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海上自衛隊呉音楽隊 第49回定期演奏会

2019-02-28 | 音楽

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4 Comments(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (tekkaojous)
2019-02-28 19:50:31
ここで新美南吉が出てくるとは!南吉は私の母校の戦前の教師でした。学校の移転前は石碑もありました。(惜しくも祖母が卒業した後だった)図書館には彼の出版本が大量にありました。狐というと私はヤナーチェクのオペラ『利口な女狐の物語』を思い出しますね。南吉の生まれ育った半田は酢などの醸造が盛んだったのでレンガ蔵や運河などが残り、有名な彼岸花の堤防があって私もよく撮影に行きました。母親と同じ29歳で結核で亡くなるという生涯でしたが、イメージが作曲家滝廉太郎と似通ったものがあります。南吉はクラシック音楽も好きで、名曲喫茶とか蓄音器のある友達のところに通って、日記にも音楽のことがよく出てきたらしいです。確かに南吉の童話にハッピーエンドって無いですね。グリムやアンデルセンはじめヨーロッパの童話も、オリジナルを読むと大の大人でも気分が凹むストーリーが多いですが(笑)
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方面音楽隊までは行ってません (type99twin)
2019-02-28 23:43:43
さすがエリス中尉様。
呉音楽隊定期コンサートまで行かれたのですね。小生は陸上自衛隊中央音楽隊、航空中央音楽隊の定期コンサートには参っております。隅田トリトニーホールです。
セントラルバンド隊長で空自だけ総務・人事経験者が隊長になる事があり、不思議だなぁ
と思っております。
拍手で盛り上がるのは陸=陸軍分列行進曲、
空=空の精鋭です。
東京音楽隊も鑑賞に行きたい思いました。
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みなさま (エリス中尉)
2019-03-02 08:58:41
鉄火お嬢さん
彼岸花の堤防、それは一度見てみたいです。
「ごんぎつね」のイメージはこの彼岸花の色でもあります。
好きすぎて他の絵が受け入れられなくなった黒井健の絵本で、
真っ赤に咲き乱れる彼岸花越しに進む兵十の母の葬列をごんが見送るシーン。

クラシック音楽に結核での夭折、(南吉は咽頭結核だった)
当時のインテリ青年はみんなこんなイメージですね。
お祖母さんと滝廉太郎で思い出しましたが、わたしの母方の祖母には
親子ほど年の離れた兄がいて、その兄は東京の音大に進んだものの、若くして
やはり肺結核で亡くなっています。
祖母は兄のことを全く覚えていないそうですが、お棺に抱きついて
「兄さんを燃やしたらいやだ」と泣いたことだけ記憶にあるとか。

滝廉太郎もやはり結核。23歳での死だったそうで、改めて若すぎるのに驚きますね。

type99twinさん
いいなあ。わたしは空自には全くご縁がないんですよね。
隊長が総務・人事経験者って、それはもしかして指揮者ではないということですか。
それは「不思議だなぁ」ですね。

海自が最後に必ず「軍艦」をやるように、陸空もやるんですね。
「空の精鋭」は拍手で盛り上げるのにはぴったりの曲ですが、
「陸軍分列行進曲」でも拍手しちゃうんですか。
あの曲は個人的に手拍子にはふさわしくないような気がするんですが・・。
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Unknown (tekkaojous)
2019-03-02 10:01:54
半田の彼岸花は、見ると圧倒されるような大群生ですが、近年に整備されたもので昔はそこまで立派じゃなかったようで、田圃の畦道や堤防道あたりの両脇を埋めた彼岸花が、当時の南吉のイメージでしょう。最近は人が増えすぎて余り撮影には向かなくなってしまいました。
ちなみに、の滝廉太郎のなぜか小さな資料館が富山にありましたが、滝は富山で育った一時期があり「荒城の月」も富山城がモデル「花」の"櫂のしずく"の櫂は渡し船ではなく隅田川のカッター競技(時代がずれますが作詞家は築地海軍兵学校のそれを見た?)のオールだと言われています。南吉の手稿はともかく、滝の手書きはほとんど残っていません。当時非常に恐れられた結核菌に汚染されたものとして、衣服、身の回り品をかなり焼却してしまったのだそうです。南吉が結核と闘病しながらも女学校の教師ができたのは不思議です。
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