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映画「善き人のためのソナタ」

2012-10-07 | 映画

     

いつもそうするように、タイトルから説明すると、この映画の原題は
「Das Leben der Anderen」(他人の生活)と言います。

もしかしたら本質を言い表すにおいてこの原題を超えたかもしれない、
と思われるこの映画のタイトル、「善き人のためのソナタ」
今回は評価するぞ映画配給会社の宣伝担当の人!


旧東ドイツの国家保安省シュタージ
によって、生活のすべてを監視されていた劇作家
ゲオルク・ドライマン

留守中に仕掛けた盗聴器でゲオルクの部屋の屋根裏部屋に24時潜伏し、
その「他人の生活」を全て監視する、シュタージの諜報員、HGW XX/7ことヴィースラ―大尉
(保安省、と言いながら階級が軍隊式であるのに注意)

本人ではなく、周りの芸術家に「西側思想」の者が多いという理由での監視対象でした。


この映画が世界に与えた衝撃は、一人の人間の生活のすべてが国家によって
一挙手一投足監視される社会が、わずか前に実在したという事実でしょう。

ベルリンの壁崩壊以前、東ドイツは、理想の社会主義国家形成のため、
国民に対し徹底的な情報統制と言論弾圧を行いました。
国家の体制に不満を持ち、西側と通じようとするものを取り締まり、投獄するために、
このシュタージ(Staatssicherheit、英語ではstate securityに相当する語)は、
市民の生活を監視し、告発し、市民の中にも協力者という名の「スパイ」を送り込み、
情報網を張りめぐらせたということです。
その初期にはナチスドイツ時代のゲシュタポ出身者が採用されたという噂もありますが、
それが噂とは思えないというほど、全盛期のシュタージの弾圧は苛烈であったということです。


ゲオルクと、同棲している女優のクリスタ・マリア・ジーラントの生活を部下と交代で
観察し克明に記録するヴィーラントの諜報任務が始まります。
最初こそ冷徹に任務に邁進するヴィーラントですが、芸術家たちの苦悩や葛藤、
彼らが自由を求める声、そして恋人たちの会話を毎日のように聞くうちに、
一枚ずつ薄紙をはがすように、監視対象である男に感情移入してしまうのです。

文学。音楽。自由。そして、愛。

彼は盗聴という道義的罪を犯すうちに、今まで自分の知らなかった精神世界の扉を開き、
いつの間にかそこに足を踏み入れている自分に気づくのでした。

彼の中で、次第に何かが動き始めます。

決定的なきっかけは、恋人のクリスタに眼をつけた大臣のヘムプフが、
彼女の薬物中毒をたてに脅迫し、女優を続けることと引きかえに関係を迫ったことでした。
女が男を裏切る様子を、ヴィースラーは自分でも想いもよらぬ苦痛を以て見守ります。
愛し合っていたはずの男女が、自分の属する組織によってその関係を蝕まれていく様子を・・。


彼女が初めて大臣に凌辱を受けて帰ってきた夜、どちらもがそれについては触れず、ただ
「抱きしめていて」
と女は男に要求し、男は全てを察していながらそれに答えてやる。
どうしようもない、どこに持っていきようもない「受難」に、
社会主義国家の弾圧下にある二人の男女はこうして耐えるしかないのです。

その様子を、体躯を折り曲げ、胸を押さえた苦悶の姿勢で聴くヴィースラー・・・。


そんなある日、7年間活動を禁止されていた、ゲオルクの友人である演出家が自殺します。
演出家はその数日前に行われたゲオルクの誕生日に一冊の楽譜をプレゼントしていました。

「善き人のためのソナタ」(Sonate vom guten Menchen)

自殺の報を聞いたゲオルクは、演出家へのレクイエムとしてその曲を演奏します。
身じろぎもせず屋根裏のヴィースラ―はその響きに聴き入るのでした。

「レーニンはベートーヴェンの熱情ソナタを批判した。
これを聴くと革命を達成できない。
この曲を聴いた者は
本気で聴いた者は―悪人になれない」

ゲオルクの部屋からブレヒトの詩集を持ち出し、その世界に逍遥したばかりのヴィースラ―は、
この曲と、このゲオルクの言葉を全霊で受け止めます。

レーニン自身が革命を悪と考えていたかもしれないのと同じように、
ヴィースラーもまた、正しいと信じていた国家の正義が、
実は自由や、愛や、個々の人間の存在を否定する「悪」であることに気づきます。
そしてこの曲を聴いてしまったがゆえに悪に手を貸すことが困難になる自分を見出すのでした。

