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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

「明日地球が滅びようとも今日君は林檎の木を植える」

2013-02-16 | つれづれなるままに




先日に引き続き、国会に18年ぶりに帰ってきた石原慎太郎議員の質疑から、
少しだけお話しします。

石原議員のいわゆる「爺放談」は話題も多岐に渡り、最後に環境問題へと
その議題を移しました。

その部分を聞き書きしましたのでご覧ください。


最後に首相に政治家の哲学としてご記憶いただきたいんですが、
私は代議士のころ、40年近く前、東京のよみうりホールでね、
ブラックホール見つけたホーキングという天才的な宇宙科学者の講演を聴きました。
彼は筋ジストロフフィーにかかってね、声も出なくてね、
コンピュータを腕で打って人造語で話してましたけど。
彼、この間のロンドンオリンピックでも、パラリンピックでそうやってメッセージを出して、
喝さいを浴びたそうですけど。

その時に、質問を許されて、ある宇宙物理学専門の学者の1人が、
「この宇宙に地球並みの文明をもった星がいくつぐらいあと思うか」と言ったら、
ホーキングは『2ミリオン』と言ったんです。
私は吃驚したんです。
太陽系宇宙だけじゃないですよ。全宇宙でね。
ある人が、手を挙げて
これだけたくさん星があるのに、我々はなぜ
宇宙船とか宇宙人に地球で出会うことがないのか」と聴くと、ホーキングは

『地球並みの文明をもった惑星は非常に自然の循環が悪くなって、
宇宙時間で言う瞬間的に生命が消滅する』と言った。

私は挙手しましてね。
「あなたの言う宇宙時間の瞬間的とは地球時間でどれぐらいか」と言ったらね、
「100年」と言いましたな。

あれからね、40年経っちゃった。
まあ彼の予言が正しければ、あと60年しか地球はね、あなた方は持たないんだ。

人間の欲望は経済で経済の目的は金ですからね。皆かね金かねだけどね。
ヨーロッパの経済がどうとかアメリカがどうとか、言ってますけどね。

過去のG8で環境問題があんまり深刻に討論されたことがないんですね。
G8があった後スポークスマンにメディアが
『環境問題について討論しましたか、進歩がありましたか』と聞いて
「あまりしなかったけど半歩は進みました」というのが三年続きました。
三年で半歩っていうのは、いかにも遅すぎるんですよ。

ある学者によると、北極圏の氷は後何年かで溶けるっていう。
ヒマラヤの氷もどんどん解けてね。
氷河なんかも全部溶けて、わたしがローヌに行った時も見られなかった。
その水はどんどん太平洋に流れてね、赤道直下の島の方に行くんですよ。
ツバルというアメリカが作った人口の飛行場は標高5メートルしかなくて、半分水没している。
田んぼが作れないから彼らは何してるかと言うと、半分腐ったような脂だらけの魚を採ってる。
どんどん健康を害して、年寄りはその日暮らしで朗らかにってのか、皆マリファナ吸ってました。
本当にあれは明るい地獄だとわたしは思った。

こういう事態がどんどん進んで今、あちこちに異常気象がある。
ニューヨークでもハリケーンが来たり豪雪が来たり、ワシントンで雪が降ったり。
日本でもそうですよね。
当然のことながら異常気象ではなく、通常気象だが、
これを阻止するために日本はいろんなことをすべきです。

あなたもこれからG8に行ってどんな主張をされるか知らないけどね、
せめて日本の最高指導者は、世界全体に新しい、正当な危機感を抱かせるために
スピーチしてもらいたいの。

東京は各都市に先んじてC4ってのに入りました。
企業にも責任を持って条例を作ってやらせてますけどね、
こんなものは本当に爪に火を灯すようなものですよ。

昔飲み屋に行ったらね、友人の開高健が書いた色紙があったんですよ。
いい文句でね。

『たとえ明日地球が滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える』。

開高にしてはいい言葉だなと思って調べると、ポーランドの詩人、ゲオルグのね、
この人もマルチン・ルターに非常に影響を受けた詩人ですけどね。

これは私たちの愛する子孫に対する責任のささやかな履行だと思うんですがね。
ぜひ、総理ね、G8でそういう哲学を披露しながらね。
まあ、経済も復興も結構だが、やっぱり私たちの子孫の生命を担保するために、
もうちょっと違う意識をもってね、全体が動かないとダメだぞ、という警告を発してください。


これに対する安倍総理の答弁は以下の通り。

「2007年のハイリゲンダムサミットは私が出席したが、
CO2削減が大きなテーマになりました。
その際、2050年までに排出量を半減をするという大きな目標で一致することができました。
今年開かれるサミットでも当然環境は大きなテーマになると思います。
その際、日本はCO2削減あるいは省エネについては、
高い技術力を持っているから、日本こそリードしていくべきだろうと思っています。
安倍政権としても環境問題極めて重視しています。
だからこそ、石原伸晃議員を環境相に任命したところでありますが、(場内、笑い)
この問題には政府一丸となって取り組むつもりでおります。

(引用終り)



人生を肯定する、というのはわたしのとても好きな言葉です。
この言葉は、以前野中五郎少佐を書いた稿で紹介した、
戦の中、長路野宿の旅の路上で茶を点てた武士がそのわけを問われて曰く

