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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

明治村~文明開化のお味

2012-02-28 | つれづれなるままに

      

昔、我が連れ合いであるところのTOが小学校の修学旅行でここに来たとき、
この「大井肉店」の前を通り、
「いいなあ、牛鍋。いつか大人になったら、これを食べてみたい」
と思ったそうです。

かく言うわたしは、結構な大人になってからも一度ここに来ていますが、
その時、この牛鍋の「お値段」を見て
「こんな高いすき焼きを食べる人がいるのね・・・」
大人になったら、というより、いつかこれくらいお金を払えるようになったら、食べてみたい、
という風に思いました。

以来幾星霜、このような二人が出会い、結婚し所帯を持ち、一人の生命体を生み出して、
再び同じ場所に訪れたわけです。

もう、これは食べるしかないでしょう。牛鍋。いざ。



この建物は、1863年、神戸開港に合わせて、居留地に建てられました。
そう、前日までいた、あの神戸居留地です。
当時も一階で牛肉販売、二階で牛鍋を供する店でした。
美しいレースのような飾りがついたこの建築物は、当時すでに神戸に点在していた
外国人の商館や住宅を模して造られた「最新のデザイン」。

今、一階にはショウケースの中に肉の蝋見本があり、購入も同じようにすることができます。
二階で牛鍋を食べたい人は、階下のインターフォンを鳴らして、二階に上がって行きます。


横浜で最初に牛鍋屋がオープンしたのが1862年のこと。
この神戸の店は、流行りを読むに敏な大井肉店の店主が、最初の牛鍋店オープンの
一年後に作ったということになります。
何しろ当時は今と違って、流行り全国に伝播するのにも時間がかかった頃ですから、
一年というのは「先取り」と言ってもいい時期だったのではないでしょうか。

最初の頃の牛鍋は「肉が固くて、お世辞にも美味しいと言えない状態」であったと、
うちにあった「漫画日本の歴史」には書いてありました。
「うまいうまい」と口では言いつつ内心、

「流行ってるからには美味いんだろうが、オレ的には正直そうでもないんだよな。
でも、この味が判らないなんて、恥ずかしくって言えない」

などとみな思っていたようです。
何しろトレンドは「文明開化」ですからね。


1871年に書かれた仮名垣魯文の「安愚楽鍋」には、
「士農工商老若男女賢愚貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴」
とあります。
つまり
「文明開化真っ盛りのいまどき、牛鍋を食べないなんて、遅れてるぅー」
と言いきってるわけですね。

全てに魔改良を加える日本人のこと。
ことに食べ物の工夫に関しては、それはあっという間であったらしく、
「これ不味いんじゃね?」という正直な言葉を誰かが言いだす前に、
牛鍋はすっかり「誰が食べても美味しいもの」に変化していたようですね。




お昼の時間を大幅に過ぎていたわけでもないのですが、何しろ平日のため、
客は私達だけ。
いこっていた炭をあらためて熾すところから支度が始まりました。

 

コースは松5000円、竹4000円。
さすがにこの値段では若い女の子など、気軽に入れませんね。
今日は竹しかございません、ということで、竹二人前+肉追加で行くことにしました。
(松があったらTOがここぞと頼んでいたかもしれないので、ご予算的によかったかも)

小さいお膳を人数で囲むのですが、正座ができないので小さいスツールのようないすを
お尻の下に敷いて、キャンプファイアーのように座りました。



仲居さんに最初をやっていただくのですが、なんと!
最初に白砂糖をお鍋に敷き詰めてしまいました。



そして、明治村秘伝のわりしたを投入後、肉を焼いて行きます。
お店の方によると、これが「関西風」であるとのこと。
そういえば我が家のすき焼きの作り方は、ほぼこの通りだったように思います。
鍋に砂糖を入れることはせず、最初に牛脂で鍋に油を敷いていましたが、
ここのやり方は「肉の脂が多いので、油は敷かない」とのことです。



仲居さんは、如才なく店の歴史などの説明をしながら手際良く肉を焼いてくれました。
普段牛肉のあまり好きでない我が家の面々(特に息子)ですが、牛肉の美味しさと言うより、
わりしたの甘辛さでご飯がすすんだ、って感じです。
このわりしたは「秘伝のたれで門外不出」。
よく聞かれるのですが、決して売ったりはしないで、全国でここでだけ味わうことができるのだ
と仲居さんは胸を張っておっしゃっていました。

しかしTOは後で一言、
「関西風にしては辛くなかった?」
まあ、関西と言っても京都と神戸はだいぶ違うんですよね。
このお店ももともと「外国人相手に肉を売る店」であったそうですから、
どちらかというと「外国風」=「こってり」という解釈で味付けをしたのかもしれません。

ところで。

我々はこの日、昔の「夢」を叶えることができたわけですが、息子は初めての明治村で、
「いつか大きくなったら」「いつかもう少しお金が使えるようになったら」
という人生の「いつになるかわからないけど叶えたい目標」を持つこともなく、
なんとなくいきなり牛鍋を食べて終わってしまったわけです。

どんなつまらないことでもいいから「いつかは・・・」という先の目標があった方が、
それが叶ったときの嬉しさが、人生をよりオトクにしてくれる気がするんですよね。

息子は、いつかここで牛鍋を食べることがあっても、懐かしさを感じるくらいで、
おそらく今日の我々のような感慨は持たないでしょう。
日頃の「何かと与えすぎる罪」についても、心の中で軽く反省した次第です。




その昔はこの窓から神戸港に行き交う船が望めたのであろう窓。
もしかしたら連合艦隊の艦船が見えたこともあるかもしれません。












明治村に行った

2012-02-26 | つれづれなるままに

明治村に今まで一度も行ったことがない、という人にあったことがありません。
TOなどは学校の修学旅行で来たそうですし、わたしも小さい頃二回、大人になってから一回、
という具合に、ディズニーランドレベルの頻度で日本人が訪れる施設と言えましょう。

ただし東北北海道、九州の人にこれを聞いたわけではありませんので念のため。

時間を置いてまた訪れると、そのたびに発見がある。
常にその姿を変えていっているので、来るたびに新しいものがある。
子供の時に訪れた人が、自分の子供に見せるために連れてくる。

まさにディズニーランドのようなリピーター心理が、明治村リピーターにもあるわけです。
歳を経て、価値観が変われば、同じものを観ても違う感慨を持つ、というあたりも同じ。

今回はどんな姿を見せてくれるのか、明治村。いざ。

車を停めたので、正門ではなく、駐車場直結の北入り口から入村?。
平日だったので車も十数台しか停まっていませんでした。




園内を走る蒸気機関車があったはずなのですが、動いていません。
予算の関係なのだったら、さみしいですね。
 

背ばっかり伸びてもまだ反抗期の息子。
「明治村なんぞ興味ねえ!早くホテルに帰ってコンピュータしたい!」
と車の中でブーたれるので、
「明治村ってさー、フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルがあるんだけどなー」
「え?」
目の色が変わる息子。
かれは今、建物をバーチャル世界に建築するコンピュータゲーム「マインクラフト」に夢中。
相変わらず世界のどこにいるのかわからない「友達」と一緒に、
何がおかしいのかげらげら笑いながら、「ビョードーイン」などを作ったりしています。

フランク・ロイド・ライトは昔からそんな彼にとって「クールな建築家」の代名詞。
「OK!帝国ホテル見たらすぐ帰ろうぜ!」

北口から入ったら最初に帝国ホテルがあるんだから、そういうわけにもいくまいよ。



どこかの学校の遠足があり、ホテル内とこの前の広場には息子と同じ年らしい小学生が
子供らしくきゃあきゃあと走り回っていました。
 

昔、皇居のお堀端にあったパレスホテルの宣伝文句は
「宮様も外人もお泊りになったホテル」
でした。
宮様はともかく、外人がお泊りになったくらいのことが宣伝になるのなら、
マリリンモンローやチャップリンもお泊りになったこの帝国ホテルはどうなるのでしょうか。

後に公民権運動活動家になった、ハーバード大学初の黒人博士号取得者、
ウィリアム・デュボワ
は、1936年、まさにこのフロントで忘れ得ぬ体験をしています。
(Deboisという綴りなので、フランスから入植したアフリカ系の末裔と思われます。
日本で時々見る『デュボイス』という読み方は間違いであると判断し、デュボワと称します)

彼がチェックアウトの支払いをしていると、白人のアメリカ女性が
当然のように割り込んできました。
アメリカのホテルであれば彼女は優先されたのでしょうが、
このホテルマンは、そちらを見向きもせずにデュボワへの対応を続けたのです。
勘定がすべて終わると、彼に向って深々とお辞儀をしてから、
初めてその厚かましい女性の方を向いたのでした。

いたくこれに感動したデュボアは、帰国してからこの出来事を新聞に寄稿しています。

母国アメリカでは決して歓迎されることのない一個人を、
日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。
日本人は、 われわれ1200万人のアメリカ黒人が
「同じ有色人種で あり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」ことを、
心から理解してくれているのだ。

アメリカ黒人の、日本人に対する「被差別人種同士の同朋意識」についてはまた書くことも
あろうかと思いますが、とにかく、その出来事が起こった、そのフロントが、まさにこれです。

超余談ですが、今現在、帝国ホテルにはデュボワという審美歯科があります。
関係あるのかな。



このデザイン、部屋に欲しい!
「フランク・ロイド・ライトのライト」と、フランク・ロイド・ライト本人。



帝国ホテルを出て、いきなりおやつ休憩に入る我が家の面々。
だって、「コロッケー」が美味しそうだったんですもの・・・。
息子など、帝国ホテル見たら帰ろうぜ、とか言っていたのに、
「これ、一周してきてからもう一回食べていい?」

帝国ホテルの周りはなぜか裁判所、留置所、監獄など、穏やかでないものが立ち並んでいます。


 

裁判所。っていうよりちょっと進化したお白州、って感じですね。
廷吏?が一緒に横に座ってあげているのが、なんともヒューマニティ・・・かな?



それにしても、法曹関係者一同、なぜ法服がチャイナ風なのかしら、と思いません?
これはですね、中華風ではないんですよ。
法服のデザインを任されたのは国学者で東京美術学校の歴史教員であった、黒川真頼
服飾史にも通じていた黒川は、聖徳太子立像からインスパイアされた
古代官服風のデザインを法服として採用したのです。
聖徳太子の時代、中国風、というのがはやりのデザインだったのかもしれませんね。

因みに、当時の東京美術学校は同じデザインを学生と先生の制服にしていました。
ある事件で法廷で証言することになった黒川先生が、判事と間違えられたことがあるそうです。
このデザイン、制定から終戦後の昭和24年まで変わらず使用されました。


さて、寄り道しましたが、裁判が終わって判決が「収監」ということになりました。
容疑者は犯人に出世し、刑務所でお勤めをする運びとなります。


金沢にあった刑務所、監房が一部引っ越してきています。
入ったところにまず看守がいて受付をしてくれるのですが、その横に、
囚人が看守に見張られながらお手紙を書くことのできるブースがあります。
二人の囚人が、故郷に切々と便りをしたためていました。

 

なんだかそっくりな人たちです。モデルが同じなんでしょうか。

独房を覗ける廊下を進んでいくと、ある人は黙々とお布団を上げており、


ある人はお食事中。この人も同じ顔ですね。

 

今日も元気だご飯がうまい。
右は刑務所の食事メニューですが、真面目そうな女子小学生が座りこんで書き写していました。
「明治村見学で一番印象に残ったことは」という課題でも出てるんでしょうか。
それにしても、どうして学校ってのは、いちいちこうやって「課題」を与えるかねえ。
こんなことしている時間があれば、少しでも多くの展示を観た方がいいと思うんですが。

高校時代、映画鑑賞会の後に感想文を書かされたことを思い出しました。
同級生の男子が「主演女優の誰それの胸が小さかった」って書いてたなあ・・・。

入って左にこのような独房が並んでいるのですが、二人が出ようとするので、
「あ、こっちまだ観てないんだけど」
といって右の廊下を進もうとしたら・・・。



TOと息子、
「ミッションインポッシブルだー!」
今この後ろにイーサン・ハントがいて、だんだんスクリーンが近づいてきてるわけね。

順序は飛びますが、次に医療関係の施設を巡ってみましょう。


日赤病院の病棟。
昔子供の頃、ここを訪れたとき、離被架という医療器具が展示されていました。
リヒカと読むのですが、術後の傷に布が掛からないように体に乗せる鉄製のドームです。
その名前と鉄製の鎧のようなその形が強烈な印象だったのですが、
今回はどこにもその離被架はありませんでした。
どこにいったのか離被架・・・。

 

これは明治時代に開業していた「清水医院」。
当時にしては超モダンな建物を建てた清水医師、ハイカラ先生だったんですね。



医学者、北里柴三郎の細菌研究所。
東京、白金にあったそうです。
風光明媚なこの地にあると、まるで高原のホテルみたいです。



それにしても、昔の病院や研究所って、どうしてこんなに浪漫的なのかしら。
「サナトリウム」「風立ちぬ」「肺病」
なんて言葉をつい思い浮かべてしまいます。
「離被架」も、たしか夭折した詩人が短歌に詠んでいた覚えが・・。



ところで、小さい時にここに来たことのあるTOは、
「大人になったら絶対ここで・・・・」
という、ある野望を持っていたそうです。
その野望が数十年の年月を経て今回叶った、という話を次回にしたいと思います。



同じ園内バスに乗り合わせたイタリア人観光客。
三人組で興味深そうに写真を撮りまくっていました。




旅しながら淡々と写真を貼る~名古屋

2012-02-25 | つれづれなるままに

                   

神戸を後にし、次に降り立った新幹線の駅は、名古屋。
「旅しながら淡々と写真を貼る」シリーズ復活です。



ドアを蹴飛ばしてるように見えるけど、脚挟まれてるのね・・。
わたしに依頼してくれてももう少しだけましな絵が描ける、ってれべr

名古屋駅前はもの凄い発展を見せ、高層ビルが立ち並んでスカイスクレーパーとなっていましたが、
宿泊したのは訳あって、車で20分ほど走ったところにある小牧。
そう、小牧長久手の戦いの小牧ですね。
ここがまた、なんていうんでしょうか。

     

外に人が歩いていないんです。これ、正面のビルが駅ビル。
なのに、このがらんとした、人気のない空間。
まるで・・・・キリコの絵みたいな、書き割りのような街でした。
駅ビルには泊ったホテルがあるのですが、2時過ぎにチェックインしたら
「レストランはこの時間営業していません」
仕方がなく、教えてもらって向かいの複合スーパーに行きました。
ホテル外のレストランをフロントに紹介してもらってフードコートを勧められたのは、初めてです。

さすがにここには人はたくさんいましたが、これがどこにでもあるダサいショッピングセンター。
フードコートでは地元の高校生がデートの真っ最中。
英語を教えてもらうふりをして、女子に異常接近しているいがぐり高校生。
女の子はすごく可愛くて、言っちゃなんだけどこのいがぐり君にはもったいないくらいでした。
いがぐりの下心が全開すぎて、女子、若干引き気味。
こういうところでデート、っていうのもなんだか気の毒に思えましたが、
まあ、本人たちにとって場所はどうだっていいのかも。

「言っちゃ悪いけど、魅力のない街だなあ」
「まあ、皆、学校卒業したらどとっとこかに行ってしまうかもねえ。何もないみたいだし」
「中途半端に便利な田舎っていうのが一番つまらない」
「でも、日本って、どこに行ってもこんな感じのところだらけよね」

ちょいと立ち寄っただけで、地元の人には失礼ですが、こんな会話をしました。

「京都の人って、プライド高くて威張ってるけど、例えばこういう土地にくると、
京都って日本でも別格の都市だってよくわかるよね」
「あれだけの文化があればそりゃ威張るよなあ」
「彼等から見ると、こんなところは、化外の地か、はたまた人外魔境か」
「パリの人みたい。パリと京都って姉妹都市なんだよね、そう言えば」

神戸出身のわたしですら、前日までいた神戸と比べて
「ここに生まれて、このショッピングセンターが青春の思い出の場所、
とかじゃなくて、よかったかもしれない・・」(これは本当に思ったことよりかなり控えめな表現)
と思ってしまったくらいですから。

それにしても、自治体ももうすこし魅力のある街づくりをする努力をしたらいいのに、
とは余計なお世話?

