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15星15条星条旗とアメリカ国歌〜USS「リトルロック」艦内展示

2025-04-28 | 歴史

USS「リトルロック」砲塔内展示、続きです。
実は皆様にお詫びしなければならないことがあります。



前回、この星条旗をローンスターのテキサス海軍旗として紹介しました。
星一つの星条旗なんで、疑うことなくそのように判断したのですが、
別の写真を見たら、

「15星15ストライプの星条旗である」

と書いてあってのけぞりました。(比喩的表現)
だって・・・星が一つしか(見え)なかったんだもん・・・。

これに気がついた時には前回のログを仕上げた後で、
よりによってテキサスネイビーの絵まで描いてしまっていたというね。

まあ、思い込みとはいえこんなことでもないと、
テキサスネイビーについて調べることもなかったかもしれん。
と、誤りは誤りとして、肯定的に考えることにしました。

誰にも迷惑かけてないからいいよね?


で、ここにかかっている星条旗は何かというと、
15 Stars 15 stripes (15星15条)星条旗です。
説明にはこのように書かれていました。

星条旗
星15と縞15
1812年戦争を記念して

1795年には、ケンタッキーとバーモントを表す星条旗2本が、
オリジナルの13本から合衆国の国旗に追加され、合計15本となった。

1818年、連邦議会は、合衆国に加盟した各州について、
加盟後の7月4日に星を1つ追加し、
当初の13の植民地を表す13本の縞がある星とすることを宣言した。

1812年の戦争中、星条旗はフォート・マクヘンリーに掲げられ、
フランシス・スコット・キーによる国歌
『The Star Spangled Banner 星条旗』のインスピレーションとなった。

まず、アメリカの星条旗は州が増えるたびに
形を変えてきたことはご存知かと思いますが、



まずこれが独立13州(植民地)を表す独立後初のバージョン。
念のため、13週とは以下の通り。

ニューハンプシャー、マサチューセッツ、ロードアイランド、
コネティカット、ニューヨーク、ニュージャージー、
ペンシルベニア、デラウェア、メリーランド、ヴァージニア、
ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア


これに、1818年まで、
ケンタッキーとヴァーモントが加わって15週となった星条旗。

■ 国歌「星条旗」成立のきっかけとなった旗

詩人であり弁護士であったフランシス・スコット・キーは、
米英戦争を軍人ではない立場から目撃しています。

1812年に始まった米英戦争の最中、1814年、
キーは友人である医師、ウィリアム・ビーンズを含む捕虜の釈放を
イギリス軍と交渉するため、マディソン大統領の許可を得て
ボルティモア(メリーランド州)のマクヘンリー砦に入りました。

彼はイギリス海軍の戦列艦HMS「トンナント」に乗り込み、
捕虜の解放を交渉し、それに成功します。

しかし、キーと同行者は、イギリス軍の攻撃計画を耳にしたため、
戦闘が終わるまで上陸を足止めされて、経過を船上から目撃します。

イギリス海軍の16隻の攻撃部隊は、9月13日の日の出とともに
マクヘンリー砦への砲撃を開始し、砲撃は25時間続きました。

フランシス・キーが見た光景
爆弾の放物線が実際に線で描かれているのが画期的

雨の日中から夜にかけて、キーは砲撃を目撃し、
砦の小さな「嵐の旗」がはためき続けているのを観察しました。

「♩ああ、夜明けの光で、
夕暮れの最後の輝きに誇らしげに我々が歓呼したものが見えるだろうか。
その幅広の縞模様と明るい星が、危険な戦いの間、
我々が見守った城壁の上に、勇敢に流れていたものを」


砲撃中、HMS「エレバス」は「赤く輝くロケット弾」を700発、
重迫撃砲艦HMS「テラー」「ボルケーノ」「デバステーション」
「ミーティア」「アエトナ」は「空中で炸裂する爆弾」
1,500〜1,800発も砦に放ちました。

歌詞「♩ そして、ロケット弾の赤い輝き空中で炸裂する爆弾が」

しかし、死傷者や被害は最小限に抑えられました。
キーは、アメリカの勝利を知ると同時に、砦の上に意気揚々とはためく
大きなアメリカ国旗の光景に強く心を打たれることになります。

