
前回に引き続き、試写会で鑑賞した9月11日公開の
「ミッドウェイ」について感想を書いていきます。
日本側の俳優は、有名どころを三人起用しています。
まず一人目。
山本五十六を演じたのはなんとトヨエツでした。
うーん・・・愛してくれと言ってくれだっけ?違う?
役所広司が演じたときには何だかねー、と思ったものですが、
今やトレンディドラマ俳優が五十六世代に手が届く年代になったってことですな。
ちなみに過去山本五十六を演じた俳優は、
映画
「太平洋の鷲」大河内傳次郎
「軍神山本元帥と連合艦隊」佐分利信
「太平洋紅に染まる時」後藤武一
「連合艦隊司令長官 山本五十六」三船敏郎
「トラ・トラ・トラ!」山村聡
「ミッドウェイ」三船敏郎
「連合艦隊」小林桂樹
「パール・ハーバー」マコ岩松
「聯合艦隊司令長官 山本五十六」役所広司
「ミッドウェイ」豊川悦司
「アルキメデスの大戦」舘ひろし
テレビドラマ
「海にかける虹〜山本五十六と日本海軍」古谷一行
とういう面々ですが、三船敏郎とか山村聡とかの「盛りすぎ」は問題外として、
このメンバーではビジュアルは小林桂樹がダントツです。
豊川悦司は坊主頭に本人を意識したと思われる低い声で
ぼそぼそと喋る様子がそれらしいとは思えたものの、
実際の山本五十六は身長が160センチくらいの固太りだったそうなので、
186センチの豊川はイメージ的にはスマートすぎなのは否めません。
ビジュアルといえば、いつもわたしはこんなとき、それなら誰ならイケるか、
などということをよく考えるのですが、荒川良々という俳優さん、どうですかね。
なかなか面白い五十六になりそうだけどな、と思うのですが。
ただあの人も身長は高そうですね。180以上ありそうです。
山本五十六の英語のセリフで注意していただきたいのが、字幕には
「アメリカに留学していたとき」となっている部分、実際には
「ハーバードにいた時」と言っていたことです。
やっぱり欧米人にとってヤマモトがアメリカの最高学府、しかも
ハーバードを出たという情報はぜひ押さえておきたい情報なのでしょう。
ディティールとしては例えば山本が下戸で徳利にお茶を入れて飲むふりをしていた、
とかいう細かい情報もセリフの中にさりげなく入れ込まれているので、
そういうトリビアに詳しければ詳しいほど、映画が楽しめると思います。
また、ミッドウェイ前の図演、攻略中に敵空母部隊出現で
日本空母部隊が大被害を受ける結果が出たのに、判定のやり直しおよび
被害下方修正が行われたとされるあの「問題の図演」シーンも登場します。
それから今回も、ミッドウェイ海戦の敗北を聞かされたときの
山本の反応にぜひ注目していただきたいですね。
76年版の三船敏郎演じる山本五十六は、
「陛下にお詫び申し上げるのはわたしだ」
と重々しく「大和」の舷側に立って呟いていましたが、今回も
史実(将棋を指しながら『またやられたか』と一言いっただけ)
に正面から取り組むことは避け、ある意味アメリカ人らしい解釈で
負けを知らされる聯合艦隊司令長官像、というか山本五十六を「創造」しています。
正直、わたしはこの創造されたシーンが大変気に入りました。
それがなぜかはご覧になってのお楽しみってことで。
全体的に山本がハーバード出のアメリカ通であり英語が堪能、
ということがかなり強調されている、というのがヒントです。
なるほどねー、と妙に得心してしまったキャスティング、
それが國村隼の南雲忠一でした。
南雲忠一については、非常に「好意的」だった76年版においても
攻撃隊に雷装を転換させたことなど、敗北の原因は主に
南雲の采配にあったというような書き方がされていましたが、
今回はそれに加え、ごく微妙なレベルでの「人格の卑小化」が見られました。
76年版のジョージ・シゲタの南雲は、デバステーター雷撃隊の全滅に対し
涙を浮かべたり、「アメリカにもサムライがいる」などと呟き、