ご安心ください。
やはり、それなりにある文化レベルを誇示すべく?
駅前の「キリコ陸橋」(勝手に命名)には、このようなアートもありましたよ。



作品その一。
「あらわれる」玉置久実さん作。
土管の上にセッティングされた溶接彫塑です。
あらわれたんですね。
これは・・・シロクマでしょうか。
シロクマがあらわれて・・・で・・・・何?
「現れる、洗われる、表れる、顕れる、あらゆる可能性を持つこのあらわれるという5文字。
この作品の題にあなたが思い浮かべる漢字、それがこの作品と、作品に対峙する観る者との
一瞬のセッションから生まれるイマジネーションの広がりなのだ」
↑お節介とは思いますが、勝手に作品解説してみました。
多分全然違うと思います。



作品その2。
環 坪井憲人さん作。
この作品、作品の良し悪し以前に、木でできていて、ひび割れてすでに耐用年数がきていました。
雨ざらしになるんだから、もう少し材質を考えなきゃあ・・。
それも意図的に計画された作品?なら何も言いますまい。


作品その3。潜む力。坪井由香梨さん作。

うーん、何て言うんでしょうか。
なぜか男性の作品だと勝手に思っていましたが、女性のようです。
ダイナミックですね。
でも、見れば見るほど「生理的な不快感」や、心の奥底にある何かをしゃもじでこそげるような、
むずがゆさみたいなものがこみあげてくるのはなぜでしょうか。
駅前の、善男善女が通過するコンコースに置くのに、もうすこし何というか、爽やかな、或いは
心温まる作品を作ろうと言う気が、作者に全く覗えない気がするのはなぜでしょうか。

「気持ち悪い」という感覚を、作品の意図(この場合は内在する力)が凌駕して打ち勝つには
よほどの構成力がないと、ただのグロいオブジェどまりで終わってしまうと思うのですが、
そういう意味では全く力不足。
「中二病」とでも呼ぶべき、偽悪にとどまっているのが残念です。


・・・おっと、マジになって評論してしまいました。



吉五郎親子の像
威圧的にチビを見おろしているのが吉五郎?
それとも怖くてすくんでるように見える子供の方?

このあたりにはどうやら偉人有名人、或いは象徴的なものがないと見え、
古くから伝わる「吉五郎と言うキツネの親分」を銅像にしてしまっています。
親子の感動的な逸話でもあったのかと思って調べてみましたが、そうでもなく、
そもそも吉五郎と言うキツネも実際にいたわけでも何でもなく、郷土史家が古老から聞いた
昔話(キツネが人をだましたとかの類)を創作して伝説を作り上げただけのことのようです。

吉五郎は100匹のキツネを治める親分であった、というのですが、
キツネの生態を全く無視していないか?この話。

無理やり何か象徴を作ろうとしても、かえって「何もなさ」が強調される結果になるような
気がするのはわたしだけでしょうか。

フードコートでは、よせばいいのにTOが「たこ焼き」を頼みました。
関西、大阪以外でたこ焼きを食べようっちゅう気になぜなるのか、全く理解できません。
案の定一口食べて「・・・外側がパリパリしてる・・・このたこ焼き」
クリスピー・タコときたか。
だから言ったでしょう?絶対美味しくないからやめた方がいいよって・・。

さて、そろそろホテルに帰りますか。



ホテルのロビーには噴水のような水場があり、昔ここで泳いでいたのかもしれない金魚が、
節約のため水を流すのをやめたプールのふちに置かれた水槽で飼われていました。
栄枯盛衰と言う言葉がつい脳裏をよぎりました。




小牧が目的ではなく、所用の目的地に単に近かった、というだけで立ち寄ったので、
勿論何かを期待していたわけでも何でもないのですが、
それでも全くいいところなしに思えたこの小牧で、逆転ホームランがありました。

メニューからは全く美味しそうな様子の伝わってこないこの和食レストランのメニュー、
「名古屋膳」。
名古屋コーチンを小鍋の水炊きでいただくのですが、これが、絶品。

何が絶品かって、鶏ですよ。鶏の旨み。
大抵の鶏肉と言うのは「味のない味」がして紙でも噛んでいるようなのですが、
ここで食べた名古屋コーチンは、噛みしめると鼻の奥に抜けるような滋味とも言うべき、
鶏本来の味が感じられ、
「ああ、鶏肉って、こんなに美味しいものだったんだ」
と感動すらしてしまいました。

名古屋コーチンはブランドですが、あらためてこのブランドの威力を思い知った次第です。

さて、所用にひっかけてなぜ小牧に来たかということを説明する時がやってきました。
ご存知の方はご存じと思いますが、ここには、三菱の小牧工場があります。

正式には三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所
ここと、明治村見学を今回の旅行にねじ込みました~!

待て次号!
 おことわり

iPadで記事を確認したら、何故か「あらわれる」という作品の画像がいがぐりカップルに
なっており、どうしても修正できません。
もしかしたら、見られなかった方もいるかと思い、「あらわれる」をもう一度アップします。







神戸、我が街

2012-02-24 | つれづれなるままに



またもや事情により旅に出ている我が家です。
先日まで神戸居留地、オリエンタル・ホテルに宿泊して居りました。

画像はオープン当初、1904年のオリエンタルホテル。
今と違い、ホテルの前に砂浜の海岸があることにご注目ください。
このころ海岸線は今と全く別のところにあります。
その後どんどん埋め立てて土地を造り、今では砂浜など全く無くなりました。
ホテルの前の道が、今の「海岸通り」であると思われます。

泊ったのは、1945年空襲で全焼したこの初代の建物の位置(海岸沿い)から移転、
その後阪神大震災で大打撃を受けまたしても立ち直った5代目です。

神戸の人間にとって「オリエンタル」は特別の響きを持つホテルです。
近年になってポートピアホテルやオークラなど、新しいホテルが次々できましたが、
この老舗ホテルは、神戸人にとって別格と言うか、特別な意味を持っていたような気がします。

震災前はこれもレトロなバーが地下にあり、他のホテルにはない重厚な空気や、
港街に立ち寄る世界中の人々の運んできたエキゾチックな雰囲気を楽しんだものです。



先日まで新神戸駅には「新神戸オリエンタル」と言うホテルがあったはずなのですが、
新神戸に着いてびっくり、クラウンプラザに身売りしてしまったそうです。
タクシーに乗って「オリエンタルホテル」というと、
「港の方じゃないですね」
と念を押されました。
埋め立てた港沿いに「メリケンパーク・オリエンタル」と言うホテルがあるのです。

因みにこの時、実家の母と妹と昼食を一緒に食べるため待ち合わせをしたのですが、
案の定間違えてそちらに行っておりました。
最初から「旧居留地のオリエンタル」と言うておろうが。



知らない人には何の感慨もない普通の駅前の景色ですが、このそごうの建物を見ると
「ああ、帰ってきた」と神戸っ子は思います。
震災で打撃を受け大変なことになっていた地域ですが、もう何の痕跡もありません。



神戸に帰ってくるといつも、空の広いこと、空気の明るいことに驚きます。
今回何となくTOにそれを言うと、かれも全く同じことを考えていた、と言いました。
TOも関西の出身です。



プラン・ドゥ・シーという会社がホテルのコンセプトを手掛けたそうですが、
居留地のモダンではなく、どちらかというとモダン・オリエンタリズムを打ち出しています。
コロニアル風、とでもいいましょうか。
個人的にはレトロなバタ臭さ、というのがこの地には相応しいと思っているので、
若干この「はやりの演出」は残念でないこともないのですが。


画像左のアロマ・ディフューザーがエレベータホールで得も言われぬ芳香を放っていました。
LINARIのもので、一階のショップで購入することができます。
この香りが気にいったので、今回買って帰りました。


ところで、昔「火垂るの墓」について書いたとき、この作品で清太少年の回想に出てくる、
連合艦隊の艦観式についてお話したことがあります。
港にすぐ迫っている山の斜面電飾で描かれた「錨と神戸の市章」が再現されていました。
わたしが覚えている限り、ずっとこのマークは不変だったはずなのですが、


変わっていたみたいですね。
今回ホテルの窓からちょうどこのライトが見えました。
何分かおきに三種類が交互に現れていましたがKOBE2012というものは初めて観ました。
どうして錨と市章、やめちゃったのかなあ。

ちなみにこれが神戸の市章です。
「かうべ」の「か」をデザインしてあります。
神戸が「こうべ」になってもこの市章は変わりません。

居留地付近の街並みです。
震災後、イメージを壊さないような街づくりをしてはいるようですが、
こうして写真に撮ってみると、全く特異性は感じられない「普通の街」になってしまっています。
思い入れを持つ者としては、非常に寂しい思いがします。
それでも大阪都心などと比べると段違いに風情はあるのですが。

久しぶりに神戸に来たので、母、妹と三宮元町を「思い出散歩」することにしました。



いつまでも変わらない神戸大丸。
アーケードにも昔のままの店を見つけては「あれ、まだある!」と喜んでいました。
大森一樹監督が映画で描いた「元町ヤマハ」も健在でした。



私事ですが、わたしの父は医師で、当時この通りの近くに診療所を開いていました。
それもあって、我が家のお出かけは必ず三宮、元町。
大阪には少なくとも子供のころはめったに家族で行くことはなかったように覚えています。

神戸文化会館で行われたピアノの発表会の後、ここにあった不二家で食事をしたり、
映画を見た後、やはりこの並びにあった中華料理に行ったりしたものです。
発表会で着るドレスは、母が作ることもありましたが、大抵はこのアーケード内にある
子供服「ファミリア」で買った姉妹色違いのワンピースなどでした。


時々母は「ちょっと待ってて」と私達に言って、自分だけお店に飛び込んで出てきません。
幼稚園の頃でしたか、「ここ、何?」父に聞くと、父いわく
「いったん入ったら、お店の人が皆で手や足を引っ張るのでなかなか出て来られない所」
それを聞いて、心底怖かった覚えがあります。


元町は子供の目にも「お洒落で華やいだ街」に映りました。
ファミリアのスモック刺繍の入ったブルーのドレスとエナメルの靴の装いが嬉しかった、
あの日のことを今でもはっきりと思い出すことができます。



明けて次の朝、朝食を食べたレストラン。



「ホワイトオムレツ」をオーダーしたのは、日本人ではない従業員。
最近、こういったサービス業に日本人以外が就いているのが目につきます。
日本人は、一体どこで仕事をしているんだろう?
就職難とか有効求人倍率低下とか、世に仕事がない話はいくらでも聞くけど、
こういう「肉体労働」なら、いくらでもあるのかなあ。

どの外国人労働者も、一応日本風にちゃんと躾けられて働いてはいるのですが、
何かのはずみで「違うなあ」と思うことがあります。
ここのウェイトレスは、接客の間ずっと鼻をすすっていて、少しそれが気になりました。
まあ、ホワイトオムレツが一回で理解できたので、良しとしましょう。

ちなみにクロワッサンは不合格。
大磯の吉田首相別荘に毎日トースト用のパンを届けていたフロインドリーブのある、
「パンの街」神戸なんですから。
少なくともバターをけちったクロワッサンを出すのだけは、やめていただきたかった。

 

お洒落な町並み、粋なお店に美味しいレストラン。
港の埠頭に歩いて散歩に行け、車で5分走ればそこは山の上。

神戸に生まれ育った者にとって、ちょいとロマンチックなシチュエーションは、
気づいたら生まれたときから周りに、当然の如くあるわけです。

この点について、よく「神戸の女子はすれっからし」などと言われたりします。
傍から見ると特殊な舞台装置でも彼女らには日常。
夜の海も100万ドルの夜景も「何を今さら。とっくの昔に体験済み」というわけ。

こういう環境や風土が形成する気質があるとすれば、
わたしもまた神戸っ子の一人として、それを色濃く持っているのかもしれません。
それがどういう気質となってわたし自身を構成しているかは、
残念ながら自分のことなので分からないのですが・・。



住めば都といいますし、世界のどこにもその土地なりの良さがあると思いますが、
やはり人は生まれ育ったところにこそ、一生心を残して生きていくのかもしれません。
いつかは帰りたい・・・そう思いながら我が街神戸を後にしました。








しのぶれど 色に出にけり

2012-02-15 | つれづれなるままに

サンフランシスコのゴールデンゲート下の公園の写真です。
今日はこのような当たらずとも遠からずの画像が
無難
なので・・・・・・・・・つまり、今日語ることは、実在の人物の話だと御理解下さい。

