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”チップ” チャピン予備役大佐の部屋〜USS「リトルロック」

2025-04-01 | 海軍

タロス巡洋艦「リトルロック」艦内探訪、バーバーを通り過ぎたら
そこには艦長室が出現しました。

■ 予備士官’チップ’ チャップリン

部屋のその側の説明には、

A・ウィンフィールド・’チップ’チャピン大佐

このコンパートメントは、
故チップ・チャピン海軍大尉(退役)
の執務用品を展示するために改装された。

と記してあります。

というからにはこの"Chip" Arnold Winfield Chapin という人が、
かつて「リトルロック」の艦長だった。と思うでしょ?

それが、軽巡洋艦として建造された時から、
ミサイル搭載艦として退役するまでの歴代艦長の中に、
この名前の大佐はいなかったのがまずもって驚きでした。

チャピン大佐って、何者?

というわけで検索してみたのですが、不思議なことに、
海軍の公式HPなどを検索しても名前が出て来ないのです。

そこでふと気がつきました。
チャピン大佐のタイトルの「USNR」です。

USNRってもしかしてUSNとはは全く別の組織だとされているのかな?

USNRとは、

アメリカ海軍予備役(United States Navy Reserve: USNR)

のことで、1915年から2005年までは

アメリカ海軍予備艦隊(United States Naval Reserve)

と呼ばれていた予備役部隊(Reserve Component: RC)です。
つまり、海軍とは似て非なる組織だということになります。

海軍予備役の隊員は予備役兵であり、

選抜予備役(Selected Reserve: SELRES)
予備役訓練・管理(Training and Administration of the Reserve: TAR)
即応予備役(Individual Ready Reserve: IRR)
退役予備役(Retired Reserve)

のいずれかに分類されます。
そういえば、我が日本国自衛隊にも
「予備自衛官・即応予備自衛官制度」
というものがありますね。

大災害が発生すると支援のため招集されることで知られています。

アメリカで海軍予備隊が正式に発足したのは、1915年です。
それまでは、米国商船隊がその代わりを担っていました。
本格的に予備隊が現役任務に就いたのは第二次世界大戦直前からです。

現在、アメリカ海軍予予備役部隊は、総数 59,152人、
バージニア州ノーフォークに司令部を持ち、
「いつでも、どこでも、今すぐに」をモットーにしています。



司令官はナンシー・S・ラコア少将。
1979年の初代から数えて16代目司令官であり、
名前を見る限りは史上初の女性司令官です。

■ 選抜予備役と個人即応予備役

日本でいうところの即応予備自衛官が、アメリカでは

Selected Reserve SELRES

というもので、こちらは「選抜」(セレクテッド)が名称に付きます。

予備隊の中で最大の集団であるこの選抜予備役(SELRES)は、
月に1回、週末に行う訓練のほか、1年間に2週間の現役年間訓練が義務です。

年次訓練(AT)訓練任務(ADT)作戦支援任務(ADOS)
特殊任務(ADSW)大統領指名予備役召集(PSRC)/動員(MOB)命令


これらの招集期間、彼らは給与(軍隊ではない方の)と、
軍隊での手当て、全額が支給されることと定められています。

多くのSELRESは海軍航空兵、海軍飛行士、海軍航空外科医、
海軍航空部隊の一般兵、海軍予備役または現役予備役統合(ARI)航空中隊、
航空団、航空団に配属された士官および一般兵、
または主要統合戦闘司令部
に配属されることになります。

航空関係の任務がほとんどという感じですね。

戦争や国家の非常時には追加の任務として、
1年〜3年以上の常勤の現役任務に呼び戻されることも多く、
海外の拠点や軍艦に配属されることになります。

不朽の自由作戦やイラクの自由作戦では、
招集されたSELRESが戦闘地域に派遣されました。

そのほかに、アメリカ軍には、

Individual Ready Reserve IRR

個人即応予備役という制度もあります。
こちらはかなりゆるい?システムで、訓練や定期的な訓練を行わず、

「大統領命令による全面動員時には招集される可能性がある予備役」

という立場です。
Redditというチャットサイトでは、

「年に一度海軍に詳細を提出し、技能的には
いつでも召集に応じられる状態にあることになっていると聞きましたが、
正直に言うと、私は1年半IRR(即応予備役)の状態なのに、
これまで誰からも連絡があったり何かがあったことはありません」


なんて書いている人がいました。
ここが引っ張り出されるのはよほどの事態ということなんでしょうか。

国家非常事態とか。

それでは今までどんな時が「よほどの事態」だったかというと、
まず一つは2001年9月11日の同時多発テロ事件の後、
予備役が戦闘作戦を支援するためということで動員されました。

「イラクの自由作戦」では、海軍予備役の戦闘機中隊、
F/A-18Cホーネット戦闘機を操縦するVFA-201ハンターズが、
USS「セオドア・ルーズベルト」(CVN-71)に配備され、
作戦を支援する複数の戦闘任務に従事しています。

イラクとアフガニスタンには52,000人以上の海軍予備役兵が派遣され、
陸軍、海兵隊、空軍、沿岸警備隊、他国軍とともに任務に従事し、
即席爆発装置への対処、軍事基地の建設、地上輸送隊の護衛、
病院の運営、情報分析、囚人の警護護送、
海外派遣から帰還する部隊の税関検査などを行いました。

■ 予備役でいることの特典

予備役には、それなりの手厚い特典があります。

1、医療

医療費の高いアメリカで、個人と家族をカバーする
比較的お得な(月額47.90ドル、家族込みなら210.83ドル)
保険に加入できることは大変魅力です。

2、教育

大学院および大学課程、承認された高等教育機関が提供する職業訓練、
および技術訓練、授業料補助、免許&資格試験の費用払い戻しをカバーする
G.I.ビルを受給する資格が得られます。