「これもまたそれがしの一日(いちじつ)でござれば」

と答えた話に通じるものがあります。
ホーキング博士は

「今後百年を生きるために我々は慎重に協議しなければならない」
「しかしながら、わたしは楽観的にとらえている。
これからの二世紀に起こる危機を乗り越えることができれば、
我々は宇宙に栄華を拡大することになるだろう」

と語っています。
もしかしたら理論上の滅亡が近いことを知ったうえで、博士は我々に
「それでも今日を肯定する」ことを提言したにすぎないのかもしれませんが、
だとすればこの言葉は「林檎の木を植える」と同義ということになるのでしょうか。

「我欲を捨てて」というのは石原氏が好んで使う言い回しで、
この証言によるとホーキング博士はすでに40年前から
「人類はすでに明日の生存を担保するために我欲を捨てるときに来ている」
と提言していたことになります。

林檎の木を植えるという行為を「明日のために」する。

逆説のようですがその行為を虚しいものにしないために人類が知恵を絞る。
それを主導していける国はほかでもない、日本であると思います。


まあ、そのためには林檎の木より先に、
「あの国」をまず何とかしなければいけない気もしますが。





 



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3 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
ゲオルグについて (柴田昭彦)
2014-09-28 13:26:28
石原氏は「ポーランドの詩人、ゲオルグ」の言葉として紹介していますが、全くの誤解です。この言葉は、ルーマニア生まれでフランスに亡命した詩人・作家のコンスタンチン・ビルジル・ゲオルギウの小説「第二のチャンス」(1952年原著、1953年邦訳・筑摩書房)の巻末に、マルチン・ルターの言葉として紹介されたものです。1944年10月のドイツ・ヘッセン教会の回状にルターの言葉として紹介されたのが初出です。ルターの専門家の徹底した調査により、この言葉はルターの説教集その他のどこにもないことが証明されているので、この言葉は回状の作者の創作と推定できます。ただし、この言葉はルターの思想をよく反映しているので、「ルターの言葉そのものではないが、ルターに帰せられている言葉」という位置づけになっています。石原氏は雑誌「WiLL」2014年10月号の207頁に「ポーランドの詩人ゲオルグ・トラークルの書いた詩の一説」と書いていますが、この言葉は「オーストリアの詩人ゲオルク・トラークル」の「トラークル全集」(青土社)のどこにも見当たりません(全頁調査済み)。ゲオルギウの小説の言葉なので当然です。1944年に初出の言葉が、1914年に亡くなったトラークルの言葉に見つかるはずもありません。この言葉は人生において困難に直面した人々の心の支えになってきたものなので、出典の紹介は正しく紹介してほしいと願うものです。
返信する
柴田さま (エリス中尉)
2014-10-01 15:58:34
貴重なご指摘ありがとうございます。
本稿は国会での石原氏の質疑をそのまま聞き書きしたもので、
内容について検証していませんが、ゲオルグの言葉というのは間違いで
「ゲオルギウが紹介したルターの言葉」であったというわけですね。
わたしもゲオルグで検索してみると、詩人トラークルが一番先に出てきたので思ったのですが、
石原氏はWiLLに寄稿するにあたってこのゲオルグをトラークルと勘違いされたのではないでしょうか。

これを石原氏になんとかお伝えする方法はないでしょうかね。
返信する
ゲオルグの謎について (柴田昭彦)
2014-10-01 21:19:08
石原氏はかなり前からゲオルグ・トラークルの詩と考えていたふしがあります。詳しいことは、私のサイト「ものがたり通信」の「真実を求めて」およびその中の「ゲオルグの謎」において詳しく考察していますので参照いただければ、出典を含めて確認いただけます。石原氏は、2004年10月の「日本よ」で「ゲオルグの詩」、2007年6月の「日本よ」で「東欧の詩人ゲオルグの詩」、「文藝春秋2009年8月号」において「ポーランドの詩人・ゲオルグの言葉」と紹介しています。この紹介は、ゲオルグがゲオルグ・トラークルであるという前提のもとでありつつも曖昧な表現での紹介になっています。それが、明確にされたのは、2009年11月12日の朝日新聞のオピニオン欄のインタビュー記事において、朝日新聞の記者の記事という形で(つまり石原氏自身の執筆記事でないということ)、「オーストリアの詩人ゲオルク・トラークルの言葉」と初めて明確に示されています。新聞記者の言葉であることにこだわるのは、石原氏は、雑誌「WiLL」2014年10月号の207頁において、「ポーランドの詩人のゲオルグ・トラークルの書いた詩の一説」と記していることで区別できます。石原氏は、「オーストリアの詩人ゲオルク・トラークル」を絶対に認めず、自身では必ず「ポーランドの詩人ゲオルグ・トラークル」と「ゲオルグ」へのこだわりも含めて、執筆する方針を貫いてきているからです。これ以外の情報は全く遮断して認めないという姿勢を綱抜いてきているのではないでしょうか。私自身は、石原氏にこの情報(この言葉はC.V.ゲオルギウが小説でルターの言葉として紹介したものだということ)を伝えるために、東京都知事あてに手紙を送ったり、「日本よ」の記事について産経新聞出版あてに手紙を送ったりしましたが、全く、なしのつぶてでした。もっとも、2013年ごろからは、依然として「ポーランドの詩人ゲオルグ」のままとはいえ、ルターの言葉であることについては紹介するようになっているので、石原氏にきちんと伝えることのできる立場の人であれば、受け入れてもらえるのではないかとは思っています。真実であれば、やはり、受け止めてほしいので、実現することを願ってやみません。ご協力いただければ幸いです。
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