ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

笹井中尉のイモ掘りと星一徹のちゃぶ台返しの関係

2011-07-31 | 海軍

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この絵を描いていて気づいたんですが、明子姉ちゃん、身体を反射的に避けてますね。

先日、車で移動中、テレビで「巨人の星」をやっていました。
我が家にはテレビはない!したがってNHKの料金も払っていない!
と胸を張って言ったことがあるのですが、よく考えると、あったんですねー。
車の中に。
勿論運転者は見られませんが、前部座席のヘッドレストに右左一つづつ、
小さいモニターが埋め込んであるのです。
そう、国際線エコノミーの映画モニターみたいな感じですね。

これは、ディーラーのナカガワさん渾身の特別仕様。
長距離ドライブのときDVDを観るためにだけつけてもらいました、
ですから「地デジも観られますから!」ってナカガワさん、胸を張っておっしゃったときには
ちでぢって何それ」状態だったんですけどね、わたしの地デジに対する認識は。

そこで力いっぱい余談ですが、わたしは断言します。
何デジになろうがテレビは観ない!とくにNHKは観ない!
管総理の北朝鮮献金問題をニュースにせず、韓流の捏造押し付け、君が代を流さず
国際試合の表彰式も流さない、反日の放送などだれが観るかってんだ。
NHKがカーテレビに課金するなら明日にでも配線切ってやる。どうせ観てないし。

という固い意志の下に、いつもは決してみないTV。
このときはDVDの切り替えの時に

♪「重い~コンダーラー 試練のみーちーをー 」

と流れてきたので「お」と切り替えをストップ。
リアルでは観たことはないものの、これはまぎれもなくあの名作巨人の星。
嫌がる息子に無理やり視聴させました。
(フジ、TBS、NHKの皆さん、視聴率が欲しければ古いアニメ再放送なんていかが?
きっと誰にも批判されないわよん)

以下親子の車中での会話。
「なにこいつー、かっこわるー」
「それはこの世界では超イケメンってことになってる花形満さん」
「なんでこのヒトさっさと投げないのー」
「投げるのに30分(CM込みで)かかるときもあるらしいから今日のはましな方」
「うっわーこの女の人ブサイクー、なんでガソリンスタンドで働いてるの」
「明子さんは世間から身を隠すためにあえてそういうところで働いてるの。
でもこのあとイケメンでお金持ちの花形さんと結婚してダイヤの指輪はめる身分になるから」

(今にして思えばオタクだった父の趣味で、実家にはこの川崎のぼるやちばてつや、手塚治虫、
白土三平つげ義春なんかが全巻揃っており、わたしはそれを読んで育ったんですよね・・・。
キャンディキャンディやベルばらじゃなくて。ちなみに実家に帰ればまだあります)

本題です。

集団社会心理学に「星一徹のちゃぶ台返し」という、サブリミナル効果についての
ある確立した学説があるのをご存知ですか?

昭和40年代の代表的アニメ、「巨人の星」で、星飛雄馬の父一徹は、
この画像のようにしょっちゅう「キレて」はちゃぶ台をひっくり返すオヤジである、
といつの間にか社会は認知し、
「ちゃぶ台返し」=「星一徹のように」
という認識が世に膾炙していました。

しかし、ある時、ある学者がこの点について調べたところによると、
星一徹がちゃぶ台をひっくり返したことは一度もなかったのです。
本日画像のように、息子を張り倒したときと、あと一回、はずみでひっくり返したことはあっても、
ちゃぶ台の縁をつかんで「えいやあ!」とひっくり返したことは一度も無いのだと。

世間はなぜ、このようなイメージで彼を認識するのかー。
研究者は、この難題に取り組み、ある日、このような仮説を導き出しました。

「テレビ番組のエンドタイトル・ロールに、毎回本日画像が流れているので、
これを見た人々の中に、
『放映で毎回観る映像』→『しょっちゅうやっているイメージ』→『ちゃぶ台つかんでえいやあ』
が刷り込まれてしまった」
というものです。

いかがでしょうか。
ちなみに、上記の文章には、一部激しい脚色があることをお断りしておきます。

 

