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「ジェレマイア・オブライエン」~”ロージー”の造った船

2014-08-18 | 軍艦

おことわりです。

先日、この「ジェレマイア・オブライエン」の機関室見学編を
間違えて制作した直後にアップしてしまいましたorz
前置きも説明も無しでいきなり機関室編を読まれた方、あれは
本編の続編だったのです。
佳太郎さんにはコメントまで頂いているのですが、機関室編
アップのときに公開させて頂きます。ご了承下さい。


さて、本題。

去年、サンフランシスコのピア39、通称フィッシャーマンズワーフに

潜水艦パンパニトを見に行きました。

そのとき、パンパニトの向こうに不格好な?
フネがあるのを認め、取りあえず写真を撮っておいたのですが、
それが戦時中に大量生産された「リバティ船」であることが
日本に帰ってから分かりました。

日本のリバティ船である「戦時標準船」について調べたとき、
その流れでこのリバティ船についても色々知るところになったのです。
今回それを思い出し、せっかくサンフランシスコにいるのだから、
実際に見て来ることにして、
さっそく行って参りました。

本当はあの鍵を失くした日に行こうと思っていたのですが、
その日はそれどころではなかったので改めて出直しです。 



ジェレマイア・オブライエン(以下JO)と潜水艦パンパニトは
同じ岸壁の前後に停泊されています。


去年来たとき確かこの大きなパネルはありませんでした。
アメリカの博物館はボランティアやドネートをしょっちゅう募り、
賛助会員を増やして展示物の充実を民間からの寄付で賄っています。



パンパニトを右手に見ながら通り過ぎると、船にたどり着く前に
リバティ船とJOについて書かれた説明が現れます。
全く知識のない人にも何たるかが簡単にわかってもらえる仕組み。


このパネルの最初にも書いてありますが、リバティ船が生産されるきっかけは

友好国のイギリスが第二次世界大戦開始後、ドイツのUボートなどに
海上輸送を攻撃されて船舶を失い、早急な貨物船の調達を必要としたからでした。

それに答えるためにアメリカは船舶王カイザーの会社を中心とする6社で、
標準型貨物船の製作に当たることを決めます。
リバティ船はこのカイザーの名から「カイザー船」と呼ばれることもあります。



「リベット打ちのロージーがわたしを作りました」


ロージーは戦争中のアメリカの一つのロールモデルでした。
日本にも「女子挺身隊」というのがありまして、
戦時下に国民が総出で国に奉仕する、というのはよくあることですが、

「力強い女」=戦う女

をアメリカは特にパトリオットとして持て囃したのです。

右側は

「勝利はあなたたちの手の中にある
彼らを飛ばせて!ミスUSA」

というポスターで、こちらは美人さんも戦争に勝つためには
手を貸していますよ、という「アイドル商法」?



「第二次世界大戦を勝ち抜いた巨大蒸気エンジンを見て下さい」


はあ・・・まあねえ。
勝てば官軍で何とでも言えますけど。

この展示の外にも中にも、そんなことはなぜか一言も書いていませんが、
リバティ船というのは粗製濫造の代名詞となるくらいで、
信頼性のない製造法で作られたその船体は強度が甚だしく不足していました。

その結果、いくつかの船は船体折損事故を起こしています。
船体折損とはすなわち突然自然に崩壊したという意味です。

wikiにも書いていませんが、おそらくそのために失われた命もあったでしょう。

ここではただ、このリバティ船のエンジンが世界で現存する
二つのうちの一つであること、そして映画「タイタニック」で
このエンジンがCG素材として使われたことだけが書かれています。



1979年、JOはレストアされました。

船内のミュージアムにはそのレストアの課程が写真で説明されていました。



削って、磨いて、塗装すること100回!
あなたが今目の当たりにしているのは、70年前に作られました。
何百人ものボランティアの「CAN DO」精神が1943年6月19日、
メイン州ポートランドから出航したあの日の姿のまま、

全く同じコンディションの彼女を作り上げたのです。
当船は映画「タイタニック」、ヒストリーチャンネルの「ヒーローシップス」
にも登場しました。

つまり、この船が今ここに稼働可能の姿を残しているのは、ボランティアの
ご尽力の賜物だということなんですね。



「目的地 ノルマンディー 1994年4月20日」

先日、こちらのHDチャンネルで「プライベート・ライアン」を見ました。
といってもPCに向かいながら時々そちらを見るという程度だったのですが、
あらためて冒頭の
ノルマンディ上陸作戦の部分はリアリズムに見入ってしまいました。

(トムハンクスの部下がドイツ兵と1対1で戦って殺されるシーンは
テレビを消してカット。リアリズムにしてもあそこは怖すぎるので)