アメリカでも一般に学費ローンの返済には皆大変なので、
軍隊に参加することで負担を軽くしたいと考える人はいるでしょう。

3、生命保険

軍人の配偶者および扶養家族に適用されるFSGLIは、
配偶者に対してはSGLIの保険金額を上限として最高10万ドルまで、
扶養家族に対しては1万ドルまでの保険を提供します。
配偶者の保険は、1万ドル単位で付与されます。

4、売店およびエクスチェンジの利用

予備役および扶養家族IDカードを持つ直系家族は、
すべての米軍基地内の売店(スーパーマーケット)
および基地/ポスト内のエクスチェンジで買い物ができます。

5、税制上の優遇措置

召集された予備役兵が早期退職税を課されることなく、
民間退職年金制度から早期に引き出しができます。

そして、適格分配を受けた予備役兵が、現役期間終了後から2年間の期間に、
その資金を個人退職口座(IRA)に拠出することが認められています。

4、雇用保障

軍、予備役、州兵、その他の「制服勤務」に就いている(いた)人が、
その勤務により民間でのキャリアに不利益を被ることがないよう、
また、任務から戻った際に速やかに民間での職に再雇用されること、
および、過去、現在、未来の軍務を理由に雇用において
差別されないことを保証することを目的とした連邦法があります。

5、昇進

予備役兵は、他の予備役兵と競合する場合を除き、
現役軍人と同等の昇進機会が与えられます。

6、割引

軍IDカードを所持する予備役兵は、現役軍人と同様に、航空会社、
レストラン、ホームセンターなどで軍人割引を受けることができます。

7、退職

退役した海軍予備役兵は、退役軍人優遇措置の対象となります。

■ ’チップ’チャピン予備役大佐


というわけで、あらためて「リトルロック」のチャピン大佐について、
「リザーブ」を入れて調べてみたのですが、しかしながら、
そもそも海軍の名簿に名前が出てきません。

そもそもこの人、「リトルロック」の艦長だったこともないのです。

なんとかその名前が引っ掛かってきたのは、なんと、
Wikipediaのウェールズ「ペナース」という土地についての記事でした。
以下、その部分です。

1943 年 10 月ペナース ドック (現在のペナース マリーナ) に
米国海軍基地が設立されました。

この基地から、ノルマンディー上陸作戦に参加した多くの部隊が
ノルマンディー海岸に向けて出発しました。

アーノルド・ウィンフィールド・チャピン米海軍大佐の指揮下にあり、
チャピン大佐は 1944 年に「ペナースの人々」に
ペナース ドックの絵画を贈呈しました。
この絵画は現在、ペナースの市議会カイミン ハウスに飾られています。

1944 年、ペナースのドックと ビーチは、「オーバーロード作戦」の
D デイ上陸作戦に向けて出発した侵攻船でいっぱいでした。

防御装備を揃えた商船の多くには、アメリカのシャーマン戦車と、
訓練後にペナースで宿泊した米軍の乗組員が積まれていました。

イギリス軍特殊部隊は、ノルマンディーの断崖を登る準備として
ペナースの断崖で訓練を行っていました。

侵攻船のいくつかは使用されずに、1950 年代までドックの浜辺に放置され、
地元の子供たちの遊び道具として使われていました。


そこで気がついたのは、画面左に飾ってあるこの絵です。
「プレリュード・トゥ・インベージョン」
というこのタイトルは、紛れもなく、Dデイのために出撃を待つ、
船を表しているのではないでしょうか。

これも絵が趣味だったチャピン大佐の作品である可能性は高いですね。


この角度からしか写真を撮れなかったのでわかりにくいですが、
左は、オーバーロード作戦を描いたものです。
そして、その横のチャピン大佐らしき肖像写真ですが、



なんとか一つ見つかったこの写真と一致しています。
どうして「リトルロック」に縁もゆかりもないこの人が、
ここでこんなになっているかは全くわかりませんでした。

そして、同時に出てきたのがスクーナーの

USS「Romain ロマン(IX-89)」

の記事です。

シモネット造船会社が、1942年に建造し、
1943年3月17日に退役した船で、

全長 25.6m
船幅 6.4m
喫水 2.8m
推進力 ガスエンジン1基
乗組員数 10名
武装 なし
航空機搭載能力 なし
航空施設 なし

というスペックです。

第二次世界大戦中に就役した補助用木製スクーナーで、
11942年11月25日、USS ロマン (IX-89) として就役しました。

わずか4ヶ月間のみ海軍に所属し、
その間はフロリダ沿岸およびバハマ諸島でのパトロール任務に従事しました。

4ヶ月だけフロリダとバハマでクルーズしていたとは、
一体なんのために?という疑問すら湧いてくるのですが・・。

しかし、その割に戦中の任務に対し、

アメリカ戦役従軍章
第二次世界大戦勝利メダル

が贈られております。
一体何をやった。

で、チャピンなのですが、この人が中尉のとき、
指揮官として就役しているのです。

当直士官
01 チャピン中佐、アーノルド・ウィリアム、
米海軍予備艦隊 1942年11月25日~1943年3月15日


この部屋の右側本棚の上にある、これが例のスクーナーでしょうか。
ついでに?その横のイケメンはチャピン大佐?


その下にあるこれは、「ローマン」が活動していた拠点でしょうな。



その下には「USNR」を表すプレートが。
(写真立ての後ろにある本は『ブル・ハルゼー』)

何かと謎なチャピン大佐ですが、これはもしかしたら、
海軍予備役隊の組織が特別に展示を依頼したのかもしれません。

一番可能性が高いのは、チャピン大佐がこの近くの出身であることですが。


続く。