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年初め映画タイトルギャラリー その2(おまけ『ゴジラー1.0』を観た)

2024-01-14 | 映画

「潜水艦映画にハズレなし」

というのは、潜水艦映画ファンなら誰でも聞いたことがある至言ですが、
そのリストにどうしてこのイギリス海軍潜水艦映画である

「潜水艦シータイガー」
We Crushed at Dawn : Sea Tiger


が滅多に上がってこないのか、今となっては不思議でなりません。
たまたま当ブログは、ハリウッドの戦時高揚映画、
「潜航決死隊 Crush Dive」を以前取り扱っていたため、後発のアメリカが
「シータイガー」からプロットから小ネタまでパクっていた証拠を掴みました。

ハリウッドというところは、もちろん映画産業を牽引してきたわけですが、
経済規模が大きく商業主義最優先であることから、玉石混交、
このようなあからさまなパクリが多々存在します。

ついでに、最近はポリコレが映画をどんどんつまらなくしていて、
画面越しにLGBTが説教かましてくるような作品にうんざりする人が多数。

低予算の「ゴジラマイナス1.0」のあるべき映画の面白さが注目され、
人々がハリウッドはもう終わり、とSNSで声を挙げるにまで至っています。

もう本当にね・・・ポリコレに準拠する作品を作りたいなら、
最初からそういう人物が登場する映画をゼロから作ればいいの。
過去の名作を「ポリコレウォッシュ」するのはやめて・・。
お願いですから。

「それぞれの人生」

乗組員たちのキャラクターと状況を表すセリフを抜粋してみました。

左上:
ホブソン「どうして家から出たんだ?」
妻「ジム、あなた一度くらいシラフで家に帰ってこれないの?
前回もそうだったでしょう」

頭がよく数か国語ぺらぺらで仕事ができる聴音員のホブスですが、
人を寄せ付けない雰囲気で艦内でも一人浮いています。
酒飲みで家庭もうまく行っておらず、妻の兄は
二人を離婚させようとしているという設定。

右上:
艦長フレディ・テイラー大尉
「セイモア嬢に明日のランチのアポを電話で取ってもらいたいんだ」
「んで火曜だが、ミス・・・えーと、カーターだ。
いやいや、ちょっと待って待って。
えっと、確かミス・デイビスだったかな」

「シー・タイガー」のテイラー艦長は兵学校卒の士官です。
階級社会であるイギリスでは上流階級しか士官になることはできません。

扉絵の四人の士官たちも、特に予備士官であるブレース大尉、
ボランティアリザーブ(英国海軍士官予備軍)のジョンソン中尉は
おそらく大学を出ていると思われます。

テイラー艦長は独身貴族を大いにエンジョイする女性好きのようですが、
そのアポイントメントを全て電話で執事にやらせています。

左下:
ウィルソン主席砲員「わたしゃただお役に立てればと思ってね」
操舵CPOダブス「この四角頭野郎」


二人は「シータイガー」のCPOと兵で上下関係がありますが、
コリガンの結婚式に出席していた女性をどちらもが好きになり、
それを知っているウィルソンは、親切ごかしでダブスに
女性の名前を教えず、のみならず出鱈目の名前を刺青するという悪行ぶり。

仮にも階級が上の軍人にこんなことをして大丈夫なのか?
と心配になりますが、イギリス海軍ではもしかしたら
士官とそれ以外ほど、下士官兵の階級差は大きくないのかもしれません。

「スクェア・ヘッデッド」(四角頭)には、いくつかの意味があり、
イギリスにおけるドイツ系&オランダ系への差別用語でもありますが、
ウィルソンという名前はどちらでもありませんから、
おそらく単純に「馬鹿者」という意味で使っていると思われます。

右下:
砲手コリガンCPO「あー、ちょっと間違いがあったみたいで」
エセル「いいえ、あなた間違ってないわ。もう少しで間違うところだったけど」
コリガン「どういう意味だ、エセル?」

CPOのコリガンという男はマリッジブルーなのかなんなのか、
これまで何度も同僚のCPOダブスの妹エセルとの結婚を、
任務に乗じて先延ばしを繰り返し、今回に至ります。

今回の結婚式の日、ようやく彼が年貢を納める時になったと思ったら、
幸か不幸か「シータイガー」に緊急出動命令が出てしまいます。

これは決して彼のせいでもなんでもないのですが、
度重なるキャンセルにエセルはキレてしまい、

「もう少しであなたと結婚して間違いを犯すところだった」

と彼に三行半を突きつけているのです。


緊急に「シータイガー」に命じられた任務とは、
ドイツ海軍の新造戦艦「ブランデンブルグ」を撃破することでした。

出航のシーンに始まり、潜水艦の航行や停泊しているシーンは
すべて英国海軍の協力のもとに撮影され、エキストラはもちろん、
当時海軍情報部にいた「007」の作者、
イアン・フレミングが艦隊司令役で出演するという見どころがあります。

