ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

三連装主砲とUボートXXVIIB型「ゼーフント」〜重巡「セーラム」博物館

2017-07-03 | 軍艦

さて、マサチューセッツはクインシーに展示されている重巡洋艦「セーラム」。
甲板にいよいよ上がって来ました。
ところで、「セーラム」はアメリカで現存する唯一の重巡洋艦なのだそうです。

アメリカは1930年から1948年にかけて47隻の重巡を建造しましたが、
「セーラム」はその最後の「デ・モイン」級の2番艦。
3番艦である「最後の重巡」、「ニューポートニューズ」 は退役後スクラップとなり、
姉妹艦だった「セーラム」にその一部が保存されているそうです。

シップネームだった一番艦の「デモイン」も、ウィスコンシン州のミルウォーキーで
博物艦として残すようにずいぶん関係者は頑張ったようですが、
結局保存には失敗して2007年にスクラップになったそうです。

 

重巡と軽巡の違いというのはいずれも10,000トン以下巡洋艦 で、

重巡ー6.1インチを超え8インチ以下の艦砲を搭載

軽巡ー砲口径6.1インチ(155mm)以下の艦砲を搭載

という違いであるということは前にも説明しました。
つまり、艦体の大きさで重巡と軽巡を見分けることはできないのです。


巡洋艦というカテゴリはもともとワシントン軍縮条約で定義されたものです。

このカテゴリの軍艦は条約では「補助艦」扱いだったため、保有隻数に制限がなく
帝国海軍はそれならばと特に重巡の建造に力を注ぎました。

その結果やたら充実しまくった日本の戦力に脅威を感じた米英が、
これを抑えるために
今度はロンドン軍縮条約で重巡と軽巡のカテゴリ分けをし、
これらの保有隻数に制限をかけてきたため、日本がブチ切れたのはご存知の通り。

 

しかし第二次世界大戦後、新しい武器艦対艦ミサイルが出現すると、
艦船に大口径砲を搭載することの意義が薄れてしまい、
巡洋艦における軽巡と重巡の区別も自然に消滅します。


というわけで、史上最後の重巡洋艦は、1949年に就役した
「デモイン」型3番艦「ニューポート・ニューズ」(CA-148)であり、
同型の2番艦である「セーラム」は現存する最後の重巡ということになるのです。

重巡洋艦の甲板に登るのはもちろん初めてですが、
こんなに手入れの悪い、
ボロボロの軍艦の甲板に上がるのも初めてです。
最近、「セーラム」はその存在の生き残りを模索する手段として

「幽霊艦として肝試しツァーを企画し人を集める」 

というとほほプランを打ち出していますが、まあこんな感じですので
ゴーストツァーの舞台装置としては申し分ないといえましょう。 

「セーラム」は前回にもお話しした通り、契約によって
2021年まではここで展示されることが決まっていますが、
契約が更新されなければ、その時はついにスクラップにされることになります。

こんな状態で保存する気があるのか、他国の軍艦の事ながら心配です。

左上の「ワールドウォー」と見える「セーラム」のプラーク(銘板)について。
実は「セーラム」という名前は2代目で、1代目は
第一次世界大戦時にあった軽巡洋艦でした。(CL-3)

1代目「セーラム」もここクインシーの生まれで、
こちらの「セーラム」は魔女の町「セーラム」から取られています。

ところで、潜水艦にやたら最近ご縁のあるわたしとしては、
艦内に入るスロープから見えていたミニゴルフコーナーの
潜水艇を
甲板の上に上がって真っ先に見に行ってみました。

説明がありません。

英語のサイトをキーワードで調べたところ(インターネットって便利)、
これはなんとドイツ海軍の特殊潜航艇、

 UボートXXVIIB型 「ゼーフント」 

であったことがわかりました。
日本語でUボートXXV IIB型、と検索すると、wikiのページにこの写真が出て来ます。

wiki

何年くらい昔のことかはわかりませんが、ミニゴルフ場がまだ綺麗で
現在の柵の向こう側で稼働していた頃、「ゼーフント」は元のままこうやって
ナチスドイツ海軍の十字をつけたまま、展示されていたことがわかります。