我が家の近所には、皆が散歩に訪れる広い公園があります。
この公園があるから現在の住処を決めたようなもので、四季折々の植物が
~ことに桜の季節は~目を楽しませてくれ、住民の憩いの場となっています。

うちでは住民税の支払いの用紙が来て、その決して安くない金額を目にすると、
「あの公園の維持代は、全てうちの払った住民税でまかなわれている」
と呪文のように唱えることにしています。
するとあーら不思議、
「あの公園のためならば、これくらいの住民税、喜んで払おうじゃないか」
という気になってくるのですね。
(そうでも思わないとやってられん、ということでもありますが)


そのお気に入りの公園に、わたしは息子を学校に送り届けた後、毎朝散歩に行きます。
アメリカでも継続して行っている唯一の運動なのですが、
何ごとも決めるのが嫌いな性格ゆえ「気分が乗らなければ中止」したり、歩きに行っても、
なんだかしんどいなあ、と感じたらすぐやめてしまう、といういい加減な態度で、
だからこそ、もうかれこれ10年は続いている習慣です。

ipodでベアリングできるサングラスで音楽を聴きながら歩いていると、
ベートーヴェンではありませんが、意識的にものごとを思索する時間を持とうと思えば、
散歩をするのが一番であるとあらためて思います。

だいたい同じ時間に一定の時間歩くことが習慣になると、
そこで見かけるのもだいたい同じようなメンバーになってきます。

公園の高いところからは、お天気のいい日に富士山が見えるのですが、
その高台に、お天気のいい日は必ずやってきて、山に向かって手を合わせている老夫婦。
何か富士山に思い入れでもあるのでしょうか。
二人は、帰って行くときも、いつもまるでこれが見納めでもあるかのように何度も振り返り、
名残りを惜しむかのように最後に一礼するのです。

あるいは、公園の主である立派なカラスを何羽も従えて散歩している婦人。
彼女はドッグフードを袋に携えて散歩に来ており、カラスたちに餌をやりながら歩きます。
野良猫に餌をやる行為は禁じられていますが、カラスなら、むしろ食べ物を求めて、
ごみ集積所を荒らす狼藉ガラスが減ることになり、一石二鳥。
カラスは彼女の手から直接餌をついばむほどなついています。

伴走者と共に走る盲目のランナーもときどき見ますし、歩くことよりおしゃべりが目的の主婦、
ときどきホームレスが出張してきてベンチでご飯を食べていることもあります。

そして、愛犬家グループ。

このグループもいくつかあって、たとえば飼っている犬が全て柴犬、という「柴犬クラブ」。
何匹もの柴犬がまとまって歩いていると、犬相風体に個体差があるのがよくわかります。
(わたしはこの柴犬が大好きなので、つい人間より犬の観察をしてしまいます)

しかし何も同じ時間に犬の散歩で集合しなくても、と思うのですが、
どうも犬同士のつきあい、というものもあるようですね。
何人もが公園の広場で集まり、一定時間を過ごしたら三々五々ではなく、
ぞろぞろとこれも何故か一緒に引き上げていきます。

わたしは、学生時代始め子供を連れていく公園や学校、つるむことを避けてきた人間ですので、
万が一、犬を将来飼うことがあっても、これだけは嫌だなあと思います。

それはともかく、共通点が犬を飼っている、というだけの愛犬家グループは
独身かと思われる若い女性から、リタイアしたらしい老人まで年齢層はまちまち。
アメリカで見る愛犬家グループもだいたいこんな感じでしたが、違いがあるとすれば、
朝の時間にはあまり若い男性を見かけないことでしょうか。

毎日グループを目の端に見ていると、その構成人員もだんだん把握できてくるのですが、
わたしはグループの中に、ある「二人」を見出すようなりました。

いかにも自由業的な雰囲気を持つ中年男性と、若い女性です。
どちらも大型犬を連れていて、犬同士も仲良さそうですが、それだけでもない。
なんとなくいつその集団を見ても、その二人がひとところにいるわけです。

あるころからそのことに気づき、見るともなく、観察が始まりました。
(といっても、日中はすっかり忘れていて、散歩のときだけ思い出すという程度ですが)
少し遊び人風の髭を立てた男性は、いつもさりげなく女性の近くにいて、
傍から見ていると、下心のオーラ全開にみえます。
彼女の方もまんざらでもないらしく、何かそわそわした感じで接しているのがこれもまるわかり。


男性は独身ではないでしょう。
女性も、朝の8時にゆっくり犬の散歩に行けるくらいですから、
仕事はしていない、つまり自由業でもなければ、主婦と考えるのが自然です。

これは・・・・。


わたしはもともとこういうことが身の回りで起こっていた場合、それを知るのが誰よりも最後。
「あの二人、つきあっているらしいよ」と周りに教えてもらって、
「ええー!全然知らなかった」
と驚いては、みんなに笑われている方です。
このことは何を表わすかと言うと、わたしは、身の周りや知人の動向に関しては、
「知人フィルター」により見えない部分、死角を持ってしまうのではないかということです。
これは、よくいえば「基本的に知人を信用してしまいやすい性格である」
ありていに言えば「おめでたい人間である」とも言えます。


そんなわたしでも、通りすがりの人間関係(例えば不倫とか)は、
まるで説明書きでもついているようにわかります。
皆さんもそんなものではないでしょうか。


しかし、こんなこともありました。
ある集まりに出席したとき、出席者の一人、ある男性Aさんとわたしは知りあいでした。
知り合いと言うだけで別に特別な付き合いはありません。
その集まりには、Aさんの連れてきたという、Bさんと言う女性がいました。
ちなみにAさんは妻帯者です。

あれ?と思ったのは、Bさんのわたしに対する態度。
何か妙な電波を感じるのです。
初対面で挨拶もしないまま会が終わりになり、近くにいても声をかけて来ない。
しかし、無関心というわけではなく、わたしにどう見られているかを逆に探るような視線と、自意識が
彼女の硬い表情から感じられ、それゆえわたしは「はて?」と彼女に初めて関心を向けました。

そして、同時にAさんとBさんの関係に疑問を持ちました。
Bさんにしてみると、わたしはAさんの知り合いの「訳のわからない女」。
とりあえずAさんとの関係を探られ、また値踏みされている、そんな気がしました。
なぜ彼女がそうするのかというと、理由は一つです。


公園に話を戻しましょう。
先日都心を中心に雪が積もった日がありましたね。
あの超寒い、足下のお悪い中。
犬は喜び庭駆けまわりたくとも、ほとんど飼い主の方がめげてしまったらしく、
その日の公園にはわたしのようなジョギング、ウォーキングの人しかいなかったのですが、
こんな時だからこそチャーンス!とばかり、彼らが

たった二人(+二匹)のデートをしているではありませんか。

それがなぜ計画的な待ち合わせの結果だと分かったかと言うと、
すでに極寒の公園に一人(と一匹)でたたずんでいた男性が、
携帯電話で彼女に居場所を告げているのを聞いてしまったからです。
(またこの人の声がでかくて・・)

そしてその日を境に、その後はわざわざ公園の外れで待ち合わせ、
皆の集合時間よりすこし早く落ち合って、逢瀬を楽しんでいるようです。

これを読んでいる皆さん。(犬を飼っている人限定)
あなたの連れ合いが、やたら犬の散歩に熱心で、多少の悪天候でも、いや、むしろそんな日こそ
そわそわと「モカが出たがってるから」などと言って携帯持参で出ていくとき、
もしかしたら、このようなことが彼あるいは彼女の身に起こっているかもしれませんよ。

それにしてもこの二人、いったいどこに向かっているのでしょうか。



仲間内の中で好意を持っている異性がいて、それゆえに散歩に行くのにワクワク、
というような「ひそかな楽しみ」など、賞味期限は一瞬のこと。
運悪くどちらかが「我慢できない人」だと、無粋にもそれを野暮な恋愛沙汰に発展させて、
不倫の一つもしてしまったりするのでしょう。

一つ言えることは、皆さん。
いくら忍ぶれど、秘密の恋なんて周りはもちろんのこと、
案外、通りすがりの人間にすら見破られているかもしれない、ってことではないでしょうか。


まあ、わたしのような「身近な人間関係には鈍感」っていう人間もいることですし、
通りすがりの人間に何を思われても、知人や家族にさえバレなければ痛くも痒くもない、
という向きには、何をか言わんやですが。








がんばれ、ディズニー・シー

2012-01-30 | つれづれなるままに


一年で一番寒いこの時期に、しかも土曜日にディズニー・シーに行ってきました。
息子は帰国して以来ディズニー・シーが大好きで、もっと小さい頃は連れていくと
「なんだか今、夢の中にいるみたいなんだよー」と、
ディズニー関係者が聴いたら泣いて喜びそうなことを呟いていたくらいのリピーターです。

なぜか本家のディズニーランドには、学校の遠足で行って楽しかったくらいの感慨しかなく、
相変わらず「ムードがあって食べ物がおいしい」シ―のファン。

冒頭画像ですが、一年前、TOが知り合いの株主の方から優待チケットを貰って来ました。
喜んでいつ行こうかしら、などと言っていたら、東日本大震災発生。
はっきりいってディズニーどころではない期間がずっと続いていたし、そもそもご承知のように
ディズニーリゾート自体が営業をしていない時期がしばらくあったわけで、
デスクの片隅にあるこのチケットを眺めては
「これを使う日は、いつか来るのだろうか・・・・・・」
と思わずため息をつくような毎日でした。

シーにいくとき、うちはわたしと息子の二人、学校が休みの平日の比較的悪天候の日を選んで、
少しでも混雑を避けます。
秋頃、ようやくディズニーに楽しみにいけるような日々が帰って来たように思われても、
その機会をいろいろな事情で逸してしまい、いよいよ年が明けてあせり出しました。
使用期限は1月31日。

もしかしたら、震災で閉鎖していた間の期間を考慮した延長がないか、とHPを調べると、
そういう問い合わせは非常に多いものらしく
「震災もありましたが、それに関してはチケットの期間延長は行いません」
としっかりお断りがされているではありませんか。
息子の学校に平日休みの日はもうありません。
「土日に行くしかないのか・・・・・・」 

あまりの寒さに先々週は行くのをあきらめ、これが最後の週末という先週土曜日、
死んだ気になって出かけました。

どれくらい死んだ気かというと、ロングのダウンコートにダウンブーツ、
上下薄物三枚ずつの重ね着。
表裏、脚の裏、いたるところ、まるで魔よけのお札のように貼られた使い捨てカイロ。

念のために追加のカイロを数枚持参し、さらにマスク、サングラス着用。
こんなとんでもない恰好で、いざ出陣。


ところが、身支度に時間がかかりすぎて、到着したのが11時。
うちからディズニーリゾートまでは渋滞しなければ3~40分くらいなんですが・・・。
そのせいで、近い駐車場はもう満車。
第二駐車場に停めたので、こんな遠くに火山が・・・orz

まるで千葉とは思えない駐車場からの眺め。
リゾート感を出すために、いたるところこのソテツ?が椰子の木のふりをして植わっています。

震災後、訪れる人が減って、おまけにこんなに寒いんだから、
きっと土曜日でも空いているだろう、そう考えたのですが、甘かった。


駐車場に置かれたお報せによると、当日チケットを買うのに、60分待ち。
すでに入場券を持っていなければ、ここで挫折するに違いないと確信するとともに、
長い一日になるであろうと覚悟を決めました。



今年はディズニー・シーが開園して10年。
もし何ごともなければ、さぞかし派手にイベントが行われていたのでしょう。
しかし、この日土曜日、やはり大勢の客が訪れ、「Be magical!」というテーマに合わせた
このようなモニュメントの前で長蛇の列を作っていました。


そう、日本にしか見られないこの行列。何かというと、ただ
前に立って写真を撮るために順番を待っている人々。
日本的な、実に日本的な現象であるとどれくらいの人が意識しているかはわかりません。
が、これ、少なくとも外国のテーマパークでは一度も見たことがない光景なんですよ。

こういうのとか、ミッキーやミニーと一緒に写真を撮るために何十分も並ぶとか、
そういうディズニーファンではないわたしと息子にとって、全く信じられないのですが、
震災で人出が落ちたと言われるこの日のディズニーシーでも、こういう人は一杯いました。


そして、どこに行ってももの凄い行列。
例えば、インディアナ・ジョーンズ「クリスタルスカルの魔宮」は、最大で2時間10分待ち。
ファストパス・チケットを取るのに数十分待ちという地獄のような状態で、
もう数十回は訪れているのに、祝日、ディズニーに行ったことのない我々は、驚くばかり。

うろうろしながら買い物したり、おやつを食べたり、ミスティック・リズムなどを観たり、
何もアトラクションに乗らずにお昼になってしまいました。
「中華でも食べますか」
いつもガラガラなはずのこのレストランも、表まで人がはみ出し、このような状態に。



いつも前を通るたびに、ディズニーのセールスマンの口先に乗せられ
この超不人気アトラクションのスポンサーになってしまったがゆえに、
その後それが原因で左遷されたに違いない日本通運の担当者の運命を心配していた、
「シンバッドの冒険」
どんな激込みの日にも待たずに乗れるアトラクションとしての地位を確立していましたが、
改装後の評判も全く回復せず、ここ一年、閉鎖されています。

震災で、さらに一層今後再開の可能性は遠のいた・・・・のかもしれません。

ロスト・リバー・デルタには、ユカタン・ベースキャンプというレストランがあるのですが、
ここはインディアナ・ジョーンズ博士が発掘調査をしている、という設定のため、


このような発掘された骸骨さんが何体か転がっています。
皆、宝のツボを大事そうに抱えているのが泣けます。
写真を撮るのに列を作るのが日本人なら、こういうものにお金を投げるのも日本人。

最もお布施?の集まっていた人気骸骨。
二つのツボの中にたくさんのお金が入っています。
みんなここを狙って投げたわけですね。


どなたか、口の中にコイン投入することに成功した人がいました。

寒さにもかかわらず外で一時間もアトラクションを待つ人がたくさんいたこの日のシ―。
放射能の心配をして客が減っているかも、などという心配が馬鹿馬鹿しくなるほど、
いつも通りで、本当に嬉しくなったのですが、少し気になることもいくつかありました。

