ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

酔うイング

2010-12-17 | 海軍


時化に襲われたときの豪華客船の監視ビデオ映像を見たことがあります。
カメラは定点ですから、ただまっすぐな床を、そこにいる人や家具が行ったり来たりしているだけに見えるのですが、被せている音楽は

「セイリング」ロッド・スチュアート(T_T)

見ている方は笑っていられますが、テーブルや椅子とともにあっちへ滑りこっちへ滑りしている人の中には柱に激突している人もあり、さぞ怖ろしかっただろうなあと思わされます。
この映像はダイニングとともに地下の荷捌き場のものもあるのですが、スチールのロッカーや小型リフトまでぶっ飛んでおり、物凄いことになっています。
これは豪華客船のものでしたが、料金は半額返還になったということです。


さて、エリス中尉が中学生のとき、市内の各校から四、五人が選出されて
「少年の船」という大型船に乗り込み、瀬戸内海を周遊して大島や小豆島、四国松山に立ち寄るという企画がありました。
当時一年生ながら学校代表選手として選ばれるという光栄に浴したわけですが、船上生活でも色々な学習が行われ、その一環で特にフネというものに対するレクチャーを色々と受けました。
操舵の知識、海の交通に関する知識、ロープの結び方など、今にして思えば貴重な経験だったわけですが、その中に

「ローリング、ピッチング、ヨーイング」

という船の揺れ方についての講義があったことを思い出しました。
少し説明しますと
ピッチング pitching というのは縦揺れ、
ローリング rolling というのは横揺れ、
ヨーイング yawing というのは水平面での左右揺れ。


さらに、小型船においては
ヒーヴィング heaving 上下動 

も起こります。
「男たちの大和」
で、鈴木京香扮する内田二曹兵曹の養女が大和沈没地点に行くまでに激しく酔っていましたが、あの小型船でほとんど座る場所もない状態のまま八時間(でしたっけ)というのは現実に可能なんでしょうか。

時化るとフネはピッチングが激しくなった
パンチング punching というのが起こります。 
これは船首が波に叩き付けられることをいいますが、その直前の
フォーリング falling 急速落下
とあいまって、大抵の「陸の人」はここでダウンしてしまうのです。


エリス中尉が乗り込んだ艦船(ちょっと言ってみただけです。本当は遊覧船みたいなもの)は、波の穏やかな瀬戸内海を航行していたわけで、海軍的には微動だにしないレベルの航海を終えたのですが、それでも「上陸」したあと丸一日「地面が揺れている」ような気がしました。

人間の平衡感覚というのは実に環境に左右されるものですが、船酔いの原因は内耳の前庭・半規管への過度の加速度刺激の反復により、過剰刺激が自律神経障害をおこすためと考えられています。
面白いのは、加速度刺激が常に一定であれば酔いは起こらないらしいのです。 
一定のリズムのなかに異なる揺れが混じると酔いを生じるそうです。



ここで医学的に酔いの症状を解説。


「読んでいて気持ちが悪くなる」
と言った、敏感すぎる方がいないとも限らないのであくまでも医学的に。

 乗り物酔いの兆候の最初におこるのは顔面蒼白です。
これに引き続いて悪心(吐き気)が起こります。
吐き気 nausea はギリシャ語の naus から来ています。 naus とは船のことなのです。 
吐き気に引き続き嘔吐が起こる場合とそこまで行かない場合があります。 
また冷汗はよく見られます。
胃運動の低下、次いで二次的な胃の拡張、十二指腸および腹筋の収縮による嘔吐がもたらされます。
唾液の分泌が増えたりもします。 
また呼吸換気量の増加、あくびの頻発、脈拍数の増加あるいは減少、血圧の増加あるいは低下などが見られます。




しかし、人間の身体とは何て素晴らしいんでしょう。
このような状態を「胃液も出ない」ほど繰り返していると、次第に慣れてしまうのです。

ですから、たとえば海軍士官ですと、練習艦隊などのときに時化ると、不慣れな少尉候補生はほとんどが「オスタップを抱きかかえっぱなし」状態ですが、航海が終わるころには(グロッキーですが)酔わなくなってくるのだそうです。



豊田穣氏の「海の紋章」では、練習艦隊のときに総員討ち死にに近い船酔いについて微に入り細に入り解説があります。

「微と細」は省略しますが、艦長始め上官はこの
「慣れればなんともなくなる」
ということを知りぬいているので、穏やかな航海が続いたりすると

「カームだね」
と艦橋の鍋島副長は物足りそうであった。
「そうですな、折角候補生が揃っているというのに・・・・。
このへんが一番シケるところですがね」
長井副長も残念そうであった。



練習艦隊では艦長会食と言って、候補生が班(約一四名ずつ)ごとに艦長と一緒にフルコースの食事を取るという行事がありました。
候補生の向かいには、艦長、副長、航海長、そして指導官が座り、オードブルに始まりメイン三皿のケーキ、フルーツに至るコースを懇談しつついただくというのですが、

艦の後部は、特に揺れが激しいようで、舷窓の外の水平線が、四十五度以上傾いたかと思うと、突然、上方に投げ上げられ、不意に消滅したりした。
(中略)
すると艦長が不思議なことを言った。
「今日の候補生は、少食だね」
「そうですな。海もわりに静かですがね」


艦長も副長も、よく言えば暖かく、実は半ば面白がって見ていた節があります。

この練習艦隊では酔いに強いものとそうでない者がくっきりと分かれ、秀才でクラスヘッドの級友が誰よりも船酔いに苦しんでいるのを見て
「なぜか妙に安心した」
などという感慨を豊田氏は持ったりしたもののようです。

指導官は必ずと言っていいほど候補生に
「ピッチング、ローリング、ヨーイング」
の説明のときに
「酔っちゃうからヨーイング」
というギャグを飛ばしたそうですが、それにウケる候補生はわずかで、ほとんどはどんよりとした顔でそれを聞いていたということです。


気持ちはわかる。
こんなときにおやぢギャグ飛ばすなよ笑う元気もねーよ、って感じでしょうか。


とにかく海軍軍人であれば誰もが通る道、このような試練を経て「潮気のついた船乗り」になっていくわけですが、このような艦隊練習なく飛行機乗りになった予備士官の皆さんなどは、移動でフネに乗り込むときに大変な思いをしたようです。

ある軍港の薬屋に、海軍士官がぞろぞろ現れました。
「酔い止めの薬ください」
「あなたたち海軍さんでしょう」
おばさんが驚いて聞くと

「我々は飛行機乗りなので船酔いには弱いのです」



さて、冒頭マンガは以前いただいたコメントにあった

「船室に特別仕立ての特大ベッドを作らせた中国人船長が時化に遭うの図」

それではBGMスタート。

I am rolling,
I am pitching home again 'cross the sea.
I am yawing stormy waters,
to be near you,
to be free.

I am punching,
I am heaving home again 'cross the sea.
I am falling stormy waters,
to be near you,
to be free.




参考:海の紋章 艦爆飛行隊奮戦記 豊田穣 集英社文庫
   家庭医学大全科 法研