その後、何を思ったかこの上からマークも075の艦体番号も塗りつぶし、
真っ黒にしてしまったのが、さらに経年劣化でこうなってしまったのです。
そもそも腐食を防ぐために塗装を施したつもりが、適当にやったため、
さらにその塗装も意味をなさず、現在進行形で劣化していっているという・・・。 

何をするやら、アメリカ人。

 

「ゼーフント」は「seehunt」であり、英語だと「シードッグ」すなわちアザラシ。
終戦間際に特殊潜航艇で敵を攻撃するというのは、なぜか結果的に敗戦した日独で行われ、
日本の場合はそれが「回天」による「特攻作戦」となっていったわけですが、
ドイツの場合は
純粋に小型艇による通商破壊作戦を意味していました。

ドイツ海軍は戦争終結間際の数ヶ月間この兵器を運用し、9隻の商船を沈め、
さらに3隻を損傷させたと言いますから、一定の効果はあったことになります。

小型艇の生産は本来のUボートの生産を低下させるのでデーニッツはいい顔をしなかったようですが、
結局1944年から終戦まで(1945年の4月ですね)の間に建造された
このタイプの小型艇は全部で285艇にも上りました。

そのうち喪失したのは35隻ですが、そのほとんどは悪天候が原因だったそうです。 

「ゼーフント」は日本の特殊潜航艇と同じ二人乗り。
この写真でも確認できる潜望鏡は艇長用で、10mの高さに伸ばすことができ、
すっかり曇ってしまっていますが、浮上前に航空機を警戒して上空を偵察するための
透明のドームが取り付けられました。

これらは水深45mまでの水圧に耐える設計となっていました。 

セイルの後方に見えるのは磁気コンパス。
磁気コンパスとドームの間には空気吸入マストがあるはずですが、
穴だけが見えていてマストの存在はありません。 

この「U-5075」の「ゼーフント」は1945年1月13日、キールで建造されました。

 

日本の特殊潜航艇は艦首に魚雷発射管を持っていましたが、こちらは
艦の横に抱え込むように魚雷を設置しました。
ここには蓄電池式の電気魚雷G7e魚雷を搭載していました。

ドイツの敗戦が明らかになった後、ある「ゼーフント」はここに食料を搭載し、
孤立した地域にそれを届けるという役目を果たしていますが、この時物資は

「バター・トルピード」

と呼ばれたそうです。
バタートルピード。
なんか命中したらふにゃーっと溶けそうなイメージですね。 
魚雷型のバターケーキにこの名前をつけて売るってのはどうだろう(提案) 


「ゼーフント」には「U-5501」から「U-6442」の範囲で
ナンバーがつけられたと言いますが、この艇体にあった「075」は
「U- 5075」を意味するそうです。
「5501」から始まったのになぜ「5075」があるのかはわかりませんでした。

もう一つ意味がわからなかったのが、wikiの

”現在もこの船を用いてアマチュア無線のイベントが開かれ、
その時には識別信号「WW2MAN」が用いられる”

という部分です。
「この船」って、この・・・小型潜航艇のことですか?
「用いて」って、中に入るの?
アマチュア無線の装置が中にあるっていうんですか?