ミスティック・リズムの出演者、外国人の顔ぶれがガラッと変わっていたこと。
そして、昼、水上ステージで行われたショーです。

ミッキーがこの船で現れ、その他のメンバーも各ポイントに集合して、
みんなの前でダンスをする、というものなのですが、

他のメンバーが載ってくるのが、この、普段クルーズ用の船。
ポイントでは一生懸命キャラクターの皆さんがパフォーマンスをして、
盛り上がっているようでしたが、それを対岸から見ると、これ。

ただでさえ寒いのに、この寒々とした光景・・・・。
「ミシカの伝説」その前の「ポルト・パラディーソ」で、これでもかと水上スク―ターや凧、
花火を駆使し、あるいはデコラティブな船をいくつも繰り出して目を引いた昼間のショ―が、
いくら「バレンタイン用のテンポラリーなショウ」だからといって、
こんな寂しい演出になってしまって・・・・・・。

音楽はいわばディズニー色あふれる、やたら感動的なイモーショナルなもので、
さらに


これもディズニー特有のハイテンションで頑張る出演キャラクターたち。
この、遠くから見て分かる
「ディズニーと言えども苦しい台所事情と、それにも負けないスタッフ」
という図が、妙な感興を呼び起こし、しばらく眺めていたら
鼻の奥がつーんとなってきてしまいました。

ところで、ここのところディズニーに新しいウェーブが起こっているのをご存知でしょうか。
新キャラクターのダッフィーの台頭です。

ダッフィーってなんですか?という方、これですよこれ。
まあ要するにテディベアみたいなもんなんですが、これが何故か女子供に超人気。
キャラクターとしてではなくぬいぐるみとして人気に火が付き、これをパークで買い、
まるで赤ちゃんを抱くように愛おしげに抱いて歩く女子、それを目を細くして眺める彼氏、
という、ぬいぐるみが昔から大っきらいであったエリス中尉が、
「こんなことを男性に期待されても、困る」
と若い時ならキレそうな光景がパークのそちこちに展開しているわけですが、
これを売っているショップというのがどこも大変なことになっていて、

何とこの列、ダッフィーを売っているショップに入る順番を待っている人たち。
一組出ていけば、出口にいる係員が合図してもうひと組が入れるという仕組み。

この売店、その昔は自由に出入りできて、息子がアメリカから帰ってすぐ、
「たった一人で買い物をする、という経験をした」記念すべきお店だったのです。
お金を持たせ、値段を見ることを教え、
「ママは外で待っているから、お買い物してごらん」
と注意事項を言い聞かせ、店に送り込んだあの日。
息子は目をキラキラさせて「初めてのお買いもの」を楽しみ、
わたしは外でドキドキしながら待ったものです。

それが、こんな「ダッフィー専門店」になり下がってしまっていたとは・・・・・。
いや、別にいいんですが、少なくとも子供一人で入れるような状態ではなく、
みんな何となく殺気立ってすらいる様子なのが、何とも言えません。

そして、ダッフィーを購入するのも、数に制限があるようで(一人二匹までとか)、
買ったばかりのダッフィーをとなりのレストランに祀ってある上写真のダッフィーと並べて
 

写真を撮るのが、スタンダードでした。
決められたわけでもないのに、みんなやっているんですよ。
こんなところでも並んで写真を撮るのも皆一緒。

ダッフィー人気にあやかってこのキャラをフューチャーしたショウもできたようですが、
わたしと息子はこんなことを言い合っておりました。

「ダッフィーってさ・・・・悪いけどなんか胡散臭いよね」
「なんか、可愛いふりして実はすごい悪いこと企んでそうな」
「腹に一物持ってそうな」
「そうそう、みんな可愛いから騙されてるけど、実は悪の組織のボスだった、とか」

「あれ?こんな話、どこかで聴いたような・・・・・」
(二人同時に)
「トイ・ストーリー!」


ダッフィーとその関係者とファンの方、お気を悪くしたらすみませんでした<(_ _)>



夜のショウ、大好きだった「ブラヴィッシーモ」が終わったと聞いて愕然としたわたしたちでしたが、
震災の後から始まった新しいショウは、音楽、映像ともになかなかのものでした。
映像の使い方とストーリーが、アメリカ・アナハイムのディズニーのショウとほとんど一緒で、
ある意味ブラヴィッシーモの方がオリジナリティという点で優れているという気がしましたが、
それを抜きにしても、「腐ってもディズニー」の底力を感じる充実の出来栄えでありました。

元来、わたしはぬいぐるみや着ぐるみに全く感情移入できないたちの人間です。
これを「実在する」というのが前提の「ディズニー的なもの」に対し、
うっすらとした鬱陶しさすら感じて今日まで来ました。

全てが造り物の夢の国。そこに生きる「非実在のキャラクター」が理想の世界を構成する。
偽善的ですらあるこの「子供だまし」に、子供どころか大の大人たちすら夢中になり、
遠くから現れた着ぐるみのミッキーに向かって本気で手を振り、並んで写真を撮り、抱きつく。

こういう人間が実に多くいることを、信仰にのめり込む人たちを対岸から見るような、
一種理解しがたいものとして、ディズニーに行くたびに醒めた目で見てきたのです。

ところが。

国難とも言える震災を経て、まだ一年も経たないここ関東地方において、この日、
ディズニーシーには、それらを愛する人々と、夢を提供しようとする人々がいました。
以前と変わりなく、喜びに満ち、熱狂すらして。

変わりなく以前と同じことを続けられる力、ファンタジーという名の虚構に喝采できる心の余裕。
それは「頑張ろう」とか「絆」とかいう言葉以上に、日本人一人一人が、
どんな困難もそれを凌駕する「萌えという平常心」で乗り越えて行けそうな頼もしささえ感じさせ、
「ミッキーマウスに本気で手を振る人がこれだけいる限り、この国はまだまだ大丈夫」
と、妙に安心してしまったから、不思議です。

がんばれ、ディズニー・シー。







親馬鹿ビジネス

2012-01-25 | つれづれなるままに

親にとっては子は宝。我が子はこの世で一番可愛いもの。
欲目も手伝って、実力以上に美少女、天才、芸達者であると思いたい、それが親の習性です。

冒頭の写真は、そういったある「親馬鹿親」が、
自分の娘を「美少女コンテスト」で優勝させるために製作した「プロモーション写真」。
宣材です。
これ・・・・・・どう思われます?
アメリカ人なので、本人や家族が見ることはまずないと思いますから言いますが、
一見可愛いけど、よく見ると全く普通の子じゃないですか?


アメリカのテレビ番組は、素人さんの実態を面白おかしく紹介し、
「こんな(面白い、馬鹿な、酷い、くだらない、可哀そうな)人が世の中にはいるんですよ~」
と、大衆の覗き見趣味をあおる作りのものが多い、と一度お話ししたかと思いますが、
「Toddlers & Tiaras」(幼児とティアラ)という、賛否渦巻くこの番組は、
ページェントと言われるコンテストに、親子鷹さながらの涙ぐましい情熱をかける人々を追った、
TLC(だいたいそうい番組はこの局)の人気?番組。

家族総出で、たかが業者主催のコンテストの勝利に邁進する馬鹿馬鹿しい努力と、無益な情熱。
「あー、こんな馬鹿な親にこんなことさせられて子供が可哀そう」
こんな馬鹿な人たちがいる、ということに、しかし視聴者はある優越感も感じつつ、
眉をひそめながらも、実はそのショウを楽しむという趣向です。

勿論アメリカでも、このようなコンテストそのものに「すぐやめろ」「即刻やめろ」と息巻く人々がいます。
子供の人権を無視していることと、このコンテスト常連の美少女が何者かによって殺害された
「ジョンベネ・ラムジー殺人事件」のようなケースにつながる「黒い部分」を懸念する人々です。

しかし、ジョンベネの事件以降も、なんら変わりなく、今日もこのコンテストは継続しています。




この番組について、そのうちまた書くつもりですが、
まあ、とりあえずこのお子たちを観てやってください。



どう思います?
金髪の西洋人、というフィルターを抜きにしても、繰り返しますが大したことないでしょう?
馬子にも衣装のもの凄い化粧と衣装で、まあ何とか見られる、というレベル。
いやむしろ、不自然なけばけばしい化粧、ただの「大人のミニチュア」の気持ち悪さ。
むしろ眉をしかめてしまう人の方が多いかもしれません。

しかーし。

「うちのケイティは、この世で一番可愛いの!
こうやってコンテストに出ることで、そのうちハリウッドの目にとまるかもしれないし」
このショウが、コンテストが今日も継続しているように、このようにまずあり得ない夢を見つつ、
せっせとこういうページェントにお金を貢ぎ続ける親がいるのです。
そして、そういう親馬鹿を食いものにするページェント、さらにそれを面白おかしくショウにして番組を作るテレビ局。

こういったビジネスをここでは「親馬鹿ビジネス」と称することにします。

親がこのような馬鹿げたことにお金を費やし続けるのは(人にもよるでしょうが)そのどこかに
「そのうちうちの子が認められたら、もしかしたらその投資を取り戻せるかもしれない」
というステージママの打算もあるのかもしれません。

マコーレ・カルキンの両親のように、あまりにも非常識な大金を息子が稼いだため、
人生を狂わせた人もいますが、この「左うちわ願望」が、彼ら「馬鹿親」をして、
これだけの情熱を傾ける原動力になっていることも否定できないのではないでしょうか。

「それはアメリカみたいな物質至上主義が大手を振っている国だからだろう、
さすがに、日本ではそんな一攫千金を夢見るような親はいるまい」
そう思ったあなた、甘い。
規模こそ違え、日本にも「親馬鹿ビジネス」は存在します。

アメリカから帰国してきたとき、息子は2歳でした。
アメリカ人やヨーロッパ人にとって東洋人の小さな子やあかちゃんは無条件で可愛いくみえるらしく、
どこにいっても可愛いと声をかけられたものですが、
「まあ、外国人から見るとそんなもんかもしれないわねえ」
くらいに思っていました。
男子ですし、人より多少可愛いといわれたからってそれが何、と思っていた(今も)のも事実。

帰国してすぐのこと、息子を連れて繁華街に出かけたTO、帰ってきてから
「タレント事務所の人に声掛けられた」
と名刺を見せます。
「お子さん、かわいいからタレントかモデルに登録しませんか、だって」
「ほー」
「話には聞いてたけど、本当にスカウトっているんだなあ」
(息子に)「ちょっと働いて、パパとママに楽させてくれる?」
「?」

その日はそれで話題として楽しんで終わり、また別の日。
「また声掛けられた」とお出かけから帰ってきて報告が。
「同じ人?」
「違う」
スカウトとうちの息子のバッティング率の高さ、そしてこんな世界があったのかということに軽く驚きつつ、
「銀座和光前で待ち合わせている間ににクラブのスカウトの名刺が山盛りになるお嬢さんの話」
が思い出されました。
そう言えば、昔大阪梅田キタを歩いているとき、何度かそういうこともあったなあ・・・(遠い目)

スカウトは声をかけるのが仕事。
そこで適性とか、本当に売れるかとか、そういった「事後」のことまで深く考えず、
ただひたすら数撃って当たるのを待っているわけですから、声をかけられたからと言って
「やっぱりうちの醇ちゃん(仮名)はかわいいんだわ!もしかしたらモデルになれるかもだわ」
とのぼせ上るほどおめでたくはないつもりでしたが、まあ、なんとしましょう。

「悪い気はしない」のですこれが。

この「悪い気はしない」程度の親馬鹿具合をも、日本の業者はうまく突いてくるものだと知ったのは、
この後、実際に今度はわたしと5歳になった息子がスカウトに遭遇したときのことです。

すれ違った女性が、息子に鋭い目を注いだかと思うと
「すみません、お急ぎですか?」
と声をかけて来ました。
わ、来た来た、と思っていると、案の定それは子供タレント事務所のスカウト。

たとえうちの子が、親の欲目抜きで、末は阿部寛か加藤雅也かというレベルだったとしても、
わたしは「そういう世界」だけには親としてかかわってほしくない、と望んでいます。
「もし興味がおありでしたら、事務所でお話を」の誘いにそのときうなずいたのは、好奇心から。
この世界がどういうものなのか垣間見られるかも、という興味です。
今にして思えば暇だなあと思いますが、時間もそのときはありましたしね。

  

そのときもらったパンフレットの表紙をご覧ください。
お子さんをモデルやタレント事務所に登録するのは、
決してあなたの見栄や親馬鹿ではないんです。
お子さんにはあなたも知らない才能が隠されているかもしれない。
当事務所はその才能を発見するお手伝いをしたいのです。
そしてその体験が、ひいてはお子さんの後の人生に大きく役に立ってくるのです。
そして、運が良ければ、テレビに出たり映画に出るといった貴重な体験もできます。
それはお子さんの人格を、大きく育てることになるのです。

とは、決して書いているわけではないのですが、つまりは、
親がこういうことに乗り気になるときにつきものの「やましさ」を、まず軽減するために、
上記のような美辞麗句的「大義名分」を用意してくれているわけですね。

「それでは、もし登録したいということになれば、どうなるわけですか?」
エージェントの女性、にこやかに
「まず、醇ちゃん(仮名)のアルバムを作ります。
たとえばCM製作者や番組の担当者に見せ、オーディションに参加するための宣材ですね」
はいはい。
「つきましては、撮影代と、アルバムの制作料、そして登録料が必要となります」
そうでしょうね。ではしめておいくら?
「6万円必要になります」
・・・・・・・。
やっぱりね。

たとえタレントやモデルとして売れても売れなくても、登録したいといってくる親はウェルカム。
オーディションに合格してもしなくてもエージェントは全く困りません。
画像右下の「レッスン」とやらで、未来のスターを目指してお金を落としてくれるんですから。

内心「やっぱりね」と思わずニヤニヤしてしまったのですが、
それですぐじゃまた、と引き上げないのがエリス中尉。さらに話を聞いたところ、
「がんばった思い出は、決して無駄にはならない」という例として、
何かの撮影に参加したある男の子、A君の話をしてくれました。

A君は、撮影当日高熱を出してしまいました。
しかしながらお父様はお医者さんなので解熱の注射を打ち、現地まで車でA君を搬送、
みごとその甲斐あって責任を果たし、
親は勿論A君自身もいまやその貴重な体験に感謝しています。

A君の親には悪いけど、たとえA君が駄目でも、いくらでも代りの子は用意できたと思うなあ。
ジェンナーじゃあるまいし、幼児である息子に解熱の注射をする父親っていうのも、
医者としてはともかく、親としてどうか?と思わずにはいられません。
息子が現場で昏倒でもしたら、親も周りもどうするつもりだったんでしょう。

