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THE SOLIST~路上のチェリスト

2010-12-28 | 映画
統合失調症(精神分裂病)
内因性精神病と言われるものに属し、慢性の経過をたどることが多い病気。
原因は遺伝子や胎生期から生後の環境因子も含めて、多くの因子が複雑に絡み合って病気が形成されると考えられている。
症状は幻聴(自分の噂話が聞こえる)被害妄想(悪口を言われている、狙われているなど)関係妄想(テレビで自分のことを言っているなど)独り言、空笑、まとまらない行動などに表れる。




芸術家が統合失調症であったという例は数多く見られます。

有名なのは夏目漱石。
かれは胃病も患っていましたが、胃病が根本の原因ではないかと思われる統合失調症だったとみられ、たとえば小説の中に見られる
「人々が家の前を通り過ぎながら悪口を言っている」
などというのは典型的なその病状と言われています。
「ぼんやりした不安」という言葉を残して自殺した芥川龍之介は母親が出産後やはり精神分裂症を発病し、その影響もあったのでしょうか、ドッペルゲンガ―を見ることもあったそうです。
画家ではヴァン・ゴッホやエドアルト・ムンク。
どちらの絵にもその傾向が顕著に表れているそうです。


音楽家においても、シューマンが統合失調症が原因とみられる自殺を図ったのは有名ですし、チャイコフスキーも家庭の不和に悩んでいたとはいえ、精神を病んだ結果冬のネヴァ河に入水自殺を図ったりしています。

しかし、演奏家、特にクラシック音楽家でこの病気であったという実例はあまり報告されていません。



この映画は実話で、ロスアンジェルスタイムスの記者ロペス(ロバート・ダウニー・Jr.)が路上でたった2本しか弦の無いヴァイオリンを弾きこなすホームレスに興味を引かれ、彼がふと漏らした
「ジュリアード音楽院にいた」
という一言をきっかけに、ナサニエルというホームレスに深くかかわっていったという手記を元にしています。

記者ロペスは、彼を惹きつけたヴァイオリンではなく、ナサニエルの専攻がチェロであったことにさらに驚き、コラムにそのことを書きます。
それを読んだ篤志家の読者から使っていないチェロが届き、ナサニエルは震える手でケースを開け恍惚として路上でチェロを弾きます。(本日画像)


ジャーナリストとして彼に近づいたロペスが、その才能をもう一度陽のあたるところに引き出してやりたいと願うようになるのに時間はかかりませんでした。

シェルターに通わせ、小さなアパートを借りてやり、プロのレッスンを受けさせ・・・。


ナサニエルがジュリアードを中退して路上生活に入った原因は、統合失調症でした。
演奏中に人の声が聞こえ、音楽をしているとあたかも色聴(音を聞くと色が見えるという精神作用)のように映像が浮かぶ。
時としてそれは彼に強迫観念を与え、まともな社会生活さえ困難にするのです。
彼はその原因ともなる音楽から逃れんがための路上生活に甘んじていたのでした。


しかし、チェロを与え、生活を変えようとするロペスに「愛情」を感じるに至り、ナサニエルは手を引かれるように、チェロをまた始めます。
何かに怯えて、尻込みするように、少しずつ・・・・。



ここで、映画を見ている人は思うのでしょう。
この後「映画のように」ナサニエルが人々の前で素晴らしい演奏をし、世間は埋もれていた才能に驚き、友情が生んだ美しいサクセスストーリーはハッピーエンドを迎えると。


思い出していただきたいのですが、これは実話です。


胸のすくカタルシスや感動的なエンディングは、普通の実話には起こりにくいものなのです。
この映画に「オチ」「ネタバレ」はないと思っているので、結論から言うと、ロペスが企画したナサニエルのリサイタルは、ナサニエルの精神的崩壊によって失敗に終わります。

そもそもかれがジュリアードをやめた原因は妄想に返事してしまうような失調症の症状が、授業についていくことを不可能にしたからでした。



冒頭にあげた、統合失調症の有名人の中にクラシックの演奏家がいない、ということを今一度思い返していただきたいのです。

音楽という芸術、なかでも演奏という芸術が、人々の前に自分の姿をさらし、ある一定の決められた時間、さらに決められた楽譜に忠実にそのうえで自分を表現するという種類のものである限り、そして、時には一つの音楽を奏でる一員としてお互いの呼吸を聴きあうというものである限り、それは最小の社会生活の中で行われるといってよく、したがって統合失調症という病気の特性はそれを酷く困難にすると断じざるを得ないのです。



あっと驚く演奏によってナサニエルが路上のソリストから一転して表舞台にのし上がるというような「映画のような」結末は、此処にはありません。

映画の最後に至ってもナサニエルは「未だ精神状態は不安定」。
路上ではなく、鍵のついた部屋で暮らすようになり、少しずつ、ほんの少しずつですが音楽を演奏するに足る段階に進みつつある、
というところで話は終わります。

ロペスの言うところの「ナサニエルの見せた勇気」は、医学的に言うところの
「友情が脳を活性化させ」た最も大きな効果であったのかもしれませんが・・・。


ロペスと並んで幸せそうにオーケストラの奏でる音楽に身を委ねるナサニエルの姿を見ると、
「彼の選んだ道は彼自身にしか修正できない」
と思わざるを得ません。

彼にとって何が幸せかは彼にしかわからないのです。


路上で与えられたチェロをナサニエルが汚れた指で弾くシーンでは音楽に乗って数羽のハトがロスアンジェルスの街を飛翔します。

整然と車の並んだ巨大な駐車場の上を、幾何学的なフリーウェイのジャクションの上を。


映画のような結末は待っていなくても、
ナサニエルの魂が音楽によってこの羽ばたく瞬間だけで
この映画を観る喜びは全て達せられると言っていいかもしれません。


そして、シェルターに静かに集う孤独なホームレスたちの踊る姿にベートーヴェンの「エロイカ」が調和していることに、映画を観終わる頃には何の不思議も感じなくなっていました。