「武士の情け」を知る日本人指揮官を表現していましたが、
國村隼南雲は、その点においてシゲタとは対極の描き方をされていました。
詳細は避けますが、國村には敵の全滅に対し涙を浮かべる代わりに
「アメリカ人が自爆覚悟の攻撃などするわけない」
みたいなことを言わせているんですね。
真珠湾攻撃で第二攻撃を行わず、米艦隊にとどめを刺さなかったという
海軍内でも反発を呼んでいた采配から勝手に解釈され、今回の映画でも
南雲の人格そのものが歪められていたとわたしは残念に思います。
ただ、國村隼という俳優さんは本当に演技が上手く、その点脚本を汲んで
ちょっとのシーンでもその目の色だけで
「動揺」「作戦のミスを後悔」「怯え」「自信の喪失」
そういう心情を完璧に伝えることができるので、
その点製作者の意図は遺憾無く鑑賞者に伝えられることでしょう。
実際の南雲は、確かに航空には疎かったようですが、艦乗り出身で
操艦が巧く、ミッドウェイのときでも自ら指揮して魚雷を回避し、
後ろで見ていた源田実を感心させているなどという一面もあります。
今回の「ミッドウェイ」で描かれた南雲のように
アメリカ人の覚悟を馬鹿にするような軍人ではなかった・・・はず。
というか誰に限らず戦場で相手をみくびるような指揮官は、さすがにいなかったと信じたい。
皆様はどう思われるかわかりませんが、演技巧者國村隼への評価と対照的に、
残念だったのが山口多聞を演じた浅野忠信でした。
ビジュアルが似てない、などということではありませんよ。
どんな似てない俳優でも、「聯合艦隊司令長官以下略」の阿部寛=山口多聞の
事故レベルキャスティングと比べたら、許せてしまいますから。
っていうか、またしても今思ったのですが、山口多聞役に
荒川良々っていう俳優はどうですかね・・・え?もういい?
参考までに
荒川良々問題は置いといて、浅野忠信にガッカリ、というのは
今回の多聞役のセリフまわしが棒読み部分が多い割には
感情表現が要所で大袈裟すぎ、
「あれ?」
「この人こんな演技〇〇だったっけ」
みたいな違和感を感じてしまいましたもので。
山口多聞に限らず(というか山口多聞なら尚更)、当時の軍人、しかも指揮官が
いちいち目に見えて不機嫌や不満をあんな風に表さないと思うんですがね。
軍人役って、多少の大根でも定型を踏まえれば形になってしまう、
なんて今まで思っていましたが、大間違いだとわかりました。
浅野忠信、今まで観た映画やドラマでは上手い俳優だと思っていたし、
特にスコセッシ監督の
「The Silence(沈黙)」
の通辞役なんて鳥肌が立つほどいい演技で好きだったんですが。
うーん・・・今回一体何があった。
メインの日本人俳優は以上の三名となります。
この三人で予算を使い果たしたのかもしれませんが、
もう一踏ん張りして源田実くらいは日本人に配役して欲しかったかな。
草鹿龍之介など、配役がなかったせいで登場もせず、おかげで
南雲に「赤城」から退艦するように説得したのが実際の草鹿ではなく
源田実であったということにされてしまっています。
今回源田実の役をしたのはピーター・シンコダという日系人俳優で、
「ファイナルカウントダウン」の零戦搭乗員役みたいに全く喋れない人ではないし、
何よりお手軽にチャイナコリアン系を使うことをせず、
わざわざカナダからこの人を連れてきたというその努力は買いますが、
必要最小限のセリフでも「日本語でおk」なのがわかってしまうのでした。
セリフのない日本人役は、おそらく大量にそちらが採用されていると思いますが、
(そもそも日系人のエキストラがハリウッドであんなに見つけられない)
源田役のほかに東條英機役にも日系人を使ったことは評価します。
しかしドゥーリトル空襲で宮城の天皇陛下が防空壕に避難するシーン、
あそこで昭和天皇をわざわざクレジットもない俳優に演じさせたのはなぜですかね?