どうしてもわからなかったので、どなたか解明できる方、
アマチュア無線に詳しい方、何か教えていただけると幸いです。

さて、それではお待ちかね、甲板を回っていこうと思います。
「セーラム」の主砲は 

55口径203mm3連装砲 Mk.16

でしたが、これは重巡の搭載できる制限による最大の大きさのものです。

日本ではこのギリギリの大きさの砲を(通称三隈砲のことか?)
「仮称50口径三号20cm砲」
と防諜のために微妙にボカして呼んでいたいたようですが、
3ミリ違ったからといってそれがなんやっちゅうねんという気もします。

重巡洋艦「デモイン」級の前の「ウィチタ」級が搭載していたのは
300トンのトリプルターレットでした。
この「デモイン」級からは450トンの
トリプルターレットになりましたが、
これは戦争終結に向けて思いっきり重砲を積みました!ってことなんだと思います。

「デモイン」の1番艦と2番艦は
とりあえずまだ終戦前に起工しています。

つまり、アメリカ最後の巡洋艦3隻だけがこのタイプを搭載することになったわけで、
ということは、この主砲が現存するのも世界で唯一ここだけということになります。

正直な感想を言わせてもらうと、砲身の根元の黒いカバーがかっこ悪いですが、
いかにもパワーがありそうです。
 

もう一つ重要なことは、この「デモイン」級には史上初の
砲弾自動装填装置が搭載されたことです。

それまで人力かあるいは人が機械を操作して行われていた装填が
完全自動になった最初の軍艦で、それまでの袋詰めの装薬に代えて
ケースに入った装薬が初めて使用されることになったのです。

ただし、もうこのころはミサイルが開発され、艦同士の艦砲の撃ち合いなどというのは
前時代的な遺物の戦法となっていたことはご承知の通り。

後甲板の主砲のところに来てみました。

三連装砲は全部で三基搭載されています。
こちらは二段重ねで高低をつけて設置されています。

こういう主砲の装備の仕方は戦艦と同じですね。 

砲口の蓋には星のマークがあしらわれています。
現在の軍艦が甲板に積んでいるものとこれを比べると、
特にこの三連装の艦砲の仰々しさが何か悲しくすら思えてくるのはなぜでしょう。

「大鑑巨砲主義の亡霊」という言葉すら思わず脳裏をよぎります。 




続く。

 

 



最新の画像もっと見る

4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
203ミリ砲 (Unknown)
2017-07-03 05:54:23
米軍の装備はあまり知りませんでしたが、改めて調べて見ると、第二次世界大戦以前から、米軍の203ミリ砲は55口径(砲身長が口径203ミリの55倍)三連装なんですね。

これに対して、日本軍は50口径二連装。撃ち出される砲弾は撃発して、砲口を飛び出す瞬間まで加速されます。そのため、砲身が長い(大口径)程、初速が早くなり、砲弾の威力が高まりますが、米軍の55口径砲より日本軍の50口径砲の方が初速が早いので、我が国は火薬の製造技術に優れていたのですね。

米軍は三連装3基(合計9門)に対して、我が国は二連装5基(合計10門)砲の数で圧倒しようとしたことが伺えますが、砲塔の下はそのまま弾火薬庫なので、その分、居住区画は圧迫され、居住性は低かったのではないかと思います。それが英国で足柄が「飢えた狼」(やせっぽち)と言われた真意ではないかと思います。

我が国の200ミリ砲弾と203ミリ砲弾を比べると、炸薬量が2.8キロから3.1キロに向上しているので、3ミリ大きくすることで、威力は一割増となります。球の体積は半径の三乗なので、半径をちょっと大きくすれば、体積(=砲弾に詰め込める炸薬量)も三乗で増えることになり、バカには出来ません。

ドイツの特殊潜航艇のwikiを読みました。アマチュア無線はどれだけ遠くの人と交信出来たかを競うので、アンテナを出来るだけ高く上げられるかが勝負です。そのため、折り畳み式のアンテナを積んだ大型SUVでこの場所に集まって、交信するのだと思います。