そして次に、「私の子は特にかわいい」と思っている親ばかりが、
このエージェントに登録しているわけではありません、という例として、B君の話を。

B君は、いわゆる「いまどきの都会的な男の子」ではありません。
終戦直後、洟たらしてそのへんにいたような、もっさりした風体の子供。
当然、スカウトに誘われた親は
「何でうちのBみたいな子が?」と訝しく思いました。
しかし「元気な小学生、でも、洗練されていない、田舎っぽい雰囲気の子供が欲しい」
というある企画にうまくはまったため、B君は全国版の何かの広告に採用され、
その雄姿が一時あちらこちらの駅を飾りました。

親は勿論B君自身もいまやその貴重な体験に感謝しています。


「ですから、必ずしもかわいいとされるお子さんだけが必要とされているわけでもないんです」

なるほど。
確かに、映画でも何でも、美男美女だけでは成り立たない世界ですからね。
夜の世界のスカウトも「世の紳士が全て美女が好きなわけではない」という観点で、
声をかけるって言いますから。

親馬鹿ビジネスは、日頃「うちの子なんてとてもとても」と思っている親馬鹿でない親の、
潜在的親馬鹿心でさえも、こうしてくすぐり、お客として取りこんでいくもののようです。

散々他の子供の写真を見せられ、「考えてみます―」と、事務所を出てから、息子に一応、
「あんな写真撮ってほしい?」と聞いてみると、

「ぜ っ た い に い や だ !」


まあ、そう言うと思ったよ。

 

 

 


読書するということ

2012-01-12 | つれづれなるままに

いつぞや息子の宿題でジオラマ作りに奔走していると書きました。
その後どうなったか気にしている人はよもやおられますまいが、
本日の内容にアップする適当な写真が見つからなかったので完成写真をアップします。
渾身の作品、親も子も大変でしたが、実に良い想い出になりました。
ちなみに、火山から出ている噴煙の色は、わたしのアイブロウの粉を使用しました。
評価はA。
「なぜA+じゃないっ?」
と、今までなんの文句も提案も学校側の教育に関してしたことのないエリス中尉、
今回ばかりは黙っていられず(←親馬鹿)
「なぜAなのか聴いてきて!」
息子が聞いてきたところによると
「グレーシャー(氷河)だって。絶対に島にはグレーシャーって存在しないって言われた」
・・・・・よくわかりました。

でも、学校に優秀作品として飾られることになったので、まあ努力のかいあったといってもいいかと。


さて本題。読書するということ。わたしと読書。わたしの身体を通り過ぎた本たち。
まるでカルチャーセンターの「エッセイを書こう」というクラスで提出する課題のようなタイトルです。
(最後のは勿論不採用で)
以前、読者の方から「いつか、どんな本を読んできたか書いてほしい」というリクエストを頂きました。
もうかなり前のことで、その方が読んでくださっているかどうかもわからないのですが、
今日は何となく読書についてお話ししてみます。
だからといって、あれ読んだこれ読んだどう思った、のぺダンチック自慢大会ではありませんので、
どうぞご安心ください。

高校生の時。
倫理社会のトクダ先生が、ある日テストのお報せをしました。

「今配ったプリントには、古今東西、名作と言われている作品のタイトルと、作者が書いてある。
この全てを覚えてこい。試験は2週間後行う」


そのプリントには、チョーサー、シェイクスピア、ドストエフスキーはもちろんのこと、
紅楼夢やトーマス・マン、マルキ・ド・サドやナボコフの「ロリータ」にいたるまで、
「これだけ読めばあなたもいっぱしの読書家リスト」とでもいうべき本が書かれていました。
ざわめくクラスメート。
そのざわめきはほとんどが不満を訴える響きで
「何でまた」「こんなものを」「覚えなくちゃならないんだ」「この受験勉強で大変な時に」
と、中にはこのような呪詛さえ含まれているようでした。
受験校でもあったので「倫理社会の時間はノート取るふりをして英単語記憶」なんて輩が必ずいたものです。

こういうのを内職と称していたのですが、こんなことがありました。
当時から思想に興味を持っていたエリス中尉、哲学体系の授業の際、非常に熱心にノートを取り、
その甲斐あって試験は満点、
年度末になって意気揚々と成績表を開いたならば、すれすれの及第点評価。

「なんでっ」

あれほど熱心に講義を聞いたこのわたしに対し、なぜこんな低評価が。
今でこそ息子のジオラマがなぜA+でないのか聞きたださせる程度には度胸もありますが、
当時は花も恥じらう女子高校生。先生に文句などとても言えず。
全くふに落ちないまま卒業して、ある日このことを考えていて気付きました。

「あいつ(倫理社会のヤマシタ)、ノートを取っているのを内職だと決めつけたんだ」
はたとひざを打ったときにはすでに卒業後。
文句を言おうにも、もうどうしようもありません。
何か、ほぞをかむ思いで、
「もしヤマシタに道で会うようなことがあったら、絶対文句言ってやる」
と拳をにぎったのですが、以降幾星霜、ヤマシタ先生と道で逢うこともないまま、
今ではすっかり顔を忘れてしまい、たとえすれ違ったとしても気付かないでしょう。

しかしねえ。
ヤマシタ先生、あんまり生徒を見くびらない方がいいと思うよ。
自分の授業を熱心に聴いているのか、他の勉強をしているのかくらい、見分けろよ。
自分の講義が大したもんではない、ってことをそれじゃ自分が認めているようなものじゃないですか。

長すぎる閑話休題。これはドストエフスキーの長編によく見られる特徴ですね。
テストに話を戻します。

「何か質問は?」

挑戦的にクラスをねめ回すトクダ先生。
その目がわたしに留まります。
その目、お前には絶対言いたいことがあるだろ?そうだな?

では、ご期待にお応えして。
「これをただ棒暗記することにどんな意味があるのですか?
読みもしない本の題名と作者を知っていても、何の意味もないと思います」

ソウダ!という掛け声。
クラス全員が大きくうなずいたような同意に包まれました。
しかし、トクダ先生の、
ああ、この質問、待ってたぜ!ピンポイントいただきーっ!みたいな、
我が意を得たり感満載の満足げな即答に、エリス中尉は
「嵌められた・・・・」
と思わず再びほぞを噛んだのでございます。

「もっともな質問です」先生は意気揚々と続けました。

「意味があるか、というと、今の段階では、無いでしょう。
時間の無駄だ、とみんな思うかもしれません。

しかし、あなた方のこれからの長い人生には必ず役に立ちます。
丸暗記でも、こういうタイトルで、こういう作者の作品がある、と覚えていれば、
いつかそれが手にとって読もうと思うきっかけになるでしょう。
このリストは、今日明日ではない、いつか、でいいから、一生のうちどこかで読むべきリストです。
なぜなら、これは古典だからです。
古典とは、時間に磨かれて、長い間人々の鑑賞に耐えうる力を持っています。
人類の知恵とも言うべきこれらの作品のタイトルだけを知っていたとしても、
全くそれが損になることは無いとわたしは思っています」

トクダ先生は、こんなに滔々とではないにしろ、このようなことを語りました。
勿論、わたしはその言葉にひどく納得しました。
読んだことのある作品も多かったこともあって、その試験では満点をマークしたと記憶します。



そして、高校を卒業し、大学生になりました。
最も人生で時間があって、好きなことをしていればよかったあの時代、
周りにドストエフスキーやトルストイについて語れる友人が数人いたこともあり、
仲間内で競い合うようにして名作を読破していったものです。

音楽仲間ですから、ベートーベンの実存やサルトル、ニーチェの名言について、
音楽とかかわることを主なテーマに形而上的な議論を交わし、
壮大な時間のむだ遣いの中に遊ぶ毎日でした。
時間こそ無駄に遣いましたが、その間に考えたことや読んだものは、一見何の痕跡もないようで、
人生を歩むその行程において、思考や決定、そして自分が物事を述べるときの論理の組み立てや、
その導き出す結論に、少なからず影響を与えているように思うのです。

「トクダ先生の作品リスト」は、そんな読書三昧期にも、
決して捨てられることなく、なんとなくですが手許にいつもありました。
いつの間にか一つずつリストを塗りつぶして、いつか全部読むことを自分に課していたのです。


一度、テレビは見ない、と言いました。
いい作品も下らない番組も含め、テレビという媒体から「ただ受動するだけの情報」は、
畢竟「作り手の積み重ねてきたもの、この場合読んできたものの結実であり残渣である」
ということに気づいてから、その情報はあくまで自分の価値観を変えるものではなく、
自分の蓄積してきたものと並列に位置するべきだ、と結論付けたのです。
つまり、テレビによって得られるのは所詮伝言ゲームで誰かに教えてもらう「情報」にすぎないと。
(科学系の番組のことは今はさておきます)



簡単に言うとテレビの「坂の上の雲」は番組として非常に面白い。上質なドラマです。
わたしも前シリーズは全部DVDを借り、今回の放映もかなり無理をして観ました。

しかし、それは上質なエンターテイメントとしての「ファン」(楽しみ)であります。
「誰かが原作の『坂の上の雲』を読み、あのような理解で作り上げたもの」です。
楽しみとして観るのは大いに結構だが、あの番組から作者司馬遼太郎の真意を読み取ったり、
あれを見て歴史を知ったような気になるのは間違いだということです。

特に歴史に関してはNHKというテレビ局は意識的に「我が局の思うところの歴史観」を、
さりげなく、このようなエンターテイメント作品に刷り込んできます。
先日、何日間かにわたって「真珠湾からの帰還」の捏造を糾弾してきたのも、
結局は「我が局の導きたい結論」に無理やり導くNHKの態度が目に余ったからです。

そして、どことはいいませんが、この「坂の上の雲」においても、原作にない歴史的断罪や、
司馬が言及していない描写をわざわざ盛り込んでいるのがかなり目につきます。
NHKのすることを盲目的に信じてしまう「親方日の丸放送の権威」に弱い方々など、
何の疑問も無くそれを取り入れてしまうことを承知のうえでのサブリミナルだと感じました。


それはともかく、本を読むことが血や肉を作るものであるとすれば、
テレビによって得る情報や感動は、それがたとえどんな上質なものであってもおやつなのです。
人生にはおやつが必要ですが、出来た血と肉があって初めておやつも美味しくいただけるわけで。
そして、たとえ質の悪いおやつを食べてしまっても、身体には影響がない程度には、
解毒できてしまうような体力、つまり
「こういう情報によってこの媒体はこういうことを訴えたいのだな」
と裏を見ぬける程度の一般知識を持っていたいものです。

つまり、人生の限られた時間、同じだけの時間があれば、
本を手に取った方がより物事の本質に近づける、だから本を読む、
という二者択一の問題です。
(この場合の本は、古典、名作のことです。エッセイやライトノベルなどはオヤツね)
無限に時間が許されているなら、勿論どちらも楽しむのですけれどね。


ところで、どんな本を読んでいるかということを人に尋ねられるのは、非常に気恥ずかしいものです。
自分の心の求めるところ、知りたいこと、
そういった触手のような「欲望」のさまを他人に見られることにつながるからでしょうか。
高校時代、休み時間に本を読んでいると、必ず黙って横に立ち、
いきなり本を持ちあげて表紙を見る奴がいました。

その日、クラスのお調子者、アオヤマくんがやってきたとき、
読んでいたのがアルベール・カミュの「異邦人」
もし、こんな中二病な作品を読んでるのを他人に見られたら、恥ずかしくないですか?
今日ママンが死んだとかリンゴが刺さって腐り虫とか。


わたしの持っている本をぺらっとめくって、タイトルを覗きこんで、
アオヤマ「・・・・・・(・・)シーン」
エリス中尉「・・・・・・・・・・・」

アオヤマ、何も言わずにその場を去ってしまいました。

皆さん、今までこういう行為を人にしたことのある人はいませんね?
もしいたら、あなたはその相手に
「わざわざ見るなら何か一言くらいコメントせんかーい!」
って心の中でいわれてると思います。





台湾のちょっとヘンな写真

2012-01-09 | つれづれなるままに

何日かにわたって10日にわたる台湾旅行のレポートをお届けしてきました。
いよいよ〆として、ちょっとヘンな写真を淡々と挙げていきます。

冒頭画像はヘンな写真ではなく、最終日の部屋のプライベートプールで泳いだときのもの。
台湾の気温は日本の10月後半~11月くらい、プールは温水で水温は20度でしたが、
この日昼間あまり陽が無かったのでかなり寒かったにもかかわらず、お風呂に長時間浸かり、
体を温める下準備をして、無理やり強行。
「せっかくプールがあるのに一度は入らないともったいない」という実に小市民的な理由です。

それではまいります。
 
女子会という言葉が日本で流行っているからというわけでもなさそうです。

なんてことないんですが「永遠犬猫美容」という響きが気にいって。

LIの店。わざわざ日本語で。ちょうどこのとき、店主がガラス磨きに出てきていましたが、
店構えからもお分かりのようにお洒落なイケメンでした。
置いている洋服も、高級品ばかりでセンスの良いディスプレイ。

スポンジボブ=海綿寶寶。かいめんぱおぱお
アメコミも人気ですが、それ以上に人気なのが日本の漫画。


日本の広告と言ってもいいこの違和感のなさ。
ゲゲゲの、という部分はさすがにGeGeGeになっていますが、鬼太郎の、というところに
何故か「の」の字が。


台湾は日本語表示が普通にどこにでも見られます。
どれも、間違ってはいないんだが、微妙、という文章が少し混じっています。
ラルーなどの一流ホテルであっても、ビュッフェなどで料理につけられたプレートに
「有機野菜を煮た」「鶏肉を炊いた」などの言文一致料理紹介があって笑わせてくれます。

そしてこういう日本語の監修をする人に、センスがあるとは限らない、という例がこの看板。
日月譚のほとりに立てられていた観光案内プレートのものですが、
「間違ってはいないし意味も分かるが、看板としては何か違う」。

「好んだです。」「奥さん宋美齢さん」
・・・・・・ちょっとかわいいですが。
それから「蒋介石様」は、なんだか北の将軍様みたいだからやめた方がいいかも。

意味は分かる。字が読めなくても絵を見ればわかる。
でも、おそらく日本の公共看板なら、もうすこし問題のものを抽象的に、
・・・いや十分抽象的なんですが、少なくともこんな三段重ねにはしないんじゃないかなあ、
とちょっと思いました。
 茶店のランプの下に立つ愚息。