「ミッドウェイ」というテーマのこの映画に、昭和天皇のあの登場シーンが
なぜ必要だったのか、そしてあの俳優は一体どこの何人なのか。
そんなところに製作に介入したある「意思」を感じてしまうのはわたしだけでしょうか。
本作の評価は賛否両論というものだったようです。
正直なところわたしのなかでも賛否両論だったので(笑)
この結果には然もありなんと納得してしまいました。
評価の多くを占めたのが
「『ミッドウェー』は現代の特殊効果によりバランスのとれた視点で
有名な物語を再訪するが、その脚本は褒められたものではない。」(wiki)
わたしはこれを読んで、全く同感であると膝を打ちすぎて痛くなりました。
まず、映像的には現代の考えられる最高のものといっていいでしょう。
細部に敬意が払われ、たとえば日本を舞台にしたシーンについては、
ハリウッドのセットデコレーター自らがこのように語っています。
「この映画は異文化に敬意を払っている点で
この戦争を描いた他の作品とは大きく違っている。
日本側の視点から映画は始まる。
日本の文化と名誉と敬意を重んじる世界を見せている。
アメリカ側のキャラクターたちのシーンは
工業的なトーンであるのに対し、日本の軍艦のシーンでは
豊かな色使いにより伝統的なものを感じることができる。
日本の軍艦は第一次世界大戦の頃に作られたもので、
木材が多用されていてブリッジにすら本物の家具が置いてあった。
真鍮やマホガニーなど暖かみがある色から、
将校たちがはめている手袋の白まで、その美しさがわかるはず。
アメリカ人には、軍艦をそういう美しいものとして捉える視点はなかった」
また、同行くださったunknownさんの映像についての視点はこのようなものです。
「艦船や航空機はほとんどCGだろうと思いますが、
非常にていねいに作られています。
艦船では日本の25ミリ連装機銃、アメリカの
12.7ミリや20ミリ機銃の旋回俯仰や発射の動きがリアルでした」
「ミッドウェイ海戦時の『がぶっている』海、
特に波しぶきの切れ方が非常にリアルでした」
波しぶきの切れ方に目が行くとはさすが元本職です。
わたしは、映像に関しては今回CGでしかあり得ない視点を発見しました。
人間の眼というのは、必ず焦点を中心に、それ以外のところは
ボカされた光景を脳内に取り入れます。
フェルメールの絵画が画期的?だったのは、彼は画面上に焦点を定め、
ブラーを採用して人間の頭脳で再現される(はずの)画像を具現化したことですが、
これはこれまでのいかなる高性能な映写カメラであっても同様で、
フォーカスポイント以外は自然に「ボカされ」ているのが普通です。
ところが、この映画における映像、とくに手前に飛行機があって、
艦隊が見渡せるようなシーンでは、全くボケがなくどこまでもクリアな
「焦点だけの景色」、人類が決して見ることのできない景色が
ほぼ完全に再現されているのです。
驚くべきはそれが実にリアルであることです。
これを「現実的ではない」として拒否感を抱く人もいるかもしれませんが、
わたしはある種「神の視点」を与えられたような気がして興奮しました。
ですから、公開されたらぜひ大型モニター、特に映画館で見ることをお勧めします。
(配給会社に気を遣って言っているわけではありません)
さてそれでは、「現代の特殊効果によりバランスのとれた視点」であることを
認められながら「褒められたものではない脚本」とはどういう点でしょうか。
あくまでもわたし個人の見解により、語ってみたいと思います。
続く。
特撮だと、海はプールでしか表現出来ないので、大洋で「ガブッている」時に発生する周期の長い波は表現出来ませんが「ミッドウェイ」では再現されています。そういう海象状況の動画を見て、クリエイターは勉強されたのでしょうね。