そして、本日の本題中の本題である「笹井醇一中尉のイモ掘り」についてです。

笹井中尉が昭和17年、ラバウルで「イモ掘り」と海軍用語でいうところの
酔ってする器物損壊行為を目撃されたのは、報道カメラマン、吉田一氏によってです。
この吉田氏描くところの笹井中尉イモ掘りの状況―。

「そのとき、部屋の奥で、いきなり、ものの壊れる激しい音がした。
山下大尉が、機敏に立ち上がると、部屋を飛び出していった。
だが、物を投げ出す音や打ち破る音は、すぐには止まなかった。
しばらくすると、手荒く酔った笹井中尉を、山下大尉がなだめながら連れてきた」

これが、吉田証言による、最初のその情景です。

文中の「手荒く」という言葉にご注目ください。
これはこのころの海軍の間での「酷く」を言い表わす流行り言葉です。
吉田氏も当時海軍に従軍していましたのでこのように海軍用語を日常的に使っていたようです。

さて、この光景をたまたま目撃した吉田氏が戦後、本「サムライ零戦記者」を書いたため、
本家「大空のサムライ」を書いた下士官の坂井さんも知らなかった(報道班員は士官と同じ待遇)
このような笹井中尉の一面が書き遺されてしまいました。

しかし、後にも先にもこの一度しか「イモ掘り」は目撃されていないのです。

戦後、光人社の名編集者、「大空のサムライ」も手がけた高城肇氏は、
笹井中尉を始めとする搭乗員遺族のインタビューと、遺された手紙などから
「非情の空」という戦記小説を書きました。
ノンフィクション、ではありません。あくまでも実在の人物をモデルにした「戦記小説」です。

これは「台南航空隊撃墜王物語」という副題の通り、
「台南空の五人」を軸に、史実を織り交ぜて描かれています。
先日「時には昔の話を~台南空の五人」という項で、
高城氏は高塚飛曹長の言ったこと創作したのではないか、と書いたのを覚えておられるでしょうか。
高城氏はこの著書で史実を正確に伝えようとしたのではなく、
あくまでも、情報を自分の解釈で色づけした「小説」を書いているのです。

なぜか。理由は一つです。
「その方が面白いから」

例えば、このイモ掘りについて、高城氏は、端々に自分の解釈による言葉を付け足しています。
吉田表現の「物の壊れる音がした」の後には、こんな風に。

「やったな!」という風に一瞬、皆が顔を見合わせたとき

これは、ちょっとした表現ですが、
「皆はしょっちゅう笹井中尉がこのようにしているのをこれまで目撃しており、
『またやったな』ということをお互い眼で確認し合った」
という印象操作されてしまう文章です。

そしてさらに、決定的な表現として

この当時の笹井中尉は、酒を飲むとすさんで<イモ掘り>をすることが度々あり、
酔後に悔いを残すのであったが、周囲の者たちは、何故か中尉のこの乱行を責めなかった。
(中略)
笹井中尉自身は、自分がなぜそう荒びるのか、明確には理解できていなかったらしい。

と、大胆にも言いきってしまっているのです。
たった一回の目撃証言をもとに、その心情にまで筆を進め、脚色、水増ししたといっていいでしょう。

繰り返しますが、これは小説、です。

この高城表現によって、すっかり星一徹と同じように「笹井中尉はしょっちゅうイモ掘りをやっていた」
という刷り込みをさせられてしまい、さらにそれを伝承するライターも現れます。

森史郎氏の「攻防」には、このイモ掘りについてこのように表現されています。

笹井醇一中尉の「イモ掘り」が始まったのだ。

いかがでしょうか。
初めて起こることを人はこのように表現をしません。あくまでも
またいつものイモ掘りが始まったのだ」
と読みとれる表現であることにご注目ください。

つまり、笹井中尉の名誉のために言うと、このときのように「手荒く」イモ掘りしたのは、
たった一回のことだったかもしれない(もちろん、でなかったかもしれませんが)、
たまたま吉田氏に現場を見られてしまい、おまけに本に書かれてしまったがために、
こうやっていつの間にか回数まで創作されてしまった、という可能性が大だということです。


星一徹の名誉を学者が回復したように、ここでエリス中尉がこの仮説をここに発表したいと思います。

 

・・・・・・・ところで。
「思いコンダラ」の曲調って、今聴くと軍歌そのものだと思いませんか。