日月譚のホテルの近くに喫茶店があり、何故か木に願い事を書いて吊ってあります。
中国にもこういう風習があるんでしょうか。
お寺でもなんでもないんですけどね。
葉っぱのない季節、赤い短冊が風情があって綺麗でした。
ちょっと台湾の皆さんのお願い事拝見。
この短冊は「家内安全」ってところですね。
「健康でいられますように」とかちゃっかり「ガールフレンドが欲しい」なんていうのが、
スタンダードなところ。でも、こんなのもあります。


陳さん、眉毛が薄いのを気に病んでいるんですね。
「眉毛が濃くなりますように」っておまけに要の横に小さく很(とても)という字が。
こんなところでお願いして何とかなるような問題だろうか。
ミクロゲンパスタみたいなものは台湾にはないのだろうか。
眉毛は薄いが字が黒々と濃いので、このお願い、無茶苦茶目立っていました。
なんかわからないけど、頑張れ陳さん。

動物はあまり見かけませんでしたが、このヘンな柄の服を着せられた犬は、
不動産屋さんの前の道をちょこちょこ歩き回っていました。
追いかけながら写真を撮っていたら、中から慌てた様子で人が出てきました。
鍋用に犬を誘拐、っていう話はここ台湾でもあるのかしら。
故宮博物館に行く途中のドライブウェイで見た巨大うさぎ。
下の小さいのもみんなウサギ。これは遊園地「ウサギーランド」(仮名)の表示。


いくらか値段は確認していませんが、いわゆる美術品。
ホテルのショップで売っていました。
誰かが買うんでしょうが、誰が買うんだろう。
こんな像が家に帰ったらいつでも玄関にあるというのもいかがなものか。

そして、極めつけ、この店のこんなもの誰が買うのか大賞。
これも売り物でーす。
三蔵法師(多分)が法悦の表情で空中浮遊しておる。 
お寺のご本尊にするには、このルーシーインザスカイウィズザダイアモンドな感じが、ヤバい。

それにしても激しく空気を読まず後ろでアイスクリーム食べてる子供とのコンボが、
もはやこの空間に一つの小宇宙を形成しています。


 
こんなとこで何やってんすか花田さん~!

空港にあった花瓶。
この花田勝さんが手で抱いている部分が鉢になっています。



おまけ*蒋介石の執務机を乗っ取ってほくそ笑むエリス中尉。

台湾旅行は安くて近くて便利。日本語も通じるし女の子はお洒落で可愛い。
ホテルのボーイさんもタクシーのおっちゃんも、皆感じ良く親切な人多し。
日本人は歓迎してもらえるので、絶対気持ちよく旅行できること請け合い。
年配の方には中国四千年の歴史の遺産を訪ねる楽しみもありますし、
何といっても食べ物が美味しい。

「老若男女、誰にでもお薦めできる旅行先ナンバーワン」に熱烈推薦して、
台湾旅行の報告を終わります。





中国四千年の・・・・・

2012-01-08 | つれづれなるままに

台湾で街を歩いたとき、つい立ち止まってしまったのが薬屋さん。
勿論漢方の方のくすりです。
立ち込める独特の香りに、店の棚に並んだ得体のしれない生薬の瓶。
つい「中国四千年の・・・・」という言葉が意味もなく浮かんでしまう瞬間です。

昨年暮れ、ソコツ主婦のわたしが、時間のない時に慌てて料理をしていて、
多めの油の中に野菜の塊りを落とし、はねた油で軽傷のやけどをしてしまったと思いなせえ。
いまや銀座にお洒落なサロンを持つまでに出世したホーム・ドクターならぬホーム鍼灸師の
(最近はTOもお世話に)M嬢にそれを言うと、すぐさま
「やけどに効きます」という紫雲膏という軟膏を送ってくれました。

とても効いたかというと、つけなかった場合との比較のしようがなく何とも言えなかったのですが、
その威力を今回の旅行で知る事件が。
旅先で息子が唇のまわりが荒れて、醤油が染みて痛い!と言い出しました。
みれば荒れて真っ赤でいかにも痛そうです。
「早く何か塗るものちょうだい!」と騒ぐくらい本人は辛そうだったのですが、
紫雲膏を持っていたのを思い出し塗ってやると、直後に痛みが治まり、
一晩で不思議なくらい完治してしまいました。

化粧品というものを使わず、冬場は風呂上りに植物油かワセリンを乾き止めに擦りこむくらいの
「放置スキンケア」で毎日を過ごしているわたしですが(でもというか、ゆえに美肌キープ)
唇がかさついたときに試してみると、こういうときにも非常に具合がよろしいようです。

せっかく台湾に来たんだから買っておこう、と思いつつすっかり忘れていました。



ところで、台湾で食べたトンポーロー、実に複雑な味で、ウイキョウやコリアンダー(シャンツァイ)が、
隠し味に入れられていると見ました。

わたしはこのコリアンダー、中国ではシャンツァイ(香菜)、アメリカではチアントロという香草、
メキシカンのブリトーに巻くのは勿論、サラダにだって入れてしまうくらい好きなのですが、
TOと息子は「頭が痛くなる」とか言って食べません。
でも、このトンポーロー、明らかにこのシャンツァイの匂いがしているのに、
二人とも美味しい美味しいとわたしより夢中になって食べていました。

「台湾の中国料理って、何となく日本で食べるのより漢方っぽいよね」
なんていいながら。
「いかにも体に良さそう。医食同源て言うのか」
「中国四千年の神秘っていうのか」

また出ました。中国四千年。

いよいよ帰国の途に就くことになり、空港でちょっと腹ごしらえをしたのですが、
たかが空港のお店程度の台湾料理屋で食べた鶏モモの煮込み、これがまた美味い。
「なにこれー」
「なんか複雑な味で煮込んでるね・・・あっさりしているのに中まで味が沁みてるっていうのか」
「鶏だけ煮込んだら味が出てしまうから水炊きじゃないだろうし」
「これは・・・・中国四千年(略)」

いちいち感心しながら空港のコンビニへ。ここがまた侮れなかった。
タイガーバームと並んで売っていた白花油。
何に効くのかさっぱりわからないけど何かに効きそう、なぜなら中国四千年(略)だから、
と買って帰って、切り傷やけど、頭痛やのどの痛みにまで有効であることが分かりました。
スースーするので、鼻づまりには抜群に効きそうです。
冒頭の大きな画像はこの白花油の説明書。レトロな、ていうか昔のままの絵柄がお洒落です。
どうも絵から察するに、水仙から採られた成分を使っているようですね。
このほかにも紫のバージョンもありました。

小さいし、珍しいし、これから台湾に行く方、コンビニで58元(170円くらい)からありますので、
大量にバラまかなくてはいけない女性へのお土産にはこれをお奨めします。

コンビニには他にも、「いかにも中国四千年な絵柄」の湿布が、
日本のと同じようなパッケージの湿布の横にありましたが、日本人観光客がそれを
「うわー、こういうのって、いかにも効きそうだよねー」と言いながら見ていました。

アメリカ人が
「日本人は皆困ったときにはゼンによって悟りを開き、先祖はニンジャかサムライである」
というような、いかにもな先入観ですよね。この「中国四千年」って。


 

TOはのどがすこし痛くて咳が出ていたので、のど飴を買ってあげました(左)。
しかし、本人はさらに右側ののど飴を購入。その理由。
「なんだか材料が訳わかんなくて中国四千年ぽくて効きそうだった」
またですか。
わたしもいただいてみました。
左はアニス風味でなかなかドロップとしても好(ハオ)。
右は・・・

超絶ゲロマズ(>_<)

生まれてこのかた、こんなまずいのど飴を食べたことがないというくらいのまずさ。
吐き出すのも何なので何となく舐めもしないで口の中に入れていたのですが、
飛行機の中でつい居眠りをして起きたらまだ口の中にあったという・・。
まずいならいつまでも舐めてんじゃない、って話ですが。

TOはこの飴を食べた後、飛行機の中でこの缶を落とし、中身を床にぶちまけてしまいました。
そして「ああ、食べるものを捨てるのは心が痛むけど仕方が無い」と言いつつ飴を捨てました。

もしかしたらわざとやったのかもしれません。

そして、恐るべし台湾のコンビニ。


買うの忘れてた紫雲膏見つけー!
これ、台湾ではコンビニで買えるくらいポピュラーだったんですね。
使ったことのある方はご存じ、まるでそのものか?というくらいごま油が主成分の軟膏。
紫なのは、シコンという薬草の色なんだそうです。
中国四千年かどうかを一応調べてみたら、あらびっくり。

これ、オリジナルは明時代の潤肌膏というものなのですが、紫雲膏そのものは、なんと
それをもとに、あの華岡青洲先生が作ったんだそうです。
日本で、いや公的には世界で最初に麻酔手術を成功させた、
人類の医学史にその名を残す日本人医学者の副業の産物だったとは。
というわけで

紫雲膏は、中国四千年(略)ではなくメイド・イン・ジャパンでした。






 

 


台湾の「おしんちゃん」

2012-01-07 | つれづれなるままに

台湾の記事にコメントを下さった「はんきち」さんのブログにお邪魔してみたら、
台北で王貞治さんの知り合いに連れて行ってもらった王さんもお気に入りの
ディン・タイ・フォン(鼎康豊)のことが書かれていました。
はんきちさんとは台湾、入れ違いくらいの感じだったんですね。

ブログの写真で見ると、ちゃんとお店のサインに日本語でディンタイフォンって書いてあります。
あまりに違和感が無いので気づきませんでした。

 

鼎康豊のウェイトレスが皆日本語がしゃべれて、しかも一生懸命働いていると一度書きましたが、
どこの国に限らず若い女の子が笑みを絶やさず、こまねずみのように働いている様子は、
実に見ていてこころ楽しくなる光景です。


今はだいぶ変わっているかもしれませんが、ひと昔前の中国では、
上海などの都会でもまだ共産主義の名残りがあって、とにかく従業員の態度が悪すぎ。
フロアーで従業員同士、大声で会話は当たり前、声をかけると面倒くさそうに来て、
今までの笑いが嘘だったように仏頂面でオーダーを取り「それはできない」というのも、
つっけんどんな「メイヨー」一言。
これをわたしは「いわゆるひとつのメイヨー攻撃」と呼んでいましたが、
同じ中華民族でもここ台湾で「メイヨー」を一度も聞いたことがありませんでした。

(いや、一度だけ、故宮博物館の手荷物預かり所で傘を預けようとしたら
「チーバーサンメイヨー」傘は預かれませんと言われているのは分かったけど、
サン(傘)はともかくチーバーはわからず)

  

台湾で商売をしている方が

「なんかね、台湾のお店(殿方の行かれるようなところ含む)に行くでしょう。
みんな一生懸命日本語喋るんですよ。で、健気なんですよ。
まるで心が洗われるような気がするんです」


なんておっしゃっているのを聞いて、
「なんだって日本の男は拙い日本語をしゃべる女に弱いのか」などと、
「アグネス論争」のとき、なぜか感情的にアグネス側につくマスコミ男性陣を糾弾していた、
林真理子の論陣を思い出しました。

言っては何だけど、自分の国の言葉を一生懸命喋ろうとしてくれる女性に対して、
「自国ではただの男」である日本人が感じる先進国民の優越的な庇護意識ってもんではないのか?
などとやや、いやかなり否定的な見かたをしていたわけ。
一時韓国におじさんたちが鼻の下を伸ばして行っていたころ、おじさんにとって彼女らキーセンは、
片言の日本語で一生懸命お世辞を言ってくれ、ひたすら尽くしてくれる(ような気がする)、
金銭が介在するにもかかわらず「胸キュン」なお付き合いができる「仮想恋人」だったそうです。

15年も前になりますが、上海で上海雑技団を観に行ったときも、こんなカップルを見ました。
日本人男性・・・・小太り、禿気味、全然イケメンとは逆方向のただのおじさん
中国人女性・・・・おじさんよりは若いけど20代後半、きれいではないが不細工でもない

女性は地味な土色の洋服の中国人の中で、中国人すら着ない、真っ白の、
しかしペラペラの化繊のチャイナ服を着て、ただその格好の特異さだけで人目を引いていました。
中国に工場でも持ったのかもしれないおじさんは、月せいぜい一万円くらいのお小遣いで
「現地妻」を囲える身分になってご満悦の様子。
そして、傍で見ていて気の毒になるくらい甲斐がいしくおじさんの世話を焼く女性。
アイスクリームを買ってきたり、うちわであおいだり。
アイスクリームの塊りを安物チャイナ服にべっとりこぼしてしまっても、気にする風もなく、
むしろおじさんの背広を拭いてあげる始末。
まだ中国人の観光客を日本で見ることがなく、
中国で繁華街を歩くと気が付いたら後ろに何人か中国人がついてきて、
服装や持ち物をガン見されていたころです。

女性がハンドバッグのつもりで持っているのが日本の「サンアイ」ショップの紙袋で、
それがくしゃくしゃになっているのが、また何とも言えない哀しい眺めでした。

 


さて、ここ日月譚のザ・ラルーというホテルで、そのきめ細やかな、しかしマニュアルではない
暖かみのあるホスピタリティに、すっかり台湾のファンになってしまった我が家の面々ですが、
先日「閉店後なのでもうオーダーできない」と言われ、外の椅子に座って星を観ていたら、
お店の女の子がお菓子とお茶を持ってきてくれ、いたく感動したTOはその筆頭でした。

「少し日本語教えてあげたんだけど、なんかもう、すごーくかわいいの。
いまどきこんなコが日本にいるかなあ、ってくらい純朴で『おしん』みたいなの」

「ふーん」

片言日本語で一生懸命喋る女の子に、こやつも他愛もなく感動してしまっておるわい。

わたしもここにきて台湾の女の子って可愛いわねえ、とは思っていましたが、
ここまで感動するのも男だからかしら、などと思いながら話を聞き流しておりました。

ところがホテル滞在最後の夜。

息子がルームサービスにある「パイナップル入り酢豚」を食べたいというので、 
日本語の上手い陳さんに案内してもらってホテル内の中国料理を食べに行きました。
しかし、マネージャーは「あれはルームサービスキッチンで作っている北京料理。
ここは上海料理なので、作れと言われれば作るがきっとがっかりさせる」
といってオーダーを受けてくれません。
「これがお薦めあるよ」と強く勧められたのは自慢のトンポーロー。