南雲中将は、軍縮条約の時代には、艦隊派と呼ばれる、条約締結に反対の軍備増強派で、軍縮交渉、駐在武官や航空本部長を経験された山本大将のように柔軟な考え方は出来なかったのだと思います。
兵装転換問題ですが、先に第二次攻撃隊を発艦させようとすると、帰って来る第一次攻撃隊は、第二次攻撃隊の発艦完了まで空中待機せざるを得ない。燃料が乏しければ、海上に不時着する機体も出て来ます。戦って来た仲間にこれは申し訳ないというのが、普通の感覚なので、結果的に裏目に出ますが、ほとんどの人は南雲中将と同じ、まず第一次攻撃隊を収容し、その間に兵装転換を行うという判断を下すと思います。
兵装転換は時間が掛かるので、全部どちらかにするのではなくて、半分ずつ陸上攻撃用の兵装と艦艇攻撃用の兵装に出来なかったのか(半分の機数で第二次攻撃隊を編成する訳にはいかなかったのか)と思うんですよね。
あ、あれグルメ映画ですから(;^ω^)
というのはさておいて、不安しかなかった本作品、中尉がダメ出しされなかったのなら先入観を排して見てみますか。
>しかも指揮官がいちいち目に見えて不機嫌や不満をあんな風に表さないと思う
そんな指揮官海自にも普通にいますよ(^O^)
浅野なりに「闘将山口」を演じたのかもしれませんが、評価は見てからにしませう。
オーソドックスな秀才であるばかりでなく、明朗快活で奮闘努力する人物でもありました。
兵学校2番、海軍大学校首席、プリンストン大学2年留学、ロンドン軍縮会議随員、2年アメリカ大使館付武官、国際派の秀才であったが知識、公式に偏重せず、頭の切り替えがはやかった人物であった。
航空出身ではなかったが、日華事変の渡洋爆撃の連合航空隊指揮官として航空部隊の指揮では大西滝治郎とともに評価が高く、部下にも慕われ、爆撃同乗もしていました。
淵田の山口評「当時わが海軍の武将中でナンバーワンの俊英であった。頭はシャープでクラス2番であった。しかし当時、クラスヘッドやこれに近い人々が頭脳の良さはともかく、戦いになるとパッとしないものが多かったのに比べ、山口少将は勝負度胸も太く、見識も優れ、判断行動も機敏であった。緒戦当初からこの人が第1航空艦隊長官であったなら」「持って生まれた剛勇と稀にみる体力にものを言わせて、いかなる困難な状況下でもその全能力を発揮し、冷静沈着に事を処し、しかも判断を誤らなかった事である」と語っていました。
その適格な判断が「ただちに攻撃隊を発進の要ありと認む」の虚飾を配した意見具申と3空母被害の後の航空部隊の指揮が物語っています。
海軍の人事は優柔不断で「億劫がり屋」(山口の南雲評)の南雲でも航空屋の参謀を付ければ指揮が出来るとして年功序列での配員でした。(第1航空艦隊参謀長草鹿龍之介少将、首席参謀大石保大佐、航空甲参謀源田実中佐、乙参謀吉岡忠一少佐)秀才参謀は公式を重んじてしまいます。
山口は戦いは戦機で陸用爆弾でも空母も甲板を叩いて航空機の発着艦不能とすれば空母対空母決戦で悪くても五分以上の勝負になると発想の転換を考え非常時にかなった機略の力をもっていました。
「飛龍」「蒼龍」2艦は急降下爆撃機でただちに発艦出来、飛行甲板が空き、第1次攻撃隊も収容可能でした。「赤城」「加賀」第2次攻撃隊(水平爆撃)も空中待機で、制空戦闘機収容、補給発艦で援護させることは考慮可能でした。
山口司令官や淵田中佐の一致した瞬時の発想でした。
1期上の角田覚治が「山口を機動部隊の指揮官にしてやりたかった。彼の指揮下であれば喜んで一武将として働いたであろう」と語っています。
有数の実戦指揮官を年功序列で的確に配置できなかったわが海軍でした。
ただ奥宮正武が言うように相手武将がスプルーアンスとなったり、運がなかった事と敵空母はミッドウェー占領後出てくると勝手な思い込みと航空戦の変遷把握が未熟な戦い方で敗戦となりました。