歌詞「♩夜通し我々の国旗がまだそこにあったことを証明していた
⁠ああ!星条旗はまだはためいているか?
自由の国、そして勇者の故郷で」



このときキーが目撃した星条旗こそが、この15星15条旗でした。

スコット・キーは感動のままに、船上で歌詞を書き始め、
イギリス軍から解放されてからホテルでそれを完成させました。

その後、ウッドロウ・ウィルソン大統領のもとで、
メロディのつけられたこの曲はプロの作曲家5人の手で編曲され、
独立記念日などで演奏されてきました。

作曲家の5人の中には、あのジョン・フィリップ・スーザがいました。

■ターレットパンフレット



星条旗の下にあるのは、(おそらく)
砲塔勤務メンバーに渡されるターレットの説明書だと思われます。

システム:砲
コンポーネント:砲塔 6/47 三連装 SF
MRCコード:G-44 W-4
サブシステム:砲塔 6/47 三連装 SF
関連メンテナンス:なし

階級:GMG3  GMGSN
M/H 合計:4.0
経過時間:2.0

メンテナンス要件 説明
1、ガンコンパートメントの機器に潤滑油を塗布します

安全対策

1. 標準的な安全上の注意事項を守ってください

2. 砲のロックとスライドの固定装置が確実に作動していることを確認する

3. Tバルブが閉じていることを確認する

4. トレインモーターコントローラーの回路ブレーカーがオフになっていて、
タグがついていることを確認する

5. 昇降モーターコントローラーの切断スイッチがオフになっており、
タグがついていることを確認する

6. スライド電源装置コントローラーの切断スイッチがオフになっており、
タグがついていることを確認する

7. スライド固定装置と砲のロック装置が解除されている時には、
砲の作業範囲に人がいないことを確認する

ツール、部品材料、試験装置

1. MIL-L-17672 MS 2075T-H を備えた 2 つのポンプ オイラー

2. MIL-L-17672 MS 2075T-H 準拠のレバー式グリースガン 2 個

3. きれいな布

4. 懐中電灯 (2)

5.警告タグ(3)

6. 1インチのペイントブラシ(2)

手順

注 1: すべての不一致を保守グループの監督者に報告します。

予備
a. スライドのロック装置が掛かっていることを確認してください。
b. 銃のロック装置が掛かっていることを確認してください。
c. T字バルブが閉まっていることを確認してください。

■フォックスグリーンビーチの戦い


砲塔内に架けられた額は、すっかり紙質が劣化していますが、
これはノルマンディ上陸作戦の一コマを描いた絵です。

海軍の援護射撃のおかげで、私たちは上陸することができた。
あの援護がなければ、絶対にビーチを越えられなかっただろう。

1st United States Infantry Division: Colonel S B Mason, Chief of Staff

フォックス・グリーン・ビーチの戦い
ノルマンディー、1944年6月6日

それは海軍艦艇の艦砲射撃のおかげ、というメイソン大佐ですが、
検索するとこんな絵が出てきました。


戦争画家として有名だった、アンソニー・グロス(Anthony Gross)
が1944年に描いたメイソン大佐です。

グロスはノルマンディー上陸作戦に同行し、
作戦開始後午後2時にアロマンシュ近くの海岸に上陸して、
上陸地点をスケッチし、海岸の塹壕で夜を過ごしています。

ポスターの下部に書かれた説明は次のとおり。


この日未明、世界がかつて目にしたことのない、
最大規模の水陸両用作戦が始まった。

午後半ばには、障害物の少ないビーチのわずかな隙間にも、
障害のある上陸用舟艇が散乱していた。

支援の波は、短距離および長距離からの砲撃が絶え間なく降り注ぐ中、
隙間を狙って円を描きながら前進した。

陸軍の砲を搭載した多くの水陸両用車が破壊されたため、
部隊に必要な火砲の多くが不足した。

海軍の駆逐艦がその穴を埋めた。

沿岸の射撃統制班が甚大な被害を受けたため、
駆逐艦は主に自らの視覚による測量に頼らざるを得なかったが、
それでも射撃の機会を捉えて目標を攻撃した。

彼らは、海岸にギリギリまで接近し、88mmドイツ製機関砲と
機関銃による複雑な交差砲火から上陸部隊を救うために、海岸を掃射した。

この海軍による砲撃支援により、水際での敗北は回避され、
苦戦を強いられていた部隊は橋頭堡を確保することが可能となったのである。


「リトルロック」が就役したのは1945年で、
そもそもノルマンディ作戦の時は生まれてもいなかったわけですが、
要するに、海軍砲の素晴らしさを讃え、
ノルマンディ作戦が成功したのは海軍砲の功績が大である、
ということをわざわざここで強調しているというわけですね。


続く。