 
念のために?故宮博物館の「肉形石」を並べてみました。
左上のパンに、肉を挟んで「トンポーローバーガー」にしていただきます。
端っこの見えているのがエリンギの紅茶炒め。

これらのお皿に舌鼓を打っていると、冒頭の二人組がレストランに現れました。
左が件の「おしんちゃん」ことアイリスちゃん、右がアンバーさん。
二人は仲良しなのですが、おしんちゃんが
「大学時代日本語を一年半も習ったのに、真面目にやっていなかったから今大変」で英語も苦手
(でも履歴書に日本語ができると書いたので採用された)
というのに対し、アンバーはゲストリレーションで働いているくらい英語が達者。

おしんちゃんは、アンバーちゃんをどうやら日本語が通じないときの英語通訳で連れてきた模様。
カンニングペーパーを見ながら彼女が一生懸命伝えるところによると、
仕事をしてお礼をもらうなんてとても嬉しかった、ということだったのですが、またその言い方が可愛い。
「わたしはだいすきです~」

よっぽど嬉しかったらしく、TOのあげた金平糖のお礼に、地元の紅茶と、ホテルで売っている
「パイナップル味のナツメ」を、わざわざ買って持ってきてくれたのでした。
連絡先を、という彼女にTOが「フロントデスクに僕の名刺を名刺を預けておくよ」というと
「フロントデスク~よくない~」

私が横から
「フロントはどこでもホテルのエリート集団だからいろいろ従業員の言動にはうるさいのよきっと」
と察して、翌朝、アンバーねえさんに名刺を預けることでその夜は別れました。

チェックアウトしてから、アンバーさんを探していると、なぜかおしんちゃん、早く来ていて、
わたしたちをみると、遠くからまるで子犬がころがるように走ってきました。
・・・・か、かわいい。
なぜか思わず抱き合うわたしとおしんちゃん。

うちのTOは学校の先生なのですが、その名刺を見たアンバー、大喜び。なぜなら、
「わたしは日本に旅行に行ったときに、わざわざこの学校を見に行った」そうで、
私達に見せるためにスクールマークの入った名刺入れもわざわざ持ってきていました。
「今度日本に来たら学校の中も案内するよ。二人でおいでよ」
大好き攻撃に加え、憧れの学校の先生であったことで、さらに尊敬のまなざしで見られ、
いよいよ目尻の下がるTO。

二人と別れ、ホテルを後にする車の中の会話。
「TOがメロメロになるのわかる。かわいいよねえ」
「でしょう?たとえばもし日本に遊びに来るのならいろいろしてあげたくなるよね」


帰りの飛行機には、友だち同志らしい二人連れの台湾の女の子が何組もいました。
ウィンズの橘くんの写真を見せてくれたティーハウスの女の子のように、
お気に入りの日本のスターのコンサートにくるのか、原宿でお買いものするのか。
そうかと思えば斜め前の、お洒落なネイルアートをした女の子は、
英語の電子工学のテキストを、何枚も附箋を付けながらずっと読んでいました。


この旅行のいろんなところで目にしたり触れあった台湾ガールズのひたむきな可愛さが、
わたしたちをより一層この国のファンにしてしまったような気がします。

そうそう、「二人の写真を撮らせて」というと「えええ~」と二人は照れることしきり。
アンバーさんは眼鏡をはずして前髪を整え、おしんちゃんは背伸びをしていました。
思わず「若い子はいいのう」とおじさんのようににやにやしてしまったわたしでした。



                    


ディスプレイ購入した

2012-01-06 | つれづれなるままに

つまりテレビを買ったのね、などとおっしゃらないでいただきたい。
テレビは観ない、買わない、払わない(NHKに)という家訓を守りつつ今日まで来たのには
理由があります。
しかし、どうせあっても観ないとか、テレビ局の作るものがいろんな意味で酷すぎるとか、
特にメディアそのものについての文句は今日はさておき。

テレビのケーブルさえ繋がなければテレビを目にする必要も無いので、DVDを観るためだけに
大きな画面があってもいいとは思っていたにもかかわらず、昔、テレビというものが箱型であったときは

何故テレビを家に置かないか。
答え:インテリア的に許せない


であったのですが、待てば海路の日和あり、壁にかけられるタイプが出てきました。
でも、
それでも何故買わなかったか
答え:もっと待てばもっと薄いのが出てくると思っていた


ここで余談。
先のクリスマス、息子は相変わらず「サンタクロースに頼むものが見つからない」と
直前まで言い続けながら、24日になって
「ねえ、サンタに頼むもの、今から言っても間に合う?」とふざけたことをぬかすので、
「間に合うか―いっ!」
と一蹴してやりました。
去年の今頃、「サンタクロースの仮眠室」という当ブログ内記事で、
宅の愚息(11歳)はいまだにサンタクロースの存在を信じている、という話を書きましたが、
今年現在、サンタ実在に対するかれの確信はいささかも揺らいでいません。

息子は
「友だちの誰それくんはサンタクロースは両親だっていうんだけど、
俺は、俺だけは、サンタの存在を信じているんだぜ!」
と熱く語っていましたので、親としても、

「サンタはリストをもとに配達してるんだから、一旦プレゼントリストから外されたら、
来年から卒業したとみなされて来てくれなくなるらしいよ。
だから何でもいいから早く頼んでおかないと」
(意味:親の買い物の都合もあるから早く欲しいものを言え)

などと、もっともらしいことを吹き込みつつ何が欲しいか聞きだしてきたのですが、
案の定言いだしたのが当日。

「エックスボックス欲しいんだけど」
「サンタクロースは24日の深夜0時をもちましてプレゼント受け付けは締め切りました。
また来年のご利用をお願いします」
「じゃ、パパとママからのプレゼントってことでもいいや」
「でもいいとは何だっ!ちゃんとお願いしなさい!」

まあ、結局同じことなんですけどね。

本人にインターネットでXBOXがMacでできるかを調べさせたところ、できるということだったので、
TOと一緒に買いに行ったのはいいのですが、これも案の定というか何と言うか、
その後やっぱりつなげないようだ、と言いだしました。
そして、ディスプレイがどちらにしても必要だというんですね。

XBox買ってきてしまってから。


今日まで買わずに操を(何に?)守り通したこのわたしにディスプレイを買えと申すか。
しかし、ものごとには何かと縁というか、潮時というか、そういったタイミングがあるのですね。

それを感じたのは24日の晩。
仕方なく電気店に駆け込んだら、液晶ディスプレイの世界が凄いことになっていたのです。
皆さまは地デジ切り替えのときにすでにご存じの情報だと思いますが、なんといっても

安い!
(2~3万円から買える)薄い!(画像の通り)軽い!(同じ大きさの額より軽い)

わたしは高田社長か。
2万円台の商品にも驚きましたが、国粋主義の我が家としては、
画像のシャープ・アクオス、亀山ブランドの40型をチョイス。
しかも、当日7時までに購入すれば(6時半だった)次の日配送してくれます。すごい国だこと。

そして、次の日、二人で設置に来てくれたのですが、しばし「あれ?」「あれ?」みたいな
はてなマークの会話をふたりでぼそぼそ。そののち、
「あの~、テレビのケーブル差し込み口って、どこですか?」
「ああ、言うの忘れてた。うち、テレビ観ないので繋がなくていいんです。
ゲームのモニターとしてだけ使うので」
「はあ~・・・そうでしたか」

よっぽど特殊な客だったんでしょうか。かなりびっくりされました。
画像でもお分かりのように、お見苦しい配線コードは全て暖炉の後ろに隠れてしまい、
使っていないときは時計モードにしておけばインテリア的にもおk。

そして、何と!
知っていればもっと最初から全面的に賛成していたと思うのですが、
しかも欲しがった本人も知らなかったのだそうですが、XBOX、ただのゲーム機と思っていたら
DVDと、youtubeが見られるということが判明。
さっそく「The Earth」などを大画面で観て「いや買ってよかった」と手のひらを返す母親。


さあ、そこで当面の課題は「次回NHKの料金聴取係員が来たときどうするか」なんですが、
皆さん、ご存知でしたか?
「受信機器を持っていたら払わなくてはいけない」とだけ係員は言うらしいですが、放送法には

「受信が可能な設備が無い場合は払わなくてもよい」


とちゃんと明記されているのだそうですよ。

今までは
「うち、テレビ無いんです。見に来られます?」と言ったらおとなしく帰っていったのですが、
これからは、

「もし我が家に一歩でも踏み込んでテレビのケーブルを見つけだすことができたら
そのときは料金を取るがよい。
しかし見つけられなかったときは・・・・・、どうなるかわかるな?」
とか言っちゃうもんね。


ところで、ディスプレイでさっそく「戦艦大和」(藤田進の出ているやつ)を観て、
やっぱり大画面で観る映画はいいのう、と嬉しくなったわたしですが、
(なぜわざわざ白黒のその映画なのかについては突っ込まないでいただきたい)
一つ問題が。

息子がゲームをしている間ずっと聞こえる銃声。
イライライライラ・・・・ぷちっ*
「なんなの~そのゲームはぁー! ずっと銃声ばかりじゃないの!」
「ママの観てる映画もしょっちゅうこんな音してるじゃない」

ママは銃声が好きで観てるわけじゃないです。

というわけで、息子はゲームの時間をいままでよりかなり厳しく制限される結果になりました。
彼にとってはこのプレゼント良かったのかどうなんだか。




涵碧樓THE LALUに見る台湾の洗練

2012-01-05 | つれづれなるままに

ザ・ラルー宿泊も後半に入りました。
台湾に年末到着してから、ずっとお天気がぐずつき気味だったのですが、今朝は晴天です。
台湾は日本より勿論気温は高いのですが、日月譚は高地でもあるため、日向は暑く、
日陰はひんやりと肌寒さを感じる程度。
陽が沈むとさすがに寒いし、部屋の中では暖炉の火が嬉しいといった感じです。
レイク・ビューの部屋から、今日はヴィラに部屋を移動しました。
冒頭の丸いドアは、庭つきプール付きパティオ付きのこのヴィラの入口。
 

寝室とバスから臨む、外で打たせ水を(何のために?)する為のシャワーのある中庭もあります。
 
我が家の旅行は基本、どこの国に行ってもあまり観光に駆けまわることをしないので、
このような居心地の良い空間でのんびり本を読んだり、スパに行ったり、美味しいものを食べたり。
せっかく部屋に離れがついているので、ランチはここにセットしてもらいました。
 

この日、ランチにピザ、クラブハウスサンド、コルマカレー、サラダなどを注文しましたが、
台湾に来て感心するのは、何を食べてもおいしいこと。
中国本土では、中華料理は何を食べても当然のように美味しかったのですが、
パンとかケーキの中国以外のものが、みんなハズレでした。
しかし、少なくとも今回の旅行では何を食べても日本レベル、いや、日本以上。


わたしは、パリで早朝できたてのクロワッサンのために、数ブロック歩いてパン屋に突撃した、
筋金入りのクロワッサン・マニアですが、あまりにも点が辛すぎて、
日本国内では一度も、合格点を出したことがありません。

メゾン・カイザー?エシレ?ロビュション?ちっちっち。

フォーシーズンズであろうが、リッツであろうが、バターと小麦の絶妙な分量は、
とてもパリのクロワッサンに及ぶものではない、というのが結論です。

しかし、ここ、ザ・ラルーのクロワッサンには、そして、パイには、普通の食事パンにすら、
負けました。
この写真のクロワッサンの形、ただものでないオーラ、お分かりですか?
朝のビュッフェに並んでいるペストリーなど、甘いだけで、表面のつや出しがベトっとして、
朝からわざわざ食べる価値など全く認めてこなかったのですが、
クロワッサンがあまりにも美味しいのでもしかしたらこれは・・・、といただいてみれば。
完敗です。

「これは絶対フランス本国のブーランジェリーが指導してるね」
「ピザもやたら美味いし、西洋料理の味も洗練されてるし」
「全てにおいてセンスがただものでないっていうか」
「うーむ、台湾侮れんな」
「ていうか、もしかしたら日本よりずっとイケてる部分があるかもしれない」



このホテルは、湖の臨めるところに普通のランクの客室を配しているのですが、
このヴィラは全く湖の見えない、本来高く売れないような屋上を使って、専用プール、専用庭、
という「特別な空間」を演出し、スイートとして売っているのです。

こういう「知恵の利く」感じが表れているのが、部屋に供えられたディレクトリー。

分かりにくいですが、部屋にある備品の全てに値段がつけられているのです。
日本のホテルは性善説の上に立って経営されています。
今まではそれでもよかったのですが、特に最近近隣諸国の観光客が来ると、
必ず何か持って帰ってはいけないもの(ドライヤーとか、ガウンとか)を持ち帰られるので、
最近はフロントで足止めしている間に部屋をチェックさせるそうです。

しかし、この方法ならば。
何が無くなっていても、後からでも、
「ちゃんと値段を表示したものをお持ち帰りになったのですから、チャージさせていただきます」
ということが可能なんですね。
しかも、これだと客を疑っているようにも見えません。
「全ての備品は販売しております」
バスローブはもちろん、ランドリーバッグ、花瓶、ドアに掛けるドンディスカードまで。
これって、コロンブスの卵って言うか、頭いい方法ですよね。
某国の団体を宿泊させるときはわざわざ廃棄寸前のタオルを入れておく、
という話をホテル関係者から聞いたことがありますが、こちらの方法の方がいいのでは・・。



七言絶句のかかれたのは大きな煙突のようなもので、前にいる男性の右に暖炉があります。
昨日の夜、TOが一人でこの、バーの横にあるテラスの暖炉横で星を見ていたそうです。
バーは店じまいしたあとなのに、従業員がそっとお菓子とお茶を置いていったのだとか。

京都の枯山水を何時間も眺めていたドナルド・キーンの若き日の話のようです。
キーン氏の横にも、いつの間にか横にお茶が置かれていたのでしたっけ。


これに感激したTOが、何かの時のために持参した京都の金平糖をお礼に持っていくと、
非常に恐縮しつつ、嬉しそうに受け取ってくれたということです。
ホテルはあくまでも都会的で洗練されたサービスなのですが、決してマニュアルではない
暖かいもてなしを一人一人が精いっぱいしてくれる、という印象です。
チップ社会であるアメリカでは当たり前のことですが、ここではチップはありません。