艦そのもので言えば米艦艇がダメージコントロールが優れ、珊瑚海海戦で損傷の「ヨークタウン」が参加したことに比べ、5航戦は空母損傷以上に航空部隊が大被害で参加できなかった。またこの「ヨークタン」は「飛龍」航空部隊の攻撃損傷を復旧して、第2次攻撃部隊が無傷の空母と思わせるほどでした。
アリューシャン方面で全く目標がないのに4航戦を既定の作戦とおり使用、航空部隊分散させ、空母部隊随伴艦艇の少なさや情報戦、索敵の不備や判断錯誤等誤りが多かった。
参照ダイヤモンド社野中郁次郎等共著「失敗の本質、日本軍の組織論的研究」、「失敗の品質、戦場のリーダーシップ編」、光人社奥宮正武著「海軍航空隊全史」、岡本好古著「山口多聞」、新人物往来社「太平洋戦争海戦全史」
佐官時代艦隊派として颯爽としてその言動が冴えていましたが司令長官時代寡黙となり、重要な戦機に積極的な自己の意図を明示しなかった事から評価が悪いのですが指揮官としてその責任は当然ですが自らの航空作戦の知識や経験不足を補うため有能な部下の専門的な才能を発揮させた事は事実でしょう。
真珠湾への第2次攻撃をしなかったこと、ミッドウェー敗戦の責任は当然ですが連合艦隊司令部の2つの目的を命じた事、敵空母の動静通知要望に応えなかった事や第1航空艦隊司令部の判断、慢心特に航空参謀の意見を取り上げた事での失敗はわが海軍全般の航空作戦の認識や未熟さの表れでした。
ミッドウェーの後の第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦では第3艦隊司令長官としてミッドウェーの教訓を生かし、参謀を活用して米艦隊と戦いました。
大東亜戦争の経過を著しく左右した大作戦に彼はど関わった指揮官はわが海軍一でしたでしょう。
昭和19年7月8日サイパンで中部太平洋方面艦隊司令長官兼第14航空艦隊司令長官として戦死。
参照光人社奥宮正武著「太平洋戦争と十人の提督」
米側は情報戦での勝利が一般的な評価ですが詳細な記述から空母部隊の実力では日本海軍の方が明らかに優秀であり、1航艦司令部の慢心と驕りがなかったなら歴史が変っていたでしょう。
責任は南雲長官ですが補佐する参謀長草鹿龍之介少将、首席参謀大石保大佐、航空甲参謀源田実中佐、乙参謀吉岡忠一少佐の慢心、驕りから他の意見、上申をことごとく聞かず、インド洋作戦の戦訓から爆弾と魚雷換装時間に長時間かかる事前報告が飛龍艦長加来大佐からあったことも加味せず、第2航空戦隊山口司令官の再三の上申を無視しました。
第1航空艦隊戦闘詳報を纏めた航空乙参謀吉岡忠一少佐は索敵を一段のみとし、下駄履き機では速度遅く、敵戦闘機に食われる可能性から出来立ての2式艦上偵察機の使用の上申があり蒼龍に2機搭載していたのに使用せず、6月4日ミッドウェー島攻撃隊と同時刻に索敵機を発進させ、報告のない早い時刻に源田参謀と相談し、本日敵出撃の算なしと全艦隊に発信しているのに改竄して詳報から削除していました。
この隠蔽は作為で草鹿参謀長や源田参謀、淵田赤城飛行長も戦後の出版物に第2次攻撃隊の発進準備の改竄とともに辻褄合わせを実施しています。
攻略部隊が6月3日午後米側に発見攻撃され4日のミッドウェー島攻撃も強襲となり、米側航空機の不在も予想され、ィ168潜からのミッドウェー島情報で航空機が増強されている事実も無視しています。
筑摩、利根索敵機も軍紀違反の雲上航行や索敵線の逸脱もあり、利根索敵機発艦遅れの対処もせず、敵発見の位置の誤りにも気づかず、ミスだらけにも対処しないで規定の作戦計画とおりに実施するのでは早い転換の航空戦の実際が分かっていない司令部の人の問題が大きく左右した海戦でした。
南雲長官と草鹿参謀長は全くの事務屋であり、文書審査には細かい判定をしましたが航空戦は源田航空参謀任せであり大石首席参謀は作戦のチェック機能にもならなかったし、吉岡乙参謀は源田甲参謀に同調するのみという始末でした。
やはり最大の要因は連合艦隊司令部を含め特に1航艦司令部の人事の問題であったと思います。