うちの近所に標高200メートルの山がありますが、山頂近くまで車で乗り入れ出来るので、よくアマチュア無線の人が来ていますが、アンテナは広げると長さ8メートルくらい(クルマよりかなり大きい)のでビックリします。
返信する
わずか3ミリと言うなかれ (お節介船屋)
2017-07-03 18:08:43
佐久間さんが言われています砲術の権威がプログを持たれていますが、詳しいことはそちらを覗かれて下さい。
ただ海人社「世界の艦船」No441日本巡洋艦史、光人社福井静夫著「日本巡洋艦物語」から
日本巡洋艦は排水量から一等、二等と分けていましたが、ワシントン軍縮、ロンドン軍縮条約から大砲で軽、6.1インチ(155ミリ)と重、8インチ(203ミリ)の制限が付されました。
甲型たる一等、面倒なので重巡と呼びますが、6クラス18隻が建造されましたが、当初は20センチ砲、妙高型も20センチでしたが昭和8年以降203ミリに拡大し、高雄型が新造時から203ミリとなりました。
砲身だけでなく、装填装置等も改正しなければなりませんが、なぜ実施するかですがこの3ミリで砲弾重量が1.5割増加します。
威力が全く違ってきますので条約制限一杯としたのです。
200ミリ砲弾が余ったりで非効率ですが、条約で縛った結果でした。
砲の数、発射数、砲弾散布界で被害が決まってきますが、1発の威力は大きいに越したことはないという大艦巨砲主義の時代でした。
返信する
みなさま (エリス中尉)
2017-07-04 03:40:49
お二人が同時にお互いのコメントを読まず全く同じコメントをしてきたのに
思わず笑ってしまいました。

「砲弾の3ミリの差は大きい」「たかが3ミリ、されど3ミリ」
この3ミリの差が大変なものであったことはよくわかりました。
そして防諜のためになぜ隠さなければならなかったかも・・。

アマチュア無線の件、unknownさんの説明でとりあえずそうかーと思いましたが、
じゃなぜこの潜水艦で?という疑問は未だ消えません・・・・。
返信する
UボートXXVIIB型 「ゼーフント」 (お節介船屋)
2020-07-10 14:01:35
英海軍のX艇で戦艦ティルピッツ襲撃で捕獲した同艇を調査、港湾内に侵入して吸着機雷による攻撃を行う2人乗り潜水艇を装備する事として建造されたのがXXVIIA型 「ヘヒト」で船艇中央に魚雷1本を搭載し、電池推進で53隻竣工しましたが浮力不足、運動性能不良、水中行動性能不足から実用性は低かったようです。

ヘヒトの不成績に加え、実戦部隊から港湾襲撃だけでなく、沿岸での雷撃も可能な潜水艇の要望から生まれたのがUボートXXVIIB型 「ゼーフント」でした。

航洋性能改善、艦内容積拡大、浮上航走のためディーゼル機関の搭載等が行われヘヒトと別クラスとなりました。
一定の外洋行動が可能となり、水中運動性も良好であり、実戦に使えるとして1944年7月1,000隻以上の建造が計画され終戦までに285隻が竣工し、沿岸哨戒や輸送任務に使用され35隻が戦没しました。
要目
水中排水量14トン、全長11m、幅1.7m、吃水1.74m、デイーゼル1基、60馬力、電動機1基、12馬力、速力水上7.7kt、水中6kt、航続力水上7ktで300浬、水中3ktで63浬、兵装外装魚雷53.3㎝2本、乗員2名
艦橋ハッチに観測用窓、潜望鏡1本を装備し、両舷下部の外装魚雷装備位置に輸送用コンテナを装備も可能、スクリューはコルト・ノズル式で推進効率向上と浅海域での保護のためでした。

参照文献に1975年ワシントン海軍工廠で展示されている写真が添付されており、潜望鏡がなく、魚雷かコンテナを下部に装備しており違う艇かもしれません。

なお艦番号はU5001からキャンセルがありますが6442まで付与されていました。セイルには2桁または3桁の番号を記していました。
参照海人社「世界の艦船」No926ドイツ潜水艦史
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。