますね。

ちなみに成象の重さはだいたい23トンくらいだそうです。

小さな村に木材などを運ぶことをベトナムでは

「Operation”Barroom”」

と呼んでいたそうですが、これは決して「バールーム」のことではなく、
象がガスを噴出するときの音だそうです。

実際に象と一緒に暮らした者でないとまず思いつかない作戦名ですね。

 

■ ネズミ

ネズミがシェフになるというピクサー映画「ラタトゥイユ」は
イタリア料理の「Ratatouille」の最初三文字が RAT、
ネズミであるというシャレから(のみ)成り立っていたのに(多分)
邦題は何の関係もない

「レミーのおいしいレストラン」

となっていて、心底残念に思ったものです。
翻訳しなくてもよかったんじゃないかと思いますが、それだと
ネズミを英語で「マウス」としか認識しない日本人には
さらに何のことやらわからなくなってしまうので仕方なかったのでしょう。

それはともかく、ラットです。

あの荒唐無稽なアニメには、たったひとつ真実があります。
ネズミの嗅覚は大変鋭敏であるということです。

レミーが優れたシェフになれたのは、彼が優れた嗅覚を持っていたからでしょう。 


ネズミが軍隊で何か役に立つとすれば、それは間違いなく
嗅覚を生かして地雷を検知するためです。

写真のアフリカオニネズミは2000年ごろから地雷を検知する
訓練を受けて投入されてきました。
彼らがモザンギークでで見つけ出した地雷は7000個、
爆弾は1000個以上であったという記録が残っています。 

彼らの強みはなんといっても体が軽いこと。
地雷の上に乗っても爆発することはありませんし、
犬よりも小さなスペースに入って行くこともできます。

彼らが任務を果たすのはただ餌のため。
しかし兵士の「携帯用ペット」としては大きさ的にも最適です。

 

■ 馬

「戦火の馬」(War Horse)という第一次世界大戦時に徴用された
軍馬の物語についてお話ししたことがあります。

馬は近代まで戦争につきものでした。

古くはアレキサンダー大王の伝説に、彼は愛馬ブケパロスを含む
4頭立てのチャリオットで、自分を侮辱したうえで挑戦してきた
ニコラオスを轢殺し、優勝したというものがあります。

アメリカでは独立戦争以来、いつも戦場には馬の姿がありました。

《ジョージ・ワシントン》

独立戦争中に初めてアメリカで騎兵隊を組織しました。
イギリスとの戦いで組織された騎兵部隊との戦いに負けたあと、
彼自身の馬と専門の「ホースマン」を持っていたそうです。

《南北戦争》

南部の方が北部より馬も馬子も潤沢に持っていました。
その点では北軍は不利だったと言えます。

馬が運搬するものは物資や負傷兵ですが、最も戦争で重要な
武器を運ぶことができたからです。

南部連合軍のロバート・リー将軍は、有名な騎手でもありました。
彼の愛馬「トラベラー」は、合衆国の北軍のグラント将軍の
「シンシナティ」と並んで名の知れた名馬です。

ちなみにリー将軍がグラント将軍に降参した1865年4月9日、
南北戦争は終わりを告げました。

《第一次世界大戦》

「戦火の馬」は第一次世界大戦を背景にした、戦馬ジョーイと
青年アルバートのふれあいの物語で、これを映画化したのは
スピルバーグでした。

騎兵隊だけでなく物資や食料、武器を運ぶために多くの馬が
ヨーロッパに渡り、参戦していました。
ガス攻撃に備えて馬専用のガスマスクもデザインされましたが、
彼らは次々と命を失い、アメリカから参加した8万頭以上のうち、
生きて祖国にアメリカ兵士を乗せて帰ることができたのは
わずか数千頭だったといわれています。

《第二次世界大戦と戦後》

ジープ、戦車、そして飛行機が登場するようになり、それらは
確実に馬よりも優先されるようになりました。
戦馬が戦場で命を落とす悲劇は第一次世界大戦が最後でした。

しかしながら、戦車も進んでいけないような地形の戦地、
例えばイタリアの山岳地帯やビルマのジャングルなどでは
やはり馬を投入するしかないことも多々ありました。

 

戦後は騎兵隊は廃止されましたが、馬は特定の地域での
軍の活動のために未だに一部特殊部隊で使用されています。

冒頭写真はアフガニスタンでカウボーイハット(階級付き)
をかぶり馬に乗ってかける陸軍軍人の雄姿ですが、ここでも
戦車やハンヴィーでは行くことができないところには
馬で行くしかないのです。

ワールドトレードセンターが攻撃された2001年の同時多発テロ後、
アフガニスタンに侵攻した特殊部隊の攻撃は馬で行われることもありました。

ベトナム戦争では顧みられなかった馬の人権?ですが、
第一次世界大戦後には

アメリカンレッドスター アニマルリリーフ

という団体が立ち上がり、傷ついた馬の介護とケアをしよう、
という呼びかけがなされたそうです。

第一次世界大戦でヨーロッパに投入されたほとんどの馬は、
最前線に出されてからせいぜい12日くらいしか生きられませんでした。


続く。