「日本に来た外国人の気持ちもこんなのかもしれないね。
チップもとらないのにこんな一生懸命サービスしてくれる、って」

どんな国か、ではなく、出会った一人一人がどんな人々だったかによって、
その国を好きになり、また訪れたいと思うかどうかが決まるのだとあらためて思いました。

台湾、また来たいです。




「涵碧樓THE LALU」台湾人と教育勅語

2012-01-04 | つれづれなるままに

台北から車で二時間。
ちょうど台湾の島のど真ん中、おへそのような位置に、日月譚という湖があります。
今回、元旦明けからこのリゾート地にある「ザ・ラルー」に滞在しました。
洗練されたインテリアとサービスで日本人に大人気の高級ホテルです。

日月譚という湖そのものが、日本という国に大いに関係があります。
昔、日本統治時代までは、このあたりは現住のサオ族だけがひっそりと住む秘境でした。

 

鳥居博士の研究からはじまり、もともと黒い部分だけだった湖を斜線の部分まで広げ、
水力発電のダムを当時の統治政府が建設しました。
黒い部分だけ見ると、日月譚という名前の由来である
「日の部分」「月の部分」が今よりはっきりしているのが判りますね。

ザ・ラルーの場所にあった涵碧樓 は、統治時代の日本人高官の保養所として人気でした。
中華民国建国後、ここは蒋介石の避暑用別荘として使われていたそうです。
 
吉田茂元首相や、当時の皇太子殿下も訪れた模様。
ホテル敷地内には当時の建物が保存され、記念館として残されており、
蒋介石の使用した家具や、このような歴史を学ぶ資料を見学することができます。
 

本物の火の燃える暖炉がついた部屋は、アジアン・モダン。
 

この前日、31日、6割の宿泊客が日本人だったそうです。
TOは一人で行ったバーのウェイトレスに筆談で日本語の教授をしてあげたのですが、彼女に
「何故日本人はここが好きですか?」とマジで聞かれたそうです。
ビーチリゾートのように西洋人、特にアメリカ人はめったに来ない観光地で、
本土から来た中国人、台湾人、そして日本人というのが客層の全てのようです。

着いてすぐ、お昼を食べそこねたので、水上茶屋のようなところで軽く飲茶をいただきました。

 

池に鯉がいたので「餌やりたいんだけど」と言ってみると、
売ってくれたお洒落な鯉の餌、50円。

 

左は餌を投げたとたんピラニア化する鯉の皆さん。
右は頭に日の丸を付けた、小ぶりな鯉。「日本くん」と名前をつけました。
日本人のよしみ、日本くんの前に餌を投げて食べやすいように贔屓してあげたのですが、
日本くん、大国主義の弱肉強食な皆さんが水面から身体を乗り出して餌をむさぼり食い出すと、
下の方にすーっと沈んでしまい、他魚を押しのけてまで食べようとしません。

「あーもー、何で食べないの日本くん!」
「そんなんじゃこの世界で生きていけないよ~!」


日本くんには全く余計なお世話な檄を飛ばすお節介な日本人観光客。
昨今の草食系日本男子のように生存意欲に欠ける日本くんです。
鯉にも性格があるんでしょうが、そのせいで日本くん、他の鯉より小柄でした。
それでも鯉は鯉。(←これが言ってみたかっただけで深い意味は無し)

夜は和食のお店に鉄板焼きを食べに行きました。   

日本の鉄板焼き屋のように、客の前に料理人が現れ、挨拶の後会話の一つもしながら、
ずっと最後まで焼きつづけたり、ましてやベニハナのように包丁をジャグリングしたり、
玉ねぎの富士山に火を付けて煙を出させて見たり(本当にするんです)はしません。
眼の前で焼いているのに、焼きあげたらウェイトレスに運ばせるのが中華式。
 
料理人の口元をご覧ください。
顎のところで軽く支えられた透明のプラスチック製唾液飛散防止マスク。
ここは調理人が全員これを着用して料理しています。
潔癖症の多い日本でもこれは見たことがありませんが、顔を隠してしまうこともなく、
着用している人の不快感も(多分)なく、そのうち日本に上陸するかもしれませんね。

ここの板長さんは台湾人で、和食を横浜で修業した人です。
挨拶に出てきて日本の想い出を語ってくれたのですが、そのうちかれが今チンタオ(中国の)
のホテルに板長として呼ばれているのだが、という話になりました。

「でもねえ、ワタシの友だち、何人か行って、みなやめて帰ってきた。
みな、合わない、っていうんです。中国人と。
言葉は通じますが、何と言うか・・・、違うんですよ。人を信じるとか、そういうことが」


うーむ、中国4千年の血で血を争う王朝の興亡を繰り返し、
自分以外は誰も信じないというメンタリティがDNAにすでに組み込まれている大陸の中国人は、
「騙されるものが馬鹿」「人を蹴落としてでも自分は生き残る」といった、
徹底的な利己主義がその性格の特徴を形作っているとよく言われますが、
同じ中国人でも民主化された台湾と大陸もすでに相容れないものがあるのでしょうか。

「それは、裏切るのが平気、とか、自分のことしか考えない人間が多い、とか?」
「そうです」
思いきって言って見ました。

「もしかしたら、そのあたりは日本人と台湾人の方が近いのかもしれませんね」
「そうそう。わたしそう思います」


その昔、台湾の人々も、日本に統治されているということは民族の誇りからいっても、
心から歓迎するべきことではなかったはずです。
一部、統治に反対する一派もあり、当然ながら抵抗運動もありましたし、
一般においても彼らが日本人と全く同じ扱いを受けたかというと、決してそうではありませんでした。
したがって被差別意識も色濃くありました。

ですから、戦後、蒋介石の中華民国建国の際、人々は独立の喜びに熱狂しました。
しかし、ほどなくこんなことがささやかれ始めます。
「アメリカは、日本には原爆を落としたが、台湾には蒋介石という爆弾を落として行った」

戦後の政府があまりに酷かったので、人々は「日本の方がずっとましじゃないか」と、
統治時代を懐かしみだしたのでした。
それを親日と言っていいのかどうか、あくまでも比較の問題なのでためらわれるところですが、
少なくとも台湾の人々は日本のしたことを良い点も悪い点も公平に受け止めるだけの、
冷静さと度量があったということなのでしょうか。
 
今滞在している日月譚を作ったのは、実は日本であったわけですが、
この話はちゃんと調べれば(ホテルの資料館にももちろん)詳しく史実として残されており、
同じ被統治国でも「日帝時代の残渣」を全て隠匿するだけでなく、
あたかも民族抹殺があったかのような史実改ざんをする朝鮮のようなヒステリックな歴史観は、
台湾においては全くありません。

ただ、台湾も一筋縄ではいかない「流れ」があるようで、「日本が日月譚を作った」とは、
この日月譚を説明するとき一般向けのパンフレットには明記されていない、というのも現実です。
しかも、日本語のパンフレットにもダム、鉄道、駅を作ったのは日本であると書きながらも
「日本の暴力的な統治に耐えきれず原住民は日本人を殺すなどの抵抗があり」
などと、抗日記念碑を観光案内しているのです。

「日本人が何故たくさんくるかって?それは日本が統治時代ここをつくったからじゃないの?」
と、ホテルのお嬢さんにそれを聞かれたTOに逆に聞いてみると、
「そんなことみんな知って来るかなあ?」
「まあ、知るわけないか。台湾人は知ってるのかな」
「それはみな知ってるでしょ。日本の作ったもの壊さないでみんな保存してる国だから」


統治時代、日本政府は最高学府の台北帝国大学を始め、学校を作り、
子供に「教育勅語」を日本語で暗唱させました。
台湾の老人には、いまだに教育勅語を全部そらんじて言える人がいるそうです。
「父母に孝行し兄弟仲良く、夫婦仲睦まじく」
「友人とは信じあい、行動を慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ」・・・

こういった精神的な訓育が、もしかしたら「中国人より日本人に近い」と言うべき台湾人の
メンタリティの一部になってはいないかと、日本人としては思ってみたりもするのですが。






2011年最後の日・台湾

2012-01-03 | つれづれなるままに

    
台湾で美味しいトンポーロー(豚肉角煮)でも食べたのか?って?
この角煮の話は後でするとして。
2011年最後の日、あなたはどのような一日をお過ごしでしたか?

ヘタしたらホテルでずっとうだうだして一日を終わってしまいかねない観光意欲のない我々、
しかしまあ一日くらいはちゃんと名所というところに行こうではないか、ということで、
この日は故宮博物館に行ってきました。

 
孫文先生の像がポインセチアに飾られている・・・。
日本と違ってここではお正月は1月1日ではないので、街の飾りつけはまだクリスマス仕様。
この故宮博物館というもの、実は天安門みたいな、建物を観るものだと思っていたのですが、
実は中華民国の国家の威信をかけ巨額の国費を投入し、最新設備を備えた近代的博物館。
条約締結の調印書や、歴史的文書に始まり、古代からの様々な国宝を一堂に集めてあり、
丁寧に見学すれば一日では足りないのではないかと思われます。

冒頭の豚の角煮は、この博物館の目玉、肉に見える「石」なのです。
天然の石を肉に見たて、皮の表面に細かく細工を施し、そっくりに造り上げた職人の匠の技。


もう一つの目玉はこの「天然のヒスイの色の違いを利用した白菜」。
バッタとイナゴがとまっていて、肉の石と並んで人気の展示。
これを観るのには少し列を作って並ばなくてはいけませんでした。
この白菜、売店には「白菜くん」キャラでぬいぐるみもできているんですよ。
 
お土産に買った「有名皇帝の4種類チョコレート」とペンダント。
唐の高祖と元のジンギスカンしか覚えていません。
本当、学校で習うことって、ほとんどが忘却の彼方なんですよね。
ペンダントは、おそらく展示品の何かのモチーフなんだと思います(が全く覚えていない)。
こちらも忘却の彼方。

さて、博物館を出てタクシーを拾おうと門に向かうとそこでこんな人たちを発見。

法輪功の信者たちです。
法輪功は単なる気功団体だったのですが、爆発的に人数が増えたため、
江沢民の共産党政府が第二の天安門を怖れ弾圧を繰り返しました。
理由も無く捕えられ、拷問の末臓器を抜き取られたり、人体の不思議展に死体を売られたり、
(不思議展の展示体には明らかに生きているうちに加工されている例もあるのだとか)
といった弾圧が学習者に加えられていると言われています。
それを公開で政府に抗議した弁護士は行方不明。

この学習者たちの並んでいるところの反対側には、弾圧をパネルで訴える展示と、
署名運動をしている運動家たちがいました。
臓器を抜き取られたあとの縫い目も生々しい死体、拷問の後の死体。
そういった眼をそむけたくなるような写真が大きく引き伸ばして展示されており、
人々はそれを複雑な表情で眺めながら通り過ぎていました。
ニュースでは知っていましたが、実際にそのような人々を見るのは初めてです。
同じ中国でも、ここ台湾と共産中国の空気の違いを目の当たりにする思いでした。




この日の夜は、昨夜の海鮮料理を推薦してくれた方の再びの紹介で、ふかひれ専門店へ。
 
ここのメイン料理はふかひれ。
中華料理を食べに行くとほんの数本ふかひれの浮いたスープが出ますが、
ここではそのふかひれがカタマリで出てきます。
大中小とランクがあり、われわれは二人で中の大きさを一つ頼みましたが、
だいたいそれが子供の手のひらサイズ。

こちらでもふかひれは高級料理ですので、店内にはシャネルづくめのおばあちゃまとか、
どう見ても原宿を歩いているかのようなスタイルの茶髪の今風お嬢さんとか、
凄く仕立ての良さそうな中国服を着て、なぜか頬のほくろから20センチくらいの長ーい白髪を
伸ばしっぱなしの仙人みたいなおじいちゃんとか、
何しろただものではなさそうなリッチそうな台湾人がいっぱい。
みな一人に一皿ずつふかひれを頼んで食べていました。

あまり値段のことを言うのもなんですが、中サイズふかひれ一鉢が1万5千円。
ふかひれの相場など全く知らないで今日まで来ましたが、これは日本の、
例えば赤坂の福臨門などで食べることを思うと異常に安いのだそうです。
(福臨門でふかひれなんぞ食べたことが無いので、TOの受け売りですが)
生まれて初めて「糸状でないカタマリのふかひれ」をガブリと食べました。

この直後、ホテルのナショジオチャンネルで「いかにふかひれを採るのが残酷か」
という番組を観て思わずこのときの悪行を反省しそうになりましたが、よく考えれば
ナショナル・ジオグラフィックって、海犬や緑豆の味方でしたっけね。
ガチョウのフォアグラを始め、牛馬雉兎魚。
生きて飛んだり歩いたり鳴いたり泳いでるものを食べるのやめてから非難してくれるかな?


ホテルに帰る道でバーガーキング発見。
 王
・・・・・・・・だそうです。
 

ホテルに帰って、年越しまでの間、時間つぶしのためホテルの映画館に行きました。
毛布付きのソファで、ほとんど寝転がった状態で映画を鑑賞します。
頼めばアイスクリームや飲み物を持ってきてくれます。
やっていたのは不可能的任務の鬼影行動。すなわち
「ミッションインポッシブルのゴースト・プロトコル」です。

字幕が中国語というのも分かるような分からないような。
イーサン・ハントのイーサンを「伊森」って書くんですが、いちいち
「伊森!」「伊森!」って字幕に出てくるので、頭の中では「いもり」としか思えなくて、
それだけが理由でもありませんが、いまいちのめり込めないうちに終わってしまいました。
個人的には例の「ミッションインポッシブルのテーマ」インド風がツボでした。

日本にいる皆さま方が、一時間前に新年を迎えている中、我々は、2012年の年明けを
101の花火で祝いました。
101とは、台湾にある超高層ビル。
このビルそのものと、回りに仕掛けられた花火のカウントダウンショーがあったのです。

   

相変わらずまともに撮れていない写真で申し訳ないのですが、ビル全体が火に包まれているように、
花火が点火し、部屋の窓から眺めるだけとはいえ迫力がありました。


というわけで、台北の花火を観ながら迎えた2012年。
ここ数年、一度として同じ所で新年を迎えていない我々ですが、
来年、どこで新年を迎えるにしても、世界がとにかく無事でありますように。

何が起こっても不思議ではない昨今の世界を見ていると、それだけが願いです。