イアン・フレミング海軍時代

「シータイガー」は「ブランデンブルグ」を追う途中、
避難ブイにいたルフトバッフェのパイロット3名を揚収し、
彼らの会話からホブソンが戦艦の位置を特定しました。

「バック・フロム・ザ・デッド」死からの生還

「ブランデンブルグ」を攻撃する「シータイガー」は、
駆逐艦に追われ、あの「潜水艦死んだふり作戦」を決行。

捕虜にしたドイツ航空士ハンスが機密を漏らそうとした
同僚を殴って殺してしまったので、その遺体を「利用」します。

のちの潜水艦映画には何度となくでてくるこの作戦ですが、
わたしはこの映画が「最古」であるのではないかと今のところ考えています。

映画はここで潜水艦が無事に帰還して終了、というものではなく、
この後彼らがドイツ軍の港がある基地に潜入し、
燃料と物資を奪うためにドンパチやるところまで描かれます。

そして、イギリス中が戦没したと思っていた「シータイガー」のメンバーが、
生きて母国に辿り着き、次の任務まで幸せに暮らすでしょう、
というところで映画は終了します。

潜水艦映画に興味のある方ならずとも、ぜひ鑑賞をお勧めしたい良作です。

■ 「ゴジラ−1.0」


ハリウッド映画の話が出たので、ついでに。
「ゴジラー1.0」を観てきました。

去年の段階で「いいらしいよ」と映画情報を送ってくれて知ったのですが、
その後実際に公開されて、特にアメリカで評価が高く、

「低予算でこんな面白い作品が作れると証明してハリウッドに恥をかかせた」

とまで言われているのでぜひこの目で確かめようと思ったのです。
しかし正直、日本人のわたしにとって、この映画に語られるテーマの一つ、

「敗戦の屈辱とサバイバーズギルトから、自らの命と引き換えに

愛するものたちを救おうとする気持ち」

「からの、自らの命を捨てずに自分の中の戦争を終わらせようとする」

心境の変化というモチーフは、決して真新しいものではなく、
軍批判も日本という国の体質批判も、何回となく
これまでの創作物で試みられてきたものであり、その意味で
海外の人々が言うほど新鮮な切り口とは思えませんでした。

核批判、反戦のメッセージ、それは戦後の日本戦争映画の基本スキームであり、
表現の方法に差はあれど、それは幾度となく繰り返されてきた
「セイム・クリシェ」と呼んでも差し支えない語法で語られます。

(銀座襲撃の後の元海軍軍人を集めたシーンでは、ここだけの話、
その演劇くさいお約束的やりとりについ気恥ずかしささえ覚えたと白状します)

加えて、その中に流れる出演者たちの各々の「戦争のPTSD」は、
これも日本人であればDNAレベルで理解できるものであり、現に

「あなたの戦争は終わったか」

「自分の戦争はまだ終わっていない」

などという言葉を、わたしは確かに他の作品中に聞いた経験があります。

ただしこれは決して批判の意味ではありません。

そこでこの映画の世界での評価の高さについて考えを致すとき、
日本では「お約束」となっていたこれらの表現は、これまでのところ
本作品ほど大々的に世界に対して発せられたことがなかったため、
日本人以外にはむしろ新しいものとして捉えられたのではないかと思います。

戦後70年間、何度も繰り返されたこれらの物語は、
今回の「ゴジラー1.0」にも揺るぎなく取り入れられ、
その全体的な構造が恐ろしいほどシンプルに人々に伝わるのを助けます。

どこの国の人々が、特にアメリカ人が最も嫌う字幕で観ても、
なんの不都合もないくらいストーリーが感覚にすっと入ってくることは、
たとえ作品に何億のお金(そのうちほとんどが宣伝代)をかけ、
どんな精巧なヴァーチャルを作り上げようと、達成できるものではありません。

さて、何人ものアメリカ人の鑑賞者が「泣いた」というこの映画。
アメリカ人はこの映画の何に泣くのか。

少なくとも、わたしが泣いたのは以下のシーンです。

「高雄」登場シーン

ゴジラ対決のため戦勝国から一旦返還された駆逐艦群、
「雪風」「夕風」「響」などが相模湾に集結し横一列で並んで航行するシーン

「震電」飛行シーン

「雪風」と「響」の作戦シーン

民間船集結シーン

敬礼シーン


こうしてみると、ミリシーンばかりだわ(笑)

それから、一緒に観たTOは気付かなかったようですが、
最後の決戦で駆逐艦が搭載している砲弾の説明で、
「46センチ砲」といっているのに気がつきました。

アメリカから「ソ連との緊張があるからゴジラ退治はそっちでやれ」
と放置されたため、日本はあるものでなんとかしようとしたわけですが、
大和型の砲弾も爆雷としてリサイクルしていたということになります。

「今までのゴジラ映画で一番いい」

のみならず、

「これまで観た映画で一番いい」

とまでアメリカ人たちが絶賛しているのを知ると、
すこし微妙な気持ちにはなりますが、純粋にエンタメとして面白い、
という映画の条件の原点を満たしているハリウッド作品が
昨今ではあまりなかったということでもあるのでしょうか。

続く。