ヴィースラ―は自分でも押さえられない衝動に突き動かされ、背任行為を始めます。

大臣のもとに行こうとするクリスタの前に現れそれを諌め、
あるいは階下で起こっている芸術家たちの「たくらみ」を聞かなかったことにし・・。
「善き人のためのソナタ」を「本気で聴いてしまった」ヴィースラ―は、
ついには部下の報告をねじ曲げることすらするようになり、


ある日、ついに自分の輝かしいキャリアの全てを失うことになるのです。


ドイツ統一後、シュタージの諜報活動が世間に公表されました。
この映画でゲオルクがそうするように、当時の資料は保存されて閲覧することができ、
それによって当時、自分が如何なる諜報をされていたのか、そして、
自分の友人や知人、時には親族の誰がスパイとして自分の情報を当局に流していたのか、
といったことを、人々は知ることができるようになったのです。

ある資料では国民の約10人に一人は密告者であったという報告もあります。

ヴィースラ―を演じたウルリヒ・ミューエは、自身がシュタージの諜報対象でした。
統一後知ったところによると友人のほとんど、そして妻までが密告者であったというのです。

社会主義国家の監視下にあったときは、あくまでも水面下の問題であったのが、
統一後、これらの情報が公開され、人々がそれを白日のもとに見ることになってから、
旧東ドイツの人々にもたらされたのは激しい人間不信であったと言われています。

今まで信じていた人間関係が、信頼が、これによって一挙に覆されたためでした。
これがため自殺したり精神に異常をきたした人もたくさんいたということです。


この映画でも、統一後、シュタージ博物館で資料を閲覧したゲオルクが、
シュタージの捜索がアパートに来たとき、部屋を飛び出し、
事故で死んだ恋人クリスタの密告の証拠を発見し、衝撃を受けるシーンがあります。

クリスタはシュタージの尋問を受け、
「女優をやめるかゲオルクが西側に向けて記事を書いたことを密告するか」
と迫られたとき、何と当初は尋問官に向かって
「一緒に楽しまない?」
といって、逃れようとするのです。

まともな世の中であれば決して起こり得なかったであろう彼女の裏切り、
さらに決して外に出ることもなかったであろう醜い一面。

人間性を社会体制が完膚なきまでに抹殺し、醜悪な部分がさらけ出される。
戦争におけるのと同じような「価値観の歪み」がもたらされたことこそが最大の悪であり、
統一後に開けられたパンドラの匣からもたらされた「密告社会の真実」は、
その後、旧東ドイツの人々が背負っていかなければならない十字架となったのです。


だからこそ。
「対象者」に共感し、彼らを救うために背任の末失墜した諜報員HGW XX/7の行為は、
生きるためには恋人や家族でさえ売る社会にあって、
ただ純粋に「善き人」として為した、崇高とも言える自己犠牲であったのです。

統一後何の作品も書くことができなくなっていた作家、ゲオルク・ドライマンが、
資料を見、全てを知り、そして書いた「善き人のためのソナタ」。

冒頭画像は、書店員に「ギフト包装は?」と聞かれ、

「Das ist fuer mich.」(わたしのための本です)

と答える瞬間のヴィースラー。


あの狂気の社会の中で、彼こそが・・・いまや、世間の誰にも顧みられないこの彼こそが、
勇気ある抵抗者であり、作家にとっての英雄となったのです。
その書には英雄のコードネームと共に、感謝が献じられていました。



美しい映像、心臓を掴まれるような美しい音楽、そしてこのミューエの演技。
この瞬間のために何度でも観たくなる真の名作です。








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1 Comments

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軍隊と警察の階級 ()
2012-10-07 21:27:42
こんばんはエリス中尉
ツッコミ専門の鷲でございます。

>保安省、と言いながら階級が軍隊式であるのに注意

英語では、海軍と陸軍とで、階級の呼称が異なっていますが、警察官の階級は、概ね陸軍の階級を準用しているようです。

例えば、日本の「警部」は、米国では「CAPTAIN」で、階級章も陸軍の「大尉」と同じ階級章を使っていますね。

この階級の呼び方も、英国式と米国式では、微妙以上に異なりますが、米国式は、どうも「階級呼称インフレ」のような気がします。

「何でサージャント(日本で言えば巡査部長)に対して「オフィサー」って呼ばなきゃいけないんだ!?」
とか、「COMMODORE」が、いつの間にか「REAR ADMIRAL LOWER HALF」になってるし!

で、ツッコミは以上です。
どうも、欧州の状況には疎いもので。。。。。。
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