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パチンコ・マーチ

2011-03-11 | 海軍

瀬戸口藤吉自筆の行進曲軍艦スコアです。
タイトルは「Gunkan march」、そう、軍艦マーチですね。
あらためてそうか、と思うのですが、これは通称ではなく「英語タイトル」であるわけです。


軍艦マーチ、行進曲軍艦がパチンコ屋のテーマソングになり、
どこの店の前を通りかかってもこの曲が聞こえるようになったのは朝鮮戦争のころ、と言われています。
最近でこそそういうことも無いようですが、一定の年齢層以上はそういうもの、と思っていた時期もあるようです。


このパチンコ=軍艦マーチについては、インターネットの「嫌韓派」に言わせると
「半島出身者の民族ビジネスであるところのパチンコ屋で、
ああやってテーマソングのように使うことで揶揄し、バカにしているのだ」
ということになります。


そうだったのでしょうか。

元海軍兵学校卒の方が
「戦後、昔の軍関係のものが、何でも追放された時代、パチンコ屋だけは軍艦マーチを堂々と放送していました。
今でもそうです。(1997年当時)
しかも、この種のものは一番嫌うと云われる半島人の経営するところでもです」

などと書いておられます。
この方は
「やっぱりこれが本当にいいものだからだ」
といいように解釈されています。


果たして、パチンコ屋と軍艦マーチ(今日はこう呼称します)との真実の関係とは?



1997年、横須賀の三笠公園内に行進曲軍艦の碑が建立されました。
紆余曲折を経て建てられたこの碑の完成に寄せて、軍艦に関するあらゆるうんちくを語り、
あるいはその大変だった(文字通りの難産だったそうです)建立までのいきさつなどを記した記念小冊子に、
パチンコ屋とこの軍艦マーチのかかわりについて何人かが書いています。
その中から真実に近いのではないかと思われる記述を抜粋してみます。


昭和20年―。
この名曲も敗戦によって表舞台から姿を消しました。
東京の日比谷公園には行進曲軍艦の碑がありましたが、GHQの指導によって破棄の憂き目にあいます。

ところが、ある日、有楽町のガード下にあったパチンコ屋から高らかに軍艦マーチが鳴り響きました。
昭和26年のことです。
この「メトロ」という名のパチンコ屋は、拡声器を通りに向け、軍艦マーチを華々しく賭け、人々を驚かせます。

この「快挙」が、決して半島人の「旧日本軍揶揄」でなかったというのは
オーナーの田中友治氏が海軍航空隊出身だったことからも明らかでしょう。

揶揄どころか、田中氏がこの放送に踏み切ったきっかけは次のようなものです。

海軍出身の田中氏の店に現れ、占領者の余裕を見せて笑い遊びに興じるかつての敵国兵。
その腕には例外なくパンパンと呼ばれる街娼がぶら下がっていました。
こんな光景を見なければいけない敗戦国のみじめさ・・・・・。

「こんちくしょう」
とばかり田中氏は腹いせに思いっきり軍艦マーチをかけてやったのです。

「朝から晩までぶっ通しでかけました。うちの前の都庁の職員が喜んじゃって。
第一、あの曲は実に調子がいい。
店は超満員、三年の間に十軒も店を増やしたくらいです」

なるほど、精神的に快哉を叫ぶような気持もあったでしょうが、何と言っても
この曲の自然と精神を高揚させるというマーチならではの作用ゆえ、ぴったりとテーマソングとしてはまったのでした。

このメトロの「軍艦マーチ大進撃」に、他の業者が―それが半島出身者であっても―
あやかろうと倣ったことは間違いないでしょう。


ところで、この頃GHQの本部はご存知のようにお堀端の第一生命ビルにありました。
有楽町とはまさに目と鼻の先です。
しかし、さっそく飛んできたのはGHQ御本尊ではなく日本の警察でした。

まあ、この辺りが実に日本人らしいという気がします。
理由心情はどうあれ、現在の為政者のご機嫌を損ねることになっては治安が保たれぬ、
といったところでしょうか。

ところが肝心のGHQはあっさり「別に構わない」と許可したというのです。
鷹揚だったという言い方もできますし、(例によって深読みすると)たとえば
天皇を糾弾せず、日本国民を反感を持たせることなく統治するということに心を砕いていた占領軍は、
たとえそれが海軍のものであっても音楽を禁止する、などということの積み重ねで
民衆の心に澱のように蓄積していく不満の種になるようなことは避けるという方針だったのかもしれません。

そもそも、この軍艦マーチは敵国にも有名でした。
「最後の軍艦マーチ」という稿で、トラック島の第四艦隊附き軍楽隊の演奏した軍艦行進曲に、
米軍の指令部のみんなが思わず行進を始めたという話を書きましたが、こういうことには文明国であるアメリカは
一貫して理解があります。
アメリカ人の美点のひとつと言ってもいいかもしれません。



血沸き肉躍る、という言葉がありますが、この曲を聴くと、まさに身体の中で何かが動き出すような感動があります。
思想や信条、戦争や平和や、そういったものと何の関係も無く、この曲が名曲で有り続けている理由は、
言葉や理論では説明できないこの曲の珠のような完璧さです。

少なくとも最近、パチンコ屋の前を通ってこの曲が聞こえてくる、というようなことを経験したことがありません。
しかし、我が家に引いている有線放送には、軍艦マーチだけを繰り返しやっているチャンネルというのがあるのです。


日本のどこかでいまだにこの曲を一日流しつづけているパチンコ屋があるということなのでしょうか。