ともかく、このJOの自慢?というかウリは、

D−DAYのときに出動しそこにいた


ということなのです。
物流でも担当したんでしょうか。

「こちらジェレマイア・オブライエン。
グッドイブニング、サンフランシスコ。
そしてノルマンディビーチにまた再び戻る航海3日目を祝って」

歴史的なD−DAYのときそこにいたJOは、上陸50周年式典のために
ノルマンディに向けて航行しました。

1994年のことです。



説明はともかく、乗船してみることにしました。

料金は大人12ドル。
窓口にはやはりボランティアらしい老人が、
案外たくさん来る観客を捌いていました。
チケットを買ったときに、

「正しい発音はジェレミアなのかジェレマイアなのかどっち?」

と聞くと、

「ジェレ、 マ ー イ ー アー だよ!」

とのお返事。
良くわかりました。

船首に三色旗がかかっているのは、ノルマンディに行ったときの仕様かな。

去年、確かここにはとんでもなく不細工なノーズアートがあったと記憶しますが、
さすがに各方面からの批判があったのか(笑)消されています。

え?不細工は酷いだろうって?



これを見てもそう思いますか?

まあ単に描きなおすつもりなのかもしれませんけど、
これと同じものを描かねばならないボランティアの気持ちが思いやられます。

描きなおしているときにもう少し美人に修正したいとか、
せめて手や足の指くらい描きたしたいとかいう欲望と
歴史をそのまま残す使命の狭間で苦悩したりしないでしょうか。





チケットを買って乗船です。

ただし、もぎりなどの係員は一切いないので、万が一
どさくさに紛れて階段を上って行けばタダで乗船できます。

しかし、誰もそんなことをするひとはいません。
少なくともわたしが見ていた限りでは。



信じられないくらい幅の狭いラッタル。

日本人なら途中ですれ違うこともできそうですが、ここでは
皆一方通行を守っています。
ところがこの男の人(太め)が降りてきているのに、
おかまいなしに
登り出した中国人の親子。
途中で苦労してすれ違っていました。

その様子を(呆れながら)下で見守る人たち。
前の3人はフランス人です。



ようやく順番が来て登って行きます。
どこの船のラッタルもそうですが、船から引き出して
地面につくかつかないかという位置にセットするので、
無茶苦茶振動があります。

ラッタルの隙間から海面を覗いてみる。



のとき後ろを中型の船が通りました。
無数のカモメが船を追いかけて飛んでいるのできっと漁船でしょう。



半円をしているのは銃座です。


端に鎖が垂れ下がっているクレーンはラッタルを引き揚げるもの。
雑な作りだとは聞いていたけど、たかがラッタルを上げ下ろしするのに
こんなたくさんのワイヤをあちこちに張り巡らすとは・・・。

全体の雰囲気が船としてあか抜けないのはこういうところにもあるのでしょう。


と、何かと否定的な見方もそこそこにして、とにかく
中に入って行くことにします。


続く。





 



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3 Comments

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ラッタルを吊り上げるクレーン (雷蔵)
2014-08-18 05:42:03
は「デリック」と言います。ワイヤがたくさん見えるのは、触れ回らないように周囲から支えています。ブーム(クレーン)だけだと左右に触れ回り危険です。

デリックを上げ下げしている時にブーム毎ラッタルが触れ回って、パンチをくらうと大怪我します。工事現場の玉掛けと同じです。

いつぞや練習艦隊出港の際の記事にもラッタルの上げ下げがあったと思いますが、デリック操作部の周辺には例の「安全守則」が張ってあるんじゃないかと思います。
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やはりそうでしたか (佳太郎)
2014-08-18 11:29:28
いきなりエンジンルーム?とは思っていましたが…

この船がノルマンディーにも参戦していたとは…戦闘ではないでしょうけど、歴史の証人?であるわけですね。
大切に保管していってもらいたいですね。
日本だと予算が無いという理由で、かつて海軍、海上保安庁に所属していた海防艦を引き取る際に他の自治体と激しく争って引き取ったにもかかわらず最後には解体してしまった自治体がありましたからね。貴重な旧海軍の海防艦が…現在のブームを考えるとかなり惜しいような気がします。
維持費というものも考えなければいけないというのも大変ですけどね。

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船体折損事故について (お節介船屋)
2014-12-13 20:10:58
第2次大戦前から船建造に溶接が取り入れられ、日本海軍も潜水母艦「大鯨」から使用し始め、歪が大きく失敗しました。四苦八苦のうえ戦時中の船建造期間の短縮に大変寄与しました。
本リバティ船も大量生産、建造期間短縮には溶接の広範囲の使用で成しえたものと思います。
折損事故は脆性破壊が原因です。ちょっと難しいですが溶接した場所は溶接ビードと熱影響部があり、熱影響部が亀裂し破断しました。アメリカも溶接に苦労したと思います。
一線バットと言いますが、同じ断面で溶接すると船体一周で亀裂し切断するので、造船では溶接でこれをしない事としてました。
今は技術が進み、脆性破壊は防げますので、一線バットで建造していますが、戦後相当の時期まで溶接部分を同じ場所にしないようにした上、前後方向に何本かリベット接合部を入れて、脆性破壊が起きても折損まで至らないようにしていたと思います。
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